蝶は傷ついて:第三日(1)
また夢――待って。わたくしを起こさないで。だってほら、いま話をしているの。
「ねえ、パパ。このペンダント素敵ね」
「そうかい? こんなに地味なのに?」
「うん。この形と飾り、好きよ。わたし」
「うむ。それは見る目があるな。実はね、これはお前のお祖母さんから預かってるものなんだよ。大きくなって、立派になったらお前にあげるようにってね」
「本当? 約束よ? パパがとっちゃイヤよ」
「とったりしないさ。パパには使えないからね……約束だ」
「でも、パパ。大きくってどのくらい? 十歳? 二十歳? それとも、もっとお婆さんになってから?」
「そうだな……おまえが『淑女』になったらだな」
「レディ?」
「そうだ。だから、立派なレディになりなさい――」
ねえ、待って。起こさないで。お願い。もう少しだけ。
きっと、目覚めたときに忘れてしまうから。
◆
デイリリーの町――マグワートのさらに南。ツクモたちが着いたときには、夕方も近かった。
降りつづける雨で馬車の足が遅々として進まないうえに――。
「有料道路が多すぎる」
ツクモは愚痴をこぼす。金の心配ではない。足が付くのを避けようとしたら、ひたすら遠回りさせられるはめになった。重々承知のうえだったが、さすがにうんざりだ。
「仕方ありませんわ。大半の土地は貴族のものですし、汽車ができるまでは、それが重要な収入源でしたから。ツクモの国では違うのですか?」
「関所はあるけどな。だいたい、どうして天下の大道を行くのに金を払う必要があるんだか」
レディに不満をぶつけつつ、ツクモは休憩の安宿を定め、馬車を預けた。預かり夫には銀貨。昨日はこの太っ腹で、乗り捨てるつもりだった馬車を、すぐに確保できた。
退路の用意は〈組織〉に叩き込まれた〈術〉のひとつだ。戦うばかりが能ではない。
そして情報収集も、また重要な〈術〉だった。
レディと、だらしなく大口を開けて欠伸をしているポーチェを伴い、安宿を出る。株式取引所、閲覧所を辻馬車で足早に巡り、新聞に目を通した。
結果――。
「賞金首だ」
告げるなり、ツクモはレディの背後へ陣取る。今度は徒歩だ。お嬢様に従う使用人を装った。できればレディの方を家庭教師ということにして、ポーチェをお嬢様に仕立てたいところだったが、赤毛の少女には不向きな役柄だった。
「おいくらでしたの?」
「重要情報提供者に五十銀貨。捕まえたやつには百銀貨」
「三人まとめて?」
「残念ながら賞金首は駅で乱闘した二人だけだ」
「そうですか。それは良かったですわね。結構な高値をつけてくださって」
ショールで頭と肩を覆い、小雨を避けたレディは、裏町へと入る一隅で小悪魔の微笑を浮かべた。
「わたくしも、自分の騎士が評価されて鼻が高いですわ」
「『お前の』騎士じゃない」
ツクモはしかめ面でぼそりと反論。
レディが微笑のまま、さっさと先へ行く。前日のマグワートの町と同じだ。老故買屋に細工師の住む地区までは教わったものの、記憶も定かではないはずの裏道を、迷うことなく進んでいく。一度通ったことがある、という足取りではない。ここにも馴染みがある。
体が覚えているのか――。
ツクモのような人間には、その解釈が一番腑に落ちる。屋根の上を音もなく歩くとか、人に気づかれることなく家へ侵入するとか、背後から呻き声ひとつさせずに殺す、といった種類の「体が覚えている」と、だいぶ違いはあったが。
裏町の奥。それなりに入り組んだ道のりを間違えることもなく、目的の家まで辿り着く。
細工師を叩き起こすのには手間取ったが――不規則な生活をしているらしい――レディの顔を見た途端、ろくに髭もあたっていない顔に笑みが広がった。目は覚めたようだ。
「よう!」
挨拶は、昨日の故買屋と同じく、どう聞いても初対面の者へ投げかけるものではない。
「どうだった? 『仕事』の首尾は? あと、後ろの連中は何者だい?」
すんなり作業場へ通してくれたものの、その先は、予想りレディと細工師の会話が噛み合わなかった。
訝り、果ては〈魔術〉で変装でもしているのではと疑う細工師を、回りくどく説得し、ときに脅して判明した話をまとめると、おおよそ次のようになる。
ある日――ひと月ちょっと前だったかな――彼女、つまりレディが工房へやってきた。今より、もう少し身なりが安っぽかったらしい。名乗ったが、忘れたと言う。どうせ偽名だ――マーガレットとかビッキーとか。この商売には多いんだよ――いちいち覚える努力などしない。そして――こちらにおられる淑女は――一枚の紙を手渡した。
