騎士は再戦し:第二日(3)
駅構内――特に混雑の酷い場所は切符売り場周辺だった。首都監獄の処刑台前でも、もう少し整然としているのではないかと思わせる。
相変わらず瓦版売りはヴァイオリンで安っぽい音をかき鳴らし、声を張り上げていたし、人混みを当て込んで菓子、飲み物などの屋台商人も繰り出していた。おそらく、掏摸、引ったくり、置き引きもこぞって稼ぎに来ているだろう。
目立たないのはいいが――。
ツクモは五感を研ぎ澄ました。人の動きがあまりに不規則すぎ、とてもすべてを把握できない。
「ポーチェが――」
レディに呼び止められ、身近にも一人、把握しきれない者がいることに気づく。
「急に手を離して……」
日除けを押さえてくるくるとその場で回りながら、レディが周囲に目をやる。
「あの子、ああ見えて賢そうなので、自分で切符売り場へやって来るかもしれませんが――」
途切れた語尾につづく予感は、ツクモにも理解できた。
ポーチェは賢い。それも相当に――けど、同じぐらい変わっている。たいていはなすがままで薄ぼんやりしているが、わざわざ手を離していなくなったということは、なにかに興味を引かれたと考えていいだろう。
ツクモは素早く視線を飛ばす。瓦版――興味はなさそうだった。飲食――これも同様。万博ポスター――関心は示していなかったはず――いや、待て。小冊子売りはどこだ。
「万博小冊子だよー。『科学部門』と『魔法部門』の二冊。一冊一黄銅貨。二冊一緒なら割安で――」
恰幅のいい男が、その体格にふさわしく、騒音を押しのける低音を響かせていた。
「あそこだ」
レディに目配せ。嘆きとも安堵ともつかない息の返答。
ポーチェが、小冊子売りの両手に掲げられた二冊の片方を凝視していた。
「やっぱり『魔法部門』の方かしら?」
連れ戻すために歩き出しながら、レディが首を傾げる。
「あの子、ずいぶん〈魔術〉にご執心ですわ」
「おそらく〈魔法使いの島〉の民か、その移民なんだろうな。記憶がなくとも感覚には馴染みがあるのかもしれない」
ツクモの推測に、レディが全面的な同意を示した。
「あなたが出て行った後で、故買屋のおじいさまも驚いていましたわ。『〈制約〉がかかってる品だけ避けて触ってる』と」
「なにか見えてたのか?」
「そうかもー」
レディがポーチェの口調を真似、肩を竦めた。同じ質問をしたのだろう。
「本人にも、よく分からないみたいです。けど、地下室だったとはいえシスルの町であの子だけ消えなかったわけですし……〈魔術〉に無関係ということはなさそうですわ」
気づいてたのか――。
ツクモは仮面の無表情で、同時に抱いた疑問をぶつける。
「そうだな。しかし、消えなかったのはお前もだぞ」
「わたくし? わたくしは〈魔法陣〉の真下、しかも地下で〈魔力〉が及ばなかったのかもしれない、と聞きました」
あまりに呆気ない種明かしに、危うく聞き流しかけたツクモは思わず足を止めた。
「どこで? 誰に? 故買屋か?」
「いいえ。塔の地下牢で。誰かが筋肉紳士に言っていましたわ」
「お前な――」
一瞬、言葉に詰まってしまう。
「なぜそれを、塔を調べていたときに思い出さない」
そうすれば、塔で未知の〈魔術〉実験が行われた、というレディの仮定も部分的には納得できた。少なくとも塔と〈魔術〉が元凶の中心だったことは確実になる。
「いまの話の流れで思い出したからです」
悪びれもせずレディが応じた。それどころか、咎められたことに不服そうな顔つき。
「馬車の件と同じですわ」
「一度、ゆっくり思い出してもらう必要がありそうだな」
ツクモは、昨晩からの休まる暇もない状況を呪った。レディが小さく諸手を挙げる。
「専門的なことは訊かないでくださいね」
「安心しろ。そっちの期待はしてないし、俺にもわからん」
