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蝶は銃を撃ち:第四日(1)

 首都(メトロ)へとつづく街道――午後の翳りに沈んだ山肌を伝う未舗装の道。

 レディ・パピヨンは――これまで誰も蝶と呼んでくれないが――馭者台で手綱をとり、逃げていた。

 迫るは――〈魔人〉。

 (くさむら)から急襲してきたのが半時間ほど前。人目につきやすい有料道路(ターン・パイク)を避けたというのに、まんまと先回りされてしまった。その悔しさに歯噛みする暇も与えられず、ツクモと手綱を交代――馬車を走らせながら――だ。おまけに道の左手は崖。その下は谷川。車体は跳ね踊り、車輪は軋む。

「そのうち曲馬団に入れそうですわ!」

 軽口を叩いたのも束の間、馬車の屋根に取りついた〈魔人〉とツクモが組み合ったまま――。

 落ちた。

 ツクモに怪我はない――おそらく。すぐに飛び起き、馬車の速度を緩めたところへ、「行け!」と吠えていたから。追いかけてくるつもりだろう、とレディは推測。ただ、今回は川下りとはいかない――となると、脚力勝負では〈魔術〉によって人を超越した〈魔人〉に分がある。

 つまりは――。

「来たよー」

 窓から顔を出したポーチュラカ――ポーチェが、赤毛の三つ編みを風に揺らしながら〈魔人〉の接近を教えてくれた。緊迫感の影も見えない口調だったが、これは毎度のことだ。

「しつこい方ですわね!」

 レディは首を伸ばして後方を一瞥――〈魔人〉を確認。異形の――本人は美しいと固く信じている――姿で駆けてくる。一歩ごとに土を捲り、埃を蹴立てる様は蒸気機関車の圧迫感。

 思わず舌打ちをしてしまったレディは、首を竦めた。

「女泥棒だからといって、慎みを忘れて良いというわけでもありませんわね」

 呟き――自戒。

「殿方に熱烈に言い寄られてこそ、淑女(レディ)というものですわ!」

 鼓舞――いよいよ切羽詰まってきた裏返し。

「ポーチェ!」

 馬車の中へ呼びかける。仕切窓は開け放ったままだった。

「鞄から『銃』を!」

「んー」

 予想していたのか、こっそり弄っていたのか、すぐに差し出され、まごつきながらも受け取る――残弾確認――三発。

 一瞬、絶望的な気分に陥りかけて、なんとか勇を奮い起こす。体が震えた――いや違う。車体の揺れだ。木の割れる音。速度が落ちる。後部の重心が右に――森側へ――傾いている。

「また張りついたよー」

 仕切窓に顔を寄せたポーチェの報告。

「真後ろー。あ、もう上?」

 視線を辿ってレディは振り仰ぐ。馬車の屋根によじ登ってきた〈魔人〉と――今度は蹴落としてくれるツクモがいない――目が合った。滑り落ちないように這いつくばった姿は、むしろ、その異形にふさわしくも見える。

「鍵を」

〈魔人〉の微笑。来客の外套を預かる執事の口ぶり。それから馭者台を覗き込む。

「あの東洋人を置き去りにしてよろしいのですか?」

「この先で待ち合わせていますの」

「では、それまでにこちらの用件を済ましても?」

「よろしくてよ。まず――」

 咄嗟にスカートの中へ隠していた銃を取り出す。

「その手を離してくださいません?」

 大口径の狙いを顔面へ。

「おや。撃てますか?」

 ええ――レディは硬い笑みを浮かべて頷いた。

いまの(・・・)貴方なら耐えてくださると信じておりますわ」

 発砲!

 炎上――。

「屋根とれちゃったー」

 座席に立ち上がったポーチェが半無蓋となった部分から顔を出し、後方の街道に転がり遠ざかる炎の塊を見送る。

「その〈魔弾〉は、最初に当たったものに〈火炎〉を発動させる、というところが欠点でしてね」

〈魔人〉の講釈が馬車の尾部から――頭を引っ込めたポーチェと入れ違いに、ひょっこりと顔を出した。

 レディが発砲する寸前に馬車の屋根を力ずくで引っぺがし、盾にしたのだ。怪力の〈魔人〉ならではの対処法だった。

「もちろん存じておりますわ」

 レディは取り澄まして大口径銃(ブルドッグ)を構え直す。

 数日前、温室でツクモが同じように避けたのを思い出していた。あのときは、手にした杭を咄嗟に交差して盾の代わりとしていたが。同じ常人離れでも、だいぶ趣が違うようだ――ツクモのほうが(スマート)でいい、とも思いながら告げる。

