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騎士は清算し:第六日(4)

 再び、首都(メトロ)――ツクモたちが汽車で帰り着いたのは、陽も下り坂の半ばに差しかかろうとしている頃だった。

 ツクモは、独り――レディとポーチェを〈教授〉に任せ、三人を乗せて「大監獄」へ向かった馬車を見送り、自分は徒歩だ。

「用事を思い出した」

 先日の〈教授〉を真似て、できるかぎり深刻ぶらないようレディに告げたのは、まもなく汽車が首都(メトロ)に着こうかというころだった。

「片づけておきたいことがある」

「それは……一人でなければいけませんの?」

 至極もっともな問いに、ツクモは静かに頷く。

「俺を騎士として扱いたいなら、そうさせてくれ」

「安心したまえ。私が責任をもって彼女たちのお供をしよう」

 レディより先に了承したのは、〈教授〉だった。それに――と、髭を撫でつつ宙を見つめる。

「別離を運命づけられた若い男女……ふむ。古典的ではあるが、実に詩的でもある」

「まあ、ご大層な……それに、なにか勘違いしておられませんこと?」

 さっそく呻吟しかねない口ぶりに、レディが釘を刺す。しかし、ツクモが単独行動したがる理由を食い下がってまで追及しようという気は削がれたらしい。

「騎士として、と仰るなら止められませんわ」

 不承不承といった顔つきながらも頷いたレディの様子に、さっきのは〈教授〉の「助け船」だったのだろうか、とツクモは思う。飄然と座席に腰掛けている長躯を一瞥し、礼を言うべきか迷い――やめた。「礼なら『狩り』をさせろ」と言い出しかねない。そういう男だ。

「さっきの館で――」

 レディに意識を向け直す。

「お前は『いまの自分は守られるのにふさわしいか』と訊いただろ? だから今度は俺の番、とでも思ってくれ」

「あなたが、わたくしを守るのにふさわしいか、と?」

「そう訊けるようになるためには、まだ俺には捨てなきゃならないところがある、ということだな」

「つまり騎士ではない部分を……」

 言いかけたレディが、口を噤む。ツクモにとって騎士ではない部分といえば、〈暗殺者〉のことしかない。やっと、一人で、という理由を飲み込めた表情を浮かべた――が、それでもまだ頷かない。

「ひとつだけ約束を」

「なんだ?」

「無茶は許しません。わたくしは、勿忘草を取ってくれとせがむ女にはなりたくありませんので」

 女のために川岸の花を摘もうとして流されたという間の抜けた男の話だったか――ツクモは故国で読まされた昔話集の断片を思い出す。

 川で溺れるような男と一緒にされるのは不本意だが、言わんとするところは理解できた。

「もちろんだ。〈元締め〉に殴り込みをかけるとか、そういう危険なことをするつもりは俺もない。ただ……昔のまま(・・・・)なら思いつきもしなかったことなんだ。いまの俺だからこそできる。だから、やっておきたい」

 すべて本心からの――そして自分でも思いがけなく必死の――言葉だった。

 レディがようやく首を縦に振る。きりりと口元を引き締め、目線は斜め上――客車内なので天井があるばかりだったが――なにか崇高な理想でも見えているらしい眼差しで。

「わかりました。なすべきことをする者を寛大に送り出すのも、主の務めですわ!」

「だから、俺はお前に仕えたつもりはないと何度言えば――」

 ほとんど定型句になりかけているツクモの反駁を、汽車の制動音が封じ、笑いを堪える〈教授〉が肩を震わせ、睡魔と戯れていたポーチェが顔をあげ、少女の唇の端に垂れた涎をレディが拭い――首都(メトロ)に到着したのだ。

 メドウズ伯の館への往復に使った首都南西間鉄道(MSWL)の発着駅は、首都(メトロ)の西側――黒河がちょうど大きく蛇行したあたりの南岸にある。橋を北へ渡れば、「大監獄」はすぐだった。さらに北へ行けば、昨日ツクモの忍び込んだ〈組織〉の〈(たな)〉がある街区だ。そこから西へ行けば万博の会場、ということになる。

