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深淵と語らい:第六日(9)

 東端地区の宿――その二階の一室。

 ツクモの鋭敏な耳には、斜向かいの――先刻までいた――酒場(ビールハウス)から洩れる声がはっきりと聞こえていた。安普請だけあって壁が薄い。夜更けにもかかわらず、いまだ騒がしいというのが大きな原因でもあったが。

 とはいえ壁が薄いのも悪いことばかりではない。隣室にいるレディとポーチェを守るためにうってつけだった。少しの異変でも気づきやすい。

 ツクモは寝台で仰向けになったまま、暗闇を透かして貧弱な梁の天井を見つめつづける――こうして体を休めるまで、ずいぶん経った気がした。

 新図書室の建設現場を脱してすぐ、通りの人混みにまぎれた。〈組織〉の連中もいったん離脱した様子だった――少なくとも追ってくる気配は感じなかった――が、手を出してこなかった監視役がいてもおかしくない。念のために東端地区へ直行するのは避けた――となると、時間を潰さなければならない。

 元々、そのつもりだったしな――。

 逆方向にあたるエルムズパーク――万博会場――へと向かうのは自然の成り行きでもあった。

 至極あっさりと辿り着き、周辺をひとめぐりして様子を――散策がてらに見物している老若男女の陰から――窺い、〈魔法卿〉の姿を確認。そこに付き従う初老の男――〈魔人〉――も。さすがに最終準備中の会場内へ忍びこむのは断念。公園を離れた。

 再び黒河を南へ渡り、あとは路地を徘徊。身を隠すに適した場所を見つけては、しばし潜伏。日没まで、それを繰り返す。〈暗殺者〉として日常的な動きだった。三日四日と同じ行動をしたこともあれば、潜伏場所に下水を――市民消失の町シスルのときなど――選んだこともある。

 が――今日に限って、不思議と時の流れが遅々として進まないように思えた。たかが四半日にも満たないというのに。宿へと帰り着き、宿の者にレディたちが酒場へ行ったと聞いたときなど、自然とため息まで洩れたのだ。

 まだあるのか、と思った。

 辿り着いたと思ったら肩すかしを食らった感覚。

 あとは目と鼻の先という距離すら厭わしい。それでも足を向け、〈魔人〉がひとつだけ正しいことを言っていたことに、ツクモは納得。

『遠目からでも良く分かりました』――出入り口に立つなり、ポーチェの紅蓮の髪が真っ先に目についた。

 が、それは一瞬。

首都(メトロ)めぐりは愉しめまして?」

 レディの冷ややかな口調。決して、人前で大きな声を出すのは行儀が悪いから、というだけではないだろう。眼差しにも気づき、「堪能した」と答えつつも、思わず視線をそらして卓に近づく。双方を見比べた〈教授〉の愉しげな笑みが癪に障ったものの、無視。

 席に着くなり、さらにレディの声が飛んでくる。

「どちらを見てきたのか、訊いても?」

「色々と……万博会場も見てきた」

 さりげなく応じた言葉に、案の定、ポーチェがフォークを握りしめて身を乗り出す――憤然。

「あがひいは、いっひゃはべっへいっはほひー!」

「ポーチェ! 食べながら喋るのはおやめなさいと――」

「ばっへー」

「『だって』ではありません」

 レディにぴしゃりとたしなめられ、ポーチェが八つ当たり気味に皿のパイを口に詰め込んでいく。

「また、そんなに口一杯に頬張って――もう少し言葉を選んでくださらないと困りますわ」

 後半はツクモへ――レディが左右へ顔を振り向けながら言う。

「まるで若夫婦と、その子供だな」

〈教授〉が笑いを堪えながら呟き、レディのひと睨みで首を竦めてみせる。

「言葉は選んだぞ。ちょっとした土産話もあるからな」

 ツクモは澄ました調子で、ぴたりとフォークを持つ手を止めたポーチェを見やった。

「聞くか?」

 ぶんぶんぶんぶんっ――三つ編みの赤毛を跳ね上げて激しく頷く少女の様子に、レディがため息をひとつ。〈教授〉が慰めの笑み。

 ツクモは、三者三様の反応を愉しみ――その自分にも内心で驚き――万博会場の準備に雇われたという男の話を伝える。

 ポーチェの目が輝いた。フォークを握る手に力がこもり――やがてふっと表情が消え失せ、視線は皿へ。黙々と食事を再開――考えに没頭しはじめたのは、ツクモたちにもすぐに分かった。ひと区切りついたと見たらしく、〈教授〉が席を立つ。