「ですが、まだ弾はございますのよ」

「いつまでも保つものではありませんよ。それに、手も痺れているでしょう?」

 指摘は図星――レディは無表情を装う。口径が大きいだけあって、反動も想像以上だ。前方半分の屋根がなくなったので、〈魔人〉も後部にいる。しかも手綱を取りつつ、揺れつづける馬車。狙いは外しやすくなった。

(でも――)

 レディは直感している。

(ここは強気に)

 塔の地下牢で目覚めて、一歩踏み出したときと同様に。しかも今は、そうするに足る根拠もある。

 ツクモ。

 彼――驚異的な身体能力を持った東洋人の元暗殺者――わたくしの騎士は、必ず追いつく。だから。

(押し通しなさい!)

〈魔人〉を見据える。

「貴方が下車してくださるまでなら弾は保ちますし、保たせますわ」

「ほう……」

〈魔人〉が跳ねる後尾にしがみついたまま、目を見開く。その奥、膨れあがった血管が蔦となって覆う額の内側で、巡り巡る思案をレディはありありと読み取れた――片手で危なっかしく馬車を御しながら、もう一方の手で銃口を向ける金髪の娘。隙を見て飛びかかるのは十分に可能。しかし、もしも〈魔弾〉を避け損ねたら? すぐ下が谷川とはいえ、〈魔術〉の炎に包まれれば〈再生〉能力での回復にも時間を費やす。馬車を離れざるをえない。あの東洋人に追いつく猶予も与えてしまう。

「私としたことが、お願いを間違えていたようです。到底、聞き入れていただけないと勝手に思い込んでいたものですから。鍵を渡していただくより、先に言うべきことが――」

「馬車を止めろと仰りたいんでしょう?」

 レディは言葉を遮って微笑んだ。

「それなら貴方のご想像した通りの答え――(ノー)ですわ。間違いではありません。ですから、ご自分を責めないで」

 丁寧な微笑付きの慰めは、皮肉の刃となって〈魔人〉へ斬りつける。

「ふむ……」

 再び〈魔人〉の思案。

「では、止めましょう」

 言うなり、右車輪がビスケットよりも呆気なく砕けた。車体が傾く。上下左右の振動はさらに激しくなり、狂乱の舞踏を披露。直後には左車輪を高々と上げ――ふわりと――横転した。車体が破滅の絶叫をあげて、土埃と小石を撒き散らす。

 ほとんど、ひと呼吸の間の出来事だった。

 ここまで健気に力を振り絞った二頭の馬も、さすがに車輪がなくては牽けない。蹄を鳴らし、馭者を――レディを見た。

 馭者台の斜め上にあるランプ掛け――そこに、しがみついていたのだ。抛り出されそうになり、咄嗟に手を伸ばしただけだが。

 勢い余って滑った車体が止まり――発砲――牽制――後部へ。大きく外した。藪が燃える。〈魔人〉が距離をとった。結果は狙い通りなのでよしとする。

「ポーチェ! 大丈夫っ?」

 中を――ついさっき〈魔人〉に毟り取られた屋根部分から覗く。

「だいじょうぶー」

 いつも通り緊迫感の欠落した声。旅行鞄の上に、ちょこんと座りこんでいる。怪我の有無を確認――無傷。

「きっと鞄がクッションになったのね」

 レディは適当な理屈をつけて少女を引きずり出す。鞄ごと。

「馬を外してくださいな。できまして?」

 訊きながらも、その口調は「できない」という返答を拒否する響き。

 茫洋とした赤毛の少女も、さすがに危地だとは理解しているようで、素直に従った。

 レディは、哀れにも満身創痍となった車体にまで最後の奉仕を強要――盾として街道を窺う。

「少し、手加減をしすぎたようですね」

〈魔人〉が肩を竦めた――不自然に盛り上がった肉で頭を挟んだ、と言ったほうが正確か。

 レディは、銃を据えたままで片手でスカートを摘み一礼。

「おかげさまで銃も構えられますわ」

 馬車の右車輪を壊したのも、車体が右倒しになったのも――やけに柔らかく持ち上がったのは、後尾に張りついていた〈魔人〉が、おそらく怪力で持ち上げたのだろう――左手の谷川へ滑落させないためだ。

 右――森――のほうへ抛り出され、身動きがとれなくなったレディから、確実に鍵のペンダントを奪い、息の根も止める。あとはすべて谷底へ始末して目的達成――という腹づもりだったに違いない。

 まったくの無傷。しかも、まだ抗うとは!

