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謎は謎を呼び:第一日(8)

 音もなく、梟は飛ぶ。

 広げた銀の翼の先に、下町で燃えさかる火の手を映し、〈聖術〉教会の鐘楼をかすめ、川風を捉え、駅舎の屋根を渡る鼠たちを脅かす。

 やがて、下界をのぞき込むばかりだった透き通る目玉に、わずかばかりの意思が宿った。丘の頂へ一直線に下降。梢の陰に銀の爪を食い込ませる。

 瓦礫――つい数時間前までは一帯を睥睨していた代物――を見下ろした。

 周囲に動くのは、三つの人影。金、赤、すこし離れて二つの元へ走る黒。


                      ◆◆◆


 倒れて瓦礫となった塔へとつづく坂道――黒髪の少年は息も切らさずに駆け上がっていく。手には本。キルシウム伯の居館で馬車を調達したのだが、その車内に転がっていたもの。

 当初の目的だった「軍資金」は探していない。湯を浴びた家で、娘が金まで用意してのけたからだ。

「手際がいいな」

 感心すると、娘が軽く笑った。

「偶然ですわ。ちょっと飾り棚の抽斗を開けてみたら、入っていました」

 湯を浴び、服を調達する目的だった家で、「ちょっと飾り棚の抽斗を開け」たりするだろうか――少年は内心で訝しんだが、わざわざ問い質したところで記憶喪失の壁が阻む。諦めた。

 目指す丘の上。瓦礫となった塔の石片のひとつに、その、娘が腰掛けているのが見えた。町並みを――野放図に燃える様子を眺めているようだ。大火。ここまで被害が広がりながら、いまだに騒ぎのひとつも聞きつけない。町の一角どころではなく、市街全体が無人になっているのは疑いようもなかった。

 娘の視線が動き、立ち上がる。少年に気づいた。まだ少しばかり距離はあったが、腰に手を当て、待ちかまえている。

「ずいぶん遅……早かったですね」

 目の前に辿り着くなり言われ、少年は戸惑いつつ頷く。

「ああ。馬車を見つけるだけだったからな。難しいことはない」

 それから首を傾げた。

「逃げるとでも思ったのか?」

「そ……そういう意味ではありませんっ」

 碧眼をそらして、娘が強弁。

「は……早かったので、ちゃんと成果はあったのかしら? と思ったのですっ」

「そうか。で、そっちはどうなんだ?」

「こちらは――」

 たちまち娘が言い淀む。腰掛けていたぐらいだから、手がかりらしきものを見つけられなかったのだろう。

 塔の頂上部の残骸。燃え滓となって風に千切れる紙類。破片の散らばる薬瓶。床とおぼしき割れた石に、焦げた文様。その程度だ。

「〈魔術〉実験の痕跡じゃないでしょうか? それも禁断の!」

「実験ぐらいはしていただろうな」

 勢い込む娘を、少年は素っ気なく肯定。

 帝国北部――とりわけシスルの町は、造船業が盛んになる以前、〈魔術〉で知られた歴史がある。その伝統もあって、お隣の〈魔法使いの島〉からの移民が多く、軋轢が問題化しているのだが。

