旅人の記憶
それではどうぞ。
探し求めていた箱庭へと辿りついてから……
私は自分の暮らしていた街を作った。それから、知りうる限りの場所を。
あいにく、海外については造詣が深くはないから。
日ごろからよく行く場所だけになってしまったけれど。
一通り電車で回れるくらいの範囲だったから、特に不便はない。
望むのならば、どんなものでも作ることができると、あの彼女は教えてくれた。
興味はゼロではない。けれども私が望むのは、人に尽くすことなのだ。
巨万の富や豪華な邸宅などは必要ない。
困っている人がいれば、それだけでいいのだ。
あとは生活に必要なものくらいだろうか。
たとえ小さな街だとしても、日々違う人々が住んでいるのならそれだけで。
私が作った街には、私が望んだとおりの人々が暮らしていた。
数は想像していない。
職業は階級の底辺から頂点まで。
その割合も数も毎日なにがしがの変化をもたせてみた。
街ですれ違う人、どこかのオフィスで働く人。
募金をあつめている少年少女に飢えをしのぎたいと願う人。
存在しているすべての人が、誰かしら何かに困っている。
それが私の望んだ世界で。
会社がつぶれて嘆く人に、資金を融通してあげたり。
転んで泣く子供を病院まで連れて行ってあげたり。
行き場なく彷徨う人は借り手のいないアパルトメントへと連れて行き。
「さぁ、ここに住んだらいいよ」
親切にしてあげた人の反応も、一通りそろっていた。
余計なお世話だとつばを吐き散らす人……
もちろん、彼は得たものを手放すことはしなかった。
感極まってか悲しみなのか。
泣き崩れる人……どちらの理由だとしても、私にはどうでもいいこと。
分かりやすく、諸手をあげて笑う人……お幸せに、と言葉を残して、その場を後にした。
どういう経緯かは分からないが、うちひしがれる人……それではさようなら、と我関せずに親切を終える。
自分の行ったことに対しての反応は、なんでもよかった。
傷つけられ、ののしられようと。
私は感謝の言葉が欲しいのではないのだから。
私にとっては行為そのもの自体が、何にもかえがたい大切なもので。
偽善だろうがなんだろうが構わないのだ。
ここで少し考えてみたのだが。
できうる限りの最高の状態で誰かに親切をほどこしたとして。
まぁ、手助けという言葉に置き換えてもいいだろう。
いったいどれほどの人がちゃんと礼を言うのだろうか?
落としてしまったのであろう荷物を渡してあげれば。
ひったくるようにして受け取り、逃げ去っていく。
道で泣いている子供をあやしてあげたなら、射殺されそうなほどのまなざしで、親から睨まれてしまう。
人助けのすばらしさを広めようと、街中で話をしていたのなら……
公僕の方にちょっとおいでと手招きを受ける。
与えたものにたいして、予想していた反応がかえってくるとは限らない。
結果から判断すれば、大喜びでもあまるくらいの時でも。
内心にあふれる喜びを押し隠して、仏頂面で礼をいう人もいるだろう。
無言で帰る人もいるだろう。
相互の喜びが得られないのだから――押しうるしかないでしょう?
はなから、親切を施さない、人助けをやめるという選択肢は、私の中には存在してなどいない。
それをやめてしまったのならば、私は私でなくなってしまう。
ただの『人間』だ。そう呼ばれる生き物で、群像にまぎれてしまう。
だからこそ、この世界は私にとってもっとも適している場所だといえるだろう。
ときたま、親切の果てに命の危険に晒されることも、なきにしもあらず、といったところだろう。
箱庭の中でなら。死でさえも夢として見られる。
終わりなど望まない限りは訪れることなどありえない。
いくらでも無限に。時が果てるまででも、私が飽きるまででも。
親切を与え続けることができるのだから……
その場その場のシチュエーション。
見慣れてしまったときは、少し風景を変えて。
雨風、雪に虹。オーロラですら、既知ならば簡単に作ることができる。
赤子の手をひねるのと同じくらいに。
なんどもなんども、同一の人に対して手助けをして。
そのたび、変わっていく対応を楽しんだこともあった。
喜怒哀楽、最終的には、感謝すらもしなくなってしまったけれど。
それでも私の満足感が途絶えることはなく、私は満たされ続けていた。
けれども。つくづく人間の欲深さには目を見張るものがある。
その深さに、底はないのだろうか?
望んで作り出したこの場所で。私は一番大好きで、尊いと自分で認識している行為を行い続けているのに。
まだ、ものたりないと――そう感じたのはいつだったろうか。
年月日は覚えていない。外と中でずれはあるのかどうか。
親切というもの自体に飽いてしまったわけではなくて。
もっと広い場所をと望んだわけでもなくて。
渇望したものは一通りそろっていたというのに。
私は思ってしまったのだ。この箱庭を、もっとより多くの人に知ってもらいたいと。
そう奥底から願った途端、私の街は色彩を変えてしまった。
何か、困った事柄を抱えている人から……しあわせになれる、満たされることの場所を求めている人々へと。
もちろん。私はそういった人々に対して、箱庭のその存在を広めていった。何人だろうか。人間の人口には満たないけれど。
その辺の学校の人数などは、はるかに凌駕しているだろうとは思った。
私がそうして教えてあげた人々は、その後どうしているのだろうか。
それぞれの理想をもとめて、世界を作っているのだろうか――否。
どうしているのかと、私がこう考えてしまった時点で。
そこで人々の物語の続きは、綴られることはないのだろう。
しょせんこの街の人々は、私の作り出した偶像でしかない。
いくら変化をもたせたところで……人形でしかありえない。
私の新しい渇望。この世界の外側の人々に、箱庭をしってもらいたい。
かりそめの現実では我慢ができない。
この世界はとてもすばらしい。だからこそ、より多くの人々に。
しあわせになるか、不幸になるかなどはどうでもいい。
ただ、その存在をしってもらい、入ってもらえればそれだけで。
そう願った瞬間、私の街は色を失くした。
見慣れたビルはモノクロになり、通りを歩く人々は黒いシルエットになった。
風景の境界はあいまいにで、自然のものと人工物とが交じり合い、グロテスクなくらいに感じられた。
まともなのは、私一人だけになった。
この箱庭は、私の記憶に留めておこう。
いずれまた、戻りたいと願うことがあるかもしれないのだから。
歪んだ景色は徐々に薄れていって、何もなくなった。
目を閉じているのか、立っているのかさえわからない場所で。
私は一人言葉を紡いだ。
「さぁ、外にでましょう」
こうして私は、箱庭を後にした。
はい、お読みくださりありがとうございました。
もうちょっとだけ、箱庭は続いていきます。
スローペースですが、よろしくお願いいたします