 独りになったツクモの歩いていく方角は、東――黒河に沿って、宿のある東端地区へと近づきつつある。

 首都橋(メトロ・ブリッジ)が見えてくるころになると、河岸に、みすぼらしい格好の子供たちが増えてきた。洗うという習慣すら持ち合わせていない埃まみれの顔、汚れで固まった上着、穴からろくに爪も切っていない指が覗く靴――ポーチェと同じぐらいの歳だろうか。なにをするでもなく堤防や桟橋に腰掛け、足をぶらつかせ、近頃増えてきた小型蒸気船が煙を吐き出しながら行き来するのを眺めている。ひと働きを終えた泥ひばり――干潮で河の水が少なくなったときに、泥の底に落ちた金属や硬貨を拾う――に違いない。

 黒河南岸は、東端地区に負けず劣らずの陋巷だ。

 地方や外国から流れ着いた者でもとくに弱く貧しい層が住みついており、陰気な湿っぽさが淀んでいる。

 辻を南へ――河岸を離れ、陋巷の奥へと入っていく。

 大小、長短、無計画に入り組んだ街路は汚物と異臭にまみれ、そこを子供が素足で歩き、酔っ払いが階段を背もたれにいびきをかき、隅でうずくまる老人に蝿がたかる。男たちは囚人よりみすぼらしく、女たちはそれより幾分かまし(・・)という程度だった。咳き込み、呻き、節々の痛みに我が身を抱きかかえ、足を引きずり、町並み全体が倦み疲れている。

 帽子を目深にかぶり、ツクモは路地から路地へと歩き渡った――監視、尾行はなし。

 ほどなくして辿り着いたのは、裏町にしてはまともな高床住宅の並ぶ街区だった。その部屋のほとんどは、女たちが「商売」のために借りているものだ。そのため、ここを訪れる男たちは互いに目を合わせようとしない。もし見知った者に運悪く出くわしても、素知らぬふりをするのが「嗜み」だった。ゆえにツクモには、おあつらえむき、となる。

 並ぶ扉のひとつを敲戸(ノック)――開けたのは、肥えた中年の女家主。元娼婦なのだろう。気怠い目つきでツクモを見ると、鼻を鳴らして招き入れる。

「久しぶりだね。南洋帰りかい?」

「そんなところだ」

 ツクモは素っ気なく応えて、中年女に一瞥もくれず階段に足をかけた。

「火種をくれ」

「自分で取りにおいでよ」

「急いでる」

 ぶっきらぼうに言うと、さっさと上っていく。背後から、ぶつぶつと文句をこぼしながらも炭入れを用意する音が聞こえてきた。

 貸部屋は上に行けば行くほど――階段を多く上らねばならないほど――家賃が安い。そのなかでも、屋根裏部屋はひときわ安かった。

 ツクモは無造作な足取りで――足跡や気配の確認は怠らなかったが――屋根裏まで辿り着き、扉の封蝋が崩れていないのを見ると、中へ入る。

 まず、室内の大半を占めている寝台――木を組んだものに板を渡し、毛布を置いただけの骸骨――が目に入った。隅に革鞄。椅子のない小さな机――のみ。暖炉はもちろん、ストーブさえない。

 増えたのは、うっすらと降り積もった埃のみ――誰の侵入も許していなかったことを、物静かに告げている。

 家具と同じく小ぶりな天窓から、汚れに曇ったガラスが午後の陽光を淡く曖昧なものにさせ、簡素な室内をいっそう冷ややかに見せていた。

 ほんの一瞬。ツクモは戸口で立ち竦んだ。生活感というものからほど遠い有様に、初めて気づいたのだ。そこに、自分の面影すら読み取れなかった。

 俺は、こんなところで寝起きしていたのか――。

 日々の生活をしていたはずの場所がこれほど味気ない有様とは今まで気づきもしなかった。この付近に建つ債務者監獄のほうが、よっぽど暖かみがあるだろう。

「引っ越しが楽そうですわ」

 レディなら、そんなことを言いそうだ。「悪くない部屋ですわね」とも言うかもしれない。部屋の中央で腰に手を当て、裾を翻してぐるりと見回し――口調も仕草も、温室で見た〈幻術〉より鮮明に思い描いたところで、ツクモは軽く頭を振る。

「見せてどうする?」

 貴族出身のお嬢様に、孤児(みなしご)あがりの暗殺者風情の部屋を――呟きは自問というより嘲笑。

「こんな質素な部屋で、よくぞいままで頑張りましたねと慰めのお言葉でも頂戴したいか?」

 違う。

 俺は「片づけ」に来たんだ――。

 昨日レディにも説明したが、〈組織〉は〈犬〉たちの住処を知らない。万が一〈元締め〉が押さえられた場合、芋づる式に捕らえられ壊滅するのを防ぐために。

 この屋根裏部屋を知るのはツクモのみ――誰も知らないねぐらだ。

 だからこそ。

 ここは、逃げ込むにもうってつけだった――〈封〉が解け、〈暗殺者〉であることをやめようとしているいま、その存在は甘美な誘惑にひとしい。

 いざとなれば、ここへ逃げ帰ってくればいい――そんな考えが、いつ降って湧くともかぎらないのだ。自分一人なら、それもいいだろう。気の済むまで毛布を頭からかぶって寝台に潜り込んでおればいい。

