蝶と花と共に:第一日(9)
人々が消滅したシスルの町西端――大ぶりな漆黒の外套を翻しつつ馬車から降りた男が、謹厳な老兵を思わせる名物の市門を見上げた。
「これなら封鎖しやすい。懐古趣味も、ときには役立つものだな」
シスルは元々、城塞都市だ。町を囲む市壁を使うご時世ではないが、それでも毎年のように修復工事が行われている。東西南北四つの市門は現役で、日暮れには閉じられた。別に常時開いている通用門が設けられているとはいえ、交通量の増加にともなって苦情も山となっている。それでも市議会は頑として譲らない。市門の開閉をつづけていた。
黒外套の横に、もう一人の男が並ぶ。わずかに目を動かしたものの、すぐに手元へ興味を戻した。
銃――それも大口径の銃。
「いいな?」
外套男の言葉は問いというより合図だったらしく、返事を待たずに懐から飴玉大のガラス玉を取り出した。舌を鳴らす。馬車の屋根から外套同様の黒い姿が、差し出された男の腕へと飛び移った。
「餌をやってこい」
命ぜられ、嘴にガラス玉をくわえたのは大鴉だ。宙へ。門柱の先端。石像――飛翼鬼の前。その口中へ運ぶ。
一拍おいて、飛翼鬼が目を剥き出した。傍らの大鴉に威嚇の息を吐きつけ、蝙蝠風の翼を広げる。
元は石塊の怪物から脅された不満に喉を鳴らしながら、〈使い魔〉の大鴉が主人の肩へ帰還。掌から、器用に三つの玉をくわえた――が、飛び立たない。警戒。
「誰だ?」
拳銃男が、ひたと街路の暗闇へ――大鴉が見つめる先と同じ方向へ――狙いを定める。
夜風を背に現れたのは、初老の男だった。毛布をまとい、素足で石畳を進んでくる。広い額と撫でつけた灰色の髪、謹直な顔つきに見覚えがなければ、物乞いと間違えただろう。それほどみすぼらしい有様だった。
「〈魔法卿〉の筋肉男か」
〈魔人〉の名乗りよりも前に、拳銃男が腕を下ろした。片足を引きずり、毛布の内からくぐもって聞こえるしゅうしゅうという音に、鼻で笑う。
「〈魔人〉化した挙げ句、生身相手にその体たらくとは。どうしようもない無能だな」
「犬は飼い主に似るという。ろくに〈使い魔〉も育てられぬ三流主人にはふさわしいというものだ」
肩の大鴉を外套男が撫でた。
「さあ、残りの門の怪物どもを起こしてやれ」
主人の嘲笑とよく似た声でひとつ喉を鳴らし、大鴉が悠然と飛び去る。
「念のために日の出までこの町は封鎖だ。お前は、そのへんで我らの戦いぶりでも見物しているがいい」
「鼠のように動いて射線に入るなよ。私の銃で丸焼けにされたくなければな」
侮蔑まみれの言葉に、元〈魔人〉は粛々と無言の一礼をした。うちひしがれ、疲れた面貌が、伏せた途端に凄絶な怒気を発する。だが、それも一瞬。再び顔をあげたときには、ただ冷淡な無表情だけが残っていた。
◆
伯爵館の馬車止め――馭者台に腰を据え、手綱をとっているのは黒髪の少年。〈魔術〉の本を見つけた馬車だ。
「さて。どうする?」
仕切窓へ訊ねた。車内には、その本を車内灯に近づけ、脇目もふらずに読みつづける赤毛少女。お嬢様然と取り澄ます金髪娘。
「そうですね、まず……わたくしたちの呼び名を決めましょう!」
「俺が訊いてるのは、そっちじゃなくてだな――」
身をかがめ、仕切窓へ顔を押しつける。
「行き先をはっきりさせたいんだ。決めるのは道中でもできるだろう? たかが名前なんだから」
「たかがっ? いま、たかがと仰いましたの?」
即座に返ってきた憤激に、今度は慌てて窓枠の外へ隠れる。
「すまん。その……ちょっと言葉の選択を間違えたんだ。さっきは褒められたが、こんなもんさ。やはり難しいな。こっちの言葉は」
異国人であることを強調。なおも疑わしげな娘のさらなる攻撃を封じるために、つづけて提案。
「じゃあ、行き先は俺が決めていいか? その間に、そっちは名前を決めてくれ。そもそも俺が口を挟むもんでもないだろ?」
「そうですわね……このシスルを離れることを優先したほうが良さそうですし、わたくしも行き先の決め手はありません。候補を挙げるなら人の多い町が良いですわ。さっきの『手札』を調べられそうなところが。そんなところで見繕ってくださいな」
