花は鍵を探り:第二日(2)
故買屋の店内へ入るなり、レディが明らかに狼狽えた。
帳場にいた店の主が、たちまち彼女へ笑いかけたのだ。客に対する愛想などではなく――見るからにそういった気遣いなど頭にない種類の人間だ――明らかに「知人」へ投げかけたものだった。
「適当に選んだはずなのに」
口にはしなかったが、そういった言葉が喉元まで出かかっているのはツクモにも鮮やかに読み取れた。
が。
本当に肝が据わってるな――。
感嘆――レディが狼狽を押し殺したばかりか、咄嗟に笑みを返したのだ。先に声までかけた。
「お元気?」
「このあいだ会ったばかりじゃねえか。まあ、この年になると、昨日元気でも油断はならねえが」
喉を絞った店主の笑声。歯より空いた部分のほうが目立つ。痩せた体を大きく左右に振ると、レディの背後――両側から棚の迫るせせこましさで一列にならざるをえなかったせいだ――ツクモとポーチェを検分。
「相棒かい? 亭主と子供ってわけじゃねえよな?」
「まさか」
レディが、調子を合わせて蓮っ葉調に笑い飛ばしながら背後を振り返り――目が合った。
「亭……主……?」
呟き――一瞬の間――目を見開く――頬に朱。
「おい」
ツクモはすかさず制止――妙な想像するなよ――釘を刺す前にレディが慌てて店主に向き直る。
「まさか!」
ぶんぶんっ、と首がねじ切れやしないかと思うほどの勢いで否定――再び一瞬の間――またもツクモへ振り返る。
「べ……別に、あなたが夫かどうかというのが問題ではなく、これはその……あくまで誤解を――」
「ああ。そうだろうとも」
「どこか田舎の牧場が――とか、北西部の湖水地帯――とか、もう少し南の霧深い山地かしら――とか、羊を追うあなたの姿とか夕食を作って待つわたくしの姿とか子守りをするポーチェとか――そんなことは、ちっとも!」
「分かった。お前はちっとも考えてない」
ツクモは努めて冷静に同意――その、ポーチェに子守りをされてる幼子ってのは誰の子だ――この短い間で詳細に思い描いた想像力の逞しさに感嘆と辟易。
「だから、気にしないで、本題を、進めてくれ」
ゆっくりと促す。ようやくレディが、独りで右往左往している自分に気づいた。入ってからずっと棚のガラクタに心を奪われているポーチェの無関心が、かえって動揺ぶりを強調。
「そ……そこまで仰るなら、そうさせていただきますわ」
レディが三度、店主へと向き合う。使い込まれ黒光りする帳場を、整えられた爪で叩く――必死に次の言葉を探しているらしい。
「ええと……そう! 見てもらいたいものがありますの」
もどかしく首にかけた銀鎖を外し、胸元からペンダントを取り出した。鍵型。
「おお! 例のやつだな! 取り返したか。さすがだ!」
やっと出番の回ってきた店主が、ひと目で品を把握。散らかっている他の品々を腕で乱暴に脇へやり、どこから取り出したのか拡大鏡を顔の前へ据えた。
「待て待て。ちょっと待てよ」
わざわざ受け皿を用意して捧げ持つ。
「〈魔術品〉には『許された者』しか扱えないシロモノもあるからな。迂闊に触ると痛い目に――お嬢ちゃん。そんなわけだから、あんまり手当たり次第触るんじゃないよ」
棚の陳列品をひとつひとつ手にするポーチェに声をかけつつ、女王からの拝領品といった恭しさで鍵のペンダントを受け取った。唸り。ため息。品のない笑み。舌なめずり。
「装飾はシンプルだが……本体に反応は……あり、と。たしかに〈魔術品〉のようだな」
鑑定用らしい金の針を、鍵の上でぶらさげて頷く。
「……が」
「が?」
わずかに口調を曇らせるレディ。店主が肩を竦める。
「これだけじゃ弱いな……石の反応はいいが……まあ、骨董の〈魔術品〉ってことになる。世の中にゃ鍵の収集家ってやつもいるから売り物にはなるが、たいして面白いもんでもなし。持ち主と由来を証明できねえかぎり、高値はつけられねえな」
「その持ち主と由来に、心当たりはありませんか?」
帳場へ身を乗り出したレディの勢いに、拡大鏡の向こう側で、店主がぽかんと歯抜けの口を開けて見つめ返した。
「心当たり? そりゃあ、あることはあるが――」
「教えていただけません? お礼ならいたしますわ」
「いらねえよ。儂の知ってることは、全部、お前さんの受け売りだからな。それでいいのか?」