「あの塔も含めて『王立技術協会』の〈魔術〉系施設も点在している。文様や魔法陣のひとつやふたつ珍しくもない」

旅行手引き書(トラベルガイド)みたいな言い方ですわね」

「ああ。手習い本のひとつだった」

 言葉を覚えるのと同時に地理を学ぶため、〈組織〉で何度も読まされたのだ。あっさりと認めたのは、かえって娘の癪に障ったらしい。

「そ、そのぐらい、わたくしだって忘れていません。この地方の大学に〈魔術〉関連の学部があることや――それらが最近は縮小気味だということも」

 身ぶりが大きくなる。両手を広げ、振り回す。

「ですが、蒸気機関で人が消せますか? まして電気とかいう玩具みたいな技術で。そもそも、あなただって〈魔法卿〉絡みでここに来たのではありませんこと?」

 足元(ここ)を示した。その必死の指摘にも、少年は慎重な態度を崩さない。〈暗殺者〉という職業柄か、他人の予断はあまり好きではなかった。

「たしかに、蒸気や電気じゃ無理だろう。けど、こいつは〈魔術〉でもおとぎ話の部類だぞ。『でんせつのまほうつかい』の話だ」

「でも!」

 娘が食い下がった。

「なにか……なにか引っかかります……大事なことを忘れているような……」

「ああ……まあ、そこのところは間違っちゃいないぞ」

 少年にしてみれば精一杯の肯定だったが、励まされたと感じるにはほど遠かったようだ。懸命に抑える苛立ちが眉間に現れる。

「そうではなくて……忘れた後に、忘れてるのですっ」

「すまん。言いたいことがよくわからん」

 少年は諸手を――本を持ったまま――挙げた。降参。そのままの格好で顎を――。

「あっちは?」

 赤毛の少女へ。瓦礫のあいだを飽きもせず右へ左へ歩き回っていた。

 娘が肩をすくめる。

「ここへ来たときと同じです。ずっとあの調子ですわ。あなたがここを離れているあいだも」

「お前の言ったとおりってことか」

 少年は頷くと、挙げていた手をおろした。塔の残骸を見るなり、これまでとは一変して熱心に動き回り始めた少女の姿に、娘からそっとしておくよう――あの子には、なにかわかるのかもしれません――告げられたのだ。

 とはいえ、どれほど待てば良いのかはっきりしない。危急のときの足も確保しておきたい。少々危険を承知で女二人だけを残し、単独で馬車探しへ行ったのは、そういう理由があった。

 少年は赤毛の少女を目で追う。どうやら最上部だったあたりがお気に入りらしい。焼けた紙片を拾い上げては読み、抛り出し、焦げた魔法陣を指でなぞり、挙げ句に匂いまで嗅いでいる。そうかと思えば、地面にごそごそと円や線や歪な図形を書き付けては、足で消していた。

「なにか思い出すことはあったかしら?」

 機を窺い、さりげなく娘が声をかけると、少女が瓦礫の陰からひょっこり顔を出す――不思議そうな表情。

「思い出さないとダメ?」

 考えてもみなかった問いを返された。

「そ……そうね。無理をする必要はないと思いますわ」

 やっと、娘がそれだけを言う。

「うん。わかった」

 少女の素直な返事も、むしろ初めから思い出す気など皆無だったことを知らせていた。再び熱心に瓦礫の隙間へ潜っていく姿を見つめ、娘が息をつく。

「もしかして、わたくし、かなりヘンな子を助けてしまったのでしょうか?」

 こぼされたが、少年にはどうしようもない。もう一度、降参の仕草を見せるしかなかった。それにヘンだというなら記憶喪失の娘も妙だったし、東洋人の〈暗殺者〉くずれである自分も相当なものだ。

「目くそ鼻くそを笑う、だ」

「メクソゥ? どういう意味ですの?」

「気にするな」

 説明が面倒なうえに、いい顔されないことぐらいは少年にも予想できる。

「重ねて訊かないでおきますわ」

 娘も察するものがあったらしく、鼻梁に小じわを寄せた。

「ところで、それは?」

 話を変えようと、指さす――少年の手元。

「見ての通りだ」

 少年は黒革表紙の本を娘に渡した。大判。分厚い。辞書並み。娘の鼻梁の皺が深くなる。

「申し訳ありませんが、読書する気分にはなれませんわ。そんな暇もありませんし」

「そりゃよかった。俺も同意見だ。よく見ろ」

 少年は表紙に箔押しされた文字を指で叩いた。

「中等魔術詳解……新訂第十二版。教本みたいなものでしょうか?」

 書名を読み上げ、娘が訝る――と、本を引ったくられた。少女。さんざん探し回った骨を、ようやく見つけた子犬の動き。唖然とする二人など眼中にない様子でめくり始める。細い腕には重いらしく、すぐに地面へ座り込む。

