万博は開幕し:第七日(1)
鉄柱五千本。
ガラス板三十万枚。
首都西南地区――エルムズパークに建てられた通称「水晶宮」は、中央の広場、左右両翼の威容を燦然たる陽光で満たしつつ、帝国の繁栄ぶりを無言のうちに誇っていた。
中央広場の臨時に設けられた式壇では、万国博運営理事であり、女王陛下の夫君であるアルバロサ殿下の姿。
「我が国には珍しいこの快晴は、まさに天の祝福であります。この佳き日が帝国史上の記念碑となり、〈魔術〉と〈科学〉の調和をいっそう促進せしめ――」
開会の辞。背後の噴水と三本の楡の木が、ガラス板を通して降り注ぐ五月初日の陽射しに、より清涼感を与えていた。
帝国だけにとどまらず、出展した各国の来賓、開幕を取材に来た新聞、雑誌の記者、招待を受けた貴族、名士、紳士淑女。そこへ警備に配された陸軍兵も合わせ、広場を見下ろす二階の回廊まで、人で埋まっている。
驟雨の響き――拍手――アルバロサ殿下と入れ替わりに登壇するのは、女王陛下。さらに拍手が大きくなる。着飾った淑女たちを圧倒する優雅さと気品で、周囲に穏やかに微笑んだ。
「このような記念すべき日を、皆さんと共に祝うことができ――」
柔和な中にも意志の強さを感じさせる声は、聴衆の頭上を易々と越え、正面出入り口にまで届く。
遅れて来た数組の正装した男女が、招待状を見せるのもそこそこに入っていく。
「すまない。今朝、娘が招待状に紅茶をこぼしてしまってね――この有様なのだが」
少々年嵩の紳士が、骨太な長身から入り口の係員を睥睨しつつ、懐中の厚紙を取り出した。
「これはこれは、またずいぶん派手に」
鼻先に広げられた招待状と、男の威圧感にたじろぎながらも、係員が笑顔で頷く。
墨は完全に滲んでしまい、判別できる文字はひとつもない状態だった。唯一はっきりしているのは、その厚紙が、他の来賓同様の型と装飾が施されていることのみ。
係員が紅茶をこぼしたという少女――紅茶よりも鮮やかな赤毛に、人を射るほどに冷たく澄んだ瞳――と、その背後に寄り添った娘――こちらはこちらで目に映える金髪に、少女とは逆の人懐っこさを湛えた眼差し――を、順に見やった。
姉妹とは思われず、さりとて紳士の若い細君と、その子供とするには無理がある。とにかく、誰一人として似たところがない。
が――深く詮索するのも問題だ。人は色々と事情があるものだ。特に、この場に招かれるような人士には。
かくして係員はにこやかに――図体はでかいが中年男。それに女子供。危険はなかろう――水晶宮を手で示す。
「どうぞ。お入り下さい」
「ありがとう」
紳士が重々しく洋杖を鳴らし、二人を伴って広場へと進む。
大きな拍手。女王陛下の開会宣言が終わったようだ。その響きに紛れ、人垣の後ろへついた紳士が、拍手に加わりながら横の――爪先立ち、ひと目女王陛下を見ようとしている――金髪の娘に顔を傾ける。
「冷や汗ものだったぞ」
「そうですわね」
「同意のわりには涼しい顔だ」
「あら。そうでしょうか?」
金髪の娘が小首を傾げる。
「……慣れてるのかもしれませんわ。記憶にはありませんが」
「だとしたら、ここでは私のほうこそエスコートが必要かもしれないな」
冗談とも本気ともつかない口調で、紳士が指に挟んでいた招待状を赤毛の少女へ渡す。
受け取った少女の、もう一方の掌中には函入りの水晶球――体と同じく可憐な口元が動く。呟き――静まっていく拍手にもかき消される儚さ。
招待状が輪郭を――墨の滲みが全面を覆い――失って、首都名物の霧に――薄絹に――仄かに漂う煙に――変じて消えた。
〈幻術〉。
「できたー」
赤毛の少女が、招待状の消えた手を握りしめると、嬉しさを堪えきれない様子でぶんぶんと振り回す。
さざめくお喋りと、さりげなく少女の手を捕らえた金髪娘によって、良家の装いにふさわしからぬ振る舞いが隠蔽。
やがて、人々の視線が王室一家、万博運営委員一同、政府要人たちの移動につれて東袖廊――〈魔法部門〉展示側へと向けられる。二階の回廊部分でも大移動が始まり、足音の遠雷が水晶宮内をしばらく満たした。
