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騎士が奇襲し:第四日(2)

 街道沿いの森――滑る影。

 ツクモは下草を蹴散らし、ひたすら駆けていた。猟師が獣と見紛う速さ――ほぼ一直線――森と山が許す限りの最短経路。しかし、これでやっと街道を桁外れの脚力で飛び進む〈魔人〉と五分。

 急げ! まだ速くできるだろ――。

 叱咤――道なき山野を進む〈術〉は、故国で連日鍛錬した。木の根を蹴り、藪を越え、枝を躱し、小鳥たちを追い立て、並ぶ幹の間をすり抜け、森の涼気を貫く。爪先に小石――足をわずかに滑らせた。平衡が崩れる。躱したはずの藪が肩口を殴る。

「くそっ」

 悪態は肩に走った痛みでも、集中を乱したことに対してでもない。

〈魔人〉に、まんまと出し抜かれてしまった悔しさだ。

 街道端の木陰から不意打ちを食らいながらも、レディと手綱を交代したところまでは良かった。いや――馬に鞭を入れ、疾駆する馬車の屋根で、取りつこうとする〈魔人〉を――指を二本ばかりへし折って――蹴落としたのも悪くない。何度か繰り返し――ポーチェが「三、四、戸をたたきー」と数え歌を口ずさんでいたから、四回以上は撃退したはずだ――驚異的な執拗さに、とうとう足を掴まれてしまったのも、不安定すぎる足場ゆえと目をつむろう。落車――受け身――手綱を引いて止めようとするレディへ先に行くよう命じ――〈魔人〉と対峙。

 ここだ。

 ここで誤った――〈魔人〉は自分に執着していると――二日前に駅舎でやりあったときのまま――決めつけた。

決着(けり)をつけておこうか」

 受けて立つ構えでレディたちの逃げる時間を稼ごうとし、〈魔人〉の応じる素振りに内心で「上手くいった」とほくそ笑み――次の瞬間。

 頭上を、あっさりと飛び越えられた。

 なにしろ相手は〈魔術〉で増した脚力だ。ツクモの身体能力をもってしても、咄嗟には止められない。

「せっかくのお誘いですが、急ぎの用がございましてね」

 去り際の〈魔人〉の慇懃な嘲笑が、まだ耳に残っている。

「なにをやってるんだ……俺は!」

 前の町での油断に、まだ懲りてないのか――自分を罵倒。

 しかも、あの〈魔人〉に駆け引きは通用しない。鍵を奪うことが――そしてポーチェの推測が正しければ――その持ち主の口を封じることが目的だ。その機を捉えれば、迷いなくレディとポーチェを殺すだろう。

 ツクモの全身を冷たい痺れが貫いた――抱えていた苛立ちが不安にすり替わる。

 そこへ、街道から響き。これは銃声だ。〈魔弾〉の炸裂――間をあけて二発分。


 ――聞こえたか? 死の号砲だ。


 ふいに、体の底であぶく(・・・)が弾けた――『沼』だ。冷たい嗤い。


 ――間に合わなかったな。お前に騎士は無理だよ。


「黙ってろ。お喋り野郎」

 ツクモは吐き捨てると、奥歯を噛みしめた。鳴らす。足は止まらない。平衡も崩さない。

 幹の隙間から街道の様子が見えた。

 横転した馬車。人影――〈魔人〉も含めて、なし。牽いていた二頭の馬も。

 ツクモの前――藪が割れ、道ができていた。足跡――地を這う根が踏み砕かれている。〈魔人〉が森を分けて進んでいった痕――つまりは先回りを目論んでいる。

 それはレディたちが逃げ延びている証。

 ふっ、とツクモは自然と軽い笑みをこぼしていた。安堵、でもある。

 見くびってた――。

 木々の隙間を縫っていく速度が、さらに上がる。体が軽くなっていた。

 レディ(あいつ)、思っていた以上にしぶとい(・・・・)ぞ――

 身の裡へ語りかけながら小さく跳躍――左手――頭上の枝に這っていた蔦を掴む――引く。歯を立てる。体重をかける――切れた。腕へ巻きつけ――空けた手にはズボンから取り出した投げ紐。

 つづいて右手――紅い蕾をつけた花――駆け抜けざまに数本まとめて手折る。

 ご婦人(レディ)ってのは、騎士さまの劇的登場のお膳立てまで整えてくれるらしいな――。

『沼』からの返答は、なかった。


(この始末さえ終えれば……)

〈魔人〉は達成間近の使命感に心を震わせていた。腕で藪を薙ぎ払い、足で幹から幹へと弾み、巨体で森を穿ち、細い街道を――馬蹄の跡と点々と転がる幻の鍵も――木々の隙間から確認しつつ突き進む。

 市民消失のシスルの町を発って、まだ数日――しかし、なんと長く感じたことか!

