組織は探られ:第五日(3)
その昔、大陸で迫害を受けた〈聖術〉の一派が、まだ人も少なかった首都の西外れに住んだ。
以来、どういうわけか外国から逃れてきた者たちが次々と住むようになり、外国人地区を形作るまでに、そう時間はかからなかった。治安の悪い東端地区とは別種の、雑多な肌と衣装と匂いが入り乱れる土地――というのが、西端地区の成り立ちだ。
政治的、宗教的な事情を抱えていることが多いため、互いのことは深く干渉しないのが、この町の暗黙の規則だった。何かと目をつけられやすい東端地区と違い、こちらは官憲ですら基本的には深入りしてこない。
数が少なく目立ちやすい東洋人――それも極東出身者――が活動するにはうってつけの場所だ。
夕刻。高床住宅の並ぶ通りを歩く初老の男も、また、黒髪に茶色がかった黒瞳、低い鼻、頬やえらの輪郭が東洋人であることを物語っていた。せかせかとした足の運びは、背が低い――足が短い――からなのか、急いでいるからなのか。
玄関前に立ち、鍵を回し、ドアを――。
「よう、カトー。今日は早いお帰りだな」
「移民の貧乏人だって休息は必要だ」
小男はさりげなくドアを閉めつつ、振り返って微笑んだ。
階段下から見上げているのは、近所の酒場でよく一緒になる芸術家くずれの若造だった。おおかた誘い出して一杯奢らせる気だろう。
昨日なら付き合ってやっても良かったが――。
視線を家の上から下まで走らせる――屋根裏部屋の小窓から、地下室の明かり取りまで。
「馬車馬のように働かされて、老体にはこたえらあ」
地下室。暗い陰を透かして見えるドアの鍵穴。その脇。印の乱れ――解錠されている。
「そんな歳には見えないぜ?」
「それで俺が歳を教えて、お前さんが驚くって寸法かい? もう、そのおだてにゃ乗らねえよ」
訛りの強い口調で、のっぺりとした笑顔を張りつかせたまま首を振る――周囲に警戒の視線を――異状なし。
「全部お見通しってわけだ」
「明日も早くてな。悪いが先に寝かせてもらうよ」
「いいさ。この次までに、別のおべんちゃらを考えておくよ」
「そうしてくれ」
立ち去っていく芸術家くずれに手を挙げ――もう一方は後ろ手にドアを開け――さりげなく、しかし鼠の素早さで中へと入る。
通りよりもなお暗く、粘りけのある闇。静寂の底――廊下――横たわる青年の姿。息はある――気絶しているのだ。
見下ろす小男から、すでに笑みは剥がれ落ちていた。無情の瞳と冷徹な貌がすべて。
廊下を塞いでいる青年を音もなく飛び越える。奥から、地下室へ通じるドア。一階の部屋のドア。二階への階段へと順に視線を移していく。
視えてきた。
〈白〉は――いや、もう「野良犬」だ――敲金を鳴らしてもらった。誰に――おそらく行動を共にしているという娘か。
玄関先で気絶していた青年――〈若犬〉――が下へ降りてきたところを見計らって地下室へ侵入――〈元締め〉の自分が不在であるのは確認済みだろう。
玄関口へ来た一人を地下室経由で「野良犬」は背後から――いや。〈若犬〉は頭を奥へ向け、俯せに倒れているので、振り返った可能性は高いか。ただ、そこまで。こめかみに一撃を食らって昏倒。
玄関扉を閉め、目を上へ――階段。真っ直ぐに伸び、突き当たってから左へ折れ、階上の廊下になる。見通せないように改築したのだ。
躊躇なく――おそらく、あの「野良犬」なら――上っていく。駆け上がっていく。
二階。一見して変化なし。殺風景な板の廊下。部屋がひとつ。閉まっている。ここは素通り――三階へ。
上りきったところで、白い漆喰の壁に丸い窪み。ひび割れ。棍棒――いま、この家で下働きをしている、もう一人の〈若犬〉が得意としている武器――その先端が当たった――つまり避けられた――上がり端を叩いたが、「野良犬」のほうが一枚上手か。
目と鼻の先には、一本のずんぐりとした棍棒が転がっている。避けた後の反撃――拳、脚、当て身、極め、投げ、絞め。いくつかの応酬――あえて純白にした壁に汚れが目立つ――そして落ちた棍棒――撤退。