「そろそろ私は退散するよ。明日の朝、また宿に顔を出す。今後の予定を聞かせてくれたまえ。それ次第で、私も対応(・・)するとしよう」

 対応、という部分でツクモを一瞥。「狩り」のことだと仄めかす。それから、お見送りのために料理を抛り出して駆けつけた店主へ告げる。

「わかっているとは思うが、彼らは私の大事な友人だ。いや、わかっているとは思うがね」

 不必要に大きな声が、酒場の他の客にも聞かせるためだというのは明白。これで残る三人に手を出すなどという蛮勇をふるう者はいないだろう。

 ただツクモたちも、〈教授〉の去ったあとで酒場に長居する気はなかった。

「お返しに、わたくしのほうのお土産話をいたしますわ」

 そう、レディが表情を引き締めて告げたのと――なにより〈教授〉の言葉でかえって酒場の空気がぎこちなくなってしまったせいだ。

 空の皿へ未練の視線を注ぐポーチェを促し、安宿へ――レディたちの部屋へと戻った。

 大監獄でのあらましを、戸口に寄りかかって聞き終えたツクモは、頭を掻きながら――視線をそらしつつ――博物館図書室で知ったことも話すべきか迷い――訊いた。

「だいたいの事情は把握できたってことでいいのか?」

「そうですわね」

 寝台脇の椅子に腰掛けたレディが、肩を竦めて肯定。

「ようするに、わたくしが鍵をすり替えたから、あの事故が起きたことは間違いないようですわ」

「まだ分かんないよー」

 不意に口を挟んだのは、ポーチェ。窓辺で外の様子を眺めながら。

「たしかに〈賢者の石〉を偽物とすり替えた()で、町の人たちが消えて、石が〈魔法卿〉の手に渡った()で、監獄の囚人が消えてるけどー」

「わたくしには、どう見ても最初は石がないから〈魔術〉に失敗して、次はあるから成功したとしか思えませんわ」

 返すレディと振り向きもしないポーチェを見比べながら、ツクモは二人の言葉を秤にかける――傾きは赤毛の少女へ。わざわざ、やんわりとだが否定するのは理由があるのだろう。洞察力は信じるに値する。

 しかも、館で見つけた隠し部屋の物は一切持ち出していなかった。覚え書きはすべて――一字一句違わず――ポーチェが記憶しているのだ。日付順であろうが、こちらが「何月頃」と指定しようが、目の前の紙片を読み上げるのと同じく答えられる。空恐ろしいほどの記憶力。

「これで、肝心の自分自身については手がかりもなく欠落しているのですから……運命の皮肉を呪いたくなりますわ」

 レディなど同情に満ちた慨嘆をこぼしたものだ。当のポーチェに、微塵も悩む様子の見られないことだけが、せめても救いと言えた。

「もったいぶった言い方をしてるが、根拠はあるのか?」

「んー? 勘だよー」

 ツクモの問いには、いつもの掴み所のない答え。

「あなたの勘なら、他の人よりはあて(・・)にして良さそうだけど……」

 レディがため息をつく。手詰まりの気配が部屋に――ポーチェを除く二人に――満ち、互いに黙り込んでしまう。

『どうして、こんな目に遭わなければならなかったのか?』

 その疑問は、レディの推測を信じるならば、ほぼ理由が判明したとツクモにも思えた。

 同時に。

 ポーチェの「勘」が違うとも言っている。心情としてはこちらに与したい――期待。だが、淡い。それに、あて(・・)にしたところでどう動いたものか。

 と。

 床板を踏み鳴らす勢いで、レディが立ち上がった。ずっと外を眺めっぱなしだったポーチェですら振り向いた。わずかに目も見開いている。

「あるところにアイリス・ヴァレリアンという、それは美しい金髪の、天使のように可愛らしい少女がいました」

 独演――あるいは三文小説の女主人公。メドウズ伯の館でレディ自ら語ったのを、ツクモは思い出す。

「彼女はメドウズ伯の一人娘でしたが、父を亡くし、家は没落。母――母親はどうなのかしら? いいわ。これは後で調べることにしましょう――ともかく彼女は泥棒になりました。不明になった父の形見を探し、偽物とすり替えるのです。そのなかでも、極めつけの逸品が〈賢者の石〉でした。〈魔法卿〉という渾名のジョン・クリフォード・ヘンベインが、それを持っていることを知った彼女は、〈魔法使いの島〉にも渡って隙を狙い、見事シスルの町で〈賢者の石〉を偽物とすり替えたのでした」

