山田さんの箱
私は細々とだがホラーサイトを運営している。ブログと言うものが流行る前からお手製のページでやっているよくあるサイトだ。古くからあるという以外、大して見所のないページだが、ネット上で出会って10年以上というフレンドが何人かいた。
その中の1人に地方、敢えて場所の特定は控えるが関西にお住いのYさんという方がいる。ここでは山田さんとしておこう。
その山田さんは関西のあるお寺の住職をされている。地元の小さなお寺なので代々山田さんのお家で継がれて来たらしい。そういうご職業なので色々と面白い話を掲示板に投稿いただいてきた。山田さんのシリーズとして、山田話集と言うのをサイトでまとめさせてもらっているほどだ。
その山田さんから珍しくメールが届いた。数年ぶりのそのメールはとても短く、それ故何か切羽詰まったものを私に感じさせた。
【会いたい】
【住所は○○××△△□□】
書かれていたのはこれだけだった。
どうしたんですか? 何かあったんですか? と返信してみたが、メールは全てエラーで返ってきてしまう。
どうしたものかと悩んだのだが、一度も会った事が無い私に会いたいというメールを送って来るぐらいなのだから相当の事があったのだろう。もし間違いメールだとしたらそれはそれで会って話をしてみたい。私と同じく酒が好きだと言っていた山田さんと呑み明かすのも悪く無い。
そう思って直ぐに切符とホテルを手配した。
一応、メールをプリントアウトし、更にスマホに転送してから私は列車に乗る。本当は朝一に出たかったのだが、遅寝遅起きの私には昼過ぎの列車よりも早くは無理だった。
午後4時ごろに特急を降り、在来線に乗り換えて更に1時間半。目的の駅に辿り着いた。駅前には小さなバスのロータリーがあり、その周りには密集する様に民家が建ち並んでいた。
スマホで地図を確かめると駅の反対側に出てしまった様で目の前にホテルは無かった。駅の横にある踏切を渡って反対側に出ると、ホテルらしき建物と大き目のスーパーが建っていた。取り敢えずチェックインした私は、少々離れてはいたが歩けない距離では無かったので山田さんのお寺まで歩いて行くことにした。
片側一車線の路肩を歩くと直ぐに小さな川があり、そこを右に曲がって真っ直ぐ行くと辿り着ける筈だ。川沿いのその道の先には幾つかの山があり道はその山に吸い込まれる様に続いていた。夕方と言ってもまだ6時前なので辺りは明るく、人通りもチラホラあった。
15分程歩くとお寺らしき建物が見えてきた。思ったより立派なお寺だ。大きな鐘もあり、お寺の裏の山には墓地も広がっていた。門をくぐると本堂らしき建物の脇に家が建っている。近づくと表札がありそこには山田と書かれていた。
間違い無い。ここだ。
多少緊張しながらも呼び鈴を鳴らすと、中からこちらに向かってくる足音が聞こえる。
「はい」
そう言って玄関の引き戸を開けたのは、若い女性だった。色白で化粧気のない切れ長の瞳に、薄い眉、少しだけ下膨れの頬に薄い唇の女性が私を見上げている。黒目がちの目は生気が薄い様にも見えたが、それよりも長い黒髪が気になった。予想外の展開に驚きを隠せなかった私は声を出そうと思って口籠ってしまう。
「あの? 何か?」
女性が怪訝な顔で私を見つめる。
「あ、あの、私は川木と申します」
自分の名を名乗り、ここに来た経緯を全て話した。一応、プリントアウトしたメールも見てもらう。
「本当に来たんだ……」
私の話を黒目がちの目を見開き、口を開いて聞いていた女性は漏らす様に呟いた。
「あ、すみません。ちょっとお待ち頂けますか? お母さーん! 本当に来たよー!」
そう言って女性は引き戸を開けたまま家の中へと入って行った。それとほぼ同時に家の奥から小柄な年配の女性が小走りにやって来る。その後ろには先程の若い女性もついてくる。
「はい、何でしょうか?」
そう言って2人で私を見つめる。
「あの、私は」
娘さんに伝えた事を私は再度、一から説明した。
「あ、すみませんねぇ、ささ、上がって下さい。こちらです」
私は家の中に招かれた。年配の女性は山田さんの奥さんで、若い女性は娘さんの様だ。私は居間では無くどう見ても仏間の様な部屋に通された。おかしいなと思っていると、山田さんの奥さんが何かを手に持って部屋に入って来る。
「こちらです」
「え?」
小さな箱の様な物が畳の上に置かれたが、私には意味が分からなかった。