三階の部屋のドアを開けると――蝶番が壊れていた――そこに倒れている〈若犬〉を見つけた。これも気絶。格闘中に、ドアをぶち破る形で中に入ったか。あるいは、一方がもう一方を壁に叩きつけようとして、そこが偶々ドアだったか。
ともかくも室内での格闘。事務所――極東貿易の周旋――の体裁。事務員の机が――定位置とは大きくズレて――ひとつ。奥に主の――小男用――大机がひとつ。書類が散乱。暖炉に火は入っていない。灰掻き棒は通りに面した窓際――事務員用の簡素な木製椅子の座面を、裏側から刺し貫き、棒の中程で止まった状態。日除けが下ろされているので、室内は暗い。
部屋に転がり込んで、しばらく徒手での取っ組み合いをしたのち、〈若犬〉が灰掻き棒を――こういうとき得物に転用するため、先端を尖らせてある――手にしたのだろう。机の引き出しには刃物も入っているが、それらを改めて出す余裕はなかったとみえる。
対抗する「野良犬」が、椅子を盾がわりに使った。背もたれの格子や脚が、その用途に耐えられるよう頑丈に作ってあることなど、ひと目で見抜いたはずだから。
打ち、払い、突き――その攻めを読み、座面深く突き刺さるようにする。抜けない灰掻き棒――〈若犬〉はすぐに手放す――教え通りの動き――「野良犬」が一枚も二枚も上手だ。その動きも織り込み済み。狙いすまして一撃を加えるだろう。
詰め将棋だ。
灰掻き棒に対して椅子を手にした時点から、一手ずつ追いつめていった。
〈若犬〉はすぐに倒れなかっただろうが――「野良犬」に比べて大柄だ――あとは防戦一方で連撃をしこたま食らい、のびた。一階の者とは逆に仰向けなので、背後から絞め落とされたのかもしれない。
部屋を出た。
この三階は、まだ物色しない。その前に上の確認だ。屋根裏部屋。しかし、ほとんど手つかず。〈若犬〉が寝起きする――ただそれだけの――部屋だった。探るだけ時間の無駄だと判断したのだろう。
三階へとって返す。
部屋の隅にある金庫には目もくれず――開けるのに手間取るうえ、堅守しなければならない物を〈衆〉では目立つ場所に隠さない。暖炉、壁、抽斗の底、書架の裏。ものの数分。すぐに切り上げる。
階下。
二階の部屋――小男の私室。暖炉、壁、抽斗の底、書架と飾り棚――故国の本が積まれ、品が並ぶ――その裏。
さらに寝台の中、下。狭い厨。厠。風呂。床。この部屋は、もっとも時間を割いている。入念に、執拗に探った形跡。
しかし、「野良犬」は見つけきれない。部屋を出ようとし、その前に寝台を少し動かす。太い足に隠れた部分に目立たぬ寄せ木。組み木の細工。決まった手順で動かさなければ開かない――西洋でいうところの知恵の輪に似た――もの。
解かれていた。
留め金が外れ、寝台脇の床板が一枚だけ浮く。めくれば、細く丸めた紙が整然と頭文字順に並べられている。
前半部に、列を乱す空白――「でー」の位置。
盗られた。
実際は、この部屋のドアを開けた瞬間から分かっていたことだ。床板は元に戻されていなかった。あえて痕跡を辿ったにすぎない。
念のために盗まれたものを確認し、小男は初めて表情らしいものを浮かべた。
「これだから契約社会ってのは」
ぼやき。
「紳士協定ってやつじゃ駄目なのかね」
一階へとおりた。部屋は見ない。擬装だ。同じ極東出身の者に貸していることになっている。〈若犬〉が出入りしても目立たぬようにするためだった。
「ここも引き払わなければならん」
ため息をつきながら、いまだ廊下で気を失っている〈若犬〉の無様な背を爪先で蹴る。〈若犬〉が咳き込み、目を開く――飛び起きたのは、なんとか及第点か。
〈封〉が施されているとはいえ、自分が殺されていなかったのは不可解らしい。目に微かな戸惑いがよぎった。
「すべての〈犬〉を早急に呼び集めろ。追う相手は裏切り者の〈白〉」
命じる顔には、彫り上げられた冷酷さのみ。
「奴を抹殺し、持っている〈血判状〉を奪い返せ」