「昔話なら、ここで『めでたしめでたし』の締めくくりなんだがな」

 ツクモは博物館図書室で仕入れた諸々を伏せ――新しいことを注ぎ込んで考えを乱したくなかった――先を促す。

「現実は厄介ですわね。アイリスからレディ・パピヨンに選手交代ですもの」

 レディが小さくおどけて、すでに窓の外へ向き直っていたポーチェへと声を。

「ここまで、よろしいかしら?」

「合ってるー」

 なにか興味を引くものでも見つけたのか、赤毛の少女が一心に外を眺めながら応じる。

「メドウズ伯は――」

 レディが独演を再開――あえて父とは呼ばないのは、心情からか、冷静さを保つためか。ツクモには読み取れなかった。

「おそらく詐欺に遭ったのですわ。偽会社に出資して資産を根こそぎ奪われたってところかしら――もしかすると、その前にも何度か引っかかってるのかもしれません」

「どうして、そう思うんだ?」

 ツクモは、レディの推測が図書室で目を通した新聞記事の内容と合致していることなどおくびにも出さない。

「館が……爵位に比べてあまりにも慎まくて……あれは『伯爵』という肩書きの館ではありませんでした」

 上流階級出身ならではの視点というわけだ。

「もちろん、世の中の大多数の目から見れば広大に映るでしょうけど。ただ、一回の詐欺であそこまで慎ましくなるとも思えませんの。ですから、もしかすると何度も被害に遭うような人物だったのかもしれません。だからこそ、破産のきっかけになった出資詐欺にも目を付けられたとも……」

「そういえば、八万金貨を超えるほどの巨額詐欺だったという話だ」

 いま思い出した、といった調子でツクモはさりげなく自分の調べてきたことを口にのぼらせる。

 どこで調べたのか、とレディが訊くことはなかった。

「八万!」

 短く叫んで目を見開く。

「監獄の詐欺師の数字と同じですわ! 〈科学卿〉の会社が受けた出資額と!」

「『〈魔法卿〉は〈科学卿〉を疑っている』たしか、そう書いてあったよな?」

 メドウズ伯の館で隠し部屋を見つけたとき、いちばん初めに読んだ覚え書きだ。ツクモの慎重な問いに、「あったねー」とポーチェがのんびりと返答。

「つまりー、メドウズ伯から騙し取ったお金を海の向こうの会社を通して出資という形で流して、自分の貿易会社を持った。そういうことじゃないかなー」

「その関係性に気づいたのが、〈魔法使いの島〉で偶然、話を耳にした〈魔法卿〉!」

 レディが声を上擦らせる。

「監獄の詐欺師の話ですと〈科学卿〉という方は〈魔術師〉たちに嫌われているようでした。しかもそれを耳にしたのが〈魔法卿〉と呼ばれているほどならば、宿敵を潰す絶好の機会だと、さらに詳しく調査する可能性はあるのではないでしょうか?」

「だろうねー」

 相変わらず振り向きもしないポーチェの合いの手だが、その口調には全面同意の響きがあった。

「ですが〈魔法卿〉は……なんと言ったらいいのか――」

間抜け(フーリッシュ)

「そう。フーリッ……いや、その」

 容赦ないポーチェの評に、レディが慌てて言葉を選ぶ。

「ええと、そう。ちょっと迂闊というか詰めが甘い人と言うか……だからこそ、わたくしたちも生き延びてるわけですし」

「街道でやりあってから〈魔人〉も現れないな」

 ツクモは呟く。たしかに詰めが甘い――自分なら完全に始末をつけさせる。

「そのような人が密かに調査しようとして、隠し通せるとは思えませんわ。〈科学卿〉はすぐに気づいたのではないでしょうか。そして東洋貿易の伝手を利用し、殺し屋を――」

 いよいよ勢いづいてきたところで、レディがはっと口を噤む。碧眼――見つめられ、ツクモは首を振る――気にするな――頷く――その通りだ。

「やっと俺まで話が繋がった」

「そ、そうですわね――」

 レディが狭い部屋を落ち着きなく行きつ戻りつしはじめる。

「ですが……〈賢者の石〉が貴重な物であるとか、〈魔人〉を使って消え残し? の、わたくしたちの口を封じたいということは理解できますけど、万博に出展する意図がわかりません」