〈魔法部門〉展示の出入り口にあたるところには、まずささやかな方形広場――しかし、その内側には入れないよう膝頭ほどの高さの柵が置かれていた。招待客たちが周辺に立ち並ぶ。
西辺――つまり中央広場との境目――から少し間を置いて貴賓席。ここならば、最初の式典からさほど移動の労をとらなくても良い。
女王陛下が腰をおろしたところで、一人の男が進み出てくる。
万博「魔法部門」の委員――ジョン・クリフォード・ヘンベイン――〈魔法卿〉――急遽、開会式典にねじ込まれた〈魔術〉公開実演の演者その人だ。
貴賓席の女王陛下へ一礼すると、やはり広場の内側へ踏み込むことなく、ぐるりと外周を巡って東辺へ。広場を挟んで貴賓席正面にあたる仮設の演壇へと――中央に据えられた小さな展示台と比して不釣り合いに広かったが――登っていく。
その姿を目で追いながら、金髪の娘が、そっと手袋を外す。
「さあ。ここからが本当の開幕ですわ」
◆
水晶宮東袖廊方形広場――〈魔法卿〉を知る者は、その仮設演壇へ立った姿を見て、みな揃って我が目を疑った。
別人と思ったのだ。
神経質で社交性に欠け、それゆえに影の薄い――会合の場で〈科学卿〉に「気づかなかった」と皮肉られる――男は、どこかに消え失せていた。
背筋を伸ばし、胸を張り、顎を上げ――まだひと言も発していないというのに、すでに衆目を集め、いささかもたじろいだ様子がない。場所としては広場の最奥となるにもかかわらず、ひと回り大きく見えさえした。
穏やかな笑み。自信に満ちた大股の歩みで、特別展示台――〈賢者の石〉――の前を二往復。
それさえも、自分に視線が集まっていることを確認するための余裕ぶり。最後は、展示台の傍らに立つ。
「まずは、お礼を申し上げます。女王陛下。アルバロサ殿下。ご来賓、紳士淑女の皆様方」
改めて恭しく、女王陛下へ向かって一揖。堂に入った佇まい。朗々とした――あの痩せた体のどこから出ているのかと思わせる太く頼もしげな――声がガラス天井に反響し、広場を挟んだ貴賓席はもちろん、周囲のすべてに余すところなく届く。
「このような突然の演出に快くお付き合いいただき、〈魔術〉を愛する一人として、また万博運営委員の一人として、これに優る喜びはございません」
ひと息。聴衆を見回す。
「伝え聞くところによれば、あの〈魔法卿〉も大変喜んでいたと。私は残念ながらお会いしたことがないのですが」
笑い。それから驚きが――いまの聞いたかね? あの〈魔法卿〉が冗談を言ったぞ! ――会場内に満ちる。
「さて」
展示台に片肘を置き、少しばかりくだけた雰囲気を作る。
「急ごしらえではありますが、元々はメドウズ伯アイリス・ヴァレリアン氏の所有であり、現在は私が個人的に所蔵しておりました〈賢者の石〉を――」
手にとって掲げ、聴衆に示す。
「皆様におかれましては、どうかお手を触れぬようお願いいたします――この秘宝を、どうして展示するに至ったのか。すでに大半の方がご存じのことと思いますが」
元に戻す。ひと撫で。微かな呟き――寝台で眠りにつく我が子を見つめる眼差し――独身だったが。
「本日は、はるばる遠方からのご来駕もありますので、ここで改めてご説明するお時間をいただきます」
指を一本。先の鍵と同様、左右の人々へ。
「話は一週間前にさかのぼります」
仮設の演壇が立ち見の紳士淑女ごしに垣間見える――レディは、しばし迫る危険を忘れていた。〈魔法卿〉によって、シスルの町の事件が語られている。
(あれが、たった一週間前の出来事だなんて……)
信じられない。自分の記憶が、この七日分以外は首都名物の霧よりも濃い帳の向こう側だという事実さえ、なにか巧妙な詐欺にでも遭っているのではないかと疑いたくなる。
あるいは。
(水晶球の生みだした幻ね)
心の呟きに、ひょいと水晶球が差し出される。驚き――辛うじて声をあげるのは抑え――傍らに目を――赤毛。ポーチェ。