念を押され、今度はレディが口を開ける番だった。
「どうも、さっきから調子が噛み合わねえな。どうしちまったんだ?」
店主が困惑に白髪頭を掻き、レディの表情を窺い――ふと、心得顔になる。
「なんだ?」
ツクモは自分へ留まった視線に眉を寄せた。店主が顎で横柄に脇を示す。
「そこの東洋人。ちょっと席を外してろ」
どうやらレディとの間に子細があると見たらしい――当たらずとも遠からずだが――ツクモは従うかどうかを吟味するよりも先に、どうしても別の言葉が口をつく。
「俺に命令するな」
「いきがるなよ若いの」
鼻先の拡大鏡を横にやった店主が、顔を突き出す。
「この店じゃ儂が王様だ。儂が出て行けと言ったら、骨を投げられた犬っころより早く走って出て行くんだ。ぐずぐずしてっと、その墨みてぇに黒い髪を皮ごと剥いで、かつらの材料にしちまうぞっ」
一気にまくし立てられ、ツクモは口を噤む。脅しに屈したのではない。下町訛り気味の言葉の速射砲に対抗できないのだ。
が――すぐに気を取り直す。
どうやらレディの知り合いのようだが――。
封じられた記憶を探るには不適当な相手だった。この老店主と取引する者が、自分の身元を晒すとは思えない。用心するはずだ。
期待はできないな――。
瞬時に判断を下した。店主に対する反抗心より、この機会を利用したほうがよさそうだ。
「少し、そのへんを歩いてくる」
レディに告げる。
「ポーチェを頼むぞ」
言い置くと、止める間も与えず帳場の脇をすり抜け、店の奥へ。
「そっちは裏口だぞ!」
がなる店主を無視。戸の開け閉ての音もさせず――外へ。さらに二言三言、嗄れた声――戸に遮られて不明瞭に――裏町の故買屋にしては分厚くて頑丈――密談を洩らさない、あるいは襲われたとき一時的に立て籠もるため――やはり真っ当な商売人ではなさそうだ。
裏口を出ると、目の前は壁。細く、狭く、隙間と言ったほうが正しい空間が左右に伸びている。小路。
「さて……」
店へ入る前に「確認」したことを、「処理」しておかなくては。
さりげなく視線を走らせ、次の瞬間、ふわりと跳んだ。両手足を壁に突っ張り、宙に制止。ひとつ息を吐き、その体勢で登りはじめる。税金対策で――そして、そもそも劣悪な日当たりで作るだけ無駄なため――塗り込められた窓の、残された枠を足場に上へ。上へ。三階建て――屋根裏も含めれば三・五階建てだが――の雑居住宅を難なく頂まで。
斜めの屋根も、ツクモの平衡を崩す材料には足りない。するすると猫の歩みで進む。ひと塊の――一区画とするには、あまりに未整理な――住宅の端へ辿り着く。覗き込む。真下。
当たりだ――。
安っぽく毛羽立った帽子――ついさっき、紳士ごっこで遠回りしたときに目印としたもの。東洋人。若い――おそらく自分と、さほど違わない歳。
素人相手ならともかく――。
「同業」に通用する腕ではない。
いや、俺はいま騎士だったな――。
元同業というべきだ。なにはともあれ処理――警告を与えて追い払わなければ。
ツクモは下に気取られることなく隙間を飛び越え、隣の雑居住宅の塊へと移った。端まで行き、地面へ降り、通りを渡り、また別の塊をぐるりと巡り――ようするに相手の正面へと出るように動く。
途中、上衣を裏返しにし、使用人風に撫でつけていた髪を引っかき回し、壁の昇降で掌についていた煤を顔に塗りたくり、靴を脱いで後ろ腰に差し、素足を汚水にくぐらせ、背を丸め、肩をすぼめ、みすぼらしい風采をつくりあげる。俯き、地面ばかりを――青銅貨一枚でいいから落ちてないだろうか、と首を揺らしながら歩く。いったん相手の視界へ入り、そこを素通りすることで警戒からも外れる。
あとは、何気なく引き返し、死角から接近――腕を取る。背後へ回る。頸骨を制す。壁へ押しつける――ひと呼吸の早業だ。
「聞け」
帽子のつばが壁でひしゃげているのを見ながら囁く。目鼻立ちのくっきりした、少女――あるいは男娼――と見紛う横顔には反応なし。無言。規則正しい呼吸。頸骨が外される寸前だというのに――ツクモにその気はないが――落ち着き払っていた。〈封〉のためだろう。
「俺のことは忘れろ。白は死んだ」
言うのは一度きり。解放――同時に大きく間合いをとる。
通りへ突き出される格好となった帽子の若者が、振り返ることなく立ち去っていく。歩みに乱れはなかった。いったん上へ報告し、その後の命令を待つだけだ。
