魔人は諦めず:第二日(4)
実用本位の駅舎とはいえ、多少の見栄はある。町の駅とはそういうものだ。
マグワートの町の場合、低い時計塔がそれにあたる。頂点は四角錐。
その突端に鳥――銀の梟がいた。竣工当初からそこに据えられていた佇まいだが、むろん町に関わりはない。
翼を休めていただけだ。
不意に置物の気配を脱ぎ捨て、翼を広げる。頂を蹴り、森の梟と寸分違わぬ動きで飛び立つ。
灰色の雲を背に、〈魔人〉の暴威で慌てふためく人間どもの下界を悠々と眺めながら、大きくひとめぐり。それから、南へと進路を取った。
少し先の地上には馬車。
馭者は東洋人。中には金髪の娘と赤毛の少女が乗ったのも、ガラスの瞳は見逃していない。
進むにつれ、さらに雲が厚く、地が暗く、翼が濡れそぼり、行く手が銀糸の雨幕に満たされても、ひたすら飛翔をつづけた。
動物とも機械とも違う、夢幻の忠実さで。
◆◆◆
マグワートの町――裏路地。老故買屋は、暗闇で覆われた泥濘に足をとられてよろめくと、独り罵りをこぼした。
口汚さとは裏腹に、顔つきは上機嫌だ。
今夜は、タダ酒にありつけた。
どうも、店に来た東洋人が駅の騒ぎに絡んでいたらしい。それを、ちょいと吹聴した途端、一人の物好きがやたらと食いついたのだ。次から次へと酒を奢ってくれ、話をせがむ。
いやいや待て。自分の商売は信用第一――他の商売だってそうだろうが、とびきり信用が大事なのだ。いわくつきの品を持ってくる客だっている。そのお客さんたちはこの口の堅さを信頼して――まあ、少しぐらいなら――おっと。これ以上はダメだ。ダメ――じゃあ、あと少しだけ――。
「肝の部分は話してねえし……ま、大丈夫だろ」
濡れそぼった煉瓦塀に手をつき、裏路地を歩きながら、老故買屋は自分へ呟く。
なにしろ、あの小娘の持ち込んだ鍵――。
あの石!
顔色を変えずにいられたのが、我ながら不思議なくらいだ。〈魔力〉の反応がある、ってもんじゃなかった。肘まで痺れたのは久方ぶり。あれは間違いない。見たことはないが、長い商売勘が耳元で囁いた。
賢者の石、と。
なんとかして安く買い叩こうとしたのだが、その意図を見透かされたのか、なにか譲れぬ理由があるのか、頑として首を縦に振らない。裏から若いのを働かせて強引に奪うことも考えたが――。
「実行しなくて正解だったぜ……」
例の東洋人は、素手で〈魔人〉――取り囲んだ警官のうち十人近くを病院送りにして逃げ去った化け物――と五分に渡り合ったすえに逃げたという。裏町の三下風情では返り討ちに遭うところだった。
「だから大丈夫……だよな?」
雨に打たれ、酔いが醒めていくにつれ、不安が首をもたげてくる。故買屋と言えばまともに聞こえなくもないが、早い話が盗品の横流しだ。警察に目を付けられては商売にならない。
ひょっとすると明日にでも警官がやって来て、根掘り葉掘り訊かれるかもしれない。それだけならまだいいが、下手をすればしょっ引かれる。ろくに調べもしないで牢にぶち込むのが連中のやり方だ。
後悔と酒の恐ろしさを存分に味わっていたせいか、黒い影が待ち受けていたことに気づいたのは、話しかけられてからだった。
「夜分遅く失礼いたします」
心臓が喉元まで出かかるほどに驚き、言葉を失っているところへ、影は――雨にもかかわらず丁寧に帽子をとり――慇懃な物腰でつづける。
「〈魔術品〉故買屋のチャックさんですね? 昼に騒ぎを起こした東洋人について、お訊ねしたいことがございまして」
「は――」
老故買屋は、やっとそれだけを吐き出す。
(はえぇぇぇぇぇぇぇ! 早ぇよ! もう嗅ぎつけやがった!)
警察だ。どうする。逃げるか。いや。かえって怪しまれるぞ。しっかりしやがれ。儂だって長年この稼業をやってきたんだ。
「なんか用かい? できるだけ早くしてくれよ。年寄りにゃ雨は毒なんでな。なんなら家に来るかね?」
「いえいえ。お手間はとらせません。お訊ねしたいことは、たったひとつでして。――例の東洋人はどこへ行ったかご存じで?」
「さあ? 知らね――」
とぼけきるよりも早く、どっと壁へ押しつけられる。
「ぐへっ」
喉を鷲掴みに。爪先立ち。引っぺがそうとするが、両手で渾身の力を込めても微動だにしない。自分とさして歳の変わらぬ印象だったが、異様な――異形の――腕の太さだった。
こいつは警察じゃねえ――駅の〈魔人〉と直感。
「酒場でのお話は、さきほど伺いました。もっとも、ずいぶん酔っておられたご様子なので、お酒を奢った相手のことなど、もう覚えてはおられないでしょうが……。さて。質問に答えていただけますか?」
老故買屋は、すぐさま南側を指さした。商売の信頼なぞ知ったことではない。矜持もへったくれもなかった。首を万力で締め上げれば、誰だって同意してくれるだろう。
「南、ということでしょうか? もう少し具体的にお願いできませんか――ああ、これは失礼。声が出せないのですね」
黒い異形が、喉の締めつけを緩めた。
「デイリリーだよ」
老故買屋が恐怖に掠れた声で告げた。細工師の名前もおまけにつける。
「――細工師って言ったが、ようするにコイツは贋作屋で――まだ若いんだが腕のいい奴だってんで儂らの業界じゃ名の知れた――」
聞き手のことなどお構いなしに、あえぎながらもまくし立てる。次第に話はそれていくが、本人も気づいていなかった。喋りつづけなければ、死ぬ。本能だ。
「そもそも故買屋って商売はアバル王の御代から――」
べきん!
故買屋史の講釈が始まったところで、言葉が途切れる。ぐちゃ――と、泥濘に老人の体がくずおれた。
二度とみずから起きあがることはなさそうだった。




