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正体を告げて:第一日(6)

 それは、おそらく鳥――梟だった。

 ただ奇妙なことに、地上で燃え広がる炎を、その身に映すほどの光沢があった。

 暗闇を背に、紅蓮を胸に、夜の町の高みで飛翔している。焦点のない瞳で見下ろす閑散とした町並みには、三つの人影。黒、金そして赤。火事を避け、風上へ――上流階級の住む丘近くの街区へと歩いていく。

 やがて金色の髪をした娘が、邸宅のひとつを指さして立ち止まった。黒髪の東洋人が窓を割り、猫科の動きで邸内へ忍び込む。中から玄関を開け、金髪の娘と赤毛の少女を迎え入れた。

 それら一切を、旋回しながら見届けた梟は、ゆったりとした滑空で向かい側の屋根に降り立つ。銀の翼をたたみ、それきり動きを止めた。

 ガラスの瞳だけが、窓の奥に灯った手燭の光をとらえていた。


                      ◆◆◆


 忍び込んだ館の広間――少年は手燭を置くと、暖炉の火を熾した。

 夜気に浸っていた空間が、じわりと暖かさを蓄えていく。

「あっ! ちょっと! お待ちなさいっ」

 遠くで娘の声。次いで軽い足音。振り返ると、赤毛の少女が裸足で駆け込んできた――少年に気づくなり、ぴたりと足を止める。真っ直ぐに見つめ返す。まだ濡れた髪が、汚れを落とした頬に張りついていた。

 雨の日の野良猫だな。まるで――。

 少年は暖炉を顎で示す。

「暖まれ。風邪ひくぞ」

 ぶっきらぼうな言葉に、少女も大きくなっていく炎へ目をやった。無表情のまま、ぺたぺたと足音を立てて暖炉の前へ来る。赤い揺らめきを凝視――制止。本人は暖まっているつもりらしい。その横顔は茫洋として、なにも考えていないように見えた。

 偶然だったのか? あれは――。

 少年は一時間ほど前の少女を思い出す。

 上流階級に流行しつつある浴室――水の張られた浴槽――火炎百合(フレイムリリー)の彫刻に囲まれ、埋め込まれた〈石〉――湯沸かし用の高級品。〈魔術〉の素養がなくとも、水を湯にすることができる仕組み。

 ただし、きっかけ(・・・・)が必要だった。

 早い話が〈呪文〉――それも持ち主がめいめいに決めるため、消失してしまった状況では調べようもない。

「俺は水浴びでもかまわないが?」

 波紋ひとつない浴槽の水を前に、少年は傍らを窺った。金髪の娘が小さくを肩を竦める。

水浴(それ)でよろしければご自由に。着替えを見繕っておいて差し上げますわ」

「助かる」

「お礼には及びません。助けていただいたお返しですわ」

「お返し?」

「ええ。なにか不都合でも?」

 娘が頷く――真顔。釣り合ってないだろう、と少年は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。どうも娘の感覚は世間一般とずれ(・・)ている。

