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水晶宮で闘い:第七日(2)

 水晶宮(クリスタルパレス)東袖廊出入り口――先を争って逃げ出そうとする招待客たちの流れに巻き込まれ、レディはポーチェを見失っていた。

 突き飛ばされ、足を踏まれ、正面からは罵声、横合いからは悲鳴を絶えず浴びつづけ、挙げ句に前後から押し挟まれ、身動きもままならない。

「なんで戻ってくるんだ!」

「道を空けろ!」

「正面扉が開かないぞ!」

「なんでガラスが割れないんだ!」

 怒号混じりの問答が繰り返される。

「この水晶宮(クリスタルパレス)自体が、〈魔術〉の圏内に閉じこめられているんだ!」

 どこからか、いくぶん有意義な――〈魔術師〉なのかもしれない――回答が示されたものの、なにひとつ解決しないのは同じだった。

「宮廷〈魔術師〉はなにをやってるんだ! さっさと、この〈魔術〉を解け!」

「新しい〈呪式〉は解読に時間がかかるんだ!」

 膠着。

「これだから〈魔術〉は……」

「〈魔術〉が問題なのではない! 使う者の問題だろう!」

 苛立ち紛れにこぼされた誰かの愚痴に、別方向からの猛反駁があがる。

 しかし、それは重要な示唆でもあった。

 待てよ――何割かの者が思い至る。

 使う者が問題ならば、その、使い手を――〈魔術師〉を倒してしまえばいいのでは?

 狂騒状態ですら気づくことを、女王並びに王室一家を警護する近衛隊や、参列していた陸海軍の大臣が気づかぬはずはない。

 混乱をぬって兵をかき集め、光射す天へ向けてサーベルの切っ先を掲げ、いましも〈魔法卿〉へ突撃せんとしていた。

「緊急事態だ。生死は問わん。あの狼藉者を壇上から引きずりおろせ!」

 大臣直々の号令に抜剣した兵士たちが――屋内の式典ゆえに長銃(ライフル)は持っていなかった――演壇目がけ――広場を横切って――その道半ば。

〈消滅〉――一瞬にして十数名がかき消えた。

「ああ、言い忘れてました。皆さんご注意を。不用意に中へ入ると――」

〈魔法卿〉が薄笑いを浮かべながら、方形広場を両手で示す。

「消えますよ」

 一斉に広場の内外を隔てていた柵から人々が後退る。なるべく広場から離れようと、またも押し合いが開始。

 ならば――と、広場の外周を回って別の隊が〈魔法卿〉の演壇へ辿り着く。たちまち階段を駆け上がり――そのはるか手前で次々と――最前列から順序よく――〈消滅〉。

「術者が、自分の安全を確保するのは基本ですよ? こんなことも知られてないとは」

〈呪式〉立方体の中で〈魔法卿〉が大仰に嘆く。

 辛うじて踏みとどまった残りの兵士たち――今度は血の帯をたなびかせて宙に舞う。

「なんたる無礼者ども!」

 悲憤慷慨――異形の肉体を露わにした男――〈魔人〉だった。

「今後、この国の新しい王として君臨するお方に刃を向けるとは。なんという……なんという!」

 白さの増した髪を振り乱し、腕のひと薙ぎごとに攻め寄る戦力を削っていく。たちまち総崩れになる兵士と入れ替わりに、一人の老人が演壇脇から指を突きつけた。装飾の施された長衣の正装――〈魔術師〉だ。

「〈消滅〉の〈呪式〉を組み上げたのは褒めてやるが、君はこれからどうするのかねっ? 王になる? 〈魔術〉を終止させた瞬間が、君の終わりのときでもあるのだぞ!」

 憤激まじりの言葉に、〈魔法卿〉が呆れた顔つきをする。

「さすが年功序列だけで王立技術協会〈魔術〉系の長老になられただけはありますな。この国宝級〈魔術品〉の山を見て、〈魔術〉の終止を考えるとは!」

「まさか……」

「そのまさかですよ。ここなら〈魔術品〉の高い能力を利用して〈呪式〉を半永久的に制御できる。発揮される力は南部に遺る原始的な列石魔法陣などとは比べものにならない。たしかに、ご指摘通り制御には手間をかけねばなりません。よって王たる私の玉座も、ここへ移ります。なにしろここは水晶(クリスタル)の……宮殿(パレス)ですからな。実に私にふさわしいっっっ!」

