怨殺の記憶1
それではどうぞ。覗いてくださいまし。
それはたぶん、些細な可能性の問題。
だいたい二十人と少しの人数の世間。
目で見て、肌で感じて、空気を読んで。
顔色を伺ってみたり、色めきたってみたり。
好きな人嫌いな人、無意識ではじきだして。
それはたぶん、どこにでもよくあることで。
運がよければ杞憂で終わって。
運が悪ければ憂鬱で満たされる。
そう、単純な割合の問題なのかもしれない。
好きが多いか、嫌いが多いのか。
その絶妙なバランスは知らず知らずのうちに伝染する。
気がついたときにはもう遅くて。周りがのっぺらぼうばかり。
そのくせ、三日月みたいな口だけ、はっきりと浮かんでいる。
赤い赤いその口で、彼らは笑うんだろう。
不運にも、些細な可能性に当てはまってしまった人々を。
自らその割合を増やしてしまった道化者を。
道化役すら演じることができない、哀れなピエロの僕を。
始まりは憂鬱の色。真ん中は蒼黒の色。終わりは何で描こうか。
杞憂には戻れないし、憂鬱はもう飽きてしまったから。
偽者の白で染めてしまおうか。道化の赤をぶちまけようか。
それとも全部混ぜて、真っ黒にしてしまおうか。
僕は、終わりを望むんだろうか。
口の中に満ちるのは、錆びた味。耳から響くのは、品のない罵声。
体に伝わるのは、骨が軋む痛み。
これが、僕の日常で。
「 」
この蛆虫、だったか。きたない、だったか。
もしかしたら、全然違う言葉だったかもしれない。
だいたいは、同じような意味をもつ罵りだけど。
そんなような、何度も何度も聞いたののしりの言葉。
僕の耳には、もう雑音にしか聞こえない。
少しまえから、僕をいたぶっている複数の男子。
たぶん、クラスメイトなんだろう。この場にいるからには。
まったく知らない人の顔は、思い出せないから。
でも、顔をかばう腕の隙間から見る、そいつらの顔。
のっぺらぼうで。
顔なんて、どうでもいい。僕がそう望んだから。
それでも怒りは忘れないために。
口元だけは、真っ赤な三日月。
誰も彼も、そういう顔をしている。
さんざん殴る蹴るをして飽きたのだろうか。
そいつらの気配が遠ざかっていくのを、感じた。
そうして僕は顔を上げる。
ちぢめていた体を伸ばして、立ち上がる。
見慣れた……教室。
黒板に赤いチョークで書かれたのは、さげすみの文句。
ついてもいない埃を、服をはたいて落とす。
自分の席を、眺める。
机には悪戯だろう、彫られた後がある。内容は、いわずもがな。
後は、花瓶が置いてある。
これも、嫌がらせだろう。
どれもこれも、よくあるようなこと。
僕の記憶にもとづいたものだから、間違ってないだろう。
何度も何度も、こんなような扱いを受けたんだ。
だから僕はいまも、繰り返している。
爆発させるその瞬間まで。
思いを、感情をためこんでおけるように。
ぶちまけたって、爽快感はないだろう。
むなしさがあるだけ。終わってしまった後特有の。
飽きるくらいに繰り返して。
そうしたら、思い切りぶちまけるんだ。
そのための僕の世界。僕の箱庭。
誰にも、邪魔なんてさせやしない。
何がいけなかった?
僕はもともと内気で、消極的。
だから、頑張って振舞ったんじゃないか。
明るく見えるように。少しでも、見てもらえるように。
初めてのクラス内での紹介。
精一杯の道化を演じて。
その結果があれ?
暖かく迎えて欲しいとは思わない。
ただ、嫌わないでいてくれたら、それだけでよかったのに。
輪の外にいても、眺めていられるだけでよかったのに。
どうして好奇の目で見る。どうして侮蔑の視線が刺さる?
僕が、いったい何をしたっていうんだ。
顔が不細工、気持ち悪いだって?
親から生んでもらったんだ。何をいっているんだ。
だったら整形ばかりして、別人みたいならいいのかい。
鼻を高くして、骨を削ってさ。
あたしは綺麗よ、ほら見てって……
中身は真っ黒なくせに。
僕が知っている人。そう多くはないけれど。
まだ、子供だし。それでも。
中身も綺麗な人なんて、ほとんどいなかった。
見た目どおりの中身。
でも、外見で決め付けている人から見たら、素敵なんだろうね。
どうしてありのままではいけないのさ。
無駄に着飾らなければいけないの。嘘を纏わないと、生きてさえいけないの?
うわっつらだけで、判断した気になって。
話しかけてくれたなら、よかったのに。
僕だって、笑ってこたえてあげられたのにね。
ひそひそと噂話を囁かれたら。
机に顔を伏せるしかできないよ。何の話してるの――そんな風に。
聞いたりする度胸なんか、もってないんだから。
生んだ親が嫌いなわけじゃない。
見て見ぬ振りをする教師が嫌いなわけでもない。
もちろん、世界はまばゆいから、嫌いになんてならない。
ただ。
僕はあいつらが憎い。それだけ。
耳の中に、笑い声が木霊する。女子生徒の声。
名前なんて、覚える気もない。声だけで、かろうじてわかるくらい。
彼女らは、別に嫌いじゃない。
変なもの。おかしいものを見つけて笑ってしまうのは、おかしくない。
目の前に、逆立ちした鳥がいたら、びっくりするだろう。
その後におかしくなって、笑ってしまうだろう。
どうせ僕は道化。笑われるならいい。嘲笑われるつもりはないけれど。
でも。
弱者を強者がいたぶるのは、可笑しいだろう?
支配するでも、統率するでもこきつかうでもない。
ただ、いたぶるんだ。
骨が折れようが、血反吐を吐こうが関係がない。
ただの時間を潰すための行為。意味なんてもってないんだろう。
それが、僕は許せないんだ……きっと。
何度も繰り返して、もう飽いてきた僕の世界。
一ヶ月、一年? それよりももっと長い?
そろそろ、色を塗り替えようか。
いっぱつでかいのを、かましてあげようか。
古びた積み木を崩して、また新しいのを積むんだ。
明日。
明日になったら、終わりにしよう。
この僕の、古びた箱庭。
どうしてでしょうね?