 故買屋から聞き出した贋作師を締め上げ――もちろん後腐れのないよう最後は天使たちに引き渡した――首都への街道で逃げたと思わしき方向から町を探し出し――金髪の娘が攫われるという騒ぎが起きたらしく、さほど手間取らなかった。おまけに帽子で隠しても東洋人の馭者は目立つ――ようやく追いついたのだ。

(この鍵を――)

 分厚い掌中では幻が消え、手応えはひとつになっていた。

(お渡ししながらご報告できる)

 自分が不甲斐ないばかりに手間取ってしまった。申し訳ないことだ。さぞ待ちかねておられることだろう。私にこの肉体を与えてくださり、「美しい(ビューティフル)!」と手放しで賞賛してくださる旦那様は。

 それに――そうだ。忘れてはならない。あの、東洋人も。

 逃げる小娘二人を始末し、絶望に打ちひしがれているところを痛めつけてやる。この類い希な――あの、知恵と技芸と戦の女神に守護された古代人が彫った像に比肩しうる――肉体を、あろうことか「肉団子」と呼んだ黄色人種(イエロー)を、全身の骨を粉々に砕き、捻りつぶし、本物の肉団子にしてやるのだ!

 恍惚と興奮の陶酔は巨体を駆動させる石炭となり、〈火炎〉による火傷から回復していく掌に白い影がたなびき、暴走する蒸気機関車と化す。

 大人の腕ほどの枝をへし折りながら、最後の跳躍。街道へ――曲がりくねり見通しの悪い道。ひと呼吸遅れて、金髪娘が手綱をとる馬の登場――前脚をあげて急停止。

「お待ちしておりました」

〈魔人〉はかぎりなく嫌味な慇懃さで告げ――金髪娘の悔しげな表情に高揚しつつ――先回りを誇示。すかさず向けられた銃口へ――さっきまで重度の火傷を負っていたはずの――手を広げ、土中で鎮火させたことと回復力を誇示。握る。拳――石砕用大槌をも凌ぐ凶器。〈魔弾〉を食らって業火に包まれようが、十分に馬上の二人の頭を消し飛ばす余裕があることを、誇示。胸を反らし、巨体を壁とし、もはや逃げ道のないことを、誇示。

「ご安心を。苦しまずに――」

「おしり痛いー」

 間近に迫る死の影どころか、威容を誇る〈魔人〉そのものも眼中にない様子で、赤毛の少女がその背後の娘に訴える。

〈魔人〉は来客用の笑みを湛えた。

「もうそのような些細なことを気にせずとも、ほんの一瞬で――」

「レディは痛くないのー?」

「は? あ、ええ……もしかすると慣れてるのかもしれませんわ。こういう荒っぽいことに」

 娘が戸惑いつつも応じている。

 ようやく〈魔人〉は、自分が無視されていることに気づいた。

「お嬢さん。人の話は――」

「あたし、あなたキライ」

 ぴしゃりと言い放った赤毛少女の凍える眼差しに、圧倒的な優位にあるはずの〈魔人〉でさえ背筋に寒気を覚える。

「最初に見たときはちょっと興味あったけど、邪魔するし。実験や解剖させてくれるわけでもないし」

 前者はともかく後者の理由に、〈魔人〉は目を丸くした――実に〈魔術師〉的発想! 〈魔術〉に疎い金髪の娘が、理解不能といった表情をしていることでもそれがわかる。

「だから、キライ」

 淡々と断言――その赤毛が輝く。下から照らされていた。光の源は少女の手に握られた小函――蓋が開いたまま。鎮座する水晶玉が上半分の姿を覗かせ――もう鍵の生成は止まっているようだ――その、中心部。少女の意思に応え、光の、〈魔術〉の、〈魔法則〉の力を膨らませていく。

 風。波。震え。そのいずれとも言える〈流れ〉が、少女と、すぐ背後にいる娘の髪や裾をなびかせた。

「なんと――」

〈魔人〉は思わず前時代的な大仰さで息を飲んだ。自身の肉体に〈魔術〉を施されているからこそ肌で感じ取れた。

(周辺の〈魔力〉を無制限に集めるとは!)

