温泉で王様が:第四日(4)
温泉都市の高級旅亭――その、最上級の一室。
「浴場が使用できるのは午前中のみ。久しぶりのご来駕でお忘れですか? 〈教授〉・ライオネル・アイヴィー?」
「忘れてはいない。それに、いまは騎士見習いでね」
「おやおや。これはまた、ずいぶんと遅咲きな――すると先ほどご紹介にあずかった、こちらの馭者風騎士殿と同様に、別室のお姫様方にお仕えというわけですな」
〈教授〉の言葉に、芝居っ気たっぷりの笑みをツクモへふりまいたのは小太りの男だった。年は定かではないが――温泉のせいだろうか、肌つやがすこぶる良い――おそらく〈教授〉よりは若いだろう。暖炉のそばへ進むと、二人の客へ椅子を勧める。
ツクモは、すぐに腰をおろさない。
部屋の隅々へ視線を走らせ、気配を探る。幼少のころから叩き込まれた動きだ。容易に消えるものではない。行儀作法と同じだった。
「用心深い方のようで」
百戦錬磨の笑みを崩さず、男が肩を竦める。
「性分でね」
ツクモは釈明しつつも検分は止めない。暖炉、灰掻き棒、格天井、椅子、円卓――どれも植物をあしらった装飾。広く、清潔、暖炉棚に置かれた燭台ひとつまで掃除が行き届いている。窓の数が多いのは気に入らないが――襲撃されやすい――ふんだんに注ぎ込まれる外光で、もう日暮れも近いというのに十分に明るい。
保養、療養というこの町本来の目的には適っているのだろう。
「『悪くない部屋』でしょう?」
問いは、ついさっきレディがこぼした感想でもあった――腰に手を当て、案内された部屋の中央でぐるりと見回して言ったのだ。「悪くない部屋ですわ」と。いかにも帝国風、といった物言いだった。
「この宿泊施設は、私が町の儀典長に任命されて最初に改築させたところでしてね。以前は、それはもう寂れて薄汚れて使用人たちの仕事ぶりも――」
「その話は長くなるのかね?」
「〈教授〉が、この町に蔓延っていた悪党どもを一掃した武勇伝も追加いたしましょうか?」
「よしてくれ。『狩り』の成果をひけらかす趣味はない」
「私も長話をする気はありませんよ。ただ、どうもこの口と舌というやつは、なかなか主の思い通りに操れない曲者でしてね――」
たしかによく回るな――。
ツクモは横道にそれた二人のやりとりを聞きながら、やっと腰をおろす。
「――しかし、この口舌まで狩られてしまうと仕事になりませんので。手短にしましょう。お連れの――いや、この場合お二方が連れと言うべきですか――ともかくご同行の女性二人と合わせて、滞在中の費用はすべて私が肩代わりいたします。あぁ、いやいや、お礼は私でなく〈教授〉へ」
男――儀典長が優雅に示した手を、〈教授〉が頬杖をついたまま無感動に見つめる。
「礼には及ばんよ。私は私の仕事を――『狩り』をしたまでだ。ひと昔も前にな」
さっきの「武勇伝」とやらが関係しているのだろう。ツクモは、ひとまず間を繋ぐ意味も込めて――その程度の愛想なら持ち合わせている――頷いた。
「遠慮なく羽を伸ばすよ」
我ながら下手な嘘だ。そもそも、くつろぎ方を知らない。
さすがに日々多くの訪問者を相手にしている儀典長らしく、すぐに察した。手を後ろに組み――小太りの腹も強調されるが、むしろ恰幅の良さを印象づける――これまでの陽性の笑みとは別種の、したたかな微笑を浮かべた。
「二百年ほど前に西部の保養都市でその名を轟かせた儀典長は『王』と呼ばれました。彼の偉大さとは比較にもなりませんが、ささやかながらもこの町では私が『王様』です。市門をくぐり、塔の鐘で来訪を告げられ、宿帳に記名なさり、この町の――そして私のお客様となられたからには、全力をもって貴卿と姫君たちをお守りいたしましょう」
「温泉だけに『裸の王様』かもしれんがね」
まぜっかえす〈教授〉に、儀典長がすかさず見えない服を摘む仕草でおどけた。
せっかくの力強い約束もたちまち軽薄になるが、言葉自体に嘘偽りがないことはツクモにも理解できた。
それは〈教授〉の態度からも読み取れる。
杖――手放していた。
目の前の卓に立てかけてはいるが、椅子に深々と腰掛けているため咄嗟に掴めない位置。「仲良く」というレディの命に忠実に従っているせいでもあるが、それだけ儀典長の提供する安全安逸安楽を信頼しているのだ。
久しぶりのご来駕と言われていたな――。
ツクモは納得する。これは、〈教授〉のような男ならば寄りつかなくなって当然だ。
鈍る――。
数週間も滞在すれば、勘を取り戻すのに数ヶ月かかるだろう。賞金稼ぎにとって命取りになりかねない。
そして、それはツクモも同様だ。
長居する場所じゃないな――。
町にいるかぎり心安らかに過ごせることが誇りの儀典長に、この考え方は一生理解できないだろう。
「ところで夜のお食事のご予定は? できれば私の館にお招きしたいのですがね。他にも貴顕の方々がお見えになりますよ。お二人に犯罪者のことや東洋の珍しい風物でも語っていただければ、間違いなく場が盛り上がって――」