「持っててー」
レディの返事もきかずに押しつけ、ふらりと無造作に聴衆の輪を離れていく。
咄嗟にレディは来賓席を確認した。万博運営委員の一団――その「魔法部門」――それから、〈王立技術協会〉の〈魔術師〉たち。
その数人が、揃って訝しげな表情を浮かべていた。辺りへ視線を巡らし、顔を見合わせ、互いに違和感を確認している。極めて優秀な音楽家が不快かつ出所のはっきりしない微かな音を聞いたら、同じような振る舞いをするだろう。
そして――ポーチェも。
「始まったようですわ……」
人のなかでも、とりわけ鋭敏な少数の者だけが感じ取れる力――すなわち〈魔術〉が働いている。
「おそらく、例の鍵を展示台に戻したときだろうな」
同じ結論に辿り着いた〈教授〉が、髭を撫でつけるふりで口元を隠し、囁く。
「さすがにここからでは聞き取れなかったが、なにか呟いていたのは間違いない」
「そんな短時間で使えるものでしょうか?」
遅い。手間がかかる。非効率――その代名詞たる〈魔術〉が、呟きひとつで済むとは。
「可能性が高いと思ったまでだよ……詳しいことは、お嬢ちゃんに訊くとしよう」
〈教授〉に促された。たしかに、この場は、あの少女に頼るしかない。
「しかし、騎士殿はどこにいるのやら」
つづいたぼやきに、レディは改めてそっと周囲を見渡した。
ツクモと顔を合わせたのは今朝が最後だ。「先に会場へ入っておく」といって宿を出て行ったきり。
「構いません」
レディは、早々に探すのを諦めた。人が多すぎる。東洋系の顔もあちこちに見受けられ、さらに紛らわしい。
「向こうがこちらを見つけるでしょう」
「ほう」
〈教授〉が愉しげに笑みを忍ばせる。
「麗しい信頼感だ」
「イチレンタクショーですわ」
「イチレン……?」
耳慣れない言葉に訝る〈教授〉をよそに、そして壇上で独演をつづける〈魔法卿〉を横目に、レディはなに食わぬ顔で移動を始める。
「以上のような経緯があり、残念ながら皆様にご覧いただけなくなってしまったシスルの展示物の代わりに、この〈賢者の石〉を急遽出展ということになりました――が!」
ひときわ大きな声で、やや疲れの色が出てきた周囲の耳目を改めて集め直すと、〈魔法卿〉が視線を爪先へ落とした。息を整え、抑え、ゆっくりと微笑をつくり、顔を正面に。
「それらは、すべてこじつけです。これからお話することこそが真実。そして、ご覧にいれる〈魔術〉のきっかけとなったものです!」
熱と言うには偏執的な――ただし〈魔法卿〉にはふさわしい――語気だった。
レディには、いよいよ事を始めようとする興奮とも見える。人垣を割り、飛び出していって押さえ込んでしまいたいが――できそうな気もした。〈魔法卿〉だけが相手なら。
実際には、演壇への登り口で目立たぬようかしこまる初老の――あの〈魔人〉に蹴散らされてしまうだろう。いや、それ以前に警備の陸軍兵たちによって押さえつけらてしまうに違いない。気の触れた暴漢として片づけられる。まだ、予定通りの公開実演でしかないのだ。
(焦ってはいけない。いま、できることに集中しなさい)
言い聞かせ、ポーチェを追う。〈魔法卿〉の独演を聴きながら。
「シスルの町の消失事件。現地でいまも――この歴史的瞬間に立ち会うこともできず――原因究明をしている調査委員たちの手間を省きましょう。あの原因は、〈魔術〉です」
静かな〈魔法卿〉の断言に、ざわめきが起こる。
「皆さん――特に〈魔術〉をお使いになられる方々は、薄々、感づいておられたかと思います。それでも声をあげられなかった。お気持ち察します。なにしろ、町の人間を――人間のみを一掃してしまうほど大きく高度な〈魔術〉は、未踏の領域ですから」
次第に大きくなる見物席の狼狽。嘆き――それら一切が耳に入らぬ顔つきだった。
「当日、当夜、あの瓦礫の山と化す前の塔の中では、〈魔術〉の実験が行われておりました。研究者が古より幾度も挑戦してきた〈魔術〉――〈空間転移〉です」
