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幕はあがり

(馬鹿阿呆間抜け屑低能。あたしの視界に入るな猿ども)

 夜更けの路地裏――傷みの激しい石畳を歩く少女の心は、とめどなく噴き上げる罵詈雑言の黒煙で煤にまみれていた。

 嫌悪を叩きつける先は猿――みすぼらしい(なり)をした少年たちだ。いつも移民の子を見つけては、からかい、小突き、痛めつける。標的は誰でもかまわないらしいが、店の手伝いで昼夜を問わず遣いに出される少女は狙われやすく――今夜も。

 しつこく――そして率先して――少女を囃し立てていたお調子者が、悪童仲間たちの期待に応え、厳めしく言い放つ。

「道を空けよっ。赤毛の〈魔女〉様のお通りだぞ!」

 取り囲んでいた猿ども――少年たちの弾ける笑い。気をよくしたお調子者が、さらに続ける。

「〈魔女〉を恐れぬ〈科学〉のモウジャどもめ! いまこそ〈魔術〉のシンズイを見せてやるぞ!」

 そう喚くと、素早く少女の痩せた背へ回り、左右に垂れた灼熱色の三つ編みを両手に掴む。上へ――引っ張った。思い切り。

 痛みと鬱陶しさに、無視を決め込んでいた少女も思わず手が出た――打ち払う――空振り。ひらりとお調子者が前に。にやにやと蔑みに弛んだ口元。自分たちが満足するまで、どうやっていたぶるか――あの手この手と考えを巡らせている目つき。

「どうした。せっかく猫みたいに毛を逆立ててやったんだ。魔法を使ってみろよ」

 挑発。

(魔法かぁ……)

 少女は内心、ため息をつく。できることなら、お望み通り披露してやりたい。蛙に変身させるのはどうだろう――特別に、壁に叩きつけられ、殺されかけても元に戻らないようにしてあげたい。

(すてき)

 ひしゃげて潰れる蛙少年を想像するだけでもうっとりする――けど――たちまち二度目のため息。俯いた。何度繕っても爪先の見えてくる布靴に目を落とす。

(あたしに〈魔術〉の基礎でもあれば……ううん。せめて〈素養〉検査だけでもできれば)

〈魔法使いの島〉とも呼ばれる、帝国の隣にある地で古くからつづく民族の特徴――赤毛――だからといって、〈魔術師〉になれるとはかぎらない。

(……でも!)

 あたしには才能があるはず――根拠はないが――信じている。だって、寝ても覚めても〈魔術〉のことを考えてる。こんなに〈魔術〉を愛してる!

 両腕をいっぱいに広げ天に向かって訴えたくなる。けれどもそうしたところで、少女は魔術院に入れなかった――貧しさのために。〈魔術〉を学ぶには金が要る。大金が。

(くやしい!)

 くやしいくやしいくやしいくやしいくやしいっっっっっ!

 からかわれるのは、どうでもよかった。人が猿に対して本気になっても仕方ない。ただ、うんざりするだけ。怪我をしないよう注意すればいいだけ。

 学べない――それだけが、ひたすら悔しい。

「おい! できねーのかよ。やってみろって言ってるだろっ」

 俯いたのを怖じ気づいたと見たらしい別の少年が、さらに煽る。すまし顔で杖を掲げる素振りまで加えて。

(なんて陳腐)

 少女は、顔をあげることさえ煩わしい。続く言葉が容易く予想できた。確率の高い順に。移民。魔女。貧乏人。ゴミ。目障り。消え失せろ。帝国。出て行け。生意気――。

「けっ。移民の魔女が。この貧乏人のゴミくず。目障りなんだよ、消え失せろ。この町から――この帝国(くに)から出て行けっ」

 ほらね――聞き飽きた。先日も、その前も、さらに前も。顔を合わせるたびに同じだ。

 欠伸をかみ殺す。

(ただでさえ退屈なのに、このお猿さんたちときたら。毎度同じ台本の安芝居のほうがましじゃない)

 氷の憤懣は親――お得意様の娼館へ酒を届けさせるという遣いに出した父――にも容赦なく向かう。むしろ、こちらのほうが苛烈だった。

(あたしの……あたしの〈魔術〉用語辞典を!)

 取り上げたのだ!

 廉価版で紙も印刷も酷く、分厚さだけが取り柄。ありったけの小遣いをはたいて、わざわざ隣の〈魔法使いの島〉から取り寄せた、十歳の誕生日に自分で自分に贈った宝物。眠りに落ちる一瞬前まで――階下の酒場から洩れ聞こえてくる酔客の下品で露骨でふしだらな話に邪魔されつつ――ページを繰るささやかな幸福。もう全項目を覚えてしまったが、それでも開くたびに発見があって楽しさは尽きることがない。

 その、唯一の、娯楽を。

(無学無教養の糞オヤジめ!)

 少女は怒りで自然と奥歯を軋ませる。

「女は勉強なんぞしなくていい。ましてや〈科学〉のご時世に〈魔術〉など無駄の無駄だ。こんなもの読んでないで家の手伝いをしやがれっ」

 拳を振りかざして怒鳴り散らす父の姿を思い出し、腹の底がぐつぐつ音を立てそうなどほ煮えたぎる。

(こんなものだって?)

 なんたる言い種!

 しかも当たり前のように殴る。怒りにまかせて辞典を炉にくべなかったことだけは褒めてやってもいいが。あんな親でも子が大事にしているものぐらいは覚えているらしい。それと自分の生まれ故郷の代名詞でもある〈魔術〉に――時代遅れと嘲りつつも――多少の遠慮と愛着はあるのだろう。

 だからといって、安酒の臭気をまき散らしながら蛇行する男と、けたたましい怪鳥の嬌声をあげる女と、汚水まみれの小路(クロウス)にうずくまり朽ち果てていくばかりの老人が、それぞれこのうえないだらしなさで蠢く有様を否応なく見せつけられ、しかも徒党を組んで徘徊し、移民の子に絡んでは憂さ晴らしをする悪童に時間を奪われるのは無駄じゃないとでも?

