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魔弾から逃げ:第一日(10)

 シスルの町南端――相変わらず門柱を見つめていたポーチェが、乏しいながらも表情を輝かせた。

「おー。飛翼鬼(かいぶつ)動いたー」

 音――風を受けた布地――旗?――違う。これは翼。

 ツクモは振り仰いだ。飛翼鬼(ガーゴイル)――門柱の頂で夜風にはためく翼を大きく左右に誇示。鱗のある首をもたげ、牙を剥き出す――低い唸り――威嚇。

車内(なか)へ入ってろ!」

 ツクモは身ぶりで――レディにポーチェを引っ張り込むよう――指示。馬車へ向かって走る。

門番(がーごいる)を起こしたのは誰だ?」

 呟き、馭者台に飛び乗った。すぐさま馬首を巡らせる。

「誰が門を封じた?」

 最初の異変の余波か。〈魔人〉の仕業か。他の〈魔術師〉か。

 モルガンが戻ってきたのか――。

 その可能性は低い、と思っている。もしモルガンが〈組織〉の噂通りの人間で、ツクモたち三人組を始末したければ、町を封鎖などというまどろっこしい真似はしないだろう。必要ない。馬車ごと髪の毛一本も残さずに――暗殺に送り込まれた精鋭十人の所在は、いまもって不明だ――消すことができるはずだ。

 強引に門を抜けるには――ポーチェが妙な力を発揮しないかぎり――馬車を捨てていかねばならない。女二人を助けながら門、あるいは市壁を乗り越え、かつ飛翼鬼から守るのは至難の業。

「駅に変更するぞ」

 ツクモは鞭を入れて告げた。

 昔はぐるりと市壁に囲まれていた町も、蒸気機関車が通るようになって一部を取り壊している。その線路伝いに進めば、町を抜けられるだろう。線路内に馬車を入れるには、吊り上げ器を利用する。珍しくなってはいるが、汽車でもって馬車を運ぶ上流階級も残っていた。いまだ往時を懐かしみ、市門を閉じる町ならなおさらだ。

「さっさと、この場を離れちまおう」

「あ。飛んだー」

 窓から顔を出し、背後の市門を眺めていたポーチェが身を乗り出す。

「なにっ?」

 ツクモは思わず声をあげた。門番である飛翼鬼が、門に背を向けた者へ襲いかかるというのか。振り向くよりも先に、耳は翼のはばたきを捉える。

 操られてるのか――。

 推測。しかし、それ以上の考えをまとめる余裕はない。

「ポーチェ! 頭を引っ込めて!」

 レディが鋭く叫ぶ――車内に引っ張り込んだ気配。

 走り出した馬車の側面を、黒影がかすめていく。異音――木片。鉤爪で削られた。バターの扱いだ。ポーチェの小ぶりな頭なら根こそぎ抉られていたかもしれない。

 石化から解放された喜びを悠然たる滑空で表していた〈魔物〉が、前方で旋回。戻ってくる。真正面。

 さすがに、手綱をとりながら〈魔物〉と無手で一戦交える気はない。左へ――衝突を回避――そのまま街路の一つへ。すれ違いざまに、車体へ引っ掻き傷が加わる。

「まだ来るよー」

「頭を出さない!」

 ぴしゃりと――おそらくレディの手で――横の窓が閉じられた。三度、鉤爪。はばたき。

 ツクモは手綱を操る――左へ。

「誘導か?」

 さっきから右側ばかりを攻撃してくる。自然と、馬車は左へ左へと逃げざるをえない。自分一人なら、強引に右へ曲がって反応を確かめるのだが。できるのは、せいぜい素振りを見せるぐらいだ。

 車体を右へ。細い街路へと入る動き――衝撃。

 屋根の一部――右側――がめくれあがった、

「巣の材料なら他をあたってくださらない?」

 レディが軽口――強がりでもあるのは明白。しかし。

 いい図太さだ――。

 ツクモは内心で褒めながら、進路をやはり左へ。思っていた以上に鉤爪の破壊力が大きい。強引に右へ曲がるには覚悟が必要だ。下手をすると、眼前の脅威と未知の脅威の双方を相手にしなければならない。

 これが誘導なら――。

 従えば、脅威はひとつ減る。また、左へ――飛翼鬼(ガーゴイル)が馬車の後方に距離をとった。

 そうだ。その道を行け――無言の威圧が背を押し、やがてそれも消えた。

「帰っちゃったー」

 ポーチェが嘆く。窓から顔を出すことなく、日除け(ブラインド)まで下ろしているのだが、どうして分かるのか。気になるが、ツクモは周囲への警戒をより強めることに集中する。