ようやく両手を挙げ、会場内に渦巻き始めた声の波を鎮める。
「残念ながら、実験は失敗しました。この、〈賢者の石〉が、卑劣な泥棒によって偽物とすり替えられていたためです――」
ぎくり、とレディは足を止めた。自分に向けて発せられたように思えたのだが、壇上の話が途切れることはない。ここにいるのは気づかれていないようだ。
「呪文――〈魔術〉の用語では〈呪式〉と申しますが――は暴走し、皆さんがご存じの、先ほど説明した結果となったわけです。ああ――」
〈魔法卿〉が、ほとんど柵を乗り越えんばかりにしている紳士の一人を手で制す。
「どうか慌てずに。訊きたいことは分かりますよ。『あれは、お前の仕業か?』と――違います」
ゆったりと、名優気取りで首を横に振る。
「最高位術者のモルガン様が行いました」
「では、どうしてそんなに詳しいのだ!」
出端を挫かれていた紳士が、すかさず食いつく。
「まるで見てきたように、ですか? そうです。答えは明快。私も、その場にいたからです」
再び会場が波立つ――〈魔法卿〉が、降り注ぐ疑問と非難と罵声の砲火を浴びながら薄笑いを浮かべた。露骨な蔑みの目つきで満座を眺め渡し、傍らの〈賢者の石〉を再び手にする。
と――やにわに空になった展示台を蹴り倒した。
ぎょっと息をのむ聴衆へ、さらに追い打ち。
「静・粛・にっ!」
勘気の咆哮。一瞬にして静けさが戻る。
「失礼。取り乱しました」
ばらけた髪を撫でつけ、斜めになった眼鏡を戻し、笑顔――最初に見せたのもとは違い、恍惚と尊大さの塊。
「モルガンは行方をくらませてしまったのですが――まあ、あのガキの奇行は、いまに始まったことではないので――幸い、私は〈空間転移〉からの一部応用を思い立ちました」
もったいぶった沈黙を一拍――口調がぞんざいになっていることには、気づいていないらしい。
「先日、大監獄で死刑囚が消えたという事件を、すでにお耳に入れられている方もおられるでしょう――そう! あれこそ! 新しく組み上げた〈魔術〉! 人間だけをこの空間から消し去る――過去の偉大な――そして邪悪な――〈魔術師〉が使ったとされる、失われた――」
誰もが――レディはもちろん少し間隔をあけて後ろを付いてきた〈教授〉までも――息を詰めていた。身じろぎもできない。次第に高ぶっていく〈魔法卿〉の姿から、最悪の結論を予感しつつも、その振りまかれる狂気の毒にあてられていた。
「〈消滅〉っっっ! 私は――この、私がっ! ついにっ! 完成させたのですっ!」
〈魔法卿〉が拳を握りしめ、絶叫する。額と首筋に浮いた血管と、激しく上下する肩がその興奮の度を物語った。
拍手。
たった一人――〈魔法卿〉に付き従う初老の紳士が、感極まった体で壇上の主人を見上げ、目を潤ませ、手を叩いていた。いまにも駆け上がり、跪いて、その爪先に接吻し、祈りを捧げそうだ。
〈魔法卿〉も、忠実な下僕へ鷹揚に頷く。
「さて。ここまでご静聴いただき――多少の混乱はありましたが――ありがとうございます」
またも振り乱した髪を撫でつけながら、息を整える。
「〈魔術〉の弱点は、『遅い。手間がかかる。非効率』とよく言われますが、おかげで準備はほぼ整いました」
冷たい風――いや、吹いてなどいない。総ガラス張りの水晶宮には、瑞々しい若い娘にも喩えられる五月の陽気が依然として注ぎ、温室と変わらぬ効果を生み出している――にもかかわらず、誰もが背筋を凍えさせる風を感じた。
「ご覧下さい――」
〈魔法卿〉の天へ差し伸べた腕の動きに合わせ、演壇の床板をすり抜けて出現した無数の球体が、せり上がっていく。ひとつひとつは拳ほど。半透明。緩やかな回転。うっすらと青い色が球体内で波打っていた。一定の間隔をもって、ふわふわと浮き――その集合体が小部屋ほどの立方体を形作る。中心に――〈魔法卿〉。
大人しく耳を傾けたことが仇になったと、満場一致で悟った瞬間だった。