鷹揚な口ぶりで応じた娘が、隣の少女へ目をやる。賛成――というよりは、会話の内容そのものに興味がなさそうだ。どこでもいい、という回答が想像できる。
「南にしよう」
少年は頭に叩き込まれている帝国地図の道路網を思い描き、即断。馬に鞭を入れた。滑らかに車輪が回り出す。さすが、貴族の邸宅に停めてあっただけはある。悪くない乗り心地だ。
「マグワートはどうだ?」
山裾にある工業都市だった。
「人も多いし、汽車も通っている。紛れ込みやすい」
そこで可能なかぎり痕跡を消し、また別の町へ移る。できれば首都、そして国外へ行きたいところだ。むろん、手にした情報の吟味もしていく。娘も同意した。
「異議はありません。ですが、その前に馭者さん。あなたのことは、なんとお呼びすればよろしくて?」
「ツクモ」
「トゥクモ?」
「ツ・ク・モ」
「トゥ……ツゥ……言いにくいですわ。愛称みたいなものはないのですか?」
「〈組織〉の隠語だとハクだ。白」
ツクモという字は故国で「九十九」を表す。〈組織〉の育てた九十九番目の孤児というのが由来だった。そして「百」に「一」足りない。だから「白」――と文字の意味も含めて解説する。
ややこしかったのか、娘が肩を竦めた。
「貸し馬車の馭者でハクなら語呂が良いのですが――」
「できればツクモのほうで呼んでくれ」
「九十九回練習しますわ」
「熱心で助かる」
東洋人の少年――ツクモは、先の轍を踏まぬよう慎重に応じた。
「ところで、そっちの小さいのに話は伝わっているのか?」
「聞いてるー」
投げやりな少女の返答。もちろん本からは片時も目を離さない。
「ポーチュラカ」
「は?」
耳慣れない単語に聞き返す娘へ、本の一部を指で示しながら、少女がようやく顔をあげた。服を調達したときに落とした汚れが、瓦礫の山で再び付いてしまっていた。
「名前。あたしの。ポーチュラカにするー」
「花の名前なのですね。初めて聞きましたわ……それでいいのですか? 本当に?」
本から少女へ目を移した娘が、その顔を覗き込みながら念を押す。
「じゃあ……せめてポーチェにしません? ただでさえ……トゥ……ツ……クモが言いにくいので」
「いいよー」
少女があっさりと了承し、もう用はないだろうから話しかけるな、という無言の拒絶を匂わせつつ読書へと戻る。
二人のやりとりを仕切窓から窺っていたツクモは、裡からひっきりなしに発せられる警告を持て余していた。少女――もう、ポーチェというべきか――に対し、〈暗殺者〉として鍛えられた感覚が危険を嗅ぎつけている。
奇妙だ。
本を見つけたときに覗いたかぎりでは、「中等魔術」という題に相応しい難解な文章だった。使えないなりにも多少の知識は身につけているツクモでさえ、一頁読み通すのも苦痛。数式や図形、果ては〈魔術文字〉まで頻出している。子供――それも見るからに移民の貧困層出身――が、いきなり挑んで理解できる内容ではなかった。
少女を一瞥。俯いて本に熱中しているので表情は読み取れない。開き、細く汚れた指で辿っているのは、魔法陣の説明だろう。円形から三角形まで、図形と小さな文字がびっしり印刷されている。
時折、本にかかる三つ編みを払いのけた。激情の喩えにも使われる赤毛。西隣にある「魔法使いの島」と呼ばれる国の、古くからの血筋の特徴――とはいえ、移民の子孫もいれば帝国北部にも昔から住んでいる。ポーチェの赤毛だけが特別というわけではなかった。外見だけで判別のつくものではなさそうだ。
内面……〈魔術〉の素養か――。
ツクモは、これまでのポーチェの言動を思い返す。可能性は大いにありそうだ。
しかし、同時に疑問。
なぜ、ポーチェが――。
このシスルの町に在野の〈魔術師〉が皆無だったとは思えない。彼らが消えて、なぜポーチェだけが残った?
なにより、自分自身の存在が否定する。素養がないことは、すでに〈組織〉で検査済みだ。もし〈魔術〉が使えるなら、別の任に就いていただろう。
じゃあ、場所だろうか――。
仮にいまの有様が、金髪娘の推測通り「塔で行われた禁断の〈魔術〉実験」の結果だったとして、その〈魔術〉の効果にむらがあったとは考えられないか? 地下深く――例えば自分のように下水道――にいた者には、その効果が及びにくかったとは?