 体を反らし満身で哄笑する〈魔法卿〉の姿に、そのままひっくり返ってしまえ、とレディは半ば自棄っぱちな呪詛をこぼす。

 一方で長老と呼ばれた老人が文字通り膝を屈し、床にへたりこんでしまった。

「だから私は力の強い〈魔術品〉を一同に集めるのは反対だと……」

 呻きとともにぶつぶつと洩らす。彼には――そして彼らに駆け寄る複数の長衣の男たちには――この状態を打破する方策を見つけられないのだろう。

 その、為す術もない姿に衝撃を受けたのは、いうまでもなく〈魔術〉を使えない一般人だ。

「もうだめだ!」

 絶望の叫びが、最後の期待さえも完膚無きまでに打ち砕いた。

 再び――せめて遠くにという考えなのだろう。「魔法部門」の展示と対になった西側「科学部門」の袖廊へと、人の激流が生じる。

「どいてっ! 通して!」

 レディは声を張り上げながら、流れに逆らった。

 途中、スカートの裾を踏まれたらしく、内側のペチコートまで裂ける感覚があったものの構ってはいられない。腕で宙を掻き、つんのめって人の群れを脱したときには、膝にも届かない丈になっていた。元から動きやすさを考えてクリノリンをつけていなかったが――調達できなかったのだ――実はドロワーズまで省いていた。つまり、完全に生足ということになる。この騒ぎでなかったら、あまりの破廉恥さに叩き出されていただろう。

 壇上では果敢に挑む兵士たちが、船荷の扱いで蹴落とされ、あるいは尻込みして自ら足を踏み外し――一掃。

「さあ皆さん! 助かりたければ、どういう行動をなさるのが賢明か。そろそろお分かりでしょう?」

〈魔法卿〉が諸手を大きく広げた。歓喜とも言える調子で叫ぶ。

「跪くのです! そして命乞いを! 忠誠を!」

 そのまま歌い出しそうだ。

(どうする……?)

〈魔術〉に加えて〈魔人〉では――予想通りとはいえ――容易に近づけない。レディは周囲を――ポーチェを――探す。

 いた――方形広場の最奥。演壇上の〈魔法卿〉からは左手前――赤毛の少女が。

「なんてことを!」

 レディは両手で口元を覆い、辛うじて叫びを封じる。

 ポーチェが展示物のひとつ――あれは伝説的な〈魔剣〉ではなかったか――その台座を蹴りつけているのだ。

 この、緊急事態に。

「ポーチェ――」

「くそっ!」

 呼びかけようとしたところへ重なったのは、神経質な雑言――〈魔法卿〉――登壇して初めての焦りを見せていた。浮遊体のつくる四角い空間の壁に、わずかな波――あるいは震え。色も赤みがかって、中に収まっている〈魔法卿〉の狂熱に浮かされた顔を仄かに照らしている。

「ガキめ!」

 なおも罵声を吐き捨てつつ、浮遊体にそれぞれ回転を加え、位置を入れ替え、上下左右前後と、すべての面に忙しく視線を走らせ始めた。

〈魔術〉に疎いレディでも、それがなんらかの操作を行っていることはわかる。余裕を失っている、ということも。そして――。

「ポーチェが?」

 展示台を蹴り飛ばす赤毛の少女と壇上を見比べた。

「呼応してる? 妨害?」

 もどかしい疑問は、〈魔法卿〉の顔の動きで氷解。

〈魔人〉に、顎でポーチェを示した。言葉はない――が、明確な指示。

 殺せ。

「かしこまりました」

 王に仕える臣下の恭しさで、命を賜った〈魔人〉が――床を蹴る。

 体に不釣り合いな素早さは、レディも実見済み。

「ポーチェ!」

 駆け出していたレディは、鋭く叫ぶ。

 片足を持ち上げたまま振り返ったポーチェへ、床を蹴るごとに速さを加える〈魔人〉が岩――拳――を振りかぶり、肉迫。

 レディは思わず手を伸ばす。まだ、はるかに遠い。届かない。間に合わない。

 誰か――ツクモ!

