騎士に選ばれ:第一日(7)
「フーが解けた?」
娘が聞き慣れない単語に首を傾げた。
少年は杖にしていた火掻き棒を暖炉へ戻しながら、首を横に振る。もう広間は十分に暖まった。すっかり三つ編みもできあがった赤毛の少女が、暖炉の前にあった椅子に――娘に促されて、ようやく暖炉の前から移動し――腰掛けている。手には娘の鍵のペンダント。興味があるらしい。借りてからずっと、持ち手の石と柊の紋様を指で撫で、ためつすがめつしていた。
これまでの遣り取りを聞いているのか、いないのか。少年には、まったく読み取れない。
「封印って意味だ。忠実に仕事を――暗殺をこなすために、なんて言うか……心を凍らせる。〈魔薬〉と〈術〉でな」
すると我意が封じ込められる。ほとんど一切の欲求を喪失する。ひたすら命令のみを遂げようとする。痛みに狼狽えることがなくなる。〈的〉が赤子であろうと躊躇しなくなる。敵に捕らわれて脱出不能となれば自害する。
「あたしたちとは逆だねー」
ふいに赤毛の少女が――手元の鍵のペンダントからは目を離さず――口を挟んだ。
「逆?」
首を傾げた娘に、「そー」と素っ気なく少女が頷く。
「だって、封じられていたのが破れたんでしょー? 封じられちゃって忘れちゃったあたしたちとは逆ー」
「そうですわね……」
「元々封じられていたからー同じ力がかかって相殺されちゃったのかもねー」
少女の何気ない見解に、少年と娘は顔を見合わせた。どうしてそう思うのか――訊いても無駄だろう。なにしろ、忘れている。
少年は、そもそも少女が会話を聞いていたことに驚きつつ話を戻す。
「ともかく。〈封〉が解けなければ、たかが下水の臭いに文句を垂れるなんてありえない」
「まるで……操り人形ですわね」
「いい喩えだ」
少年は口角の片方だけで笑う――糸が切れて地に頽れた人形を思い浮かべ――〈魔人〉を殺しかけた感触が蘇り――。
「でも――」
娘が、『沼』へはまりかけた少年の思考を遮る。
「いまは違うのでしょう?」
「……そうだといいが」
少年は片頬にへばりついたままの笑みを、息をつくことで吹き払った。
「正直、俺にもわからない」
「別の自分が顔を出す……と?」
娘の言葉が、〈魔人〉を殺しかけたことを指しているのは間違いなかった。
己が〈暗殺者〉であったことは覆しようがない。それまでのことは、繰り返し入念に施された〈封〉と、右も左も分からぬ子供のころから仕込まれた〈術〉がさせたことであって、望んでいたことではないのだ、と頭から信じていた。
だが、〈魔人〉との件で疑いを抱いている。
信じていたことはすべて、逃げ口上にすぎなかったのでは?
「別の顔というより、本性かもしれん」
暗殺という〈お務め〉をこなす職人ではなく、生まれつき殺しが好きな人間なのでは?
「困ったことに、そればかり仕込まれて育ったからな。判別がつかん」
「それ――というのは、その……人殺しの技術ということでいいのでしょうか?」
少年の無言の首肯に、娘が納得の顔つき――独りごちる。
「体じゅうが古傷だらけだったのも、そういうことですのね」
浴室を出て鉢合わせたときのことだろう。すぐに背を向けたあの一瞬で、古傷と――ほとんどが鍛錬のときに怪我をした名残だ――見抜いた目はなかなか鋭い。
「よく見てるじゃないか」
単純に感心すると、娘がはっと目を見開いた。
「み、見ていません! 断じて!」
途端にむきになって言い張る。
「見ていませんからね!」
世界が二分されても認める気はなさそうな剣幕――閉口しつつ、少年は了解。
「ともかく!」
娘が強引に――きりりと生真面目な表情を作り――話を戻す。
「隠さず話してくれたことには感謝いたしますわ。ありがとうございます」
「ありがとう?」
今度は少年が目を見開く番だった。これでは、話した意味がない。
「怖くないのか? 暗殺者だぞ?」
だから一緒にはいられない。ここで別れて――なんなら、隣の町まで送ってやるぐらいはしてもいいが――あとはお互いに忘れてしまう。そう話を持っていくつもりだったのだ。
「あら? 怯えたほうがよろしかった?」
きょとんとした娘の顔つきに、白々しさはない。本心からの言葉らしい。
