王子の初仕事⑥
カールレッド王子危篤の報せが魔法の手紙でもたらされ、フィライト国から迎えが来ることも伝えられた。出立の準備を、と言われてもアシュラムがすることなどほとんどない。三日ぶりに顔を合わせたライカと再会を無邪気に喜ぶ気持ちにもなれず、ただぼんやりと窓辺に立ち外を眺めて過ごしていた。
マルランは世話になった屋敷の者たちへの挨拶や変更になったあれこれを指示するために奔走し、セシルもまたいつの間にか姿を消していて居間にはライカと二人きりだ。
なぜこんなにも目まぐるしく事態は動くのか。
運命はいつもアシュラムを置き去りに勝手に動いては無理やり巻き込んで押し上げていく。
「……もう少し、猶予があると思っていたのに」
一年前に必ずこの時が来るのだと分かっていたはずなのに。ちっとも心の準備などできていなかった自分にほんの少し落胆していた。アシュラムの情けない顔が窓に映っているのを見てさらに気分が重くなる。
深く沈む心を止めらずにいると扉の向こうから来客の訪れを告げられ、本気で逃げたいと思ったのをライカが察知したのか肘をぐっと掴まれた。
「どうする。嫌なら断る」
「断る?」
できもしないことを――いや、きっとライカはアシュラムが会わないと答えたなら断るだろう。コウサ王子にも食って掛かるくらいなのだから。
「相手はロッテローザ王女だ。最後にご挨拶くらいはしなければ」
「いいんだな?」
「断るという選択肢はないよ。お待たせしては失礼になる。さあ、お通しして」
「仰せの通りに」
ライカは掴んでいた右手を胸に当てて一礼すると身を返して扉を開けに向かう。音もなく、気配も消して進み、王女のためにゆっくりと道を開けた。ロッテローザは伴っていた侍女に外で待つように告げてから歩を進め、部屋の中ほどで立ち止まり腰を落としてお辞儀をする。何度も繰り返し、息をするのと同じくらい自然に身についた仕草は優雅で美しく知らずうちにため息が出るくらいだ。
「来たばかりだというのにもうお帰りなられるとお聞きしたのでご挨拶に参りました」
「それはありがとうございます。ロッテローザ王女にご足労頂かなくともこちらから伺うつもりでしたのに。おかけになられますか?」
「……いいえ。長居をしてはご迷惑になるでしょうから」
チラリとソファを見て王女は結局断り数歩こちらへと近づいた。声を張らなくても話せる距離で止まり、先ほどまでどまでアシュラムが見ていた窓の向こうへと視線をやる。しばらくそのままじっと眺めていた瞳をこちらへ向けられ内心ドキリとした。
薄い紫の瞳はカールレッド王子と同じ色をしている。蜂蜜色の髪も同じで。こうして間近で見て二人は本当によく似た姉弟なのだと気づかされた。
「お母様はきっと安心していらっしゃるでしょうね」
「心を痛めているのではなく、安心ですか?」
「ええ。だって我が子が苦しむ姿をもう見なくて済むのですもの」
小さく微笑んで王女は「もちろんお別れはとても辛いことだけれど」と続けた。
「わたくしたちは幾度も病に伏せるカールレッドを見てまいりました。そのたびに胸が張り裂けそうな思いを何度も経験して、とうに覚悟はできておりましたから」
軽々しい返答ができない内容にアシュラムは黙るしかできず唇を引き結ぶ。王女が眉を下げごめんなさいねと謝罪した。
「心優しき王女だと褒め称えられていたのに実際には冷たい女でがっかりしたでしょう」
「そんな」
むしろ
「優しいだけでなく強い女性だったのだなと感心しました」
「ふふ。あなたも見かけ通りではないとコウサ様がおっしゃっていたから案外似た者同士なのかも」
楽し気に笑い声を上げるロッテローザ王女はとても愛らしく親しみを感じさせる空気を纏っていた。だがそれも彼女が笑みを消してしまえば近づくことなど許されない高貴な雰囲気へと変わる。
「わたくしはあなたのことを兄だとは呼びません。わたくしはすでにショーケイナへと嫁いだ身」
だから
「わたくしのことなど気にかけていただかなくても結構です。いかなることがあろうともわたくしはコウサ様と運命を共にし、この国で強かに生きてまいりますのでどうぞお忘れくださいませ」
強い言葉で締めくくられた言葉の後にあなたはあなたの国を護っていって欲しいという王女の願いが聞こえた気がして。アシュラムの胸はふるりと震えた。
