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伯爵の館へと:第六日(1)

 蒸気機関車が朝靄を裂き、生じた空隙へみずからの吐き出す煙を注ぎ足しながら進んでいった。

 やがて白い面紗(ヴェール)は淡く消え去り、たなびく煙と客車を牽く雄々しい――汽車の名はメアリーだが――響きが野を越えていく。

 首都(メトロ)から南西部一帯に路線を持つ、名称もそのまま首都南西間鉄道(MSWL)だ。

 この数日の風雨に曝されつづけ、くすんだ銀の翼をひろげた梟は、斜めに汽車を見下ろしながら規則正しいはばたきで飛んでいた。

 ガラスの瞳は漫然と車体を映しているが、その焦点は――中心が焦点とすれば――常にひとつの客車に絞られている。

 金髪の若い娘。その話し相手をしているらしい年嵩の男。帽子を目元まで下ろして眠る東洋人。車窓からの景色を、まだ靄に覆われていたときから、飽くことなく眺めつづけている赤毛の少女。

 梟は、汽車が町を抜け、鉄橋を渡り、丘をよじ登り、森をかすめ、平原をひた走っても付き従う。

 駅や炭水補給で停車したときには手近な梢に降りたが、発車と同時に空へ戻る。生気のない見かけにふさわしく、どれほどの長距離を飛んでも疲れはないようだ。

 やがて汽車が、平原のただ中にある駅へ停まった。周辺に、こぢんまりと建物が身を寄せ合った町があるばかりの、片田舎の用例として辞典に載せても良い典型的な風景。

 そこで娘と少女と東洋人と男が下車すると、すぐに駅前で一台の無蓋馬車を借り出した。東洋人が馭者台に腰掛けて手綱をとり、馬車を走らせる。

 萌えだした緑香を濃密に含んだ風が吹く。首都のくすんだ空気から逃れた解放感からか、金髪の娘の日傘もおざなりになりがちだ。

 少女が一度だけ周囲を――空も――見回したあと、腕をクッションにして馬車の縁へ顎を乗せ、ぼんやりとしている。未舗装の道で、ぽんぽんと頭が跳ね、小ぶりの帽子からこぼれた赤毛も一緒に乱れ踊るが、とくに気にしていない。

 慎ましい町並みを離れ、まばらな小屋と牛、伸びる柵と道、小さくさざ波を立てた平原ばかりとなったところで、銀梟は大きく後方へ距離をとった。

 遮るものはなく、見失うほど複雑な道もなく、汽車よりも遅い馬車には置いて行かれることもない。

 なにより、この先にあるものはひとつだ。

 いちはやく、銀梟のガラス玉に映る。

 長い石壁に囲まれた――館。


                      ◆◆◆


 故メドウズ伯エルネスト・ヴァレリアンの館――厳重に閉ざされた門扉飾りの隙間から覗き見たレディの第一声は、「小さい……」だった。

「伯爵の館にしては、という意味ですが……」

 日傘を傾け、しばし佇んでから付け加えたが、まだ驚きの余韻がある。

 ツクモから見れば門扉だけでも十分に大きく、故国の〈オヤシキ〉が小屋掛けに見えるほどだ。だが思い返してみれば、市民消失の町シスル――崩れてしまった塔も含む土地を有していたキルシウム伯の敷地は、「城」と「お狩り場」を合わせたほどの広大さだった。あれが「伯爵」とやらの本来の姿なのだろう。

「放置記録更新中でしてね――」

 そう語ったのは貸し馬車屋の主――駅前で馬車を借り、ツクモが行き先を告げたときだ。

「もう七年……八年ほど経ちますかねえ。とうとう近頃じゃ幽霊が出るって話まで。はい」

 いまの所有者――相続人――は他に館を持っていて、見に来たのも一度きりだという。頼まれもしないのに説明する口調、不躾にレディへ注いでいた視線――良くも悪くも田舎の風情。

「いまの所有者が他に館を持っているのなら、強いて住む理由を見い出すのも面倒だろうな」

「放置も仕方ありませんね」

 ツクモの言葉にレディが諦念まじりに呟き、門扉へ白い指先をかけた。施されていたはずの錆止めは効果を失い、植物をあしらった細工が枯れた色を浮かせている。

 その向こう側――前庭は、草が生い茂り、はびこり、緑の楽園をつくって噂話を裏付けていた。石畳の馬車道でさえ、緑が目立つ。爵位に比して、あまりに慎ましい館の壁には蔦が這い、屋根の一部が崩れ落ちている。幾枚か割れた窓ガラスは、館の内部を荒らした不届き者がいることを物語っていた。