「でも、助けてくださったのは事実ですし。それに――」
にこりと微笑む。
「これからの苦難を共にするのですから――」
「いや、ちょっと待ってくれ」
「記憶のないわたくしたちは自己紹介もできませんが――」
「おい待て」
「やはり、できるところからお互いの理解を深めておくにこしたことはないと――」
「待て! 待て待て待て!」
少年は自分でも驚くほど帝国風の身ぶりで――諸手を広げ、押しとどめ、首を振り――話しつづけようとする娘を制止する。
「苦難を『共にする』ってのは、どういう意味だ?」
「意味もなにも、そのままですが?」
「どうして、俺がお前たちと『共に』いなくちゃならない」
「まあ!」
娘が無駄に上品な仕草で口元を抑えた。
「あなた、まさか独りでいるおつもり?」
「その、まさかだ」
少年はきっぱりと認める。
「もう一度話すぞ。よく聞けよ。俺は〈暗殺者〉だ。そして今夜、暗殺を失敗――いや、放棄した。オヤカタ――ようするに、その……〈組織〉の長だ。こいつは、お務め……ええと、つまり任務を放棄した俺を裏切り者として扱う。掟では処刑だ。送り込まれてくる処刑人から、俺は逃げなければならない」
「殺す、ではなく逃げるなのですね」
娘が満足の笑みを見せた。
「それなら、さっき体を張った甲斐があったというものですわ」
その言葉に、少年は咄嗟に腕へ手をやった。しがみつかれた感触が蘇る。
「一緒に行動していると危険なんだぞ」
念を押すが、娘の顔つきは――その意思は――変わらない。
「あなた一人で逃げても、あたしたちは殺されると思うけどー?」
指摘し、ひょこりと赤毛の少女が立ち上がった。手にしていた鍵のペンダントを、娘に押しつけて返す。椅子を離れ、脇目もふらずに窓辺へ。夜の――無人の町の一角が巨大な火の手に蹂躙されているとは思えない――閑寂な外の様子を眺め始めた。鍵も、二人にも、もう興味はないらしい。
少年は小柄な後ろ姿を見た。ついさっき娘の見繕った上等な服を身につけているが、細い首は、その下の体が貧相なものであることを物語っている。
〈魔人〉にかかれば、指のひと撫でで殺せるだろう。〈組織〉の者も、関わりがあったと知れば接触してくる。拷問し、居場所を問い、知っていても知らなくとも口を封じるはずだ。
「お聞きしますが」
娘が小首を傾げながら話を継ぐ。
「仮に一人で逃げられたとして、その先あなたはどうしたいとお考えですの?」
「どうって――」
少年は口ごもる。視線が宙をさまよう。なにも思いつかない。ひっそりと身を隠して生きていくか? 死ぬまで。もちろん、その覚悟も自信もあるが。それは「どうしたい?」という質問の答えになるのだろうか。
それは、俺のしたいことなんだろうか――。
まごつき、躊躇い、二の足を踏む。
いったい俺は――。
「わかりましたわ!」
娘が腰に手を当て、お世辞にも色気があるとは言い難い胸を張り、大きく頷いた。
「結局あなたは、わたくしたちと一緒にいることで〈暗殺者〉である自分を意識したくないのです。そうに違いありません!」
勝手に決めるな――と、少年は言えなかった。なにしろ、自分で自分の意志が把握できない。ただ、娘の言葉が棘となって胸に刺さる。
「ですが、それについては、わたくし名案があります」
「名案?」
少年は胡散臭いものを見る目をした。出会って間もない関係だったが早くも警戒心を抱いている。娘が、聞いて驚くがいい、とでも言いたげな表情をするほど内心で身構える。
「簡単ですわ。あなたが、ひとまずわたくしの『騎士』になればいいのです!」
「は?」
「『騎士』ですわ。おわかり? 『夜』ではありませんよ。主人を守る忠実な剣」
「実演はいらない。そのぐらい分かる」
「そうですか。では、これで解決ですわね」
剣を振り回す素振りをしていた娘が、せいせいした顔つきで話を切り上げた。
「待て。まだ――」
「大丈夫。あの〈魔人〉の前に立ちはだかったときの姿など、凛々しいものでしたわ」
「そういうことじゃない」
「では他に妙案でも?」
ぐっ。
と、少年は言葉に詰まる。
妙案なんぞ――。
あるものか。娘の澄まし顔が、また、癪に触る。
くそったれ――。