「儀典長!」
再び主の制御を離れて回転を上げ始めた舌が、敲戸もそこそこに飛び込んできた使用人――素足の若い女――たしかレディとポーチェの世話係ではなかったか――に遮られた。
「君は――」
儀典長が額を抑え、大仰に嘆く。
「お客様の部屋へ大声で入ってくるとは! 使用人頭からいったい何を教わったのかねっ?」
「申し訳ありません! ですがっ。お湯が!」
「湯?」
「突然溢れ出して――」
止まりません、という悲鳴混じりの叫びよりも早く、ツクモは部屋を飛び出していた。廊下に点々とつづく水溜まりは、知らせに来た世話係の足跡だろう。
「レディ! ポーチェ!」
鋭く呼びかけながらレディたちの部屋へと駆け入る――扉は使用人が開け放ったままだった――飛来――本能で避けてから、それが銅製の湯盆だったとことに気づく。
「敲戸ぐらいしなさい!」
レディの叫びが、床で転がる湯盆の派手な音を制して部屋の奥から響き渡る。湯上がり用のシーツを体に巻き付けた姿。下ろした金髪がたっぷり水を含んで、剥き出しの白い肩へ張りついていた。濡れた足にシーツが絡み、さっきまでスカートで隠れていた腰からの曲線を露わにしている。
ツクモは、その頭のてっぺんから爪先まで凝視。
怪我はないようだな――。
この反応ならポーチェも無事だろう。警戒を緩める。
「ドアは開いていた」
おざなりに釈明しながら――なにやらレディが不満を洩らしつづけているが――周囲を探った。
侵入者の形跡――なし。
ただの故障か――。
どういう仕組みか知らなかったが、最上級の部屋には屋内用温泉があると儀典長から聞かされていた。午前中で湯を抜かれ清掃作業を行う公衆浴場に入れなかった場合、あるいは他人と湯を共にしたくない場合、特別料金で――もちろん、レディたちは儀典長の好意で――利用できる。
湯気、湿気、床が濡れている。奥で憤然と立つレディの足元をくぐり抜け、浴室から湯が流れ出てきていた。
「おっと。これは目の保養――いや失礼!」
遅れて入ってきた儀典長が大仰に手を挙げて、顔を、視線をそらす。〈教授〉も同じく。
「ご覧なさい。あれが紳士の振るまいというものですわ!」
「覚えておく。今回はお互い様ってことで許してくれ」
ツクモは早口であしらうと、浴室入口で抗議するレディを押しのけた。
「おやおや。『お互い様』とは聞き捨てならない表現」
儀典長の戯れ言に、レディが慌てふためく。
「ご、誤解ですわ! ツクモ! 紛らわしい発言をしないで!」
悲鳴まじりの声――ツクモは振り返りもしない。
「ポーチェ――」
予想通り無事なことをひと目で見て取り、そのまま言葉に詰まってしまったのだ。
素っ裸で立ちつくす少女の肌を覆う勢いで、大量の湯気と湯がとめどなく溢れていた――掌から。
「また止まらなくなったー」
「また?」
ポーチェの言葉を訝しんだのは、ツクモの隣に立った儀典長。
「以前も同じことが?」
以前もなにも、まだ四半日前のこと。〈幻術〉が暴走したという話に――もっとも、説明するツクモ自身が目撃したわけでない。レディから聞いた――儀典長が頷きながら、湯を噴き上げるポーチェの掌中へ無造作に手を伸ばした――湧出が動く。
「ここの湯を石に封じておりましてね」
目を凝らすと、滝の頂となった指先に、水色に光る玉が見えた――杖の小型模型。火炎百合の花弁をかたどった先端に石が嵌めてある。浴槽の端に差しておけば、そこから湯が注がれるという趣向らしい。
「あんた〈魔術師〉なのか?」
「教養課程で脱落した劣等生ですがね」
相変わらずの軽い口調でツクモに応じつつ、摘んだ杖をひと振り、ふた振り――たちまち全身がずぶ濡れになっていくが、気にしている様子はない。
湯が、みるみる勢いを失っていく。最後の一滴が切れるまで、わずかな間だった。さっきまでの大放水が信じられない静けさ。
「三流ですが、どういうわけか水に関する〈魔術〉だけは適性があったようでして」
「ねー」
ポーチェが摘まれた杖の小型模型を見上げた。
「いまの、どうやって止めたのー?」
「それはですね――」
これまで通りの軽い調子で答えかけた儀典長が、不意に言葉を切り、そそくさと石を懐中へ収める。次いで、立てた一本指をくるくると回しつつ慇懃に続けた。
「教えて差し上げてもよろしいのですが、まずは、お召し物を。保養、療養の看板を掲げる町で具合が悪くなったと言うのでは、笑い話にもなりません」
「んー」
ポーチェが自分の痩せた体を見下ろした。ぱちぱちと数度瞬く。入浴中で全裸だったことさえ忘れていたらしい――が、特に恥ずかしがる様子も見せない。
「シーツちょうだいー」
儀典長の脇をすり抜け、水浸しの床を飛沫で乱しながらレディへと歩いていく。
「あのお嬢さんは――」
儀典長が、ぎこちなくツクモへと顔を向けた――まだ、指を回しながら。
「なかなか愉しい子ですね」
丸顔に浮かんだ笑みは、これまでのいずれとも違う――畏怖ともいえる引き攣ったものだった。