 そんな忌々しげな感情が、動きを見せない〈魔人〉から伝わってきた。

 レディも余裕たっぷりに振る舞ってはいるが、忌々しさでは引けを取らない。

 残弾、一。

 これを〈魔人〉に悟られるわけにはいかない――かといって、強気に出るのも限度がある。何度も繰り返せば効果は薄れてしまう。

(他に手は?)

 できれば意表を突く方法がいい。驚愕し、瞠目し、思わず足を止めてしまう一撃。

「手綱ー」

 ポーチェに肘をつつかれ、〈魔人〉から目をそらさないよう細心の注意を払いつつ、手探りで受け取り――。

「なんですの? これ」

 手綱につづいて鼻先へ差し出されたものへの困惑が、考えを遮った。

 鍵――赤褐色の石。西洋柊(ホーリー)の意匠――自分のペンダント。

「落としたっ――?」

 慌てて胸元を――ある。銀鎖でぶらさがっている。

「細工師に注文したもの? でも――」

 その受け取りは首都(メトロ)の旅亭にした、と聞いていた。

(それじゃあ、これはなに?)

 問い直すより先に、ひょいと呆気なく解答が提示。

「水晶玉――」

 見つめる。シスルの町で〈幻術師〉から取り上げた小函入りのものを。

「これ、もしかして……」

 言葉がつづかない。〈幻術〉で生み出したのか。驚嘆。視界の端にポーチェ――溢れる疑問を飲み込む。代わりに本物を銀鎖から外すように頼み、幻の鍵と揃って指の間へ立て――。

「貴方がお探しのものは、銀の鍵? それとも金の鍵?」

 小首を傾げて掲げてみせる。

〈魔人〉の、膨れあがった五体に比して小さなままの顔つきが一変。棒立ち。できそこないの案山子。

「迷ってる迷ってる」

 いまのうちに馬へ――傍らの少女へ、首尾良くいったことを示そうと手を伸ばしたところへ、指の間に、もう一本差し込まれる。

「は?」

 素早く目をやると、新たな幻だ。

「え……えーと、それとも銅の鍵?」

 とりあえず〈魔人〉へ三本の鍵を改めて見せ――そこへ、また一本追加。

「鉄の鍵? えっと、真鍮の……って、そんなに持てませんわ!」

 次から次へと針刺し扱い(ピンクッション)にされて、レディはついに喚いた。

「止まらないー」

 ポーチェの手にした水晶玉から、鍵のペンダントが滴り落ちていく。地面に転がる風合い、質感、鍵同士が当たって響かせる音色、どれをとっても本物と見紛うばかりだが――多すぎる!

「完全にもの(・・)にしてるわけではない、と……」

 レディは納得――失策――目をそらした。〈魔人〉から。気づいたときには、巨体が陰を作っていた。

 横倒しになった馬車の上から肉厚の手が伸び、鍵ごと手を握られる――引き上げられ、爪先立ち――手首から捩り切られる、あるいは無造作に骨を砕かれる、そのどちらも、ほんの一瞬後には実現するだろうという確信。

「くっ!」

 咄嗟に手をすぼめて引き抜く――〈魔人〉の掌中に鍵を残してしまうことになったが、潰されるよりはまし。腕をたたんだ反動を使って、反対の――銃を握るほうを――突き出す。躊躇いはなし。

 発砲――至近。〈魔人〉が銃口に掌をかざした。

 炎上――爆圧。

 互いに後方へ弾かれる。

 なびいたレディの髪先が、ちりちりと金糸の縮れを作った。背中から倒れたが、痛みに顔をしかめる余裕もない。一回転。立ち上がる。翻ったスカートの裾を押さえ――短い地響き――馬車の向こう――首を伸ばしてみると、〈魔人〉が地面へ腕を突き刺していた。

 雨で柔らかくなったところへ――それでも踏み固められてはいるのだが――埋めることで〈魔弾〉の炎を消したのだ。

「乗って!」

 レディはポーチェの手を取り、馬の背へ押し上げた。自分もつづく。二頭を御さなければいけない馬車よりも違和感はなかった。経験があるのかもしれない。

 鋭く、かけ声をひとつ。後ろの蹄が、いまだにこぼれ落ちる鍵の幻を蹴散らした。

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