「あの、山田さんは?」
私の質問に今度は奥さんが驚く。
「あの、失礼ですが本当に川木さんですか?」
「はい、本人です。あ、一応、これが私の免許証です」
私はそう言ってあまり人に見せたくない免許証の写真を見せた。
「はあ、川木さん……ですね。あの……お父さん、いえ、主人は去年の冬に亡くなりました」
「え? ……でも……メールが」
メールが届いたのは昨日だ。それが、去年に亡くなっているなんて。
「あの……これ……どうしましょう?」
奥さんは持って来た箱をチラッと見て私に問いかけて来た。
「これは?」
何もわからない私は素直に奥さんに聞いた。
「はあ……中身は何か分かりません。鍵がかかっていますし……それにお父さん、いえ、主人から開けるなと言われてましたので」
「開けるなと?」
「はあ……絶対に開けるなと言われました」
「それを私に?」
「はあ……自分が死んだ後に必ず川木と言う男の方が訪ねて来るからその人に渡せと」
「山田さんが?」
「はあ……そうです」
「私に?」
「はあ……他に川木さんという方は誰も来ませんでしたので」
「そうですか」
「で……どうしましょう?」
奥さんはどうやらこの箱を俺に渡したいらしい。チラチラと箱を見る時の顔がそれを物語っている。結局、私は奥さんの無言のプレッシャーに負けてその箱を引き取ることにした。
「では、お帰りください」
「え? あ、は、はい。お邪魔しました」
箱を受け取った私を奥さんは一刻も早く追い出したい様だ。私は奥さんの案内で玄関へと戻った。振り返るともう奥さんは居ない。代わりに玄関に娘さんがこちらを見て立っていた。お辞儀をして靴を履き、玄関の扉を開ける。
「それ、喋るから」
私が山田さんの家の玄関を出ると背後で娘さんがそう呟いた。直ぐに振り返ったが玄関の引き戸をピシャリと閉められ鍵をかけられてしまい詳しく聞くことは出来そうに無かった。
私は受け取った箱を何時も肩からかけている鞄にしまうと暗くなり始めた道をホテルへと歩いた。駅前のスーパーで適当に買い物をした後、自分の部屋に戻りテレビを付けながら夕食を食べた。箱のことを考えるのは後にしようと決め、山田さんからのメールが何故昨日届いたのかと考えながらホテルにある浴場へと向かった。
大浴場と書かれたそれ程大きくない洗い場で頭と体を洗い、それ程大きくない湯船に浸かる。他の宿泊客はいなさそうだったので、それ程広くは無くても貸切だ。
湯船の縁に首を引っ掛け、仰向けに寝転び体を湯に浮かすのが私は好きだ。
「ああぁぁ」
長旅というほどでは無いが旅の疲れを癒す。目を閉じ少し熱めの湯の温度を感じていると脱衣場で微かに物音が聞こえた。
カタタ
だが湯船に浸かっている私は特に気にする事も無くそのままにしていた。
カタタ、カタタ
木と木が軽くぶつかる様な音が聞こえるが、どうしてもそれを確かめたくなると言うほどの事もない。私は十分に体を温めた後、湯船から上がり軽く体を流して風呂場から出た。入った時と何の変わりもない脱衣場に、風呂場の湯気が広がる。脱衣場には鏡が3枚あり風呂場に近い鏡が湯気で曇る。
ん?
曇った鏡に何か筆で描いた線がスーッと浮き上がる。私は深く考える事も無く浴衣に着替えて部屋へと戻った。時間は夜9時前、スーパーで買って来た缶ビールに口をつけ、鞄の中から箱を取り出す。
喋る箱か。
娘さんの最後の言葉をそのまま信じるのなら、この箱が喋るらしい。中に何が入っているのだろうか。
そっとだが、箱を振ってみる。
カタタ
ん?
何か聞いた事がある音が鳴った。もう一度振ってみる。
カタタ
先程、風呂場で聞いた音に似ている。そう思うと私の興味は一気に箱の中身へと向かう。が、この小さい箱にはダイヤル式の鍵が付いていた。4桁の数字の組み合わせだ。
これは、ちょっと、どうしたものか。
当然、0000や9999では鍵は開かない。山田さんの誕生日は知らないし、住所の番地なども入れてみたが駄目だった。電話番号も知らないので全くのヒントなしだ。追い出される様に家を出されたが、明日、再度お寺に行って何か知っている事は無いか聞くしか無いなと、箱を眺めていた。
寄木細工で作られた小さな箱は、1辺が親指と同じぐらいの長さなので6~7cm程の立方体だ。どの面にも菱形の様な装飾がされているが、それ程大切に扱われてはいなかった様で所々傷が付いていた。
菱形の模様の箱?