「ちらしー」

 ポーチェの指摘に、細く白い指を立てる。

「公開実演のことなら、わたくしの記憶力でも覚えています。わからないのは急に展示を変更して客寄せするぐらいなら、『どうして初めから出展しておかなかったのか』ということです。そもそも目玉展示として予定にあったのなら、わたくしたちを追ってでも鍵を取り返す意味も理解できるのですが……」

 部屋を歩き回っていたレディの足が止まる。ポーチェの言葉――「〈呪式〉が組み上がったから」――に反応して。

「組み上がった?」

「〈呪式〉はその〈魔術〉の発動、制御、終止を記した計算式みたいなものでー、それが完成したって意味だよー」

「完成……?」

 レディがわずかに首を傾げた――現実の直視を拒んだというほうが正確かもしれない。ツクモでさえ、一瞬、他の答えを探ろうとした。が、手持ちの(カード)から導かれるものはひとつ。

「監獄の囚人消失だな?」

「そー」

 ポーチェの口調は変わらない。

「公開実演するほどの発見なのか?」

「もちろん画期的だよー」

 即答。ポーチェが振り返る。

 なんてぇ顔してやがる――。

 窓辺の少女の口元に薄く宿った恍惚の微笑を見て、ツクモは臨戦態勢をとろうとする体を辛うじてねじ伏せた。横目で窺ったレディが、明らかに白皙を引きつらせ、両手を――思わず、だろう――きつく組み合わせている。

 二人の一種の畏れなど欠片も頓着せず、少女が滔々と語る。

「物を消す、人を消す、そういう〈魔術〉は昔からあったけど、条件が厳しいの。対象を〈魔法陣〉の中に固定するとか、大きかったり多かったりすると〈魔法陣〉と〈魔力〉の消費が莫大なものになるとか。でも、あの〈魔術〉は違う。任意――この場合は人ね――の対象を識別して、消し去ることができる。それも広範囲で」

「たしかに、シスルの町では馬車を牽く馬も、野良犬も小鳥もいたな」

 ツクモは応じつつも、むしろポーチェの愉しげな語り口調のほうが気になる。その顔つきをさらに見極めようとした途端、笑みが――喜悦の気配が消えた。窓へと向き直ってしまう。

「そ……そういう〈魔術〉というのは、その……他の〈魔術師〉はわからないものかしら?」

 ほとんど「勇を鼓す」といった調子で、レディが痩せた背に問いかける。

「んー? 新しい〈呪式〉を組み上げたら申告が必要だよー。〈魔術〉って〈魔術師〉で共有するものだから。『魔法使いは儲からない』とか『特権はあるけど、お金はない』って言われるでしょー」

「その申告はどこで?」

「〈王立技術協会〉の管理局だけど、申告はされてないと思うよー。昨日の今日だしー。もし正直に申告してたとしても公告されるまでは秘密だしー。時間かかるみたいだしー。行って調べてもいいけど間に合わないしー」

