騎士は狩人と:第三日(5)
夢――昔の記憶――これで何度目かしら?
小さく狭い部屋。主役は、鍵だった。
上面をガラス板で覆った特注の木箱へ収められ、壁に掛けられ、立てかけられ、あるいは無造作に積み重ねられ、昆虫標本や植物標本と同様の扱いで飾られていた。
対となる錠もあったが、それらはあくまで脇役らしく、あつらえられた棚に並ぶのみだ。
さらに未整理のものが、部屋の中央にある卓上で、雑然と転がっていた。
「まあ。いけない子ね。またここに入って」
咎める言葉はおっとりとして、それが戯れていどの意味しかなさないことは、幼子でも分かった。
卓について夢中で錠前をいじっていた幼女は、母親の出現にあどけない笑顔を向けると、再び手元に集中する。
「どうしたのかね?」
「ああ、あなた。また、あの子にせがまれて開けたのね」
「いずれ引き継ぐんだ」
「それはそうですが……ほら、ご覧になって。あんなに夢中に。あれでは、海向こうの王様ですわ。それでなくとも裸馬に乗って遊び回る――このあいだなんて落馬まで! ――あんな男勝りなのに」
「いいじゃないか。自分で頭を抱えて怪我を防ぐなぞ、なかなかできることじゃないぞ」
父親の、鷹揚で快活な笑声。
「鍵に合う錠は見つかったかい?」
「ないわ。これも、あれも、それも、全部違うの。ねえ。開くのはどれ? 教えて」
幼女は手にした鍵――ほどほどに凝った植物紋様――西洋柊――の彫作、差し込み部の単純な構造、持ち手に嵌め込まれた暗い紅の石――を掲げてみせた。
再び快活な笑いを伴って、父は告げた。
「まだ教えられないな。まだまだ」
つづけて名を呼ばれた気がして、幼女は両親を見つめた。輪郭がぼやけ、何度も目を凝らすが焦点は合わない。
父が母の体を気遣っているらしい――そういえば病弱で、伏せっていることが多かった。声は聞こえるのだが、反響している。意味をなさない。気配だけが感じ取れた。
やがて、徐々にそれらも滲み、形を失い、呼び声だけが残る。
レディ――と。
◆
古城の址に停めた馬車の中――目を覚ましたレディが、ぽんやりと周囲を見回した。
一拍おいて、自分が横たわり、頭の方から覗き込まれているのだと気づいたらしい。
「寝顔を見たのですか?」
まだ気怠さを残しながらも咎める口調に、ツクモは半ば感心しながら素直に認めた。
「大丈夫そうだな」
「おかげさまで。ああ――夢を見ていたのに忘れてしまいましたわ」
レディが白い手を金色の前髪が張りついた額へやり――眉を顰める。視線が漂う――灯りを追う。
「なんですか、これ?」
車中、淡い光を放つ球が天井すれすれに浮遊していた。思わず体を起こす。首を伸ばして目を凝らした。
「ああ……気にするな。じきに分かる」
ツクモは説明を放棄。我ながら疲弊しきった声音になった。レディが耳聡く気づき、向き直る。
息を飲んだ。
「……こんなに汚れて……これじゃまるで……」
「まるで?」
「……しょぼくれた野良犬のようですわ」
容赦のない喩えが、ツクモにはむしろありがたかった。
「それに、これは……怪我をしているのですか?」
レディがツクモの額に滲む血へ手を伸ばす。触れるに触れられず、躊躇。
「そうですわ。わたくしが原因ですね。やっと、気絶する前のことが――」
安宿でシーツを交換すると言ってきた少女――その前に荷物をひっくり返して――突きつけられた刃物――〈魔弾〉――記憶が行きつ戻りつ――風に弄ばれる本の頁となって――ここへ至る経緯を語る。
「それで? わたくしを攫った娘さんは?」
問いに、ツクモは一瞬、答えに詰まった。
「あれは……男だ。〈組織〉の……」
「ああ、そうなのですね。東洋の方は見分けが――」
「変装していて……油断したから……」
「……ツクモ?」
「だから俺は……でも! 殺さなかった」
ツクモは表情を歪めた。そうでもしなければ、吹き出すものを堪えることができなかった。
「殺さなかったんだ……レディが見えて……あいつの向こうに……手を緩めて……それで……」
吐露した言葉が文を成さず、ぼろぼろこぼれていく。身振りも、ただ、両手が空をさまようのみ。
それでも、レディが穏やかに頷いた。
「わかりますわ。あなたは騎士にふさわしい振る舞いをしようとした」
「騎士……」
「ええ……まだまだですけどね。ところで怪我のほうは?」
「怪我――」
ツクモは鸚鵡返しに呟き、大きく息をついた。腹の底に力がこもる。視界が――目を開けていたはずが、その実、まったく見ていなかったことに気づき――戻る。
