狩人は仕掛け:第三日(2)
独りにさせて。
ツクモは、そのレディの危うい願いを退けることができなかった。
安宿の二階。その一室に残し、小雨そぼ降る表の通りにポーチェと所在なく佇む。
だから無理に訪ねる必要はないと――。
いまさらながら、こぼしたくなる。
細工師が付け加えるには、貴族や裕福な者を専門に狙っており、その界隈で売り出し中の存在だという。鍵のペンダントは〈魔法卿〉ことジョン・クリフォード・ヘンベインの所有であり――代々受け継がれてきたわけではないらしいが――それを偽物とすり替えたのだろうということだった。
疑念は、それだけではない。
鍵のペンダントは骨董品だ。どうして〈魔法卿〉は自邸で大事に保管しなかったのか? どうして、わざわざ持ち出したのか? どの程度のものか分からないが、それでも貴重な〈魔術品〉を。
頭をかすめるのは、最悪の推測。
ペンダントはシスルの町で〈魔術〉実験に使用するため持ち出され、すり替えを行ったせいで、あの大惨事が発生したのでは?
レディも、当然、同じ考えに至ったからこそ「独りになりたい」と言い出したのだろう――だからこそ、危うい。
自殺でもされては。
それは困る――。
咄嗟に思い、はたと反芻。眉間に皺を寄せる。
別に困りはしないだろう――。
むしろ、これまでなら荷物がひとつ減るという程度の感覚だったはず――騎士らしい考え方とは言えないが。
しかし、レディが主というわけでもない。ましてや俸禄を貰っているわけでもなかった。
俺はいったい、何に困ってるんだ――。
無駄とは知りつつも、傍らにいたポーチェを見つめてしまう。珍しく、赤毛の少女も訴えかける眼差しだ。
「なんだ?」
期待の問い――一瞬で粉砕。
「お腹空いたー」
安宿の前は安酒場――定番だ。
二人は出入り口そばの卓につく。ほとんど夕食に近い時刻だった。町に着いてから、まともな食事を摂るのは、これが初めてだ。
「気づかなくてすまんな」
犬の勢いで大ぶりな羊のすね肉に食らいつくポーチェの姿に、ツクモはひとまず、まとまりに欠けていた感情を抑える。
少女の超然とも言える無関心さは、こういうときに役に立つ。慣れない戸惑いから適度な間合いを取り戻すことができる。
自分の前にある牛の臓物と豆の煮込みを口へ運んだ。まずは身体の力を補うことに専念しよう。
灯りの節約のためか、雨でも構わず、通り側の戸板をすべて開け放っている。好都合だった。向かい側――レディの籠もっている安宿――の様子が分かりやすい。酒場へ入ってくる客も、いち早く確認できる――雨で仕事を早じまいした煉瓦職人や、仕事にならなかった道路工事夫などばかりで、特に注意を払う必要はなかったが。
ツクモの警戒心が〈組織〉によって刻み込まれた精密さを発揮したのは、ポーチェが四皿目の羊肉を平らげ、しつこくパンの切れ端で残った脂をかき集めていたときだった。
長身の――肩幅も広い――中年男が通りに現れた。
すぐ近くまでは馬車で来たのだろう。帽子も外套もほとんど濡れていない。ゆったりと、長躯を示す歩幅。洋杖の異様に重い響き。しっかりと重心移動が行われる足音。
戸口に立つ――しん――と、一切のざわめきが途絶えた。ツクモの心象ではない。実際に、店にいた者が一人残らず口を噤んだのだ。誰もが――ポーチェは除くが――男の眉尻ひとつの動きまで逃すまいと緊張しつつ、そのくせ顔を伏せ、あるいは視線をそらし、目にした瞬間、塩の柱になるとでも信じているのか、決して直に見ようとしなかった。
何者だ――。
ツクモは全身に響く〈暗殺者〉としての警鐘を抑え、手元のフォークへさりげなく手を置く。
抱いた疑問のほうは、安食堂の店主による職業的勤勉さによって解消した。
「〈教授〉! お久しぶりです。いつこちらへいらしたんで?」
慇懃に迎えられ、長躯の男――〈教授〉――は、たくわえた顎髭をひと撫で。穏やかな笑顔を見せた。
「例の市民消失事件の話を聞いてね。おそらく獲物たちが火事場泥棒に押し寄せるだろうと、足を伸ばしてみたのだよ。おかげで良い狩りができた」
「それは何よりでした。ささ、相変わらずガラの悪い連中ばかりの狭苦しいところですが、どうぞ奥の卓へ」
「いや。ここで」
店主の案内を制し、〈教授〉は出入り口そばの卓――ツクモたちの卓――へ躊躇の片鱗もなく腰を落ち着けた。向かい合う黒髪と赤毛を左右に見る形へ収まっている。待ち合わせていた昔からの友人、あるいは親類縁者といった面持ちで。
ポーチェが、やっと皿から顔を上げた。物足りなさそうな目つきのまま、不躾にもまじまじと〈教授〉を見つめる。
「店主。適当に食事を見繕ってくれ。それから――」
〈教授〉がポーチェに微笑みかけた。
「こちらの可愛らしいお嬢ちゃんには、何か甘いものを」
「ふたつー」
塵ほどの遠慮もなく、ポーチェが付け加える。
