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魔法卿は吠え:第七日(4)

 女王――ポーチェの小さな肩を優しく抱くと、顔を傍らへ向けた。

「陸軍大臣。兵を集めて、この子の指示に従いなさい」

 静かに、しかし鋭く命じる。つづいて、寄り添っていた夫を仰いだ。

「委員の皆さんと一緒に、この混乱を落ち着かせてくださるかしら?」

「やってみよう」

 数人の警護を引き連れて、アルバロサが駆け去っていく。後ろ姿を見送った女王が、穏やかな微笑を湛えてレディへ向き直った。

「よく頑張ってくれました。皆に代わって礼を言います」

「そんな……もったいないお言葉です。それにまだ――」

「そうね。もう少し、協力をお願いできるかしら?」

「はい! まずは、この展示台をっ」

「手を貸して差し上げなさい」

 さらりと命じられ、周囲を固めていた警護の長が仰天する。

「し、しかし陛下が」

「消えれば女王(クイーン)お金(コイン)も同じです。大丈夫。この子たちは、いままで消されませんでした。おそらく、手出しできない理由があるのでしょう。ねえ? ヘンベイン卿?」

 気品と威厳に満ちた女王の眼差しが、壇上の〈魔法卿〉へ注がれる。

 両手を握りしめ、きりきりという軋みまで聞こえそうなほどに奥歯を噛みしめ、全身をわななかせる〈魔法卿〉が、青筋を浮かせて吠えた。

「くそったれがっ!」

 口汚さで女王の顔をしかめさせ、周囲の浮遊体を必死に操作しはじめる。

「消してやるっ。影も形も残らないようにしてやるぞ! ジェームス! なにをやってるんだっ。早く始末をつけろこのウスノロめ! ジェーーーーームスっ!」

 両腕を振り回し、頭を掻きむしり、唾を飛ばして絶叫する。

 二つ目。反転完了。


                      ◆


「ご主人様が呼んでるぞ」

 ツクモは厳かに告げた。挑発的だが、その意図はない――できなかった。

〈魔人〉――完全に白くなった頭髪。肩のみならず、上半身すべてを使った呼吸。少し立ち止まっただけで、足元に水溜まりを作るほどの発汗。網の目状に浮かび上がった血管。乾いた皮膚の色。瞳孔の開き具合。手先の微かな震え――あらゆる部位が肉体の限界を表明していた。

「俺の故郷にも、肉体を強化する〈術〉がある。たぶん、根っこの原理は同じなんだろう。けど、〈組織〉はそれを〈禁呪〉として使わない。どうしてだと思う?」

 ツクモの淡々とした問いに、〈魔人〉の答えはない。白髪を乱したまま、主人同様の血走った目で睨む。

「消耗が激しすぎるんだ。体への負担が大きすぎる。力を抑えても長時間は耐えられない。ましてや全力で戦いつづけ、怪我の回復も目一杯の力を絞り出せば、その代償は莫大なものになる」

〈暗殺者〉はためらいなく自害するが、それは自らを再起不能、あるいは逃走不可能で〈組織〉に大きな不利益が生じると判断したときだ。

 それ以外では、勝手に死ぬことさえも許されない。〈組織〉にとっての〈暗殺者〉というものは長い訓練を施して作り上げた作品であり、使い捨てできるものではなかった。

〈魔人〉化を〈禁呪〉としているのは、その考え方に反するのだろう。

「お前の忠誠心に敬意を払って、『肉団子』は撤回するよ。忠告も一回きりだ。いいか? いますぐ〈魔人〉化を解け。死ぬぞ」

 答――拳。

 ツクモは流し、掴み、捻り、投げる。〈魔人〉の巨体が宙を一転――床へ。

 もはや何度目か。ツクモには分からない。ただ、黙々と行く手に立ちはだかった。〈魔人〉の忠誠を粉々に砕く、あまり気乗りしない作業に。

「ジェーームス! くそっ。触るな! 私の――偉大な〈魔術師〉となったジョン・クリフォード・ヘンベイン王の〈魔法陣〉に、気安く――くそっ! くそっ! なんなんだあの赤毛のガキは! なぜ連携の有無がわかる! 触るな! このくそったれめ! 汚らわしい手で私の〈魔法陣〉に触るなぁぁぁぁっ!」

〈魔法卿〉の怒号が撒き散らされ、さらに言葉にならない喚きがつづく。

 必死の形相で浮遊体を移動させているのは、機能の回復を試みているのだろう。だが、ポーチェを先頭とした陸軍兵が右へ左へと走り、次々に展示物が手際よく反転させられ、連携を遮られ、停止していくために間に合わないらしい。徐々に追いつめられていく気配が、その言動から察せられた。

「ぐおっ」

〈魔人〉――短いひと吠え。床を蹴る。宙――ツクモの頭上を飛び越え――しかし、これも数え切れないほど使った手――すでに動きを読んでいるツクモは機先を制してしまう。

 飛び上がるよりも先に肉迫。太い首へ手を――のど輪――後頭部から床へ叩きつける。敷石が割れ、衝撃をまともに受けた異形の肉体が損傷する手応えを感じ、さらに〈魔術〉による回復力の発動も伝わり――。

「かはっ」

 天井を仰ぐ〈魔人〉の口から鮮血が噴き上がった。

 限界――同時に。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ――!」

 壇上から凄絶な雄叫びが迸る。

 ポーチェと兵隊たちが、レディと女王が、アルバロサ殿下と紳士淑女たちが、揃って〈魔法卿〉を見つめていた。

 全反転――完了。


                      ◆


〈魔法卿〉を取り巻き、箱を作っていた浮遊体が、にわかに活発な動きを始めた。清冽な泉を思わせる半透明は真紅に染まり、やがて黒みを加えて赤褐色へと変容。ここそこでとめどなく分裂と融合を繰り返し、上が下へ、前が後ろへ、右回転が左回転へ――すべてが反転していく。