「いっそ、ポーチェにお伺いを立てたほうが早いかもしれませんわ」
改めて、二人揃って歩き出す。
「なんにせよ、目立つ赤毛で――」
分かりやすい。助かる。手間がかからない。その他、どんな語尾で片づけるつもりだったのか。当のツクモでさえ一瞬で忘れた。
ポーチェを挟んだ向こう側。ほぼ自分たちと等距離に、覚えのある顔を見つけたのだ。
すぐさま、両手を塞いでいた旅行鞄を抛り出して駆け出す――むこうも同じ。
「ポーチェ!」
レディの鋭く甲高い声が追い越していく。ツクモ同様、気づいたのだろう。忘れようもあるまい。なにしろ、いまの記憶では最初に出会った人物だ――いや、人、は正確ではない。
〈魔人〉――まだ、細身の初老紳士姿だが。
ポーチェ――気づいていない。獲物を狙う猫をも凌ぐ集中力――小冊子「万博詳細案内・魔法部門」に釘付け。こちらが辿り着く前に小冊子売りへ飛びついてもおかしくない。
「本気かっ?」
ツクモは口走った。
初老の紳士の体が膨れあがっていく。〈魔人〉化――この人混みで。
素早さは、一歩分だけツクモが勝った。ほぼ体当たりの勢いで、ポーチェを抱き上げる。横へ――放り投げた。
「あ~~~~~~」
もの悲しげな悲鳴。投げ飛ばされたことではなく、小冊子が遠ざかっていくがゆえの。
「きゃーーーーー!」
伝統と基本に忠実な絹を裂く悲鳴は、近くのご婦人。乱暴に宙を舞う少女の姿と、〈魔人〉の異形を目の当たりにしたがゆえの。
そのまま妙齢の婦人が卒倒。脇の紳士が支える――その光景を覆い隠す〈魔人〉の豪腕――ツクモへ。顔面を捉え――ていない。辛うじて腕で防ぐ。しかし怪力を殺すまでには至らず――跳躍。みずから――吹っ飛ぶ。傍目には――また別の悲鳴。
二転三転。立ち上がったツクモへ追撃はなし。間合いをとったまま対峙。
「こんな明るいうちに来るとは意外だった」
ツクモは息と本心を吐き出した。〈魔人〉が筋肉に埋もれた首で頷く。
「私も、そのつもりはなかったのですが。偶然、あの赤毛のお嬢さんを――いえ、お嬢さんの赤毛を見つけてしまったものですから」
「次からは帽子をかぶらせておくよ」
「それが賢明かと。遠目からでも良く分かりました。それで気づいたのですよ。少し迷ったのですが、この明るさならあるいはと思い直しまして」
「あるいは?」
「先日は夜でございました。私の美しさを見誤ったという可能性も――」
「それはない」
即答。断言。斬り捨てる――あえて。
どうやら俺に執着してるようだな――。
ならば、そのまま自分に引きつけておくべきだろう。
〈魔人〉の額に青筋が浮いたのを見て、さらに追い打ち。
「教えただろ? あんたは醜い肉団子だ」
告げたと同時に直上から拳。直下。飛び退く。拳が床へめり込む。クッキーよりも呆気なく敷石が四散。
野次馬の輪が広がる――が。逃げない。滅多にない見せ物だ。恐怖心と好奇心。天秤にかければ、まだまだ後者に傾いた。
「化け物めっ」
果敢な紳士が拳銃片手に輪を飛び出したのを見て、あっさりと解決してしまうことに不満の声さえ洩れたほどだった。
「よせっ」
紳士を制止したのはツクモのみ。同時に〈魔人〉の拳――敷石から引き抜く手を、無造作に打ち払う――紳士が宙に飛ぶ。
野次馬を巻き込みつつ墜落したときには、すでに気絶していた。銃を握り、〈魔人〉へと果敢に突きだしていたはずの腕は肘以外の場所で折りたたまれ、白い骨を覗かせている。顔の下半分が、落ちた卵の脆さで潰れていた。もう二度と聖夜の鵞鳥は味わえまい、と誰もが確信する有様。
無惨な破壊を目の当たりにして、ようやく野次馬たちの天秤が恐怖へと傾いた。ぶつかり、突き飛ばし、罵声を互いに浴びせながら我先にと逃げまどう。婦人方が金切り声をあげ、次々に卒倒していく。
「警官はどこだっ? 警官を呼べ!」