 柔らかな遅い午前の陽光に包まれながらも、レディの横顔に暗い翳りが差しかかっているのを見て、ツクモは庭へ目を向け直す。荒れてはいるが、景色としてはむしろのどかなのではないだろうか――とはいっても、つい先日まで〈封〉をされていた人間だ。善し悪しの判別に自信はない。

「どうかしたのか?」

 我ながら味も素っ気もない声をかけてみるのが、精一杯だ。

「いえ……貸し馬車屋が脅かしてた通り、なにか出そうな雰囲気ですわね」

 レディが宙に視線をさまよわせる。言葉を探しあぐねているのだろう。自分でも上手く説明できず、とりあえず手近な理屈をつけてみた、という様子――咄嗟に良い言い回しを見つけられないことがある異国人のツクモには、かえって分かりやすい。そのまま黙ってしまうツクモと違い、とにもかくにも喋ろうとするのはレディらしいが。

「そうかね?」

「そうかなー?」

〈教授〉とポーチェが口を揃えた。

「荒れて寂れてはいるが、のどかなものじゃないか。前世紀の廃墟画家たちが喜びそうだ」

 さらに付け加えた〈教授〉の感想に、ツクモは自分の抱いた印象が間違っていなかったことを――〈教授(こいつ)〉と同じというのは不本意だが――確認。洋杖の握りを指で叩いているのは、ひょっとすると詩想が湧いて韻の数でも考えているのかもしれない。

 と――ポーチェが、ふいに勘繰る目つきになった。

「幽霊……怖い?」

「まさかっ」

 レディが即座に否定――「心外ですわ。小さな子供じゃあるまいし」と鼻で笑い飛ばして――ポーチェの真顔に戸惑いの表情を浮かべる。

本当に(・・・)?」

 重ねてポーチェがレディの様子を窺った。

「恐怖とか怒りとか、そういう強い感情は、ない?」

 そういう意味か――。

 ツクモは納得する。なにしろ記憶が封じられているのだ。以前のレディが極度の幽霊恐怖症だったという可能性だってある――そして、それが記憶を取り戻すきっかけになることも十分に。

「ゆっくり考えたほうが――」

「必要ありませんわ」

 ツクモを制して、レディが首をふった。

「自分の感情のどこを手探りしても見つかりません。わたくしは、幽霊が怖くない」

 そう宣言すると、微笑みながら赤毛の少女を軽く抱きしめた。

「気にしてくれてありがとう。でも、幽霊を怖がってたりしたら泥棒なんてやっていられないと思いますわ」

 わずかに狼狽えた表情を浮かべながらも、ポーチェは、まだ考えを巡らしている目つきだ。

「で、どうするかね?」

〈教授〉が杖の握り(ハンドル)を格子に引っかけ、門扉を揺らしてみせた。鍵と鎖が主張――厳重に閉ざされている。

 レディが再び心外だという素振りで――ただし今度は芝居がかっていたが――問いに応じた。

「もちろん入りますわ。正面から入れなかったぐらいで諦めたら、泥棒にだってなれませんもの」


 敷地をぐるりと半周――もちろん馬車を使って、だ。ツクモと〈教授〉だけなら延々とつづく背の高い石壁を乗り越えることもできたが、肝心のレディが入れなくては意味がない。

 裏手――使用人たちが利用したであろう小さな門があった。鉄枠に木の板を嵌め込んだもの。何度も壊されては修繕し、ついに手の施しようがなくなって放置されたらしい。新旧の板がモザイク模様を作っていた――レディの指先に押され、呆気なく開く。

 蝶番が、ほとんど錆もなく生きて(・・・)いるのを見て、ツクモはレディの先に立った――ここには、人の痕跡がある。ただし、さほど警戒する必要はないのかもしれない、とも頭の隅で感じていた。わざわざ蝶番を手入れする悪党はいないからだ。

 やはり――と言うべきか、緑は荒れ放題だった。かつては通いの庭師が草を刈り、下女が洗濯物の入った籠を抱えて歩き、あるいは料理人が香草を栽培し、執事が館の隅々まで目配りしていたはずだが、その名残さえ見つからない。

「ふむ……」

 ツクモに並んだ〈教授〉が、足元を一瞥――門から曲線を描いて館の裏口へ細い石畳がつづいている。

「さっきの蝶番といい、定期的に人が来ているな」

 口調に推測は含まれていない――ツクモに対し「君も、そう考えているのだろう」という確信の響きだ。

「幽霊の正体かな?」

「さあな」

 愉しげな〈教授〉に、ツクモは素っ気ない――自分の手の内を見せるのは、同時に能力を晒していることにも繋がるからだ。顔を巡らせ周囲を見渡す。腰ほどもある雑草ばかり――ひとまず危険はなさそうだ。待たせていたレディとポーチェを背後に呼ぶ。

