騎士は反撃し:第一日(11)
温室内――ガラス屋根へそそり立つ仙人掌。大小の葉を重たげに広げた蘇鉄。蔦。羊歯。そして原色の――夜の闇を妖しく背負う花々。
大ぶりの草花の陰をぬって、ツクモは一人、音もなく移動していた。仙人掌の針を毟る。植物の名と説明を記した案内板を引き抜き、板を剥がし、杭のみに。それを両手に二本。足を止め、腰を落とし、潜む。陰に溶ける。
先には池があった。
巨大な蓮――ツクモの故国で言うところのオオオニバスが栽培されている。
いくらも待たずに、蓮池の向こう側へ男が姿を現した。徒手。裡になにか呑んでいるのかもしれないが、踝ほどもある黒い外套ですっぽりと身を覆っているために、窺い知ることはできない。
ツクモは両手の杭を握り直し――草の陰から飛び出す。仮面の表情。殺意の片鱗すら見せず、ただ呼吸と同様に五体を駆使。外套の男へ、まっしぐらに突き進む。わずかひと息で間合いを詰め、頭部へ――修正――肩口へ、手にしていた杭を振り下ろす。
手応えなし。
消えた。男が。
〈幻術〉――。
認識、着地、身を翻えし――遊歩道の仄闇に浮かぶ虚ろな鉄の口を見つける。
「動くなっ」
真っ直ぐに銃を構えた男に鋭く命じられ、奥歯を微かに鳴らす。まんまと幻に騙されたからではない。
「俺に命令するな」
さりげなく左足を下げ、半身に。杭を立て、心臓を守る。
二人組――。
推測。〈魔弾〉と〈幻術〉の両方を使いこなすには、相応の技量と才能がいる。しかも、眼前で消えた幻は、銃の男とは別人――おそらく〈幻術〉使いのほう。温室へと追い立てた方法を思い返す。
「しかし、お前たち東洋人の行動には本当に驚かされる」
〈魔弾〉使いが遊歩道へ進み出てきた。
「まさか、蓮を足場にして最短距離を跳んでくるとはな。さすが猿だ」
「猿が怖いか?」
ツクモは無表情に言い放つ。
「それ以上、近づく気がないようだが? あんたの半端な腕前だと、この距離はまだ確実じゃないはずだ」
図星だったらしい。〈魔弾〉使いの顔つきが憤怒に歪む。押し殺す苦労まで、ありありと見て取れた。やっと、せせら笑い。
「私も馬鹿ではないのでな。〈魔人〉のような化け物と素手で取っ組み合いをする凶暴な猿に、不用意に近づく気にはなれん」
「そうかい」
ツクモは大きく頷く。
「あんた、〈魔人〉のことを知ってるんだな」
挑発に挑発を返したつもりが、相手に情報を与えたことに気づき、〈魔弾〉使いが歯噛みする。
「少しぐらい事情を知って死にたいだろう?」
苦しまぎれに言い捨て、銃の狙いをつけなおす。
「その棒きれを捨てろ」
「銃を持っているのに、猿の棒きれが怖いのか?」
「いいから捨てろっ」
「俺に命令するな」
いまや精神的にはツクモが圧倒していた。冷えた眼差しのみで〈魔弾〉使いを制し、間合いと機会をはかり――。
「言うことを聞くんだな」
飛びかかる寸前、背後から勝ち誇った声が投げられた。蓮池の向こう。横目で一瞥――外套の男。手に短剣。切っ先を突きつけられているのは、二人――レディとポーチェ――たぶん――顔に布をかぶせられ、猿ぐつわもされているらしい――くぐもった、言葉にならない呻きが聞こえる。
これも〈幻術〉――。
直感。顔を隠し口を塞いでいるのは、粗が目立たないようにするため――ただし、確証はない。
「ははっ。どうしたっ。さっさと言うとおりにしろ。猿めっ」
精神的な優位を回復した〈魔弾〉使いが、居丈高に吠える。
ツクモは、まだ動かない。
俯きかげんに左右の様子を窺う。右に〈魔弾〉使い。左に、池を挟んで〈幻術〉使いとレディ、ポーチェ。
どうする――。
以前なら、気にも留めなかった。優先されるべきは命令の遂行、敵の排除、みずからの生還。人質という存在は、捨てるものだった。