東洋人と赤毛の少女と〈教授〉という奇妙な取り合わせに、店主が物問いたげに口を蠢かしつつも、結局は素直に従った。詮索しないほうが無難だと、長年の客商売の勘が告げたのだろう。
店主が離れると、〈教授〉が上着の懐から几帳面に折りたたんだ新聞を取り出した。卓の上に置く。
ちらりと目を走らせたツクモは、その表がマグワート駅での騒動――警察の発表した懸賞金について書かれた記事だと読み取る。初めて傍らの長躯へ目を向けた。
「聞いたことがある。〈教授〉と呼ばれる凄腕の賞金稼ぎがいるってな」
たちまち〈教授〉が顔をしかめた。指を振る。
「若いのに詩心がないな。狩人と言いたまえ」
「さっそく講義か? 悪いが授業料は払えないぞ」
「それはまた後日にするよ。今日は別件だ」
〈教授〉の言葉に嘘はなさそうだ。すっかりくつろいでいる。椅子の背もたれにたっぷりと体重を預け、長い足を組み――これでは素早く動けない――目を細めてポーチェに笑いかけていた。
食えないオッサンだな――。
〈教授〉が入ってきたときから、ツクモはあえて刺々しい気配をまとっていた。反応を見るためだ。
それを、いともあっさりとやり過ごし、隙だらけの体勢までとってみせる。ぎりぎりの駆け引きを愉しんでもいるようだ。これまで踏んだ場数の多さが、その支えなのだろう。
〈組織〉が甲乙丙丁の四段階に分類した敵性人物の、甲組に入っていたことを思い出し納得する。
「用事というのは他でもない」
〈教授〉が、手にした洋杖で卓の端を叩いた。握りが、ない。
「そろそろ返してくれないかね?」
ツクモは洋杖と〈教授〉を交互に見やり、上着のポケットからマグワートの駅舎で拾った握りを取り出す――卓上へ。
「大事に持っていてくれて助かったよ」
元通りに嵌め直すと、手に馴染ませながら〈教授〉が目をつむる――無防備にも。
「こいつは昔、人から贈られたものなんでね」
口調から、それが女性であることはツクモにも推察できた。
それを投げつけるってのはどうなんだ――。
そう、皮肉のひとつも返したいところだったが、上手い言葉は見つからず、〈魔人〉と争っているさなかレディたちに気を取られて油断したことも思い出し、神経のささくれ立つ感覚に黙り込む。
皿を運んできた店主が、救いの主に見えた。
「――オッサン――〈教授〉――本物――?」
ツクモの鋭敏な聴覚が捉えたのは、ポーチェにプディングの追加を運び、空き皿をさげてきた店の若い男の小声だった。若い店員を目の端に入れると、その唇の動きに集中――カウンター越しに店主へと話しかけている。
「オイラには初孫に――してるようにしか見えねえ――」
耳と目で互いに補い、おおよその話の中身を掴み取っていく――これも、〈術〉。
「最近の若い奴は……」
店主の大仰な素振り。呆れている。
「けどまあ、分からねえのも――。ここんところ、首都以外――仕事なさんなかった――」
同じくカウンターへ乗り出し、小声で説明しているようだ。
店内はわずかばかりのざわめきを取り戻してはいたが、まだ声高に言葉を交わせるなごやかさにはほど遠い。
「これじゃあ紳士の酒場――」
緊張感に、若い店員がうんざりと肩を竦めた。
「オイラでも勝てそうな――」
「力試しなら――代わりの店員を――やるなら外――死体の片づけはご免だからな」
「そんなに強いのかよ?」
「酔っ払いを店から叩き出――無銭飲食を懲らしめ――違う――てめえなんざ――する暇もなくこの世とオサラバ――」
どこまでも真剣な目つきに、若い店員が唾を嚥下した。店主が慰めの笑みを浮かべる。
「ま、安心しな――俺らみてえな小物――興味はねえ――」
「大物釣りしか――もホントなのかい?」
「ああ。それか集団――強盗団――。今回も――火事場泥棒――獲物たちって言ってた――」
「強盗団――十人以上――?」
「あの人なら――百人以上――潰しかねん。一人でな」
淡々とした店主の口ぶりが真実味を加えていた。いよいよ不安げに、若い店員が身じろぎする。
「なぜ――そんな人が、わざわざ――この町――?」
「そりゃあ――」
答えかけた店主の口元が、ぴたりと停止。言葉を失ったらしい。
蒸気機関車の切符さえ買えば、シスルから一日で首都へ帰ることができる。そのご時世に、途中の町で足を止めた。
わざわざ。
そりゃあ、俺をふん縛るためだろうさ――。
ツクモは目を移した――店主の視線を感じつつ――相席の〈教授〉へ。いまだ衰えないポーチェの食べっぷりを、目を細めて眺めている。なるほど「初孫」を見る目に似ているかもしれない。
ただし、あくまで息抜き。
時宜を得れば、たちまち豹変するだろう。非情な賞金稼ぎに。
問題は、そのきっかけだ――。
なにを引き金とするのか。ツクモには皆目読めない。自然、意識は〈教授〉へと集中し――。
それ、が起きた。