 そのあいだ杖で足元を突いていた〈教授〉が、不意に脇の叢へ杖を差し入れた。現れたのは、儚げな小径。

 これには、少なからずツクモも驚きの表情を浮かべた。ろくに探りもせず、いきなり嗅ぎ当てるとは。

「伊達に長年『狩人』を自称してるわけじゃない」

〈教授〉が事も無げに杖を握り直し、発見者の権限とばかりに先頭を切って歩き出す。

 獣道。と、説明されれば信じてしまう頼りなさだが、雑草をかき分け辿ると、寄り道もなく裏口へと着く。誰かが、あえて石畳から外れて――念の入った用心深さで――通っているのだと分かる。

〈教授〉によって無造作に回された裏口のノブは抗うことなく、館内へと誘う口を開けた。

 まず、主に使用人たちが行き来していたと思われる廊下。暗く、狭く、埃っぽく――レディが言葉少なに歩いていく。

 同じだな――。

 ツクモは密かに、その足取りを追っていた。裏町で故買屋や細工師を訪れたときと重なる確かさ――ここを知っている。

 とはいっても、この始末か――。

 どの部屋もドアさえ見当たらない。盗まれたのか、売り出されたのか。正面広間(エントランスホール)へ出ると、二階へと昇る階段柵も取り外されていた。冷え冷えとした床石にごつごつと靴音が鳴り、なまじ虚ろな空間だけに大きく響く。早々に足音を忍ばせることは諦めた。

 玄関扉上部のガラスから射す陽光を背に、〈教授〉が片膝をつく。

「足跡を見るのは『狩り』の基本でね」

 さっきの裏道も石畳の脇に残っている微かな跡を見たのだろう、とツクモは納得する。

 検分する〈教授〉の背後へレディが回った。すぐに顔を曇らせる。

「足跡、わたくしにも見えますわ。ですがこれは――」

「多すぎるな」

〈教授〉が立ち上がると、洋杖をひとつ突く。ため息がわり。

「まるで雑踏だ」

 肩を竦めてみせる。素人のレディが気づいたぐらいだ――相当に踏み荒らされているのだと、まだ確認していないツクモにもわかった。

「なにか手がかりでもあればと思って、汽車まで乗ってはるばる来ましたけど……この有様では」

 レディが小さく首を振りながらこぼす。

「相続人が女王陛下へ返却しなかっただけでも、運が良かったと思わなければいけませんね」

「幽霊館だもんねー」

 虚空を凝視しながらポーチェが言い放ち、レディを苦笑させる。

「そうですわね。でも、外見は立派ですが中身は空っぽ。他に思いつくことといえば館内をひと巡りするぐらいしか――」

 肩を落とし、ふと言葉を切る――見つめるツクモの視線に気づいたのだ。

「ま……まだ、諦めたというわけではありませんのよ」

「そうだろうとも。まさかもう帰りたいなんてことを――しかも手ぶらで――言い出すとか、俺はちっとも考えてないぞ」

 ツクモは、あえて含みたっぷりに応じた――このほうが効果的なのは昨晩学んだ。レディの顔色が覿面に変わる。大仰な身ぶりで胸の前で手を組んだ。

「まあ嬉しい。さすが、わたくしの騎士ですわ」

「お前の騎士になったつもりはないと――」

「幽霊館と言ってましたわね」

 聞く耳を持たず、レディが高い天井を仰ぐ。

「奇妙ですわ。貸し馬車屋は『近頃では幽霊が出るという噂が』と言ったのではありませんでしたか?」

 どうやら頭の回転まで上がるほどに企みは成功したらしい――不本意だが、ツクモは「そうだ」と頷くだけにとどめた。

「館から人がいなくなって七、八年。悪い噂が立つにしては遅すぎる気もしますし、なぜ今頃になって? こんな――こう申し上げては失礼ですが――百年も代わり映えしないような片田舎に、どんなきっかけが?」

「火のないところに煙は立たない、と言うが……ふむ。たしかに火種すらなさそうだ。普通なら」

〈教授〉が思案顔で同意する。

「つまり、誰かが意図的に火を熾した、と?」

「なんでそんなこと――」

 ツクモは言いかけ、広間のあちこちを気儘に歩き回るポーチェの姿を見て思い当たる。

 幽霊、怖い?

