蝶は前へ飛び:第六日(3)
ポーチェが見つけたのは隠し部屋だった――壁際に並ぶ棚。中央の小さな卓。部屋の隅に裏向きで立てかけてあるのは、枠の装飾から絵だろう――外の白壁に掛かっていたものかもしれない――とツクモは推察。
そして、無数の紙片。
小さな卓一杯に並べられ、棚板にも押しピンでずらりと留められている――ポーチェが言うところの「使った形跡」だ。
「覚え書きのようだな」
ツクモは、棚板の紙片に顔を寄せた――筆跡から見て女か。
「『〈魔法卿〉は〈科学卿〉を疑っている。これを利用できないか』と。『3・10』ってのは……? ああ、三月の十日という意味か?」
左右の紙片と見比べながら、ざっと紙片の内容を追っていく。部屋の出入り口で佇んでいた〈教授〉が、その広い肩を竦めた。
「ここは手燭が置いてないようだな」
「老眼なら無理しなくてもいいぞ」
「これは驚いた。君にも冗談が言えるのか」
「冗談に聞こえたか? じゃあ耳も診てもらったほうがいいかもな」
応酬に、レディが隠し部屋発見の感慨も失せた顔つきでポーチェへ問いかける。
「前に見せてくれた光の玉の魔法、もう一度できないかしら? この二人が、取っ組み合いで部屋の中身を引っかき回す前に」
「んー?」
卓上の紙片を、薄暗さもお構いなく読みふけっていた赤毛の少女が、低い天井を見上げた。
「じゃあ、『光あれ』とか言うといいと思うよー」
「わたくしが? ずいぶん慎ましい創造主ですこと」
レディが苦笑しつつも、扉の件もあるせいか今度はすんなり従う。
「ええと……光あれ」
遠慮がちに呟いた途端、天――小部屋の天井――が淡く輝きを宿した。蝋燭やガス灯とは違う。炎が揺らぎ不安定になることもなく、均一に全体を照らす。
「灯りましたわ……」
「ふむ。創造主かどうかはともかく、君がこの部屋の主であることは間違いなさそうだ」
「そんな……」
〈教授〉の言葉を信じられず――いや、認めることに一抹の不安を抱いているレディへ、ツクモは叱咤の代わりに、先ほどより左側の紙片を読む。
「12・11――去年だろうな――『リグラ準子爵より。鍵は〈魔法卿〉の可能性が高い』と。そう何人も〈魔法卿〉の鍵に関心を示すやつが存在するか?」
「この館に定期的に訪れていたのはレディだよー。メドウズ伯の……少なくとも身内の人だと思うー」
「娘だと思うね。それも一人娘だ」
ポーチェの推測を〈教授〉が援護。断言を訝るレディへ額装の絵を掲げた。部屋の隅で、裏返しに立てかけられていたものだ。
「この小部屋に入る仕掛けを、隠すものだったのかもしれないな」
ツクモは白壁についていた痕跡を思い出しながら付け加える。
「これ……」
一目見るなり、レディが言葉を失った。
家族――この館に住んでいたであろう一家――の肖像画だ。
右に立つ細面の紳士。傍らに若々しい婦人。二人に挟まれ、椅子に腰掛けるのは金髪の少女――いまのポーチェより、さらに二歳ほど幼く見える――手には、あの鍵。
「メドウズ伯エルネスト・ヴァレリアン。その妻デイジー。その娘――私たちの宝――アイリス」
〈教授〉が読み上げる。裏板に書かれているらしい。
「アイリス……ヴァレリアン……」
レディが呟く。
どうだ――?