 迷い込んだか――。

 あえて何度か右へと辻を曲がり、その無反応と景色にツクモは確信――馬車を止めた。耳を澄ます。気配を窺う。

「着いたのですか?」

 レディの開けた仕切窓を、すぐに閉める。

「敵だ。日除けも開けるなよ」

 静かに告げて、抗議を制する。

「さっきから、どの角を曲がっても同じ通りに出る。駅舎に行かせたくないらしい」

 相手もやみくもに閉じこめるだけでなく、こちらの行動を読んでいる。

「強引に壁を越えようとするほど無能ではないと思っていただけて、安心しましたわ」

 レディのうんざりした嘆息が聞こえた。

「また、あの筋肉紳士でしょうか?」

「いや――」

 直感的に否定――鍛えられた聴覚が金属音を――馭者台を飛び降り二頭の馬の間へ。盾の代わりに――炸裂。

 炎上。

 車台の横っ腹が燃え上がった。馬の驚愕、嘶き、疾駆。ツクモの背に、馭者台部分が凶器となって迫る。跳躍。なんとかよじ登る――片手に手綱、蹴りを繰り出す――開きかけた(ドア)が派手に閉まる。

「どうして! 炙り焼き(ロースト)されてしまいますわ!」

 仕切窓が開くなりレディの喚き声。

「安心しろ。まだ弱火だ」

 ツクモは鞭を入れた。絞っていた手綱を解放。二頭の馬が猛然と走り出す。狂乱――ともすれば別々に馬首を巡らせようとするのを、鞭と手綱で巧みに操る。道は、何度も通らされたおかげで目星がついていた。折れる。両側に建物の迫る馬車一台分の幅をした路地。

 急停車――飛び降りる。引きずられながらも、なんとか馬を留め具から放す。次に車台の(ドア)。屋根まで舐めあげている炎にかまわず、把手を素早く掴み開ける。間髪入れずに肩から体当たり。可動域を超えた蝶番が火の粉もろとも弾ける。

「出ろっ」

 ポーチェを引っ張り出した。この状況でも読んでいたらしい本を落としたが、拾い上げる暇はない。つづいてレディを。引き寄せ、地面へ伏せ――再炎上。今度は後部。

 その爆炎を目くらましに、さらに細い路地へと転がり込む。

「なんですのこれ? また塔のときのような火薬?」

 息をついたレディが、腹立たしげに洩らす。塔から飛び降り、〈魔人〉に挑みかかり、今度は炎に焼かれかけてなお、失神どころか恐慌にさえ陥っていない。さらに――。

「〈呪文〉を付加した弾丸だよー」

 平然とポーチェが答える。

 どうして分かった――と、問いただすのはひとまず脇へ置く。ツクモは、このまま二人の肝が据わっていることを祈りつつ、路地の奥へと導く。

「『〈魔弾〉の射手』ってところだな」

「閉じこめたうえに、隠れて撃ってくるような卑怯者には過分な喩えですわ! 外れの三発で自滅したらいいんですっ」

 精一杯の洒落がレディの憤激に木っ端微塵にされ、ツクモは苦笑しつつ傍らのポーチェへ目をやった。

「すまんな。そんな奴に、せっかくの本を燃やされちまって」

「んー? 大丈夫だよー」

 ポーチェが首を傾げる。どうして謝られたのか分からないという表情だった。

「もう、全部覚えちゃったからー」


                      ◆


「クハハハハハハハハハハハハハハハハハッ」

〈魔弾〉の男が、高笑いを放ちつつ手にした大口径銃(ブルドッグ)の引き金を絞る。発砲。炎上。

「そんな逃げ方では、すぐに丸焼けになるぞ」

 発砲。炎上。それから――高笑い。

「おっと、そっちは違うなぁ」発砲「真っ直ぐだ。そう。その道を行け」炎上「助けなどないぞっ」高笑い。

「クハハハハハハハハハハハハハッハッ……クハッ、ゲホッ、ゲホッ……ハッハハッゲホッ」

「困ったやつだな」

 咳き込む傍らで嘆かわしげに首を振る外套男も、口元の笑みを抑えきれてはいない。函に嵌め込まれた水晶玉は、炎に追い立てられ、路地から路地へと走り回る三人組を映している。その先の景色を指でたぐり寄せ、爪弾くと、それまで道だった場所へ灰色の壁が描き出され、袋小路となり、ときに燃えさかる貧家の壁となった。分かれ道は消え、どこまでも一本道となり、三人組は選択の余地なくひたすら進む。