 と。

〈魔人〉が――転倒した。

 びたんっ、と無様かつ滑稽な音を派手に響かせ、床にご自慢の肉体を叩きつけると、さらに勢い余って鞠となってもんどりうち、跳ね、広場外の展示物の列を吹っ飛ばし、まきこみ、いっしょくたとなって瓦礫の山を拵えた。

 状況が飲み込めず、立ちつくしたレディの前に、正装の男が現れる。上着を脱ぎ捨て、帽子を取り――黒髪。

「ツクモ!」

「ポーチェをっ」

 間髪入れずに指示が飛んできた――背を向け、〈魔人〉の作った瓦礫と対峙したまま。目も合わせず。

「い……言われなくとも!」

 レディは満面に浮かびかけた喜びを押し隠し――なにも言われなければ、駆け寄っていたに違いないことを自覚――反駁。

「少しは動揺の素振りぐらいするものですわ。こんな格好なのですからっ」

 難癖に等しい言葉を投げつけながら、走り抜ける。

 すれ違いざまに、その背を軽く叩いて。


                      ◆


 背後にレディとポーチェの気配――ツクモは内心で首を傾げた。

 あんな格好だから目をそらしていたんだが――。

 なにか体を隠すものでも渡すのが礼儀だったのだろうか。温泉都市でのことを思い出し、それに近い振る舞いをしたつもりだったが。外国の風儀を理解するのは難しい。

 水晶宮内に忍び込んだのは開場直後だった。貸し馬車屋と黒河で仕込みを済ませて到着――正面出入り口が混雑しているのに乗じて新聞記者の後へ付き、なに食わぬ顔でその助手のふりをしたのだ。

 その後は目立たぬように、人垣の最後列で静かにしていた――おかげで人波に飲まれかけ、出遅れてしまったが。

「間に合ったから良し、としようか……」

 瓦礫が音を立てて崩れ――噴火した。全身を怒りの炎で燃え上がらせた〈魔人〉の巨躯が聳える。

「東洋の猿のくせに、小賢しい道具をっっ」

 手にした紐を――まだ先端は足に絡まっている――引きちぎった。

「ほう。似たような道具を」

 太く、低い嘆き――〈教授〉。ようやく人混みを脱した。ツクモの横へ並び立つ。

「あれでよければ返すつもりだった」

 もちろん〈教授〉の足首へ巻き付けて、だ。ごく真面目に言ったつもりだが、下手な冗談と受け取られたらしい――〈教授〉が面白くなさそうな顔つきで応じる。

「安心したまえ。代わりに手合わせしろなどと野暮なことは言わんよ。それに――」

 視線が横に。レディとポーチェ。

「私はご婦人や子供に手を出す輩は、その理由を問わず、潰すことに決めている」

 ごっ――鉄製の洋杖(ステッキ)――突かれた敷石に蜘蛛の巣状のひびが走る。

「大義の前に、老若男女の区別など!」

 火を吐く語気で〈魔人〉の咆哮――が、いまにも躍りかかってくる素振りを見せながら、いっこうに足を踏み出さなない。怪我――違う――警戒。

〈教授〉に痛めつけられたのは堪えたようだな――。

 ツクモは敏感に察する。これを利用しない手はない。

魔人(あいつ)〉のお相手は〈教授(こいつ)〉にしてもらうか――。

 自分はレディとポーチェを。少女の奇妙な行動は、なにか考えがあってのことだろう――手助けを。

 間合い――〈魔人〉だけでなく〈教授〉からも外そうと、ツクモは〈暗殺者〉の運足で――応じて、影――ガラスの天井から注ぐ陽光の生み出した、漆黒の塊――複数。

 上!

 跳、避――〈組織〉――黒装束――刺客――刀、斬、止、受、潜、転、脱――杖。

〈教授〉の横撃。刺客の一人が、砲撃を食らった勢いで吹っ飛ぶ。杖がくるりと一回転。突き――床――粉砕。

「私の許可なく『獲物』に手を出すなら、相応の覚悟をしてもらうぞ」

 顔つきは穏やかだが、口調は死神よりも酷薄。冷徹さではひけをとらない〈組織〉の刺客たちですら、動きを止めたほどだった。

 睨み合い。

 ツクモ、〈教授〉、〈魔人〉、黒装束の刺客たち――それぞれの視線と思惑が、閃光となって交錯。

 ツクモ――〈教授〉の長躯を盾に刺客の刃から離脱。レディとポーチェを助けに。

〈教授〉――ツクモを追う刺客たちの駆逐。

〈魔人〉――刺客たちの乱入を幸いに、本来の目的を。赤毛と金髪の小娘どもを抹殺。

〈刺客〉――現在七名。ツクモの処分。それが〈組織〉の命。だが、その前に行く手を遮る邪魔者を全力排除。

「ジェームス!」

〈魔法卿〉の焦燥と苛立ちが爆発――引き金。

 動いた。

 すべて同時。

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