ツクモは――ポーチェや〈教授〉も同様だったが――じっと息を詰めてレディの表情を窺う。しかし浮かんだのは、困惑のみ。
「なにも……やっぱりなにも思い出せません」
レディが大きく息をつき、諦念まじりに首をふった。
「もしかして期待を裏切ってしまったかしら?」
「そう簡単に、万事解決するとは思っちゃいない」
ツクモの本心からの言葉に、レディが微笑する。それから、すでに卓上へ意識を戻してしまっているポーチェへ。
「それで、どこまでがあなたの読み通り?」
「レディがメドウズ伯の娘ってところまでかなー」
いとも呆気なく、赤毛の少女が本音をさらけ出す。卓上の紙片から目も離さない――自分の読み通りになったことなど、すでに興味はないのだ。
「昨日の夜にも言ったでしょ」
口調が変化――ついさっき隠し扉を見つけたときと同じ。
「〈賢者の石〉は秘宝だよ。欲しがるとすれば、その石の価値を知る〈魔術師〉ぐらい。でも、レディに〈魔術〉の素養はない。能力もない。欠片もない」
身も蓋もない物言いに、レディが小さく首を竦める。
「なのにレディは手に入れようとした。足が付きやすいのも承知で。仮に〈賢者の石〉だと知らなかったとしたら? やっぱり疑問。だって、ただの泥棒――辻屋だっけ? ともかく、あんな見た目が地味な鍵、盗む価値はないと思うはず。なのになのに、レディは手に入れようとした。なぜ? その価値以上のことがあるから。それってなに? そういえば故買屋のお爺さんが言ってた。『取り戻した』って。やっぱり、その言葉が出てきたのはレディが元は自分の物だって主張したから――ちょっと口が滑っちゃっただけかもしれないけど――とにかく、そうあたしは仮定していた。そしたらチラシを見たの。それで、ああ伯爵ゆかりの人なら――もし望まない形で手放すことになったのならなおさら――取り戻したい、って思うかもしれないって」
「ということは、〈魔法卿〉がメドウズ伯から〈賢者の石〉を巻き上げた? ……いや、しかし……だとしたら、あんなに堂々と万博の告知はしないはずだな」
「だよねー。んーと、〈魔法卿〉は正当な手段で手に入れたんだと思うけどなー。もう少し、この紙の内容を整理しないとー」
ツクモの自問自答に、ポーチェが茫洋とした目つきで部屋の紙片を見渡す。そこへ、咳払いがひとつ。
「僭越ながら、私も指摘しておきたいことがある」
〈教授〉だ。指を立てる。
「東端地区のことなんだがね。君は泥棒であることを仄めかしながら、あそこで一度も顔見知りらしい輩から声をかけられなかった。『首都の事件は真っ先に東端地区の者を疑え』とまで言われるのに、裏稼業の人間が、あそこに馴染みがない。私がお供していたことを考慮しても、目配せひとつないのはかなり貴重な部類だ。なぜか?」
考えられることは二つ――立てていた指が一本増える。
「ひとつは、泥棒としての縄張りが首都にない。もうひとつは、泥棒が本業というわけではない。私は、前者だと思っていたのだが、ここへ来て分かった。君は二つの条件とも満たしていたようだね。上流階級の連中――失敬――紳士淑女方は、普段は地方住まいだ。その金持ちを片っ端から狙うわけでなく、お父上の形見の品を偽物とすり替えて立ち去ることを目的としていた。ここの覚え書きと併せて推察するに、そんなところだったんじゃないだろうか」
ぐるりと小部屋を見回す〈教授〉に、ツクモは同意を示しつつも疑問を口にした。
「しかし『仕事』の成果が見当たらないのは、どうしてだ? どこか別の部屋を借りて保管しているのか……」
「んー。そうじゃなくて、処分しちゃってるんじゃないかなー」
ポーチェが卓上の紙片を、ひとつ摘んだ。読み上げる。
「『目標達成。名残惜しいけど、モノは始末をつけること。明日からは本命。大丈夫。アイリス。あなたならできる』だって。五月。きっと去年の今頃。それまでの仕事は予行練習のつもりだったのかなー」
「ふむ。何度か仕事を成功させることで、故買屋たちの信用を得ることも兼ねていたのだろう。裏稼業の連中というのは、あれはあれで用心深く慎重なのでね」
三人の会話を聞いていたレディが、ため息をついた。
「それで失敗して地下牢に放り込まれたとすれば、目も当てられませんわ」
盗みは死刑。良くて流刑の重罪だ。命がけで予行練習までしていたことが、まったく役立たなかったことになる。
「いま話していたことがすべて正しいとして、伯爵――父かもしれない人は亡くなってるようですが、その夫人は――母はどうしているのでしょう? 存命? やはり故人? もし一人でわたくしの帰りを待っているのだとしたら……」
もう連絡をとることさえ難しいだろう、というのが明白だ。
ぎりっ――レディの奥歯が鳴る。微かな音だったが、ツクモは聞き逃さない。白い横顔から血の気が失せ、青白くさえ見えた。言葉をかけようと思いめぐらせるが、相変わらず陳腐なものしか浮かばない。
うんざりしているところへ、咳払い――〈教授〉だ。口を挟んだときと違い、今度は重くなりかけた空気を払うため。
「最後にひとつだけ訊いておきたいのだが。偽造品の鍵の受け取りを東端地区に決めたのは、誰だったかね?」