「決められないようなら手伝ってやろう。三つ数えるうちに武器を離せ」
〈魔弾〉使いが酷薄な笑みを浮かべる。炎に巻かれ、黒こげになりながら、悶え舞う東洋人を想像し、むしろそれを望む顔つき。
「ひとつ」
ツクモ――右を見る。
「ふたつ」
左を。
「みっ――」
跳ぶ――〈魔弾〉使いへ。
発砲。〈魔術〉付加された特殊弾が、火薬の炸裂に押し出される。高速の捻りを生み出しながら真っ直ぐにツクモの頭を――かすめて温室のねっとりした空気を貫く。池を越え、〈幻術〉使いと二人の人質へ――素通り――三人が霧散――奥の蘇鉄に着弾――炎上。生木であろうと〈魔術〉の炎の前では関係ない。
二発目。
ツクモは、すでに間合いを詰めている。杭の先でそらされた銃口は、見当違いの方向へ――一発で金貨三枚はくだらない高額の――弾を送り出した。天井近くのガラス板を破り、炎の花弁を仙人掌へ注ぐ。
ツクモは〈魔弾〉使いに距離をとらせない。ひたと動きを合わせつつ、杭の一撃――遮られた。
短剣。
横からだ。〈幻術〉使い。牽制――〈魔弾〉使いが体勢を整える時間稼ぎ。慣れた動きは、この二人が一組として訓練している証左。
刃の一閃。杭で受ける。足は前へ。前へ、前へ、前へ。退く〈魔弾〉使いを追いつづける。もう一本の杭で銃へ。掠る。牽制の影響で踏み込みが甘い。あと半歩――〈幻術〉使いが割って入る。杭で横撃。空振り――違う――すり抜けた。霧散――〈幻術〉。虚ろな穴――本体はどこだ――銃口。杭を交差、〈魔弾〉、体をひねる、杭を手放す――着弾。炎の十字架が宙に躍る。短剣――火の粉が乱舞――裂けた。上衣と皮一枚――斬られたなら本物。焦げた杭が地面に跳ねる。短剣へ肉迫。視界の端に銃口。撃たない――すでに〈幻術〉使いの懐――撃てまい。〈魔弾〉使いが視界から失せる――背後。無視――〈幻術〉使いの短剣を、柄を、握る、捻る――振り向く。鼻先に三度の銃口――突き立てる――吹きつける。
悲鳴と悲鳴。
「ぐああああっ」
〈幻術〉使いが膝をついた。片足を抱きかかえる。その足の甲を、ついさっきまで闇を裂いていた己の短剣が、垂直に地面へ縫いつけていた。抜くに抜けず、動くに動けぬ深さ。
「お前の言ってた化け物は、顔色ひとつ変えなかったぞ」
悠然と見下ろしたツクモは、ふと首を傾げる。
「すまん。言ったのは、お前のほうだったか」
背後の〈魔弾〉使いを振り返った。のたうち回っている。顔を――片目を押さえて。
「目ぇぇぇぇっ目っ、目がぁぁっ!」
指の間から、針。仙人掌。
途中で毟っていたものを口に含み、目に吹き付けた。本来は縫い針や釘、小石などを使う。〈術〉の中では定番のひとつだった。
「終わりましたか?」
木陰を揺らして恐る恐るレディが現れる。巨大な葉を手にしていた。つづいて同じく葉を引きずって――こちらは苦悶する二人組を見ても、眉尻ひとつ動かさなかったが――ポーチェも。
「こんな葉っぱ一枚、頭に乗せて縮こまっているだけでも、意外と見つからないものですね」
「あろかしあ」
ツクモの補足にレディがきょとんとした。
「アロ……なんと仰ったの?」
「あろかしあ。その葉をつけていた植物の名だ」
「よくご存じですわね」
「根本に案内板があっただろ? そこに書いてあったんだ。南洋の帝国植民地で採取した芋の一種だと」
「あの状況で読んで覚えたのですか?」
目を丸くされたが、虫や植物には注意が必要だ。不用意に触ると、下手をすれば死に至る。せっかく案内板があるのだから、利用しない手はないだろう。覚えたのは――。
「癖みたいなもんだ」
〈暗殺者〉としての。説明に、レディが息をついて葉を抛り出す。
「そのことで、ひとつ確認してもよろしくて?」
「なんだ?」
「あの幻の人質が本物だった場合、どうするつもりでしたの?」