 しかし、〈騎士〉になると決めた。

 それも、疑いなくみずからを恃むポーチェや、迷いを振り切ってみせたレディを守る〈騎士〉だ。一人だけ逃げ場を抱えた半端な覚悟で全うできるとは思えない。

 ここは、もう――。

「俺には必要ない」

 静かに宣言――行動を再開。

 鞄に収めていた服に着替える――この地区へ訪れた「客」の装い――東洋貿易の会社で働く若者の風情。脱いだ服は鞄へ押し込む。

 次に寝台の枕元。板をずらせば、武器だ。拳銃、予備の弾、小刀、投げ剣、含み針。隅の茶色い小瓶と紙包みは毒物。自分の決めた所定の位置に揃っている――ここでも、侵入者のなかったことが分かる。これらすべてを鞄へ。

 隅に、投げ紐――〈教授〉が使ったものと、ほぼ同じ形状――もあった。これは上着のポケットへねじ込む。

 次に机の前へ立った。

 唯一の抽斗をあけ――空――底板を外す――二重底――薄い隙間に紙の束。偽造の身分証――有料道路(ターンパイク)の通行許可証、王立取引所の入場証……紙束を手繰る指が、ふと、止まる。

 そうか。首都(めとろ)でも調べられないわけじゃない――。

 目を落としていたのは、帝国博物館付属図書室の年間利用証――敲戸(ノック)。続けて家主の声。頼んでいた火種を持ってきたらしい。

 ツクモは利用証を上着のポケットへねじ込み、同時に片手で他の紙束を折りたたみ、さらに爪先で開きっぱなしの鞄を蹴り。閉じる。

「どうぞ」

 言うが早いか、炭入れを提げた女家主が扉を開けた。

「なんだい」

 部屋の中央で佇むツクモを見るなり、呆れる。

「また外出かい?」

 着替えた姿で、そう判断したのだろう。

「ああ……」

 おざなりに返事をすると、炭入れを受け取り、そのまま赤く熾った炭の上へ紙を一枚ずつくべていく。炎があがり、見つめるツクモの顔を熱気が炙る。灰となった紙片が舞う。

「ちょっと。火の始末はしっかりしとくれよ」

 女家主の小言に、まだ仄かに赤みを保つ数片を無表情に手で握りつぶす。それから、ようやくツクモは眉を寄せた。扉に寄りかかり、腕組みをしている女家主を見やる。出て行く気配がない。

「なにか用か?」

「用ってほどじゃないけどね。あたしも、これまで色んな人間を見てきて『匂い』みたいなのが分かるのさ」

「匂い」という言葉に、レディに出会ったばかりのときを思い出しつつ、ツクモは無言で最後の一枚を焼き尽くす。

「あんた。もう帰ってこない、って匂いがするよ」

「いい鼻だ」

 あっさりとした肯定に、女家主が肩をすくめる。

「残念だねえ。家賃を滞納したことは一度もないし、揉め事を起こした『客』をあしらったりしてくれたから、この家は商売がしやすいって評判が良かったんだけどさ」

「そうだったのか?」

 ツクモは少しばかり目を見開いた。初耳だ。たしかに、乱暴だったり泥酔して聞き分けのない「客」を、頼まれて何度か叩き出したことがある。〈封〉がされていた頃なので、正義感といったものではない。騒ぎが大きくなって警察を呼ばれたくない、という判断だった。

「そうだよ。紹介して欲しいって話もあるんだから」

 女家主の口ぶりに、お世辞の響きはない。本当なのだろう。

「裏町の騎士ってところだね」

 実際は用心棒というのが正確だろうが、さすがに人の心をくすぐる手管に長けている。

「悪くない渾名だが――」

 ツクモは唇の端を苦笑に歪めた。

「いまは、別の騎士物語の途中でね」

 その言葉に、今度は女家主が驚きに目を見開く。まじまじと見つめ、ぽつりと洩らした。

「あんた……まるで、人が変わったようだね」

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