「あの東洋人には礼を言わねばならんな」

〈魔弾〉の男は新しい弾を込め直しながら、しみじみと洩らす。

「子守りから解放されたうえに、誰にも見咎められずに撃ち放題などという機会は、そうそうないぞ」

 輪胴(シリンダー)を戻すなり、狙いもそこそこに発砲、炎上――高笑い。黒外套の男――〈幻術〉使いも頷く。

「何年前だったか、モルガン様を襲った連中のときも、我々は仕上げまでのお膳立てだけだったからな」

 面倒だからという理由だけで、研究施設ごと吹っ飛ばそうとしたのを、慌ててなだめたという経緯がある。

「だが、感謝するなら〈石〉を盗んだあの女だろう。いや、盗まれるようなへまをしてくださった〈魔法卿〉閣下かな?」

「みなに感謝を! 幸いあれ!」

〈魔弾〉使いが感極まった叫びをあげる。歌い出しそうだ。

 発砲。炎上。高笑い。


                      ◆


〈幻術〉に細工された路地を逃げつづけながらも、ツクモは涼しい顔つきだった。

〈魔弾〉用の銃は精密な射撃に向いていない。〈呪文〉を付加した弾丸の小型化は難しく、したがって口径が大きくなり、反動も激しくなるからだ。

〈魔弾〉使い自身、その欠点を把握しているはずで、だからこそ馭者台のツクモを撃たず、大きな的の馬車を焼き、追い立てて遊んでいる。よほど隙を見せるか、挑発でもしないかぎり、直接狙われることはないと確信していた。

 道がはっきりせず、どこへ誘導されているのか分からないことのほうが神経を使う。

 しかし、それもまもなく解消した。

なるほど(あい・しい)

 足を止め、付き従う二人を制止。

 目の前に緑地が広がっていた。周囲は境界線がわりに銀杏の木が並んでいるものの、一歩入れば芝地だ。なにひとつ遮るものは見あたらない。

 中央に建物。これさえも完全な陰とは言えなかった。

 全面ガラス製の温室。

 巨大な宝石箱の中身――熱帯地方から集められた植物が、いまや大火災となりつつある町の紅蓮に淡く染まっているのが見える。

「もうひとっ走りするぞ」

 ツクモは、額に赤毛を張りつかせ、肩で息をするポーチェを明るく励ました。決して追いつめられているわけではない、と告げるかわりに。痩せた背を軽く叩く。

「あの温室で休憩だ」

 抱え上げることもできたが、まだ少女の目には力があった。大丈夫だ。

 走った。

 初めて耳元を弾がかすめる。だが、その一発きりで、他は大きく外れていた。〈魔弾〉使いは、いまだに姿を隠して撃っている。遮蔽物のない広場であれば、中央に向かって走るほど射程は伸び、比例して――その性能も鑑みて――当たる確率は減っていく。そもそも、狙いはつけていないのかもしれない。

 レディも、そう考えたらしい。

「ずいぶん気前のいい〈魔弾〉の射手ですこと!」

 スカートの裾を蹴り上げ、翻し、先頭を切って走る。つくづく大胆な娘だ。

「いいぞ。的になりたくなきゃ、その調子で走れ」

 言葉の後押しにレディの足がさらに加速、温室の扉に辿り着く。ガラス戸を揺らす。鍵がかかっている。心得たもので、レディが脇に避けながらツクモを振り返った。

「出番ですわよ」

「俺に命令するなと――」

 ツクモは蹴りを一閃。駆けてきた勢いごと、錠を破壊。三人揃って中へ――。


                      ◆


「逃げ込まれちまった」

〈魔弾〉使いが悪びれもせずに相棒を振り返る。

「まるで鼠だな」

「戯れがすぎるぞ」

 函を手にした〈幻術〉使いが苦々しげに顔をしかめた。それでも、所作にはまだ余裕がある。水晶を指で弾く――映り込んでいた周囲の光景が暗転――再び戻ったときには、黒い外套をまとった男が一人。前に立ち現れていた。

「ふむ。まあ夜だから、この程度でよかろう」

 眼前の自分(・・)をざっと検分して頷く横から、〈魔弾〉使いが荒っぽく薬莢を捨て、弾を込めつつ釘をさす。

「殺るのは俺だぞ」

「そのつもりなら今度は逃がさんことだ。直に手を下せないのが〈幻術〉の欠点とはいえ――」

〈幻術〉使いが外套の腰を叩く。金属の触れ合う音。

「こっちを使うのは、私の美学に反するのでな」

 水晶の表面に指を滑らせた。幻の男が、くるりと回れ右をすると、温室へ向かって歩き出した。

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