「万博の開幕式は明日だからな」

 ツクモの独り言に、レディが鋭い視線を向けてくる。

「わかってますわ! ですが、ほんとに公開実演するとしたら人を消すことになります。誰を? また囚人でも連れてくる?」

「それでも大問題の大騒動になるだろうな」

 ツクモは、諸手を広げて自然と詰問口調になっていくレディへ冷静に頷く。

「〈科学卿〉とかじゃない? あ、女王陛下かもー」

 物騒なことを平然と口走ったのは、すでに関心も薄れてしまったらしいポーチェだ。

 レディが枕元へ無造作に抛り出していた万博のチラシを、すがりつく勢いで改めて手に取った。読み上げる。

「〈賢者の石〉特別展示――公開実演――一般入場は二日目から――つまり初日は――」

 言葉が途切れた。

 ツクモは、あえて無言を守る。声をあげて同意を示すまでもない。

〈消失〉――と、仮に呼ぶとしよう――は。

 来賓の前で(・・・・・)実演される。

 そこに対象の人物がいるのか? あるいは、全員――。

「止めなくては!」

 レディがチラシを握りしめて叫び――立ちつくす。ツクモは顔をしかめた。

「どうやって? 〈魔法卿〉が危険なことを企んでいます、と訴えるか? 最悪、今日の大監獄訪問が下見ということになっちまうぞ」

 大監獄という言葉に、レディの頬が引きつる。不潔極まりない有様を思い出したに違いなかった。小刻みに首を横に振っている。

「それじゃあ今夜のうちに、こっそり忍び込むか?」

 ツクモの第二案には心を動かされたらしい――胸元に手を添える――偽造の鍵――辻屋のすり替え……。

 くしゃっ!

 万博のチラシがレディの手の中で潰された。

「それは――」

 静かに、そして長い息をつく。

「三文小説とはいえ、女主人公にふさわしくないと思いません?」

「元〈暗殺者〉風情に、帝国(こっち)のお話の類が分かると思ってるのか?」

「では、騎士たるあなたが守るにふさわしい淑女の姿をお考えになって」

なるほど(あい・しい)

 ツクモは納得する。自分の〈(わざ)〉を利用するのはツクモにとって自然なことなのだが、淑女にふさわしいかと問われれば、辻屋の真似事は否と言うしかなさそうだ。おまけに、唆した自分も騎士にはふさわしくない振る舞いだったということになる。

「そもそも、すり替えをして〈魔術〉が暴走すれば、来賓どころか首都一帯が無人の町になっちまうな」

「それ以前に、〈賢者の石〉のような貴重品、前日から置いたりはしませんわ」

「ごもっとも」

 もし置いたとしても、警戒、警備には念を入れるだろう。なにしろ、一度、すり替えられているのだから。

「他に……他になにか……」

 レディが目を伏せる。白い眉間に皺。

「〈魔法卿〉が危険人物だと皆に知らせて、そのうえで阻止する方法は……?」

「んー。式に紛れ込んで、直接潰しちゃうのが手っ取り早いと思うなー」

 ポーチェが顔に似合わず過激な提案――ツクモは同意も否定もしなかった。じっとレディの様子を見つめる。結い上げていた金髪が一房、みずからの撓みに耐えられず、音もなく垂れた。