比較的冷静な叫びがおきた。賛同、賛同、賛同。果たして、警官があの怪物を止められるのかと疑いつつ。
〈魔人〉が気を取り直して、ツクモへの攻勢を再開する。警官のことなど、まるで意に介していない。囲まれても蹴散らし、逃げ切る自信があるのだろう。
退路――。
ツクモは鍛冶屋の大槌に匹敵する〈魔人〉の拳を躱しながら、駅舎の全体図を思い描く。裏口への扉は――線路へ出る最適な順路は――得物として使えそうなものは――瞬時に取捨選択。そして――判断を中止。
視界の隅に、レディとポーチェ。
だめだ――。
いま考えたものは、すべて単独行動という前提だった。
あの二人を連れて、どうやって〈魔人〉の追撃と警官の目を逃れるか――。
――捨てろ。
即座に、答えがどろりと『沼』から湧き上がってきた。これまで、そうやってきたのだから当然の反応だ。
捨てるのか――。
ガラスの温室での、レディの問いが蘇った。
「あの幻の人質が本物だった場合、どうするつもりでしたの?」
どうする――。
答えを導き出している状況ではない。体の命じるままに。頭では分かっているのだが、足は鈍る。
保留しろ。棚上げしろ。先送りしろ。とりあえず今は――そう。警官が揃う前に離脱――退路。
思考が一巡してしまったことに気づくのと、〈魔人〉の拳が視界の左半分を覆うほどに迫っていることに気づいたのは、ほぼ同時だった。
くそったれ――。
潰される。骨は力を込められない。槌で叩かれれば割れるのみ。体を捻る。可能なかぎり衝撃を逃がすしかない。腕も盾に。折れるのを覚悟。顔や頭蓋を砕かれて再起不能になるよりは。奥歯を噛みしめる。
衝撃――軽い。
拳の軌道がそれていた――またレディか――違う。ポーチェと一緒だ。逃げ出す機会を待っている――三人揃って逃げる機会を。
ツクモは踏みとどまった。多少の痺れはきたが、腕は生きている。それた〈魔人〉の拳をさらに流す。丸太ほどの手首を絡めとった。力の進路を操る。回転。
「ぬあっ?」
〈魔人〉が間の抜けた声を放つ。目を見開き驚きの表情――そのままで、ふわりと宙へ放り投げられていた。遊泳、落下。頭、首、肩、背、腰、足とまんべんなく敷石で鈍い旋律を奏でつつ転がっていく。並の人間なら重傷。不運に憑かれた者なら骨が砕けて死んでいても不思議ではない勢い。
受け身を知らないのか――。
塔やシスルの町で、何度か転倒させたことを思い出す。頑強で分厚い肉の鎧と桁外れの治癒力に頼り切っているようだ。おかげでわずかながらも起きあがるのに遅滞が生じ、こちらは逃げ出す隙を得られるのだが。
ツクモは身を翻そうとして、爪先で蹴飛ばした硬く重い感触に気づいた。割れた敷石の破片にしては、妙に滑らかに転がっていく。一瞥。
金槌――。
咄嗟に拾いあげる。丁字の形と材質と重さは金槌の頭でも通用するが、違った。蔦が絡まり、束になった装飾。
洋杖の握り――。
使い込んでいるのだろう。摩耗しつつも艶のある風合い。
警笛。
ツクモの鼓膜を打つ。体が弾ける。人混みへ飛び込んだ。傍らにはレディ。そして手を引かれるポーチェ。
「それ……」
真っ直ぐに前を見つめて群衆をかき分けながら、レディの細い指がツクモの手元を素早く示す。
「飛んできたようでしたわ。もの凄い勢いで」
「なるほど」
ツクモは掌中の握りに改めて目をやる。〈魔人〉の拳がそれたのは、この握りのおかげだろう。
何者だ――。
あの混乱で、金槌なみの重さの物を、〈魔人〉の剛腕をずらすほどの力で投げつけるとは。よほどの手練れか、さもなくば奇跡的偶然。
警笛の数が増えていく。騒ぎは当分、収まりそうにない。むしろ広がっている。回復した〈魔人〉が、脱出を試みているのかもしれない。
ツクモは考えを放棄した。
いまは、この町を――昨夜と同じく――出て行くことだけに集中しなくては。