〈魔術〉に疎い大半の人々も、それが力の逆流を示していることだけは直感できるほど、明らかな動きだった。

 球体は次第に互いの間隔を狭め、赤褐色の壁となり、一個の立方体となり、それにしたがい内側にいた〈魔法卿〉の姿を――さらには、罵りと悲鳴までも覆い隠していく。

「だ……旦那様ぁぁぁぁぁああああああっ!」

 激しい狼狽。よろめき、血の足跡を連ね、式壇にすがりつき、何度も四肢を滑らせながら必死に壇上へ登ろうとする〈魔人〉の凄惨さに、皆が息をのむ。

 その一瞬――間隙。

 銀光が〈魔法卿〉を閉じこめた立方体を刺した。

 貫くと、水晶宮の奥――陽光と溶け合って行方をくらませる。

〈魔人〉を追って壇上へ視線を移した人々は、もはや密集した浮遊体に隙間は埋め尽くされ、光も漏らさぬ赤褐色の――それが、賢者の石と同色だと気づく者はいなかった――一個の「箱」へと変貌した〈魔法卿〉を見た。

 曲面がうねり、渦を巻き、模様を描き出すごとに折りたたまれ、折りたたまれるごとに加速し、加速するごとに模様の生成消滅の循環が激しくなり、激しくなるごとに赤褐色は濃度を増し――気づけば賽子(ダイス)ほどの大きさに――直後、瞬きひとつをはさんで〈消滅〉していた。

 遺されたものは、ふたつ。

 静寂。

 それと、銀光に弾き出された鈍いきらめきの欠片。

 しかし皆が気づいたのは不意に訪れた静穏のみで、後者に目を向けた者は、わずかに一人きり――。


                      ◆


 興奮と歓喜が水晶宮の板ガラスを震わせた。

 紳士たちが固く握手を交わし、淑女たちが抱き合って互いを慰め合う。

「終わった……の?」

「まだだ」

 ツクモは、呆然と立ちつくしていたレディの腕をとった。入れ違いに、傍らへいた女王へ手を――折りたたんだ紙片を押しつける。

 集まりはじめていた人々を盾に――呼び止める女王から隠れ――その場をすみやかに退散。

「ポーチェ!」

 壇上へ呼びかけ。赤毛の少女が小走りで降りてくるなり、待ちかまえていたレディが力一杯抱きしめる。

「凄いわ! あなたって、本当に凄い子!」

 手放しの賛辞を浴びて、目元に戸惑いの色を滲ませていたポーチェが、握りしめていたものを押しつける格好でレディの抱擁を抜け出す。

「これは――」

 レディが、たちまち深刻な顔つきをした。

 西洋柊(ホーリー)の紋様――鍵型のペンダント――〈賢者の石〉。

「落ちてたから、偽物と取り替えておいたー」

 まるで悪びれた様子のない口調に、ますます顔つきを厳しくする。

「ポーチェ、これは――」

「あなたが持ってないとダメ」

 首を――赤毛の三つ編みを――振ってポーチェが遮る。だだ(・・)をこねているわけではない。

 それは、いうなれば〈魔術師〉としての言葉だった。

 理由は語らない。レディが持っていれば満足らしい。

「悪いが、歩きながら迷ってくれ」

 ツクモは左右にレディとポーチェの腕をとり、人混みに紛れ込んでいく。現場は速やかに離れること――鉄則だ。紳士淑女の群れを躱し、逆らい、割り、抜ける。

「ツクモ……」

「なんだ?」

「まだ、わたくしを助けて――いいえ、違いますわね」

 腕を引かれるままだったレディが、足を速め、横に並ぶ。

助けなさい(・・・・・)

 思わず、ツクモは傍らの顔を見つめる――碧眼と視線が交わった。最初は、助けてくれるか、と訊くつもりだったのだと悟る。たしかに、この先、行動を共にする義理はないのだ。落ち着いたところで別れても問題はないはずだった。

「ふっ」

 堪えきれずに小さく噴き出す。

 真剣な表情で言われるなど、考えもしていなかったからだ。レディたちを助けることに、なんの疑いも抱いていなかった。これからも抱かないだろう。

 なにしろ俺は騎士だからな――。

 だが、主従になったつもりはない――よって答えはいつも通りだ。

「俺に、命令するなっ」

 正面入り口を駆け抜ける。

 外は安堵と興奮、身ぶり手振りが溢れ、信号手の養成所でも開設できそうな有様だった。加えて騒ぎに集まってきた人々までおり、混雑は水晶宮以上だ。

 ツクモの動きは、鈍らない。淀まない。なめらかに人の隙間をぬい、ときに道を作り、走る。

 足を止めたのは、逆に人がまばらとなり、より動きやすくなってからだった。

 後ろ姿。長躯。広い肩幅。

 右手に握られた洋杖(ステッキ)

「黒ずくめの連中をここまで追ったのだが。逃げられてしまったよ。獣のような足だな」

 低い声。振り返る。

「仕方なく、君が〈組織〉と同じ動きをするのではと思って待ってみたのだが……。どうやら正解だった」

 たくわえた髭を満足げに撫でる。その二つ名には不釣り合いな武骨な手。

〈教授〉。

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