また口にしかけて、寸前で思いとどまった。〈封〉が解けて束縛がなくなったと思いきや、このままでは別の荷物を背負い込むことになる。
腹のなかで唸りつつ、娘へ向き直った。
「俺を『騎士』にして、それでお前はどうしたいんだ?」
同じ問いをぶつけたが、すぐに鼻で笑い飛ばされる。
「決まっていますわ。ことの真相を突き止めます」
「真相? それなら、どこか他の安全なところで〈魔術医〉に診てもらって記憶を戻せばいいだろう」
「〈魔術医〉に診てもらっても、そもそもの原因がはっきりしなければ治せるかどうかすらわかりませんし、仮に治療できたとしてもやたらと時間はかかるし、完全に治るかどうか確実ではないし、息の根を止められるほど法外な治療費を請求されるのが関の山ですわ。それに――」
娘の舌が、次第に回転速度を上げていく。
「あなた、一週間前に食べたものを事細かに覚えていらして? 覚えてないでしょう? 記憶なんてそんなものですわ。おわかり? わたくしが知りたいのはひとつ。『わたくしは、どうして、こんな目に遭わなければならなかったのか』それだけです」
まくしたてる言葉と態度に呑まれ、少年は反駁の機会を失う。
こいつは、分が悪いな――。
言葉がわかるとはいえ、口論には慣れていない――いままで必要ですらなかった。これなら〈魔人〉を冥府送りにするほうが楽かもしれない。
このままじゃ俺は、こいつの騎士に――。
――なれるわけないだろう?
不意に『沼』であぶくが弾け、腐臭に満ちた嘲笑が立ちのぼり、少年はぎくりと体を硬直させた。自然と奥歯が噛み合わさり、きりきりと軋みをあげる。
――お前は〈暗殺者〉。優秀な人殺しでしかない。騎士? 笑わせるな。
「汗――」
娘の声が『沼』の嘲りに割って入る――途端に少年は現実へ引き戻された。視界に金髪。白皙。そして、真っ直ぐに見つめる碧眼。暗く粘った『沼』を消し去り、清冽な泉を思い起こさせる。
「暖炉から離れてはいかが?」
「そうだな」
指摘に、少年はなにげない面持ちで額の脂汗を袖で拭った。
まただ――。
娘の声に――認めるのは癪だが――救われた。臍の下へと息を落とす。力をこめる。頷く。目の前の娘、それと自分自身に。
騎士か――。
武家みたいなものだったか、と詰め込まれた知識の底を漁って思う。身分違いだが。
「やってやろうじゃねえか」
発した声は呟きに近かったが、早くも心の動揺を――仕込まれた〈術〉の賜物というのは皮肉とはいえ――完全に隠蔽していた。改めて、娘を見据える。
「お前を主に持つ気はないが、『騎士』ってやつには興味がわいた」
「理由はどうあれ、よい選択ですわ」
捻くれた物言いに、娘が微塵の痛痒も感じさせない鷹揚さで切り返す。記憶を失っている者の態度には見えない。
「それなら行動を共にする者として早速訊いておきたいんだが。あてはあるのか?」
少年の問いには、娘が自信たっぷりに鍵のペンダントを突き出してみせた。暖炉の上に置かれた手燭と、いくぶん穏やかになってきた炎によって、鍵に埋め込まれた赤褐色の宝石――あるいは、ただの石――もしくはガラス玉――が濡れた光を湛えている。
「いまは、文字通りこれが『鍵』ですわ」
そう言うと、胸元へ握りしめ、きりりと窓の外を見据える。役者顔負けの大仰な素振りだが、意外とさまになっていた。
「そして〈魔法卿〉に、あの塔。元凶はあそこに違いありません!」
少年はお芝居調に付き合う気もない。塔は崩れてしまったが手がかりは少しでも欲しいところだ。それと移動用の――ごく冷静に計算を巡らせる。
「さあ、行きましょう!」
娘が高らかに宣言。細首へペンダント。翻る裾。軽い靴音。後を追って広間を出ようとする赤毛の少女へ振り返り、微笑みかける。
「大丈夫ですわ。絶対に手がかりはあります」
力強く断言。そこに根拠があるように思えなかったが――少年は黙ってついていく。
スカートの脇――緩い襞に隠れたところ――で、拳がきつく握りしめられていたのが見えたのだ。かなり力がこもっているのだろう。白い指が、さらに白く――蒼白となっている。
少年は、崩れたばかりの塔の根元で〈魔人〉と対峙したときの娘のことを思い出した。
同じか――。