「本当にあなたは……強くていらっしゃる」
「女とはもともとそういう性質なのです」
甘く見ないでくださいましと言うようにつんっと鼻を上に向けた姿に思わず笑ってしまう。この一つ年下の王女と共に王城で育つことができていたなら、などと考えても意味のないことを想像して寂しくなった。
「最後に一つお願い事をしても?」
ふとロッテローザ王女が真顔になりアシュラムは首を傾げる。
「なんでしょう?私にできることならば」
「わたくしはもう直接会うことも伝えることもできないからあなたにお願いしたいのです」
カールレッドに
「今までよく頑張りました。あなたはわたくしの誇りよと」
どうか、どうか――揺れる瞳に涙はないけれど弟を思う気持ちは深く愛にあふれている。悲しみも諦めも全て超えて。
「確かにお伝えします」
「ありがとう。これ以上はお邪魔でしょうから」
スカートを持ち上げてすっと腰を落とし、アシュラムに視線を戻さぬまま背を向け歩んでいく。背筋を伸ばし遠ざかる彼女を呼び止めると王女は顔を横向けて言葉を待つ。
「あなたも私たちの誇りです。どうぞお元気で、お幸せに」
聞き終えたロッテローザ王女はクスリと微笑みだけ残してライカが開けた扉の向こうに消えていった。
ロッテローザ王女に言葉を託されたからだろうか。ただただ沈鬱で重いばかりだった帰城が一刻も早く帰らねばならないという使命感のようなものに変わっていた。
ありがたいと素直に感謝しながらアシュラムは迎えが来るのを今か今かと待っている。
移動魔法を使える魔法使いが来るのだろうがこの屋敷とディアモンドには道が繋がっていない。まずは繋ぐための準備が必要で、そのためには時間がかかる。一度繋いでしまえばその道を通って帰ることは簡単にはなるのだがその準備におそらく手間取っているのだろう。
分かってはいるが待つだけというのは性に合わない。
うろうろと部屋の中を歩き回るアシュラムをライカとサミーが呆れたように眺めている。ライカの何度目かのため息が落ち、さすがに文句を言おうと立ち止まると「待ち人が来たぞ」と扉に立てた親指を向けられた。
しばらくするとアシュラムの耳にも足音が聞こえ、勇んで前まで進み出る。
「来たか!」
「殿下!?」
飛び出さんばかりに扉の前にいたアシュラムにさすがのマルランも目を丸くして声が裏返った。驚いて下がったせいか後ろにいる人物にぶつかってさらに飛び上がって謝罪するマルランはなかなか見ものだったが。
「驚かせてすまなかった。ええと」
「殿下もお茶目なとこあるんだね」
「え」
迎えの魔法使いは騎士団所属の人だろうと思っていたからマルランの後ろから出てきた小柄な少年の姿に固まってしまう。首から下げた大きな紫色の石を弄りながら笑っていたのはグラウィンド公爵の子息であるザイルだった。
「なぜ、ザイル殿が」
「だって他に適任がいなかったから」
「いやいや!いるでしょう!?」
魔法と科学の国をうたっているフィライト国のサルビア騎士団には魔法を得意とする精鋭が多く集められている。移動魔法となるとそれなりの熟練度が必要だが、道が繋がっていればそう難しいことでもないと聞く。
「え~?不満?それとも不安?」
頬をふくらませるザイルからは王族にも劣らぬ地位を持つ者としての威厳はないが、やりたいことはなにがなんでも通すという強い意志がある。これはきっと誰も止められなかったんだなと理解してアシュラムは折れた。
「いや、ザイル殿の腕には不安も不満もありません」
「じゃあいいじゃん」
ザイルは軽い言葉で中へ入れてよと赤い巻き毛をふわふわとなびかせてアシュラムの横をすり抜けていく。あちこち覗き込んでは他国と自国の違いに歓声を上げて楽しんでいる。彼の好奇心が満たされるまでは出発は無理そうだ。
「アシュラム殿」
苦笑いしてザイルの様子を入り口で見ているとコウサ王子が廊下の向こうから護衛と供の者をゾロゾロ連れてやって来た。今まで身軽な様子で動いていたようなのに突然どうしたのかと問えばニヤリと笑われる。
「これぐらいが普通なのだとアシュラム殿に教えてやろうかと思ってな」
「それはそれは。ご教授ありがとうございます」
「冗談だ。そう怒ってくれるな」
「笑えません」
顔では笑っていてもコウサ王子の嫌味は笑えない。だがこうして上辺だけのやり取りではない気安い会話は心地いいものだった。