問いに、レディが絶句した――凝視。そろそろ卓上の紙片すべてを読み終えようとしている、ポーチェを。
「東端地区へ行かせることで、周囲の反応まで見るつもりだったのか」
ツクモは驚愕を通り越し、ただ感心する――どこまで見通していたのか。この少女は。〈教授〉が「僭越ながら」と前置きして語ったのは、職業柄、ポーチェの先見に気づいたからだと納得もする。
「ここへ来るまでに、記憶を戻してあげられたらよかったんだけどー」
やっと、ポーチェが顔をあげた。どうやら卓上の紙片すべてに目を通し終えたらしい。
「ごめんねー」
「いいえ……あなたが謝ることではありませんわ」
申し訳なさが塵ほども感じられない表情のポーチェへ、レディが真剣な顔つきで首をふる。それから微笑んだ。
「あなたは信じているのね。自分なら記憶を蘇らせることが可能だって」
「うん。そうだよー」
即答――一片の疑いもなく。むしろ、なにをいまさら、といった顔つきにも見える。考えてみれば初めからそうだ、とツクモは気づく。常に、降りかかった災難と謎を取り除くべく動いていた。ただそれが少々突飛なのと――自分の境遇を知ろうとするレディと違い、〈魔術〉への興味という、ほとんどその一点に集中しているだけで。
いまも、いつもの茫洋とした眼差しは影をひそめていた。
「でも、記憶を刺激する方法はダメみたいー。やっぱり〈魔術〉的なことが大きいんだよー。もっともっと〈魔術〉を知らないとー」
両拳をぶんぶんと上下に振って、興奮気味に語る。たとえ謎が解けなくとも、この赤毛の少女にしてみれば、より〈魔術〉の奥深さを堪能したことになるらしい。
「そのようですわね」
レディが穏やかに答えつつ、凛然と背筋を伸ばす。
「わたくし、また迷うところでしたわ」
顔つきだけでなく、まとう気配までが一変――ほう、と〈教授〉が小さく感嘆の声をあげた。さらに囁きを付け加える。
「我らが姫君は、思いのほか逞しい」
「そいつは二つ間違ってるな」
ツクモは傍らの〈教授〉を横目で仰ぎ、ぼそりと告げた。
「まず、昨日も言ったと思うが俺はあいつに仕えたつもりはない」
百遍でも否定する口調だが、そこに棘はない。薄く笑みまで浮かべていた。
「それから、逞しいだって? あいつはな、出会ったときから――」
ふてぶてしい。
「――そうでなければ、伯爵の娘が泥棒なんぞに手を染めたりしない。〈暗殺者〉だと打ち明けた初対面の東洋人に『騎士になれ』なんて命じたりしない」
「ふむ。不本意だが、君のほうが的確だな」
「お二人は、なにをこそこそ話していらっしゃるの?」
レディが、生徒の悪戯を見つけた教師の目で見つめる。
「騎士としての心構えを」
平然と答える〈教授〉の隣で、ツクモはぎこちなく頷く――もちろん、レディが信じたとは思えないが。ここで重ねて問い質せば、〈教授〉のとりとめもない会話に巻き込まれると思ったのだろう。ポーチェへと向き直った。
「記憶を取り戻す機会は、またいずれ訪れますわ。それに、ここのすべてはアイリス・ヴァレリアンの記憶。わたくしはいま、レディ・パピヨンを生きています」
胸元へ下げている鍵のペンダントを、服の上から触れる。
「では、アイリス・ヴァレリアンから見たら、この鍵同様にわたくしは偽物?」
「否だ」
ツクモは真っ先に答える。〈教授〉が賛同を示し、ポーチェが「のー」と爪先立ちながらつづく。
弾みがついた様子で、レディが諸手を広げた。
「裕福で幸せなお嬢様だった過去。零落して泥棒稼業に手を染めている現在。亡き父の形見か、ヴァレリアン一族の家宝か。〈賢者の石〉を宿す鍵のペンダントを巡って、〈魔人〉や〈魔術師〉たちとの手に汗握る攻防戦!」
ふふっ、と笑いをこぼす。
「まるで三文小説の女主人公ね」
自嘲ではなかった。顎をあげる。胸をそらす。
「上等!」
両手を腰へ。
「ならば、とことん女主人公らしく振る舞って見せますわ!」
宣言――さらに、ツクモへ不敵に微笑んでみせる。
「いまのわたくしは、あなたが守るにふさわしくて?」
「悪くない……と言えばいいのか? こういうときは」
ツクモは精一杯に帝国流の言い回しをしつつも、その言葉が自分に返ってくるのを感じていた。
レディを守るのに本当にふさわしいのか? 俺は――。
「悪くない」と言われるのに、ふさわしいのだろうか。そんな心の裡を知るよしもなく、レディが「まあ、いいでしょう」と譲歩たっぷりに頷く。
「私も臨時雇いながら騎士のつもりだったのだが――」
遣り取りに、〈教授〉が下手な演技で無念さを表現した。
「二人の忠実な使用人ぐらいの役だという気がしてきたよ」
「そのほうがいいと思うなー。騎士にしても老けすぎだからー」
からかうつもりがポーチェに正面からばっさり評されてしまい、さらに嘆きの三文芝居を披露するはめになる。
レディが、ひとつ手を打った――さあ、この話はもうおしまい。
「第二幕――あるいは第二章――ともかく次へ進む前に片づけましょう。これを」
机と棚に留められた覚え書きの群れを示した。それから、部屋の奥に立てかけた肖像画へ淑女の礼。
「わたくし、そろそろ失礼いたします」
部屋を出るときも、振り返らなかった――高らかな宣言がツクモへ。
「さあ、次へ参りましょう! 『大監獄』がお待ちかねですわ!」