「本来なら使用人がすべき仕事を、この、わたくしが、やってあげるのだ」

 そう考えているらしい。上流階級の娘という自分の見立てが、ますます現実味を帯びてくる。

 問題ないと受け取ったらしい娘が少女を促す。

「行きましょう……ええと……」

 言い淀む――赤毛の少女の名を知らない。

 自分が呼ばれていることに気づかないのか、そもそも聞く耳を持っていないのか、少女には従う素振りさえ窺えなかった。浴槽――〈石〉を凝視――猫科の集中力。

 つ――と、細く爪の間まで黒くなった手を伸ばす。触れた――〈石〉に。

「湯にするには〈呪文〉が――」

 必要なんだという説明は半ばで宙に霧散した。

 ふわり、と水面から白く淡い揺らめきが立ちのぼり始めたのだ。

「お湯に……」

 目を丸くする娘の横を、興味を失った顔つきで少女が通り過ぎていった。さっさと浴室を出て行く。

「お……お待ちなさいっ。ちょっと!」

 狼狽えながら少年へ。

「あなたはとにかく、その臭いを落として」

「俺に命令するなと言ってるだろう」

 少年は咄嗟に抗議するが、少女を追いかける娘の裾に呆気なく払い飛ばされた。

 その後で、どんな会話があったのか知らない。いま訊いてもよかったが、ひたすら茫洋と炎に見入る少女の様子から、まともな返答を得られる自信はなかった。

 話が通じそうなぶん、あの金髪女のほうがまし(・・)か――。

 少年は広間の出入り口へ目を向ける。ゆっくりと近づいてくる気配――娘が現れた。

「いくら人がいないからといって、家の中を走るのはお行儀が悪いですわ……よ……」

 赤毛の少女へ繰り出していた小言の語尾が、不意に萎む。

 少年と目が合ったのだ。

 なんだ? こいつも猫か――。

 ただし、今度は野良ではなさそうだ。結い直された金髪は滑らかな光沢を湛え、邸内で見繕った服を――手袋まで――一分の隙もなく身につけていた。いますぐ外出、あるいは客を招待しても眉を顰められることはないだろう。なに不自由なく育った飼い猫の風情だった。

 いずれにしろ、気まぐれな猫の相手は少年の得意とするものではなかったが。

「どうした?」

 訝る少年に、娘の視線がぎこちなく明後日の方向へ。

「ど……どうもありませんわ」

 三文役者の芝居より露骨な動揺。

「た……ただ少し……ほんの少し……その……先ほどのことが……」

「先ほど?」

 少年は、ざっと記憶を手繰って、さらに怪訝な顔つきをした。赤毛少女の件以外に思い当たることがない。

「すまん。なにが言いたいのかよくわからん」

「は……」

「は?」

「ははははははははだはだか裸を……!」

「ああ――」

 なんだそんなことか、と少年は納得した。着替えの服を調達してくれた娘と、浴室を出たところで鉢合わせたのだ。そのときは気にも留めなかったのだが。

 たしか娘が、できの悪い機械仕掛け風の動きで背を向けて服を置き、出て行った。今にして思えば、少し足取りがふわふわしていた気がしないでもない。

「み……見てしまいました……殿方の……」

 そんなことを呟いてもいなかったか?

 そういえば帝国(このくに)では、男女問わず人前で肌を晒すのは不作法だとされていたことを思い出す。

「裸で不愉快にさせたのなら謝る。俺の国ではあまり気にしないもんなんでな。男女混浴も当たり前にあるぐらいで――」

「混浴っ? 裸でっ?」

 絶句する娘に、かえって少年は困惑する。

「こっちの温泉でも混浴はあると聞いたことがあるぞ」

「ちゃんと入浴着で隠しますっ。それに――」

 その服は覆い付きで顔も見えないようにするし、世話係の女が日除けを差し掛けて水面に顔が映らないようにするし、座る場所は殿方から離れた石柱の陰と決まっているのだ――怒濤の説明。

「そうなのか――」

 弁解のつもりが、話が余計にこじれそうな風向きになってきたことを少年は悟る。

「ともかくだ。まだ、風習の違いを理解してなかったんだ。他意はない」

「あったら困ります!」

 憤慨の声をあげて、娘が大きく息をついた。

「わかりました。まだお湯を浴びているだろうと勝手に決めて、不用意に入ってしまったわたしにも非は――一分の(・・・)非はあります。幸い一瞬でしたのでなにも見ていません(・・・・・・・・・)。ですからこの件は、これまでにして差し上げますわ」

「そいつはどうも」

 そもそもお前が怪しげな動きをしていたからだろう――と口走りそうになるのを、少年は辛うじて堪える。

 ようやく暖炉のそばまで来て、少女の――やり取りにまるで興味を示さず微動だにしなかった――赤毛を櫛でとかしはじめた。

「ところで……さっきの話しぶりだと温泉に行ったことがあるみたいだが?」

「それは……」

 少年の問いに娘の手がしばし鈍り、ぱちぱちと数度またたく。やがて、わずかに肩を落とし、首を横に振った。

「やっぱり思い出せません」

 見せた笑みは、口角に諦念にも似た気配が漂っていた。


 なにも思い出せない。

 館までの道すがら、娘が語った。名。年齢。出身。なぜこの町に。なぜ塔に。なぜ〈魔人〉に――思いつくままに少年は訊いたのだが、そのいずれにも答えられなかった。娘にとっても癪だったのだろう。