人質を顧みないのも「癖」だとすれば由々しき問題だ、ということだろう。
「さあな。俺は〈幻術〉だと分かったから無視した。それだけだ」
ツクモの馬鹿が付くほど正直な答えに、レディよりも〈幻術〉使いが先に呻く。
「ど……どうして分かった」
「射線が通ってた」
種明かしというには、あまりに素っ気ない口調で告げる。
〈魔弾〉用の銃が、いくら精密射撃には向いてないとはいえ、銃口の直線上に立つのは不用心にすぎるだろう。二人一組で行動するなら、なおさら気を配るはずだ。にもかかわらず立ったのは――。
「幻なら痛くもかゆくもない」
「ぬぐわっ」
怒りに言葉を忘れた〈魔弾〉使いが、怨嗟の唸りをあげた。片目で相棒を睨みつける。
「このっ、二流がっ!」
「なんだとっ? もとはといえばキサマが――」
口汚く罵り合いを始めた二人の〈魔術師〉から、ツクモは目をそらす。追及の気が削がれ、呆れ、肩を竦めるレディを見た。
「今度は乱入してこなかったな」
「忘れているものが多いぶん、学ぶ隙間にも余裕があるようですわ」
軽口で応じながら、レディが銃と水晶球を収めた函の落ち穂拾いをする。
「ここに、〈魔力〉というものが入ってるのかしら?」
函ごと水晶玉を宙にかざす。鑑定屋の目つき。さんざん自分を脅かした銃のほうには、欠片の興味もないらしい。
「入ってるんじゃなくて集めるのー」
ポーチェが銃を――レディに握らせたまま――調べながら言う。
「石には自然界にある〈魔力〉を凝集させる力があるの。有名なのは南部にある列石で組まれた〈円形魔法陣〉。あれも同じ。昔は〈呪文〉も洗練されてなかったから、あんな大がかりな〈場〉を造らないといけなかったけど」
すらすらと出てくる。ほとんど講義だ。
「一般的には不純物が少ない結晶ほど、扱いが難しくて、その代わり力が強くなっていく。で、ある一定の純度を超えると増幅させる力も持つのね。その最上級品が、かの有名な〈賢者の石〉」
「よ……よくご存じですわね」
「んー? さっき読んだ本に、そう書いてあったー」
目を見張るレディに平然とポーチェが答え、さらに驚嘆。
「まったく……ツクモといい、あなたといい……」
半ば呆れた顔でポーチェを見つめる。
当の〈魔術〉の使い手たちにとっても、痛みや罵り合いをしばし忘れさせるほどの関心事だった。特に〈幻術〉使いは、飛翼鬼の件を思い出したのだろう。脂汗を滴らせつつポーチェを凝視する。
「その子は一体――」
バンッ!
発砲、炎上――悲鳴。
「ぐわっ! あちっ、あつっあちっ、ひいいいいっ!」
足元に着弾し、たちまち燃え移った炎に〈魔弾〉使いがのたうち回る。
「あー。ごめんなさーい」
異国人のツクモでさえはっきりと分かるほど、ポーチェの口調に謝罪の意思は皆無だった。いっそ、すがすがしい。しかもなお、レディの持つ銃をいじろうと手を伸ばす。
「こっちになさいっ」
慌てて、レディが水晶函を押しつけた。
「手間を増やすな」
ツクモは小言を洩らすと、炎上しつつ転がる〈魔弾〉使いの襟首を掴む。細い体に見合わない腕力と遠心力で、軽々と放り投げた。
わずかに中空を遊泳した燃える男が、オオオニバスの池に着水――鎮火。
無様な水しぶきをあげる相棒の姿に、〈幻術〉使いは用心深く口を噤み、詮索を断念した。
◆◆◆
銀梟が高々と舞い上がる。
地上で燃えさかる炎の輝きも、もはやその身にわずかな斑紋しか映じない。
ガラス玉の両眼にあるのは深く黒い闇と、その底で南へと走る馬車の影。音もなく翼で風を打ち、夜を滑り、悠々と追う。
地上の俗塵をはねつける賢者の風格で。
◆◆◆
東洋人の少年、帝国の娘、赤毛の少女という奇妙な取り合わせの三人組を乗せた馬車はたちまち遠ざかり、野放図に拡大する火の手の不穏な響きばかりが耳につく――シスル駅の歩廊。その中央。