そこで私はある話を思い出した。それは雛人形という話だ。その話を私のサイトに投稿してくれたのは他でもない山田さんだ。
話の内容はこうだ、山田さんがまだ中学生でお父さんがまだ生きておられた頃、近所の古道具屋の主人が持って来たとお父さんから箱を見せられた。目の悪いお父さんから蓋にある鍵を開けてくれと言われた山田さんは何で自分がと思ったが、言われた通りダイヤルを回したと言う。
番号までは覚えていないが、その話には番号も書かれていた筈だ。
で、開けてみると中には何かが筆で書かれた和紙が赤い糸でぐるぐる巻きに巻かれている物が入っていたらしい。お父さんはそれを見るや否や、こりゃいかんと立ち上がり、山田さんを連れて本堂へと向かった。本堂の真ん中に箱を置き、その前に山田さんを座らせて自分の後に続いてお経を読む様に言われたらしい。
ちゃんと学んではいないが門前の小僧であった山田さんはお経を読むことができた。何だか訳が分からないまま経を読み終わると、箱の中の和紙から煙が一本出ていたという。
そこでもお父さんはこりゃいかんと立ち上がり、箱の蓋を開けると中には人形の首だけが一つ入っていた。その人形の顔を見たお父さんは、またまたこりゃいかんと慌てて箱の蓋を閉めてしまった。
確かこれを読んだ後で、こりゃいかんと言うのは山田さんのお父さんの口癖なのですか? と、どうでもいい質問をして、山田さんにこの話をして、この話をした相手からその事を最初に質問されたのは初めてですと言うメールを頂いたのだった。
話を戻すと、山田さんはその時、一瞬だったが箱の中を見る事が出来たと書かれていた。中には糸と和紙の物と思われる灰と、全く焦げ跡の無い人形の首があったらしい。山田さんはお父さんが蓋を閉める一瞬の間にその人形の首と目が合った様な気がして背筋に冷たい物を感じた。
その箱はお父さんが何処かに持って行ってしまったらしく、その後、山田さんが寺を継ぐまでその事を完全に忘れていたらしいが、寺を継いだその年の何末に本堂の裏にある物置の中でその箱を見つけたと言う所で終わっていた。直接、何かを見たとか何か不幸があったとかでは無い話に新鮮味を感じ、そして今もまだその箱を山田さんが持っているという事に当時の私は魅了されていた。
まあその事をついさっきまで忘れていたので、私の魅了されたと言う感情の安さに軽い羞恥を禁じえない。
その話には確か一話だけ続編と言うか後日談があり、その中で山田さんは箱を焼いたと書いていたはずだ。その話は何故か一カ月も経たないうちに山田さん自身の手によって削除されており、立場上何か問題があったのかと深く理由を聞く事は無かった。
私は充電していたスマホから自分のページを開きその中の山田話集というリンクをタップした。ページが読み込まれ画面が背景色の黒に染まる。
あれ? 中々表示されないな。
電波の加減かと思ったが、アンテナはちゃんと立っている様だ。そのまま暫く待っていると上から順に文字が現れる。
その中から雛人形というリンクを探す。
【雛人形】
リンクをタッチしてページを開く。古い掲示板なので、投稿された記事の下にはコメントが並んでおり、殆どの投稿で私が書いたコメントが一番目に来ている。記事への評判はこのコメントの数で評価されている。それは私が決めたルールで、怖いと思ったり、面白いと思ったらコメントを残すという単純なものだ。
この記事へのコメントは5件。少ない。山田さんの話は大体20から30はコメントがあるのだが、この話は何かが出たとかの話では無かったので人気が無かったのだと思う。
コメントを見直してみると内容は私と山田さんのやり取りだけだった。
私【とても興味深い話です。まだ、その箱をお持ちなんですか?】
山田さん【はい、多分あると思います】
私【それは、是非見てみたいですね】
山田さん【お勧めはしません(笑)】
山田さん【どうなっても知りませんよ】
あれ? こんな返答あったかな?
私はコメントを見直す。私の性格上、コメントに返答しないまま放置というのは記憶に無い。
ん? 何だこれは?