 しかも、本来は〈幻術〉に限定しているはずの水晶玉なのだ。

(〈制約〉まで外したのか?)

 恐ろしいことに、どうやらそれらを無意識に行っている。もはや暴走と呼んでいい。

 これは――脅威。

 取り除かねば――もとより、そのつもりだったが――この子は放っておけば必ず旦那様の野望達成の障害となる。

〈魔人〉は、そう確信するなり――跳躍。

 振りかぶりつつ――腕――槌――赤毛の少女、金髪の娘、その下の馬もろとも叩き潰す――つもりだった。

「むっ?」

 訝る――地面が傾いた――違う。傾いたのは自分自身。

(足が)

 動かない。見る――紐。絡んでいる。

 転倒。

 土埃の幕が視界を覆う。

 影――と、気づいた瞬間には頭部へ衝撃。頭蓋に響く不快な音色――割られた――両手で地面を叩き、俯せた上体を跳ね起こす――反動で腕を振るって追撃を牽制、阻止――離脱――したつもりが、視界に再び影。

(まるで獣――!)

 速さに淡い戦慄を覚える。

「ツクモ!」

 金髪娘の叫び。

(おのれ――)

 東洋人め!

 認めたのは一瞬――目に押しつけられた真紅。血――いや、花?

「ぬぐっ……」

 痛み。目が。焼けつく。これは――。

「毒かっ?」

「あねもね」

 ぼそりと耳打ち――背後から(・・・・)。抵抗より先に首へ紐が食い込む。重心が真後ろへ一気にかかった。拘束された両足の不安定さもあって倒れ――かけて、なんとか踏みとどまった。

「大人しく繋がれてろ」

 引き倒そうと、さらに加わる体重を支え、足へ力を――拘束を千切った。同時に首へ巻きついている紐――蔦――も。

 振り向きざまの一撃――空を切る。すでに背後から消えている。

(ちょろちょろと!)

 苛立ちながらも躊躇――目が痛みつづけている。肉体の損傷は回復できるが、毒を消すことはできない。洗い流すしかなかった。

 距離をとる――馬上の二人との間に立ちはだかる東洋人を霞む視界に捉えながら。

 追撃なし――ひと息つく。

「あの紐は私の商売道具なんだがね」

 低音。落ち着いた声音。〈魔人〉の背後。予想外――まだ、仲間が?

 振り返る――その顔面へ、微塵の容赦もない衝撃が叩き込まれた。

 のけぞる。吹っ飛ぶ。背中で枝を折り、落下――谷底――手を伸ばす。掴んだ。幹。指を、人外の握力で食い込ませる。止まった。

 仰ぐ視界は真紅――今度こそ本物の血――に染まっている。歪んでもいた。顔面を潰され、骨が砕け、眼球があらぬ方向を睨んだまま動かない。

 ならば首を――と、思ったが、これも軋んだ。どうやら頸骨まで半壊したらしい。

「これは相性が悪い」

 そう呟いたはずが、まともな言葉にならなかった。歯を失い、顎の弱った老人を思わせる不明瞭な息が洩れるのみ。

「生きてるか。さすが〈魔人〉だ」

 梢の間から声――こちらが〈魔人〉と分かっているなら、なおさら分が悪い。

 首は痛めているが主に壊されたのは顔面だ。四肢に問題はないが――。

「ん? まだやるかね?」

 悠然と見下ろす気配があった。このまま反撃を試みれば、今度こそ頭部を潰しにくるだろう。いくら〈魔術〉的再生力があるとしても、これには耐えられない。

 なにより、いま、密かに手足の具合を確認していたのが見抜かれた。あっさりと。ツクモとかいう東洋人以上の場数を踏んでいるに違いない。

「いいえ――」

 答えは、やはり唸りとも呻き苦笑ともつかない「音」がこぼれただけだった。

 ここはひとまず、鍵を取り返したことで諦めるとしよう。あとは旦那様にお伺いを立てるしかない。それに――。

〈魔人〉は食い込ませていた指を、幹から抜く。

 毒を洗い流すこともできそうだ。谷川で。

 ――落下。

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