監獄で黒幕が:第四日(5)
首都の大監獄といえば、歴史と伝統の――なにしろ建てられたのは一二〇〇年代だ――娯楽施設だった。
正門前で行われる絞首刑。これが、首都に住む者にとってなによりの愉しみだったのだ。
その、次回予定されている興行主――早い話が死刑囚――のウィリアムが、二人の紳士に地下の独房で起こされたのは、夜半も過ぎたころだった。
牢の錠前を外し、「出たまえ」とお高くとまった口調で命じた二人組の紳士を、胡乱な目つきで見つめる。
一人は三十路とおぼしき痩せた男。眼鏡。もう一人は灰色がかった髪の初老。年齢的には親子といっても差し支えなかったが、態度を見比べるまでもなく、初老のほうが立場は下のようだった。
獄吏は、見当たらない。
「勝手に出たら、おっかねえ獄吏のやつらに――」
「話はついている」
ウィリアムの言葉を苛立ちと蔑みを含んだ調子で遮ったのは、眼鏡のほう。
「お前は黙って従えばいい」
「俺の口にも金色のやつを押し込んでくれたら、クソ獄吏の野郎よりも大人しくなるんですがね」
ふてぶてしい要求には、眼鏡の紳士が金貨一枚を死刑囚の足元へ放った。飼い犬に骨を与えるよりも無造作な動きだと、容易に想像できた。
「私の手伝いをすれば、さらにくれてやる。残り少ない人生を惜しむ程度にはなると思うが?」
「そいつはありがてえや。こう見えて、牢暮らしも色々と入り用でしてね」
ウィリアムは金貨を拾いあげると、調子よく笑いながら牢を出た。向かいの牢で寝たふりをしながら様子を窺う赤ら顔の男へ、目配せをひとつ。それから微かな笑み――よこしまな企み――を湛える。
脳裏に繰り返される囁きは――脱獄!
前を歩く紳士のうち、一方は痩せて青っ白く、見るからにひ弱な野郎。もう一方は棺桶に片足を突っ込んだジジイだ。こんな楽な相手はいない。後ろから一発、思い切りぶん殴ってやれば、すぐにのびる。
おまけに、金を持ってることまで――不用意かつ無警戒にも――教えてくれた。これで少なくとも逃走中に困ることはなさそうだ。
(だから、とにかく、あとはこの塀の外に出る方法さえ思いつけば――)
人質にするか? 服を奪って変装するか?
(焦るな。失敗したら元も子もねえ)
ウィリアムは、そう言い聞かせると衝動を抑え込む。まずは、どこへ行くつもりなのか、はっきりさせたほうがいい。汚れた石の廊下を歩く二人へ、知る限りの丁寧さで話しかけた。
「へへっ。で、ダンナがた、あっしはどこへ連れてっていただけるんでしょう?」
返答――沈黙。ウィリアムはすかさず下卑た笑いを放つ。
「こいつは失礼いたしました。さっき、黙って従えって仰ったばかりだ。すぐに、この物覚えの悪い口に錠前を――へ?」
「出ろ、と言ったのだ」
上り階段のてっぺんから、初老が蔑みの眼差しも露わに命じる。開け放たれたドアからは、外気が肌にまとまわりついてきた。
(けっ。あとでそのハゲ頭をかち割ってやるからな)
内心で毒づきながら、ウィリアムは夜空の下へと出た。
大監獄の中庭だ。数日に一度、日光浴で来る。踏み固められた地面に丈の低い雑草がまばらに生えていた。四周は、小さな明かり取りしかない監獄棟の煉瓦壁――狭苦しく、逃げ道はない。
「それで、ここで何を?」
先に出ていた眼鏡の紳士――振り返ろうともしない――その背中へ問う。
「なにも」
今度は、あっさり答えが返ってきた。
「指示した場所で、じっとして――」
眼鏡紳士の語尾を、ウィリアムは聞き取れなかった。
衝撃――顔面の下半分を覆われ――いや、鷲掴みにされたのだ。
(何モンだっ?)
ウィリアムはもがいた。振り向けない。声も出せない――顔を掴む手の馬鹿力――これに比べたら、万力の締め上げなんぞ女に抓られているに等しい――力が下方向へ――跪く――そうしないと首の骨が折られてしまう。頭が両肩の間にめり込んでしまう。
眼鏡紳士の横顔が見えた。肩越しに一瞥したのだ。が、それだけだった。やはり振り向かない。
「じっと動かずにいてもらいたいのだが、お前のような連中がそれを守るとは思えん。下手をすれば背後から襲われて、頭を割られかねないのでな」
その言葉に、ウィリアムの全身から脂汗が噴き出した。
(気づかれてたのか? まずい! まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいっ!)
金持ちの酔狂だとたかをくくっていたが、とんだ思い違いだった。
(こいつら、俺なんかよりよっぽど悪党――)
迫り上がってきた恐怖と同時に、骨が――右足首――鳴った。
激痛。
叫び――放てず。巨大な手に包まれ、塞がれたまま。
「ぐむーーーーーーっ!」
喉が勝手に唸りをあげた。涙と鼻水が噴出。
(折られたーーーーっ! 折りやがった! なんだってんだコイツら!)
必死に自由な両腕を振り回し、顔から肉厚な手をひっぺがそうとするも、かえって力を込められ顎や頬骨がミシミシと悲鳴を洩らし、頭蓋に不気味な音を響かせる。
(だれか! だれか! 頼む! 助けて!)
抵抗は疲労と痛みによって空しさへと取って代わり、やがて絶望へと育ち、ついにウィリアムは両腕を力なくだらりと垂らした。
ようやく顔を握りしめていた手に解放され、地面に突っ伏すと、素早く猿ぐつわを噛まされる。
「改めて言うが、じっと動かずにいたまえ。のたうち回って〈魔法陣〉を乱されては困るのだ」
虚ろに見上げた先で、漆黒の夜空を背負って覗き込む眼鏡の紳士を初めてしっかり捉えたが、もはや指一本すら動かす気力を失っていた。
あとはもう、なすがままだ。
怪物に――どうやら正体は初老の男らしい、とは痛みと絶望で朦朧とする視界でも判別できた――中庭の奥へ運ばれると、眼鏡の紳士の指示によって下ろされた。座る気力さえない。どさりと横になって、頬に地面の冷たさを感じる。
(〈魔法陣〉って言ってなかったか……?)
ぼんやりと思った瞬間、ウィリアムの周囲が光を発しはじめた。少し慌てた様子で、歪な巨躯になっていた初老が離れていく。
足元からの光に照らされた眼鏡紳士と、その横へ控えた異形が、背後の監獄棟の壁へ影を映じた。
光は次第に強く、白く、ウィリアムの視界を塗りつぶしていく。それにしたがい紳士と怪物の姿は覆い隠され、影だけが黒く揺らめき――。
「ああ……」
ウィリアムは半ば安堵の呻きを洩らした。
影が左右に広がったのだ。
あれは――悪魔の翼だ。
それなら仕方ねえ。さんざん悪さをしてきたんだ。首括りになるのも、悪魔の餌食になるのも、似たようなもの――白光――。
消滅。