なにもかも仕込まれた通り、か――。
数日前までの自分を鏡に映した気分――あそこまで美少年ではないが――ツクモは口中に苦いものを感じ、それを打ち消そうと、ぎこちなく頬を引きつらせた。不思議と笑みの形になる。
陽が陰り、裏町が灰色に沈む。通りを抜ける風が湿り気を帯びた。
雨の気配だ。
風体が一変したせいで、故買屋から出てきたレディに怪訝な顔をされてしまったものの、詮索されることはなかった。それよりも気にかかることがあるらしい。
「汽車の切符のことですが、行き先はどこにするつもりですの?」
「首都だが……なにか希望でもあるのか?」
「デイリリーに変更できまして?」
これまで通り、訊ねておきながら決定済みの響き。
「それは構わないが」
一泊して疲れをとったほうが良くないだろうか。安宿で身ごしらえを回復させたツクモは提案したが、できるだけ早く移動したい、と主張された。
レディの言う町――デイリリー――は、さらに南へ下ったところにある。首都へ行きたがる者が大半のなかで、途中下車なら、切符自体は買いやすいだろう。ならば強行してしまうのも手か――決断。宿を出る。
通りに注意を払いつつ、お嬢様方を先導。駅へと向かった。帽子の若者――再び尾行や監視をするつもりなら、もう帽子は捨ててしまっただろうが――いない。
「それで? デイリリーに行く目的を教えてくれないか」
「ペンダントを作った職人がいるそうです」
背後からレディ。故買屋の老店主に教えてもらったという。ツクモは首を傾げて振り返った。
「ペンダントはかなり古い物なんだろ?」
それなのに、まだ作った奴が生きているのだろうか。
〈不老〉や〈不死〉、〈延命〉の〈魔術〉は、長い歴史の中で何度も試みられているが、いまだに実現していない。ときおり「〈呪文〉を組成した!」という話題も出るが、致命的な欠陥があるかがせねただ。
レディが、子供でも分かる明らかな自嘲を浮かべた。
さっきの俺も、この顔をしたんだろうな――。
そう、ツクモに悟らせる口元でもあった。
「職人は、鍵のペンダントの『複製』を作った人ですわ」
「なるほど」
複製と言えば聞こえはいいが、ようするに贋作屋だ。まともな商売ではない。言外の意味を汲んで、ツクモは頷く。しかし、まだ分からない。
「なんで、複製作りの職人に会わなきゃならないんだ?」
問いに、レディが視線をそらした。つられてツクモも前を。もう駅舎はすぐそこだ。相変わらずの混雑ぶりは遠目にも分かった――そこへ、レディの硬い声音。
「その依頼主が、わたくしだという話でした。仕事に必要だ、と」
「なるほど」
ツクモはさらりと流し――みずから贋作屋に依頼。本物は自分の手に――では、贋作品は?
きな臭くなってきたな――。
ごろごろと目の前に抛り出された断片で、無理にでも手札を揃えたくなる誘惑を堪える。
「どこかの貴族が没落して、彼にお金を貸していた方々が『死体のあるところにハゲタカが集まるように』――あの店主が言ってたのですよ――ああ、でも元はわたくしが引用したのかも――家財を毟り取っていったそうです。この鍵のペンダントは、そのひとつ。最近、よくある話ですわ」
レディの軽い口調が、裏側に潜ませた「悪い想像」をかえって強調。
「ああ……その……いいのか?」
ツクモは、できるかぎり言葉を選ぶ。
「その町には行かない、その職人には会わない、という選択肢もあると思うが」
「『耳を閉ざして』おけ、ということですか?」
レディの声音に力がこもる。
「申し上げたはずですわ。わたくしは知りたいのです。どうしてこんな目に遭わなければならなかったのか、を」
振り返れば、碧眼。真っ直ぐ前を見据え、迷いは――少なくともツクモには――見当たらない。
「なるほど」
三度目はもう、そう言う以外、ツクモには思いつかなかった。不要な危険はことごとく回避するよう仕込まれていた自分には、想像の範疇を越えている。
人混みは先刻よりも密度を増し、切符が取れない不満と町ひとつ分の人々が消失した不安と驚きと下世話な興味が一緒くたに語られ、騒音の波は嵐の海岸をしのぐものとなっていた。話をつづけるのに、これほど不適当な場所はない。
騎士なら、淑女の望みを叶えるのがつとめか――
そう言い聞かせて、ツクモは口を噤んだ。