「もっと色んな顔を見たかったが残念だ。そちらはこれから忙しくなるだろう。おそらく数年は会えぬだろうが」
王子は言葉を切って真っすぐに見つめてきた。大きな輝く瞳で。
「いつかまた会おう。その時までに弓の扱いを覚えておけよ。一緒に狩りに行こう」
未来への約束。願いと希望。
アシュラムはそっと目を伏せて微笑んだ。
「ええ。いつか、必ず」
「後のことは任せておくがいい。荷と罪人と供の者はこちらからも護衛をつけてフィライト国へと送り届けると約束しよう」
転移魔法で移動できる人数は術者や魔力量にもよるが四、五人が限度だと言われている。多くの荷物と国境傍のデシ砦から借りている騎士たちや従者などを全員連れては帰れない。
「どうかよろしくお願いします」
「構わん。たっぷり恩を売っておける機会ができてこっちとしてはありがたいくらいだ」
「その恩を返せるようせいぜい頑張るとします」
「そうしてくれ」
ぽんっと叩かれた肩がじんわりと温かい。そこを押さえてアシュラムは顔を上げると気が済んだザイルとコウサ王子が挨拶をしていた。ハラハラしたがちゃんと公爵家の子息として振舞っていたのでほっとする。まあ生まれてから後継ぎとして厳しく育てられているので当然なのだが、普段のザイルを知っているとどうしても懐疑的になってしまうのは仕方がない。
「殿下。すぐにでも行けるけど連れて行くのはライカとマルランだけでいいの?」
会話が途切れたところでいつもの調子に戻ったザイルが声高くアシュラムを呼ぶので頭を抱えたくなったがぐっと堪える。
「いいや。セシルも一緒に」
そういえばその当人はいったいどこにいるのか。
ライカとマルランを見たが二人とも知らないと揃って言う。なんとなく部屋の隅にいるサミーにも視線をやるが「申し訳ございません」と謝られてしまった。
「急いで探してきて。間に合わなかったら陛下に怒られちゃう」
さすがにそれはまずいとアシュラムはライカに頼もうとしたが「その必要はないよ」とセシルが扉からするりと入ってきた。
「よかった」
「全員揃った?じゃあすぐに出発するよ。近くへ」
ザイルが手招いた先にアシュラムは急ぎ、ライカとマルランも従った。だがセシルはサミーの後ろに立ってひらひらと手を振っている。
「ちょ、セシル!?」
「行くのはあんたたちだけだよ。こっちに残って監督する人が必要みたいだからその役目を引き受けてあげる」
「あげるって言うけどもしかしてあなた」
「そのまま帰らねぇつもりじゃねぇだろうなぁ?」
「知ってたけどずいぶん信用無いね」
肩を竦めてからセシルは屈んでサミーの手をそっと包んだ。その手は薬が塗られ白い包帯が巻かれている。
「サミーにはまだ治療が必要なんだ。放っておけない。ちゃんと連れて帰るから」
安心して戻れと拒絶されればアシュラムは黙るしかない。だがライカは色をなくして元々悪い目つきを厳しくしている。固く握りしめていた指を開いて手を伸ばし、一歩出ようとした幼馴染の腕をぐっと掴んで止めた。
「ライカ」
咎めるように呼んだのはセシル。
「落ち着きなよ。リディと一緒にやりかけてる商談がまとまってないし、ノアールの魔法が実を結ぶのもまだ見てない。ディアモンドを離れるつもりは今はまだないから安心しなよ。いい子だから王子と帰りな」
「…………絶対だな?」
「残念。絶対はありえない。でも約束してあげる」
ぐうっと唸るライカの腕を強く引いてアシュラムはゆっくりと言い含めた。
「ライカ知ってるはずだ。セシルは約束は守る」
「そゆこと」
「戻ってこなかったら分かってるんだろうな」
「ライカとの追いかけっこなんて面倒くさくてやりたくないからちゃんと帰るってば」
「分かった……」
「ならもういい?飛ぶよ~?」
退屈していたのかザイルが話に割り込んできて大きく息を吸い込んだ。ぐっと魔力が濃くなり空気が重く感じられるようになる。ザイルを中心に青白い光がぐるりと円を描いて広がっていく。不思議な響きの言葉が紡がれていくと新しい光が次々と生まれ陣の形をくっきりと浮かび上がらせていった。
光の粒の向こうでセシルが手を振っている。サミーは初めて見る大規模な魔法に目を丸くして。コウサ王子を見れば胸の中心に手を当てて笑って健闘を願ってくれていた。
魔法でできた道を通り、距離を縮めてアシュラムたちは飛んだ。一息に。




