悪魔
街道を、東へ向かって走り続けた俺達は、目的地となる休憩地点へと到着した。
東の空は、明るくなって来ており、間もなく太陽が顔を覗かせる時間だ。
周囲は何もない平原で、大きな岩が点在しており、その周辺には木々が生い茂っている。
タースへ向かって来た際には、大きな岩が1個しか見えなかったが、夜明け前の明るさになり巨石が点在している事が確認できた。
ナークの操る96式装輪装甲車が、街道を逸れて草原の中へと進んで行き、巨石の手前で停止する。
俺は、操縦している16式機動戦闘車を、同様に街道から草原へと進行させつつ、車体の向きを東では無く、西へと向けてから停止させた。
タースからの傭兵軍による追撃に、念のために備えた陣形だ。
俺が16式機動戦闘車を停止させると、ナークが96式装輪装甲車の後部ハッチを開放させて、タースからの乗客達を下ろす準備をしていた。
特に指示をした訳でも無いのだが、行動の先読みができるのは有り難い事だ。
俺は、16式機動戦闘車から下車する前に、アンへ警備を指示する。
「アン、砲塔のハッチを開いて、重機関銃の銃座で見張りを頼む」
「ジョー兄い、任せてよ」
「双眼鏡はいるかい?」
「う~ん、いらないかな……」
「一応、預けておくから、必要なら使ってくれて良いよ」
「うん、ありがとう。でも、アタイはこっちの方が慣れていて見やすいよ」
そう言って、アンは既に自分の愛銃となった12.7mmバレットM82A3――対物狙撃銃――のスコープへ装備されているレンズ・キャップを外した。
俺は、小声でアンへもう一つの指示をしてから、普通の声で言う。
「そっか。じゃあ頼んだよ」
「判ったよ、ジョー兄い」
俺が16式機動戦闘車の操縦席上のハッチから身を乗り出して下車すると、ベルが砲塔から降りてきて俺に続く。
ナークの運転していた96式装輪装甲車からは、後部ハッチの開いた扉を足場にして、マリアンヌさん一家と、ギルさん率いる"雛鳥の巣"のメンバーが降りてくるが、最初に降りてきたギルさんの後からハンナさんとガレル君に支えられながら、車酔いしたと思われるメイドさんが一緒に降りてきた。
ナークとミラは、未だ降りて来ないが、既に96式装輪装甲車のエンジンは停止させている。
俺は、ハンナさんとガレル君に支えられているメイドさんへ近づき、様子を尋ねた。
「大丈夫ですか?」
「……申し訳ありません。鉄の箱車に乗ったのは初めてなので、気分が悪くなってしまいました……」
「気にしないでください。高速で走り揺れも大きかったので酔ってしまったのでしょう。少し休んで下さい。必要ならば、ミラに回復魔法を頼みますが?」
「それには及びません。大丈夫です」
俺の提案に対して、メイドさんは、慌てた様に回復魔法を固辞した。
それでも、メイドさんの顔色が優れない上、かなり弱っている様にも見える。
それはまるで、小学生の頃だったか、学校のバス旅行で、酔って気分が悪くなってしまった同級生の女の子の様だ。
「……そうですか。必要なら何時でも言ってください。では、あの岩陰で休んで下さい」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて休ませていただきます」
弱々しく足下もふらついている様子の彼女を支えて、ハンナさんとガレル君が岩陰まで連れて行く。
そして、彼女と入れ違う様に、赤ちゃんを抱いたマリアンヌさんと旦那さんが俺に近づいてくる。
「ジングージ様、本当に危ない所をお助け頂き感謝します。申し遅れました。私めはマリアンヌの夫で、マーチンと申します。以後、宜しくお願い致します」
「マーチンさん、自分はジョー、ジョー・ジングージです。こちらこそ、ご挨拶が遅れて失礼しました。救助が間に合って、本当に良かったです」
「ジングージ様、私はアントニオの娘、マリアンヌです。何時も父がお世話になっていると鳩の文で知らせて来ておりました。この度は、私達だけではなく、娘の病までも聖女様に回復して頂き、お礼の言葉もありません。本当にありがとうございました」