あるかもしれないが――。
貧困層や家事使用人などは地下室暮らしが多い――シスルの場合、その多くが〈魔法使いの島〉から移民だということは周知のとおり。〈魔術〉の素養がある者もいただろう。消えなかったポーチェとは、どこに差があるのか。
そもそも場所を根拠にするなら、まず最初に考えに入れなければならない肝心の人物がいる。
塔の地下牢にいた――。
「決めましたわ!」
娘の明るい声に、ツクモは答えの出ない問題を手放した。
「わたくしも、少し気楽に考えてみました。名前ひとつに深刻になる必要はありませんもの――ポーチェは花だから、わたくしは蝶。今後は、レディ・パピヨンとお呼びくださいな」
「ああ……さっき口を挟むもんでもない、と言ったし、人の名付けにけちをつけるのは心苦しいんだが」
ツクモはなるべく角の立たない言い回しを考えつつ、手綱を少し絞る。先に、古めかしい市壁と南門が見えてきた。
「その場合はレディ・バタフライか、マドモアゼル・パピヨンと言うべきじゃないのか?」
レディとパピヨンでは、帝国と東の海峡を越えた国の混成語になってしまう。
「な……何事も例外というものがありますわ。細かいことはいいんです。細かいことはっ」
自分でも気づいたのだろう。仕切窓に寄せた頬が、ポーチェの髪に負けず劣らず赤い。
「言葉というものは、意味が伝わることが一番大事なのです。おわかり?」
ツクモは娘の――パピヨンなどという場末の芝居小屋の女優が名乗りそうな名前には、正直なところ抵抗がある――レディと呼ぶことに密かに決定――抗議を聞き流す。前に違和感――すぐに判明。
「通用門が……」
手綱を絞った。馬を止める。
「閉まっていますね」
仕切窓に額を押しつけて、レディが相槌。
市門を閉じるのはシスルの町の慣例とはいえ、通用門までというのは奇妙だった。油断していると他領の諸侯が攻めてくる中世とは違うのだ。
「馬車から出るなよ」
馭者台からおりたツクモは、さりげない足取り――おいおい。なんだって閉まってるんだ? といった風情――で通用門へ歩くと、その大扉――あるいは小さな門――に手をかけた。微塵も動かない。錠前なし。鎖なし。
困り果てて首を傾げる――ふりをして耳を澄ます。周囲を視認。空気の匂い。気配。
〈魔術〉だな――。
直感。通用門、それから市門も魔法的な〈固定〉がなされている。普通に錠を落とされた手応えではない。
他に道を探すか――。
河も流れているし、いまは汽車も通っている。東西南北の市門以外でも、外へ出る手段はあるのだ。ただし、いずれにしても馬車を放棄しなければならなかったが。
「ポーチェ!」
悲鳴まじりの声に少年は振り返る。赤毛の少女が、馬車の脇に立っていた。
「まだ出てはいけません!」
連れ戻すためにレディも慌てて馬車から降りようとしているが、長いスカートに手こずっていた。
その様子に目もくれず、ポーチェが、つ――と視線を上へ。辿った先は、門柱の頂。
飛翼鬼。
◆
シスルの町西端――市門の足元。
「ほう。ずいぶん勘の良い子だ」
黒外套の男が、掌中の鏡――銀縁は簡略化された睡蓮模様――に目を落としたまま感嘆の声をあげた。鏡面が清泉の水面と見紛うさざ波を立てながら、景色を――南の市門にある柱から見下ろした視点――飛翼鬼の視界で――鮮明に映じている。
「こっちに気づいたぞ。〈流れ〉が見えているのか? ふむ。赤毛だな……」
「『血』が濃いのかもしれんな」
「〈科学〉偏重のご時世、こういった若い才能は貴重なのだが」
「モルガン様の遊び相手には、ちょうど良かっただろうな……ガキ同士で」
気のない口調で応じていた男が、手元の大口径銃に弾を込め終え、厳めしい顔つきをした。宙を見据える。
「だが、我々は命令が優先。子供でも情けはかけん」
「口元が隠しきれていないぞ」
黒外套の男が指摘しつつ、鏡を懐へ戻す。代わりに水晶玉――苔刺草、別名「天使の涙」が隙間なく彫られた小函に収められている――を取り出した。独特の抑揚を持った言葉を呟きながら、馬車へと乗り込む。
拳銃男は取り繕おうともしない。開き直る。顔に黒い三日月がくっきりと浮かぶ――喜悦の笑みだった。