「胡座はおよしなさい。お行儀が悪いですよ」

 娘の、臨時保護者としての注意には聞く耳をもたず、少女は組んだ足の上に本を置いて読みふける。

「邸宅の来客用馬車止めに繋いであった、その馬車の中から持ってきたやつなんだが――」

 少年は赤毛の分け目を見下ろしながら訊く。

「お前の本か?」

「違うと思うよー。厚さ以外に馴染みがない感じー」

「馬車!」

 不意に娘が叫び、慌てて自分で口元を抑えた。

「読書中に失礼」

「野外に音はつきものだ」

 少年は、なにか思い出したらしい娘に先を促す。

「塔の地下牢で目が覚めたとき、誰かがあの筋肉紳士に告げていました。『モルガン様の馬車は発たれた』と!」

 たったひとつ――それも記憶喪失後の出来事とはいえ、思い出した、ということ自体が喜びらしく、娘の顔が明るく華やぐ。屈託のないそれは、育ちの良さを少年に連想させた。さすがに、その顔を曇らせる気はおこらない。

なるほど(あい・しい)。〈魔術〉にこだわっていた理由は分かった」

 できるかぎり肯定的に頷く。

「モルガンは『王立技術協会』〈魔法〉系の最高位術者(ぐらんどますたあ)と同じ名前だな」

 しつこく慎重な言い回しも、むしろ確信の仄めかし。〈魔法卿〉が塔にいて、そこにモルガンが――しかも控えめながら「(ミスター)」と敬称つきで――いたのだ。同名の別人という可能性は低いだろう。

「詳しいのですね」

 娘が半ば呆れ、感心した。

帝国(こちら)でも知らない人が大勢いるのに。言葉や地理以外にも、色々と頭に詰め込まれていそうですわ」

「まあ……な」

 少年は歯切れ悪く認め、すぐに諦め――どうせ追及される――娘の足先の重心に自然と目が向く――いまにも詰め寄りそうだ――説明。

「〈組織〉とは……因縁が」

「インネン?」

「ああ、ええと……『関わり』ってことだ。俺がこの国に送り込まれる前、〈組織〉は依頼を受けてモルガンを暗殺しようとした。十人がかりでな」

「どうしてそんなことを……!」

「さあな」

 目を見開く娘に、少年は曖昧な笑みで答える。

「俺たちは命令を忠実に実行する飼い犬だ。理由なんて知らされない」

「ですが、彼は生きています。と、いうことは――」

「お察しの通り」

 暗殺失敗――だ。

「精鋭とは言えないが、それでも長い鍛錬を積んでいた連中だった。裏町の寄せ集めどもとは違う。南洋の最前線でドンパチやってる帝国の兵隊百人とやりあっても遅れはとらない。それを――」

 語尾を切る。かえって含意が強調。二人の間に沈黙がすり寄ってきた。えもいえぬ不気味さを軽く払いのける仕草で、娘が訊いた。

「その後は? また別の暗殺者が送り込まれたのですか?」

「それも知らないが、おそらく断念したんだろうな。少なくとも〈組織〉でモルガンの名前は禁句(たぶう)扱いだから」

「〈魔人〉とは桁違い……?」

怪物(もんすたあ)だな」

 あっさりと――それこそが〈暗殺者〉の冷徹な現状把握力なのだが――認めた。

 娘が朱唇を引き結び、ひと息おいて呟いた。

「〈魔人〉。消えた市民。鍵のペンダント。〈魔法卿〉。最高位術者のモルガン……」

「まだ、役を作るにはほど遠いな」

「どれも思わせぶりな手札ですけどね」

 少年の喩えに、娘がおどけた口調で答え――瓦礫となった塔を振り返り、ひたすら火事の広がる無人の町を眺め、読書にふける赤毛の少女を一瞥、最後に再び――。

 真っ直ぐな碧い視線を受けて、少年はたじろいだ。生まれてこのかた、これほど強くひたむきな眼差しを注がれたことはない。

 娘が両手を腰にあてがうと、金髪の毛先を夜風になびかせつつ顎をあげた。

「ですが、わたくしは進みます!」

 それは宣言に他ならなかった。この、塔の残骸で彼女が得たものは少ない。「絶対に手がかりはある」と少女に大見得を切ったにもかかわらず。強がりや、淡い期待など容赦なく打ち砕く現実だ。そして、その空振りは今後も――あるいはまるで終わりが見えず――つづく可能性がある。

 それでも。

 進む、か――。

 たじろいだ拍子に、そのまま目を逸らしかけた少年は、なんとか踏みとどまった。ここで正面から向き合わずに、なんの騎士か。

「それがいい」

 賛同に、娘の口元で深い笑みが浮かぶ。

「お礼を申し上げますわ。出ましょう。町を!」

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