その差し迫った状況で、〈魔弾〉使いと〈幻術〉使いの二人組が、鉄柱に縛り付けられた我が身を解放すべく躍起になっていた。
朝になれば、大北部鉄道の始発列車がやってくる。町を焼き尽くしそうな大火災、無人の街路、駅舎に残された二人の男――一人は足、もう一人は片目を大怪我。
〈魔術師〉たちにとって、想像するだけでも身震いのする事態だ。間違いなく警察に捕らえられ、調べられる。新聞や瓦版はあることないことを書き立てる。虚実入り交じった氏素性まで暴かれて、「王立技術協会」の中でも特権的な立場は剥奪。下手をすれば火災の責任ばかりでなく、市民消失の罪も着せられて、首都へ移送。大監獄の正門前で名物の絞首刑に処されかねない。
「駅舎に火が回る前に、一番列車が来ることを祈れ」
〈幻術〉使いの外套を器用に裂いて作った紐で拘束し、結びつけた東洋人の若者は、そう脅して去っていったが。
晒し者になるぐらいなら、いっそ焼け死んだほうがましと思わせる状況だった。
それらの辱めを回避する方法は、縛めを解いて町を脱出することだ。
ところが、これが上手くいかない。ゆすっても捻っても緩まなかった。かえって食い込む。鉄柱を挟んで背中合わせになっている相方が動くたび、紐が肌を擦っていく。痛い。かなり特殊な結び方をしているらしい。
「んががごがあっ」
ご丁寧に猿ぐつわ付きだ。喋っても言葉にならず、互いに獣の呻きを繰り返す。困り果てた様子で、周囲を〈使い魔〉の大鴉が飛び跳ねる。
「ほんごがぐあっ!」
「が? ごがぐぐがご!」
「この期に及んで、まだ罵り合いでございますか?」
「んが?」
二人の〈魔術師〉が、まともな声の主へ顔を向けた。
〈魔人〉の男だ。どこぞで調達したらしい服を着ている。撫でつけた髪に乱れはなく、いかにも上流階級の使用人といった雰囲気に戻っていた。足取りもしっかりしている。怪我は完全に回復したのだろう。
「おお。がごごがが。がぐげげご」
下手な蛙の鳴き真似にしか聞こえない〈魔弾〉使いの訴えに、〈魔人〉の男が頭から爪先までゆったりと検分する。つづいて〈幻術〉使いを。
「ふむ。止血や応急手当は申し分ないようですな」
東洋人の手際を褒め称える言葉に、縛り付けられた二人組が顔をしかめる。
「これなら〈魔術療法〉で回復できる見込みが高い。貴方がたなら、法外な治療費も支払わずに済みますし。なにしろ最高位術者モルガン様の護衛術士ですからな! 不幸中の幸いでございました」
皮肉たっぷりだが、〈魔術師〉たちも不承不承認めるしかなかった。
「とはいえ、私のような体と違い養生が必要になりますな。それも長期間……ふむ……すると、あの馬車を追うのはなかなか難しくなるということに……」
「んご!」
もったいぶった口調に、〈魔弾〉使いが苛立ちの声をあげる。
〈魔人〉の男が穏やかな――泥酔した客人であっても失礼なく寝室へ案内する物腰で――微笑を湛えながら提案した。
「いかがでございましょう? お二人とも、このままモルガン様の元へお戻りになるわけにはいきません――なにしろ一刻も早く療養なさったほうが良いでしょうからね!――しかし、お役目を中断されるのも心残りでございましょう。ここはひとつ、この私めにお任せいただけないでしょうか?」
取引だ。
東洋人に完膚無きまでにやられたことは黙る――彼ら〈魔術師〉としての地位は守られる。そのかわり「獲物」を譲れ。
〈魔術師〉二人のしばしの沈黙――最後の誇りだったのだろう。しかし現状から逃れるには、もう〈魔人〉の申し出を受けるしかない。お互い横目で相棒を窺い、それから同時に息をつき、同時に腹を決め、同時に頷く。
〈魔人〉の男が微笑を深くした、慇懃に一揖。
「かしこまりました」