「ああ――これは全部かすり傷だ」
レディを手で制し、心のおののきを鎮めようと頭を振る。何度も唾を飲み込もうとするが、口中は乾ききっていた。
「動ける。心配ない」
その答えに車外の気配が動く。待ちかねていた様子だった。
「ならば、次は私の番だな?」
低く、太く、年期の入った声――〈教授〉。
一瞬にして五体へ緊張が漲った。
たしかに、騎士には「まだまだ」らしい――。
ツクモは冷ややかに納得する。名誉、高潔――そんなものとは無縁の臨戦態勢。どれほど狼狽えていようと、殺気を向けられれば反応する。
素早くレディの腕をとった。馬車から引っ張り出すと、もう一方の手で掴んだポーチェを入れ替わりに押し込む。
「馭者台へ」
浮かぶ〈光球〉を手にまとわりつかせ、遊び始める少女を横目にレディを促す。
「わたくしがっ? あなたはっ?」
「俺は、この賞金稼ぎと話がある」
「狩人と言いたまえ」
訂正を要求する〈教授〉を無視。仰天し、まごつくレディの背を強引に押す。
「賞金稼ぎっ? でも、あなたは――」
「いいから早くしろっ」
「いきなり告げられて、『はい。わかりました』と納得するとでも?」
押しやる手を振り払ったレディが怒りを露わにする。腰に手を当て、理由を聞かなければ梃子でも動かない構え。
「納得しないだろうな」
ツクモはこれまでの言動を思い起こし、馬鹿正直に頷いた。
くそっ――。
吐き捨てかけ、飲み込み――抱き寄せる。
「ひゃっ?」
いきなりの抱擁に、レディが動転――〈教授〉が紳士的に目を反らす――その隙に囁く。
「河に沿って下流へ行け」
すぐに腕の中から解放。馭者台へ導かれ、手綱を握らされたところでレディが我に返る。
「ど……どさくさに紛れて、なんて破廉恥な――」
「俺は『何者』だっ?」
鋭い語気で遮った。レディの目が大きく見開かれる。
「騎士」
思わず答えた、という調子だったが、どうやらそこで意を解したらしい。身を翻した。馭者台へ乗り込み、前を見据えて――脇見をするほど慣れてはいないのだろう――宣告。
「わかりました。余裕がないようですから妥協して差し上げます。そのかわり、ちゃんと来るようにっ」
「俺に命令するな」
ツクモは、馬の尻を思い切り叩くことで話を打ち切った。馬車が泥濘を蹴立てて走りはじめる。少々、危なっかしい手綱捌きだが、なんとかなるだろう。
「またねー」
手を振るポーチェの気楽な様子が、悲壮感を遠ざける。
二人の男は、きわめて紳士的に女性陣の見送りを済ませると、目も合わせずに「賞金首」と「賞金稼ぎ」へ役割を分担した。
問答無用の一撃――横殴りにツクモへ襲いかかる。
洋杖――躱す――受ければ骨を砕かれる――鋼鉄製と予想――握り部分は触ったとき――それから胴の部分――安食堂で卓を叩いたときの音で――石突きまでも。
追撃はなかった。
できない。その距離にない。
「どういうつもりかね?」
ひと息で、馬車一台に匹敵する間合いを取った跳躍力に感心しつつも、〈教授〉の目つきには怒りが湛えられていた。次の行動が読めたからだ。
そしてツクモは、読まれていることを察している。
「ただの性分さ。退路は常に考えておくように仕込まれたんでね」
言い放ち、身を翻す――逃走――が、五十歩と行かないうちに足がもつれる。
紐。
両足に絡まっている。錘がわりの鉤爪が、脛に食い込んだ。痛み――ツクモは眉ひとつ動かさない。ついさっき刻まれた傷のほうが、よっぽど痛む。
露ほどの動揺も見せず、ツクモはひょこひょこ跳びながら進んでいく。すぐに辿り着いた。
鉄橋のたもと。
「協力してくれたことには、心から礼を言う」
さらに、欄干伝いに――〈教授〉が顔色を変えた。
「約束を守りたまえ!」
憤然。その長身ぶりを遺憾なく発揮した大股で、駆け寄ってくる。
「けど、あんたとの約束は『手合わせ』だ。日取りまで決めた覚えはないぜ。それから――」
ツクモは欄干に腰掛けた。指を突きつけ――。
「俺に命令するな」
言うなり、背中から橋の外へと身を躍らせた。
雨に増水し、濁り、夜の闇を溶かし込んだ河が、瞬く間にツクモの体を包み隠す。
ひとつ、洋杖の石突が鳴った――苛立ちの表明――あとは無言。獲物を逃した狩人にとっても、生徒を失った教授にとっても、言葉は空しいだけだ。
雨幕が垂れるなか、黒々と渦巻く水面を睨み、佇むしかなかった。