 門前で、赤毛の少女がレディへ投げかけた問いかけ。

 ここにいる人間は、幽霊など鼻で笑う。しかし、この田舎の人々は違うだろう。信じないまでも薄気味悪く思う者が大半だ。近寄らなくなる。

「人を寄せ付けないためか」

 誰が噂を――これは考えるまでもない。伯爵家に縁の者だ。中身がほとんど根こそぎ処分されているいま、他――例えば空き巣など――が流す意味もないのだから。

 三人は広間の中央で顔を見合わせた。みな、同じ考えのようだった。好き放題に歩くポーチェのぱたぱたという軽い足音だけが、しばし響く。

「どこか……どこかに痕跡はないでしょうか?」

 最初に沈黙を破ったのはレディだった。

〈教授〉も心得顔で頷く。この程度で退散など論外。二つ名がすたるといったところか。

「特徴的な足跡を探して、それを辿ってみよう。少しばかり暇つぶしをしていてもらうことになるが」

 外套を脱ぐ。

「悪いが預かってくれたまえ。腰を屈めて移動すると、裾で跡を消してしまうのでね」

「おい」と、受け取ったツクモは困惑の色を抑えきれなかった。重いのだ――外套が。しかも硬い。鉄板を仕込んでいるらしい。

「拳銃対策だよ。単純だが効果的だ。『獲物』の牙から身が守れるなら、軽いものさ」

「それはわかる。俺に手の内を晒していいのか、ってことだ」

「構わんさ」

 それがどうした、といった顔つきで〈教授〉が諸手を広げてみせた。

「むしろ、君たちは秘密主義すぎるな。まあ『獲物』としては意外性があって愉しめるし、君を狩ると同じように充実感のある者に出会うのは骨が折れるので、このままで良いのかもしれないが」

 軽い口調に焼けつく緊張感――からかいと挑発の混合物を浴びせかけられ、ツクモは棘を隠すことなく応じる。

「そうかい。じゃあ俺も、機会があったら遠慮なくあんたの眉間を狙うことにするよ」

「それは愉しみだ」

「二人とも。そういう日課は必要ありませんわ」

 呆れた様子で口を挟んだのはレディ。すかさず「これは失礼」と芝居がかった謝罪をした〈教授〉が、さらに献上品といわんばかりの恭しさで、杖を差し出す。一瞬前までの緊張感は影も形もない。その切り替えの早さにツクモは内心で感嘆――こうやって「獲物」の意を翻弄してきたのだろう。ツクモには、百年かけてもできそうにない芸当だ。

「あなたが丸腰になってしまいますわ」

 躊躇いつつも杖を手にしたレディへ、すでに東洋人の若者など眼中にない様子の〈教授〉が断言――「いまのところ、私たち以外に新しい足跡は見当たらない」――する。他に人はいない、ということだ。

「しかし、万が一、ということもあるのでね。なにかに出くわしたら(そいつ)で一発お見舞いしたまえ。それから絹を裂くような悲鳴をあげれば、騎士(ナイト)のお出ましだ」

 手綱を引く素振りでおどけてみせ、ふと口元を弛める。

「本当の騎士と比べたら、少しばかり年を食ってて申し訳ないがね」

「十分、心強いですわ。それにツクモだって、本当の騎士と言うには語弊がありますし――」

 杖をぐるぐると、落ち着きなく回しながら話すレディ――ツクモは顔をしかめた。鼻先を掠めて危なっかしいことこのうえない。その様子に、〈教授〉が破顔する。

「おや? 私は彼のことを指して言ったつもりじゃなかったのだが?」

 淑女(レディ)を助ける騎士の恋愛物語(ロマンス)は、おおむね若い青年。一般的な喩えを使っただけ、という。

「も、もちろんわかってますわ」

 レディがあからさまに狼狽えた、

 なにやってんだコイツは――。

〈教授〉の言葉が引き金のようだが、その意味を咀嚼するよりツクモは、さらに危うさを増した杖からわずかに身を引くほうが重要だった。

 その動きに、ようやくレディが気づいたらしい。ツクモを見た。目が合う――すぐにそっぽを向かれ――その先にポーチェ。赤毛の少女は広間の検分に飽きたのか、足取りも軽やかに階段を上り始めている。

「一人で勝手に歩き回るのは危険ですわ。わたくしも行きます」

 声をかけると、〈教授〉をひと睨み――覚えてらっしゃい、という顔つき。

「美女をからかったら落とし穴にはまる魔法がないか、彼女に訊いてきますわ」

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