「それが、こいつだ」
細工師が、その薄汚れた風貌に似合わぬ几帳面さで整理された紙束から、図面を抜き出した。
鍵の絵。
レディが銀鎖で身につけているものと同じ意匠。
「描いたのはどなたでしょうか?」
「アンタだよ」
下手な冗談だと思ったらしい細工師が、軽く笑ってから図面を――それを広げた卓を指先で叩いてレディに示す。
「ここで。描いたじゃねえか。オレの目の前で」
「わたくしが? これを?」
「おいおいおいおい。勘弁してくれよ。なんだ? まさかオレをハメようとしてるんじゃねえだろうな? え?」
細工師の目つきが、とうとう警戒心も露わに鋭くなった。
「言っとくが、オレはあんたの依頼で贋作を作っただけだ。それで仕事をしたのはアンタだし、オレは関係ねえ。それがこの商売のシキタリってやつだろ? 忘れたのかよ」
「仕事って……?」
「とぼけるのもいい加減にしてくれっ。『辻屋』! それも貴族専門の! それがアンタの仕事だろうが!」
激昂。その剣幕に、ツクモは割って入った。
「すまない。こっちも色々と込み入ってるんだ。決してそっちに不利になるようなことはしない。約束する」
その言葉が信頼に足るものでないことは、お互いに分かっている。それでも細工師が息をついたのは、まだ若い娘に怒鳴り散らすのは大人げなかったと、さすがに我に返って反省したせいだろう。
「ああ……わかった。……寝起きのせいかな。興奮しちまってな」
「叩き起こされりゃ、誰だって不機嫌になるもんだ」
ツクモは精一杯の嘘で――いついかなる時間でも瞬時に覚醒できる――同意を示し、気が鎮まったのを見計らって訊く。
「それで、さっきの辻屋ってのはどういう意味なんだ?」
「すり替えだよ。偽物を用意して本物とすり替える」
両手を交差させ、左右のものを入れ替える細工師の仕草に納得する。腕が、辻、だ。実際の仕事とまったく関係のない言葉をあてているのは、そこから本業を悟られないための用心。
「宝石とか小さな骨董品で使われる手口さ。仕込みに金も時間もかかるんで、あまり使うヤツはいないがね。ただ、良くできた偽物が用意できると――つまり俺みたいに腕のいい奴が手助けするとってことだな――なかなか発覚しない。持ち主が死んで、遺品整理をしたら偽物だった、なんて話もある」
「早い話が……その……泥棒。それも貴族専門の、ってことか?」
細工師が口元を弛めた――肯定。
道理で――。
ツクモは、ようやく腑に落ちた。シスルの町で、服だけでなく、あっさりと金まで調達してのけた件だ。
大きな家の住人が、どこに金を置くのか見当がつくのか――。
レディを横目で見る。小さく舌打ちをひとつ。
白皙は血の気を失いさらに白く、口元がきゅっと引き結ばれていた。下唇を噛み千切らんばかりに歯を立てている。碧い瞳は宙を見つめたまま。息――幸いにして止まっていない。
予想された反応ではあったが、しかし。
こういう場合はどうしたら――。
もとより〈術〉には対処法などない。ツクモは手をこまねいてしまう。
「ねー」
砂粒ほどの気遣いもない調子でレディへ話しかけたのは、ポーチェだった。
「あのペンダントかしてー」
いたわりも同情も慰めもなし。あるのは自分の興味のみ。しかし、それがかえって良かったのかもしれない。わずかに我に返ったレディが、緩慢な動きながらも首の銀鎖を外し、鍵のペンダントを手渡す。
ポーチェが、それを細工師へと突き出して言った。
「もう一回、これと同じの作れるー?」
「お? おう。作れるぜ。今度は図面だけじゃなくてちゃんと見本があるから、完璧に――」
「ちがうのー」
ポーチェがぱたぱたと赤毛を振る。
「最初に作ったのと同じようなのがいいのー」
「そりゃあ、まあ、作れないことはないが……」
細工師が戸惑いながらツクモへ目を――あえて完成度の低いものを作るのは、職人としては複雑な心境なのかもしれない。
「頼む。この子の注文通りで。金はいま払う」
ツクモは、できるだけ慇懃にポーチェの言葉を後押しした。なにか考えがあるのだろう。問いただしたいが、それよりもまず、黙り込んでしまったレディを連れ出さなくては。
三人三様の姿に、細工師が肩を竦めた。
「わかった。こちとら、しがない細工師だ。金さえ貰えりゃいいさ。ご注文を承りましょう」
おどけて見せ、ポーチェに笑いかける。
「ところでお嬢ちゃん。完成までにはちょいとかかるんだが。受け取り場所はどうする? ここかい? 別の場所に送ることもできるぜ?」