「そうね……」

 レディが顔をあげる――微笑。

「いまだに甘い考えを捨て切れていないようですわ。皆に知らせる? そして〈魔法卿〉を捕まえてもらって、自分は安全な場所へ? それは、違う」

 碧眼がツクモを見つめ返した――覚悟。

「決着をつけないと。いつまで経っても終わらないままになります」

「刺し違えることになってもか?」

「あら? 騎士様が守ってくださるのではなくて?」

 おどけた口調だが、目元の緊張は解けきっていない――ツクモは――合わせた。そのために、わざわざねぐら(・・・)を処分してきたのだから。

「ああ、守り甲斐がありそうだ。ついでに賞金稼ぎの似非詩人にも手伝わせてやれ――気にするな。どのみち付いてくる。使わなけりゃ損だろ」

「明日は万博だー」

 ポーチェが諸手をあげた。いつもの緊張と抑揚に欠けた口調――しかも振り返らず――だったが、彼女なりに高揚しているらしい。

「待って。あなたは連れていけない――」

 レディの語尾がすぼむ。ポーチェを一人残しておくのは、かえって危険。なにより、彼女以上に〈魔術〉に対抗できそうな者がいないのは明白だ。

「一蓮托生だな」

「イチレン……?」

「イチレンタクショウ。善し悪し関係なく命運を共にするってことだ。俺の国の言葉だよ」

 説明に眉を顰めたレディへ、ツクモは少女の痩せた背を見やる。

ポーチェ(こいつ)のことだ。最悪どうなるか分かってるだろうさ。連れてってやれよ」

「やれよー」

 ポーチェの口真似に、レディが小さく噴き出して頷く。

「ええ、わかりました。明日は遠慮なくその知恵をお借りします」

 ふと、ツクモは首を捻った――出会ったころからの疑問を口にする。

「お前の、その〈魔術〉の知識と才能は、いったいどこから涌いて出てくるんだ。シスルの町で燃えた本か?」

「少しはー」

「少し、ということは、やっぱりほとんどは元から持ってたことになるのか?」

「そうかもねー」

 ポーチェが自分の後頭部の辺りをくるくると指さして言う。

「このへんからねー、じわーって出てくるよー」

 んふ。

 鼻から洩れた息。笑ったのだろうか――背後のツクモとレディには確認できない。

「どんどん出てくるし、どんどん入ってくる。面白いねー」

 愉しくてしかたない、という様子だ。〈魔術〉と間近に接することができる。その歓びが心の底から溢れている。しかも、子供らしい無垢で無邪気な好奇心とは違う。長い渇きを貪り癒す、砂漠で水を見つけた人に近い。

「もしかして、わたくし、乗せられたのでしょうか?」

 レディが口元を隠し、ツクモへ囁く。そう考えるのも無理はない、と頷いてしまいそうだった。

「さあな」

 ツクモは肩を竦める。シスルの町――最初の晩――瓦礫になった塔に行ったことを思い出す。

「ひとつだけ確かなのは、『ヘンな子を助けてしまった』のかもしれないっていうお前の言葉が間違いだってことだ」

「間違い、ですか?」

 訝るレディに、ああ、と首肯。

「どうやら俺たちは『とんでもない子』を助けたのかもしれん」


                      ◆


 安宿の一室――まだ、薄い壁の向こうから酒場の喧噪は聞こえてくる。

 暗い天井を見つめていたツクモは、瞼を閉じた。今日のおさらいはこれぐらいにしておこう。目の疲れは意外と行動の邪魔になる。

 あとは明日だ――。

 こればかりは蓋を開けてみなければわからない。

 朝っぱらから〈教授〉とやり合う必要がなくなったことだけはありがたいな――。

 念のために仕込み(・・・)は必要だが。それは会場に忍び込む前でもできるだろう。

 あとは騎士とやらに専念――。


 ――専念?


 せせら笑い――体の底。粘りのあるあぶく(・・・)の弾け。『沼』の蠢き。


 ――たかだかねぐら(・・・)を処分しただけだというのに?


 ツクモは瞼を震わせるも、開けなかった。あくまで目を休めることを優先――それと、現れることは薄々勘づいていた。

 十分だろ。これで〈暗殺者〉としての痕跡は消えた――。

 場所。道具。図書室の利用証も宿へ戻る途中で破り捨てた。もとより、〈組織〉に暗殺者名簿などといったものは、ない。


 ――痕跡? 〈組織〉は? それに一番の痕はここにしっかり残ってるぞ。体の芯にまで刻み込まれた〈暗殺者(おれ)〉から逃げられるとでも思ってるのか? おめでたい奴だな!


 嘲弄を通り越して、ほとんど憐れみさえ感じさせる――が。

 思っちゃいないさ――。

 ツクモにあっさりと返され、『沼』の蠢動から勢いが削がれた。

〈組織〉は火の粉みたいなものだ。こちらから飛び込むつもりは――レディとポーチェに関わりさえしなければ――ないが、降りかかってくれば容赦なく払う。それは最初から変わっていないはずだ。

 そして俺は『(おまえ)』で、『(おまえ)』は俺だ。逃げられるもんでもないだろ――。

 身をもって教えてくれたのは、碧眼。白皙。金髪――記憶を封じられた女泥棒レディ・パピヨンと、伯爵令嬢アイリス・ヴァレリアン。どちらも偽物ではなく、「女主人公(ヒロイン)らしく振る舞ってみせる」と。

 似たもの同士だな、とツクモは気づく。記憶を解放された九十九(ツクモ)と、〈暗殺者〉の(ハク)。重ね合わせ。この世界そのもの――とまで言ってしまうのはご大層か。


 ――なめられたものだな。そんな考えで飼い慣らせるとでも?


 さあな――。

 ツクモは自分でも驚くほどの穏やかさで、『沼』の挑発を受け流した。

 十七年かけて俺たちはできあがったんだ。一朝一夕でなんとかなるとは思わないさ――。

 そのひと言で、『沼』が沈黙した。弾けていたあぶく(・・・)が失せ、波ひとつ立たなくなる。

 長い付き合いにしようじゃないか――。

 ツクモは微笑を浮かべ、眠りに落ちた。

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