「いや、回復できたのはミラのお陰です。しかも、自分がミラを伴ってタースへ来たのは、スベニのマーガレット司教の考えです。スベニに戻ったらマーガレット司教にお礼を申し上げて下さい」
「そうでしたか、マーガレット司教様が……なんてお礼をしたら良いか……この娘の洗礼の義は、是非ともマーガレット司教様にお願いしなければ。ねぇ貴方?」
「そうだね、マリアンヌ。お礼も兼ねてスベニの教会でしてもらおう」
どうやら、この異世界でも我が子の健やかな成長を神に願う儀式があるようだ。
日本で言えば七五三のお参りの様に、西洋では洗礼を教会で受ける習わしだ。
むろん、宗教によっては異なるのだが、何処の世界でも我が子の健康を願わないな親は居ないし、それを神に祈るのは当たり前の事だ。
「それにしても、あの待女さんは大丈夫でしょうか?鉄の箱車が揺れすぎましたのでしょうが……」
「何を馬鹿な事を言っているんだ、ジョー。俺も初めて鉄の箱車に乗ったが、こんなに揺れないで早く走れるなんて、快適の一言だぜ」
「そうですとも、ジングージ様。ギル殿の仰るとおりでございます。普通の乗客馬車では、もっと激しく揺れます故、誰もが尻を腫らす程の激しい揺れでございます」
「はい、ジングージ様。主人が言うとおりです。この子も余りの心地良さで、すやすやと寝ておりますわ」
「……そうなのですか」
どうやら、あのメイドさんは、単なる車酔いでは無かった様だ。
この異世界では、馬車による移動が殆どなので、車酔いが全く無いとは言えないだろが、少なくとも揺れや振動には慣れているはずだ。
それで車に酔ってしまったので無いとすれば、一体どうして体調不良を起こしたのだろうか。
そして、ミラの回復魔法を、何故に頑なまでに固辞しているのも不可解だ。
「何れにしても、皆さんもお疲れでしょう。我々は少し休息をしたら、再びタースへ戻りますので、疲れを癒やして置かねばなりません。ミラ、こっちへ来てくれ」
「はい、ジングージ様。ただ今、参ります」
ミラがそう返事をして、96式装輪装甲車の中から降りてきて、俺の元へと小走りで近寄ってきた。
「ミラ、習得したばかりの周囲回復魔法を発動して、全員の疲れを回復してくれないか?」
「はい、ジングージ様。まだまだ範囲は狭いのですが、この範囲ならば可能ですでは、早速に……」
ミラはそう言うと、首から提げているペンダント・トップの白い魔結晶を握り、そしてもう一方の手に重ねてから、目を瞑って女神様への祈りの言葉を力強く呟いた。
「我らが主神、フノス様へお願い申し上げます。女神様の下僕の私めに、回復のお力をお貸し下さいませ」
祈りの言葉を終えたミラは、片手で握ったペンダント・トップの白い魔結晶と、もう一方の手を広げた状態で天に向かって魔法を発動した。
「周囲回復!」
ミラが握っていた白い魔結晶が目映く輝き、そして両手からも光が空中へと放射され、続いてミラの身体全体が目映い光で包まれた。
その瞬間、俺は、疲れていた身体が嘘の様に軽くなり、多少眠気もあったのだが、それもすっかり消えて無くなる。
俺の周りに居たギルさんや、マーチンさん、マリアンヌさんも、心地よさそうな表情をして居た。
だが、一人だけ苦痛の叫び声を上げた者が居たのだ。
「ギャアー!」
そう叫び声を上げたメイドは、岩陰で横たわっていたのだが、その姿がみるみる内に変化して行く。
優しそうな顔の皮が剥がれ落ち、長い髪も瞬く間に抜け落ちた。
そして、剥がれ落ちた人肌の皮の下からは、どす黒い顔に爛々と光る赤い目が表れ、その背中からは蝙蝠の翼にも似た爪付きの羽根が二枚生えてきた。
俺は、傍らに居たガレル君とハンナさんへ叫んだ。
「ハンナさん、ガレル君、直ぐにそこから離れろ!」
二人は脱兎の如く、変わり果てた姿のメイドから離脱して、こちらへ向かって走って来る。
倒れ込んだままの元メイドは、容姿の変貌が全身へと及んで行く。
頭からは、二本の山羊の様な角が生え、手からは長い爪が伸び、足からは踵が消えて長い爪のある恐竜か鳥類の様な形状となった。
更に、長い槍状の黒い尻尾までもが生えてきている。
その姿は、俺も良く知っている姿に酷似していたので、思わず叫んでしまう。
「悪魔?!」