「でーすーかーらー、さっきから思い出せないと申し上げていますわ!」

 とうとう声を大きくして諸手を広げた。

「わたくしが分かるのは、気づいたら塔の地下牢にいて、手枷をされていて、あの筋肉自慢さんに熱烈な死の抱擁をされかけたことだけです」

 そこから奇跡的に逃げ出して、出会ったのだ――少年と。

 鍵のペンダントは、結い上げていた髪の中にあったらしい。〈魔人〉に蹴り飛ばされた衝撃で落ちた。

 なるほど――。

 少年は首をさすった。〈魔人〉の手が緩んだ理由はこれだ。ということは、この鍵がどういうものか筋肉野郎は知っているのだろう。

 では、どうして娘が持っているのか。それも髪の中に隠すようにして。しかも、どうして持っている本人が「ご存じ?」と赤の他人に訊くのか。

 忘れているからだ――。

 少年は鍵の件を追及することも諦め、さしあたって不評の源だった臭いを――娘と少女は汚れを――落とすことにしたのだが。当然ながら、湯を浴びてさっぱりした程度で記憶が回復するものでもない。

「それで、少女(こっち)のほうは?」

 暖炉の前に立つ少女を目で示す。

 その背後で赤毛を丁寧に三つ編みしにていた娘が、小さくを肩を竦めた。

「忘れたー」

 少女の口調を真似る。

「――ですって。わたくしと同じですわ」

「二人揃って記憶喪失(あむねじあ)かよ」

「あら。そんな単語までご存じですのね」

「黄色い猿のくせに、か?」

「東洋の異国の方にしては、とは思いましたわ」

 少しばかりひねくれた少年の言葉を、娘が平然とやりすごす。

北部(ここ)の方々より訛りも少ないほうですし。帝国(こちら)は長いのですか?」

「一年ぐらいだな」

「一年っ?」

 大げさな――と、少年には映るのだが――身振りで娘が感心した。

「たった一年で、それほど流暢に? 読み書きまで? それは素晴らしい才能ですわ! ああ……国費留学生でしょうか?」

「いや……」

 少年はぎこちなく笑った。〈魔人〉と素手で渡り合う国費留学生というのがいたら――そもそも少年の故国と帝国に正式な国交はないのだが――自分のほうがお目にかかりたいものだ。

「仕事……と言えばいいのかな」

「仕事?」

 思い出したのだろう。娘がしかめっ面をする。

「下水道で? 下水浚い(トッシャー)ですの?」

「手を汚すって意味じゃ負けず劣らずだな」

 少年は丘の方角へ向いた窓へ目をやる。黒い夜の帳。つい先刻まで、そこに見えていたはずの塔は倒壊してしまった。

「塔にご用が?」

「ああ……」

 娘に頷く。

「殺しに来たんだ。人を」


〈的〉の名は、ジョン・クリフォード・ヘンベイン。

 子爵位を持つ貴族。三十五歳。独身。「王立技術協会ロイヤル・テック・ソサエティ」の〈魔術〉系会員にして、最大後援者。その〈魔術〉への傾倒ぶりを揶揄して、〈魔法卿〉とも呼ばれている。

 普段は首都(メトロ)近郊の大邸宅に住むこの〈的〉が、なぜ帝国北部の町シスルにいるのか。〈暗殺者〉である少年は知らない。行けと命じられたから追ったまでだ。

 塔の所有者であるキルシウム伯の館に入ったヘンベインとお供を監視、潜入の機会を窺いながら丘の周囲にいたが、とうとう夜更けになってしまった。人通りが絶え、かえって目立つ。宿に拠点を据えることも考えたが、シスルでは東洋人が少なかった。印象に残りやすくなるだろう。よって下水道に潜むことを選択。闇と臭気のなか、耳と神経を研ぎ澄ますこと数時間。

 そして夜半過ぎ。

 衝撃に襲われた。

 物音、気配、痛み、一切なし。頭の芯に響く重さを感じた次の瞬間には――その直前に白い光を見た気もするが――意識を失っていた。

 つづく記憶は目覚めたときだ。

 壮絶な臭気に顔をしかめ、汚水へ突っ込んでいた片足を、もがきながら引き抜いた。爪のあいだにまで入ったぬめりを服で拭う。

「くそったれっ」

 ごく自然に呻きを洩らし、びくりと硬直。

 俺は、いま、なんて言った――。

 手を、全身を、周囲を見る。

 自分は任務の途中で気絶し、ここにいる。敵なし。怪我なし。状況把握。すべて幼い頃から叩き込まれた動き。

 しかし、冷静ではいられなかった。

 臭いが耐え難い。濡れて張り付いた服が不快。暗い下水はうんざり。最低な包囲。しかし溢れたのは、最高の――最高のなんだろう? 喩えるなら、燻っていた火が熾る。濃い霧が晴れる。鉛の手枷足枷が外れる――。

 それらすべてが、久しく忘れていた感覚だった。

 理由は、明白だ。

「〈封〉が――」

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