強がり。とすれば、なにもないはずの彼女の掌中で押さえ込まれているものは――少年は足を速めた。先に立つ。
それが、とりあえず騎士らしい振る舞いだと思ったのだ。
◆
森を抜ける、街道とは名ばかりの寂れた一本道――そこに、馬車が止まっていた。
「なんの用だ? モルガン様の護衛が二人揃って」
不満も露わに馭者台から降りたのは、眼鏡の紳士だ。辿ってきた道を振り返る。木々の向こうの夜空が、赤く染まっていた。
「せっかくシスルの町を出たのだ。なるべく早く遠ざかりたいのだが?」
「お手間はとらせません。ひとつ、ご確認をしていただきたく……」
ささやかな馬車灯――火屋の中身は炎ではなく〈魔術〉によって作られた青白い〈灯火〉――では届かない暗闇の奥から、落ち着き払った声がこぼれ出てくる。確認? と、胡乱な目つきで聞き返す紳士を穏やかに促す。
「ご不審はごもっともですが、モルガン様のお言いつけですので」
「……わかった」
眼鏡の紳士が不承不承、受け入れる。
「それで、なにをすればいい?」
「ありがとうございます。例の……〈鍵〉を見せていただけますか?」
「鍵?」
紳士が訝りつつも、慌てて上着のポケットを探る。だが、すぐに安堵の表情になった。取り出す。
銀鎖の首飾り。
鍵型のペンダントが付いている。その鍵の持ち手には、柊の紋様と小さな赤褐色の玉。
「このとおりだ。ちゃんと持っている」
「失礼」
そう言うなり、暗闇の奥の声が短く呟く。
紳士の掌中で鍵の持ち手に嵌め込まれた赤褐色の玉石が鈍い光を帯びた――と、見えた瞬間。
甲高い音を立てて、石が真っ二つに割れた。呆気なく。
「なっ……!」
「ご覧のとおり、偽物でございます。すり替えられたのでしょう」
絶句する紳士へ、冷淡に暗闇の声が告げた。
「お……」
紳士の口から唸りとも呻きともつかない「音」が洩れはじめる。
「おおおおおおおおおおおおおおお――おのれっ」
その身なりにそぐわない粗暴さで、手にしていたものを地面へ叩きつけた。
「おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれぇぇぇぇぇぇぇっ!」
執拗にペンダントを踏みつける。甲高い喚き声が響く。馬車灯の〈魔術〉の炎に浮かびあがった影を、鬱蒼とした森に映じていた。気の弱い者が出くわせば、悲鳴をあげて逃げ去りかねない奇矯さだ。
ただ、紳士は人の目に付くまで繰り返すことのできる体力の持ち主ではなかったらしい。すぐに荒く息を切らすと、手巾を取り出し、眼鏡を磨いた。酸欠と燻る怒りで手を震わせながら掛け直し、乱れた髪を撫でつける。
「取り返せ」
奥歯を軋ませながら言った。
「もちろん、そのつもりですとも。ヘンベイン卿」
「そのためにモルガン様は、こうして我々を遣わされたのですから」
暗闇に佇み、紳士の狂態を冷たく眺めていた二つの人影が答える。慇懃で穏やかだが、双方とも露骨な嘲りが滲んでいた。
紳士の細面に、これまでとは別の怒りが閃く。眼鏡を押し上げる。
「お前たちも、護衛という名の子守りをするよりは有意義だろう?」
にこりともしない。静かな反撃。人影の片方が一歩踏み出す。無言の威圧。だが、剣呑な空気にはいたらない。もう一方の影が抑えていたからだ。冷ややかさを失わない影が、悠然と返す。
「まったくです。このような機会をもうけてくださったことに、心から感謝いたします」
皮肉。容赦なく追い打ちも加えた。
「ところで、先ほどの『子守り』という表現。モルガン様に報告致しますが――」
「好きにしろ」
紳士は馭者台へ乗り込みつつ、言い放った。
「あのお方は、俗物のやりとりなど興味はない」
相手をも巻き込んだ自嘲に、人影も大人しくなる。
「馭者も助手も消滅したせいで、こんな真夜中に自分で手綱をとらねばならん」
苛立ちまじりに独りごちると、鞭を入れた。街道を進み始める。もはや残る人影など眼中にない――ここで会ったことも――自分がこの場にいたことさえ認める気はない――素振りだった。
見送った人影たちも脇に寄せていた馬車を動かす。紳士とは正反対の方角――シスルの町へ蹄と車輪の響きが遠ざかっていく。
土にめり込んだ鍵のペンダントだけが、森の静寂に取り残された。