5つあるコメントの内、4つは8年前の書き込みだ。だが、最後の1つは違った。それだけは昨日の0時に書き込まれていた。
山田さんは去年に亡くなられている。どういうことだろう?
そこで、私の頭に浮かんだのは山田さんの娘さんだ。帰り際に私に言った言葉からも、この箱について何か知っておられる様だった。私を家に呼ぶ為に山田さんのパソコンからメールを送り、コメントを書いたのだろうか?
何の為に? 回りくど過ぎないか?
メールはまだ分からなくは無いが、このコメントもそうだとしたら遊び過ぎだろう。仮にも父親が亡くなっているのに。だが逆に娘さんがそうしたと考えた場合その目的は何だろう。何故そんな事をするのだろう。私に箱を渡したかった。そして、箱を開けさせたかった。いやそれなら、どうなっても知りませんよとは書かない様な気がする。私の事を知っている山田さんなら、そう書くことで私が箱に更に興味を持つという事は分かっていただろうが、娘さんがそれを知るはずが無い。
結局、色々と考えたが結論は出なかった。
開けてみるか。
雛人形の本文に箱の鍵の番号が書かれていた。
【9863】
何故この番号なのかは書かれていなかったが、その番号通りに鍵を回してみる。錆びて硬くなっていたが、爪を立てて何とか番号を合わせると箱の蓋が自然と浮き、一筋の隙間が開いた。
あ、やばい。
私には霊感やそういったものは全くと言って無い。そんな私でもその箱のやばさに息を呑んだ。
持っていたくないし、蓋を開けるなんてとてもじゃないが出来そうにない。
見間違いだとは思うが、自然と蓋が開いた時、私の目には隙間から真っ黒の髪の毛が溢れ出した様に見えた。見えただけでなく、持っていた手に触れた様な気がして箱を落としそうになった程だ。
それでも、箱をしっかりと持って入られたのは、落として中の物が出てくることの方が恐ろしかったのだ。
深呼吸してから俺は手に持った箱をテーブルの上に置く。
箱は隙間は開いているがただの箱だ。私はそれを見つめた。
……カ……カ……
微かだが箱が鳴っている様に聞こえた。
……カリ……カリカリ……
いや、確かに鳴っている。恐ろしい。何がどう恐ろしいのか、ハッキリと説明は出来ないが、ただただ漠然とした恐怖に包まれた。
蓋を閉じたい。
箱に触りたく無い。
部屋を出たい。
感情が混乱して次の行動を決めることができず、箱に手を伸ばしたまま動くことができなかった。
……だ……して……
……だし……て……
……だして……して……
だ……だしてだして……
だしてだしてだしてだして
声が……している。
カリカリカリカリカリカリ
音もしている。
パカパカパカパカパカパカ
蓋が揺れている。
お、恐ろしい。
人は本当に恐怖を感じた時、その防衛本能から身を縮めて動けなくなってしまう。私は恐ろしいその箱を見つめる事しか出来なかった。
恐怖のあまり気を失う事が出来たならどんなにいいか。
だが、真綿で心臓を閉められるようなじわじわとした恐怖の中で私の意識は研ぎ澄まされ、意識は逆にハッキリと、五感は鋭くなって行った。
心臓の鼓動をこめかみで感じる。
でれた。
見ていたが見えていなかった。まるで、2枚の絵の変化に全く気がつかなかった時の様にその結果だけが私の前に現れた。
箱の蓋は開かれ、中に入っているものが私の目に焼きつく。それは雛人形の首だ。いや、それが中に入っている事は知っていた。知ってはいたが、理解する事を私の脳が拒否している様だった。
なんだこれ?
蓋が開いた箱の中から音もなく勝手に転げ落ちた首は一回転して私の方に顔を向けた。
色白で化粧気のない切れ長の瞳に、薄い眉、少しだけ下膨れの頬に薄い唇の顔が私を見上げている。黒目がちの目は生気が無く、長い黒髪がまとわりついていた。
え?
その顔がわらった様に見えた。
……お父さん……。
ああ。
私は次の日、自分の家に帰った。裏野ハイツの203号室。ベッドで寝ていた私は声をかけられて目覚めた。
「お父さん、いつまで寝てるの?」
髪の長い色白の娘が洋室の扉の隙間から顔を覗かせる。
「そうだな。もう起きるよ」
私はごく当たり前にそれを受け入れる。名前も知らない娘の事を。