(ったく、どいつもこいつも。みんなバラバラのちりぢりになって、風に吹かれて跡形もなく消し飛んじゃえばいいのに。世界の〈狭間〉で石臼に挽かれた小麦みたいに粉っ粉になっちゃえ!)

〈科学則〉と〈魔法則〉が重ね合わせになっていると言われる〈狭間〉で、順繰りに挽き潰されていく有様を想像し、わずかに溜飲を下げる。それにつれて顎はあがり――現れるのは無表情の恍惚。

 少年たちの目に、それは余裕と映ったのだろう。苛立ちまぎれに痰を、それから言葉を吐き捨てた。

「ホントに生意気なヤツだぜ」

 予想、全的中。

(嗚呼……完璧(パーフェクト)

 少女の倦んだ心に慰め。上気した血が氷の頬へ。じんわりと歓喜の震え。

――と、少年たちが喚きはじめた。怒気にまみれ、言葉にならない、それでいて威嚇効果だけは抜群の騒音――まさしく猿だ。

(あー。また、やっちゃったみたい)

 少女は、みずからの過失を悟った。ついつい顔に出してしまう――悪い癖。すみやかに弁明と抵抗を放棄。加虐の被害を最小限に食い止めるため、逃げまどうふりをしつつ、安全地帯を記憶から探す。

誘導――小突かれ、蹴られ、囃し立てられ、三つ編みを引っ張られながら、小路を抜ける。大人の姿もあったが、救いの手を差し伸べる麗しい習慣など誰一人として持ち合わせていなかったし、少女自身も期待などしていなかった。

「やっぱりゴミはゴミ箱だよな!」

 少年の一人がはしゃいだ声をあげる。手をかけているのは、道端から半地下の物置へ通じる蓋戸。

(よしよし。ちゃんと気づいたねー。えらいえらい)

 少女はにじみかけた笑みを堪え、怯えた表情を捏造。覗きこんだ半地下への階段は、闇の底に繋がっていた。

 背を蹴飛ばされ、よろめきながら半分ほど下る。蓋戸が閉まる。閂が掛かる。とって返して戸を揺する。閉じこめられた哀れさを訴える。

 その姿が悲惨であるほど、少年たちは開けようとしないだろう。そこが狙い。隔離されてしまえば直接の暴力は受けずに済む。ほとぼりが冷めるか、翌朝にでもなれば、誰かが開けてくれる。

 少女はひとしきり演じてから、階下までおりた。すぐに目が慣れる。格子が、低い天井付近にあった。悪童どもが覗いている。蔑みの言葉を競い、呼吸がわりに笑い、唾を吐きかけてくる。それらの言動を冷ややかな眼差しで見つめた。見世物小屋の猿の芸と比べ――猿の勝ち――視線はより向こうへ。

 塔。

 月も星もない夜陰を分断している。丘と谷が織りなす起伏に富んだシスルの町の、もっとも高い所にある、もっとも高い建造物。町のどこからでも見ることができ、そうなるように建てられた。その昔、周辺を〈魔術〉で治めていた王によって云々――そんな歴史的なことは、どうでもいい。

 ヘンだ。

(見える?)

 月も星もないのに。町の灯りも届かないのに。そそり立つ塔が、なぜ、夜を割って見えるのだろう。これほど鮮明に。

「塔が……光って……る?」

 朱唇からこぼれたつぶやきと、塔が――いや、塔を包む巨大で圧倒的な力が鳴動し、膨張したのは同時だった。


 どくん……!


 鼓動が少女の薄い胸板を突きあげる。

「あっ……」

 自然と息が洩れ、声が溢れた。

(これが、〈流れ〉か)

 辞典の一項目――〈魔力〉の循環について説明している部分を咄嗟に思い出す。だが、平静を保てたのはそこまで。

(む、胸が……!)

 光の鳴動に合わせて脈が暴れ始める。息が詰まる。円い瞳が、さらに円く、大きく見開かれる。

 ほつれた赤毛が逆立つ(・・・)

 もう格子の向こう側で蠢く少年たちは瞳に映らない。声どころか叫びも聞こえない。揺らめく陽炎となっている。

 塔を取り巻く〈流れ〉は、上へ上へと収斂し、天球を模したという丸屋根の最上部で燦然と輝きを増していった。

「くっ……あ……」

 苦悶――胸が。脈が。息が。体が!

 限界に達した瞬間、光の大崩壊が音もなく――あるいは人の聴覚を超越した激しさで――訪れた。

 白光が瞬く間に空を覆い、地に溢れ、町を飲み、視界を満たす。みずからの脈動と、目も眩む輝きに曝され、少女は膝を屈し、床へ頽れた。瞼に焼きついた光景は、静謐のなかで霧散していった少年たちの姿。

 しかし、少女は歯を食いしばった――消えてたまるか!

(あたし〈魔術〉やるんだもん! 覚えるんだもん! もう二度と悪態はつきません。素直なよい子になります。だから……だから〈魔術〉を!)

 徐々に薄れていく意識の底で最後の気力を振り絞って叫ぶ。絶叫する。

(〈魔術〉覚えるんだ〈魔術〉覚えるんだ〈魔術〉覚えるんだ〈魔術〉〈魔術〉〈魔術〉〈魔術〉〈魔術〉〈魔術〉〈魔術〉〈魔術〉〈魔術〉〈魔術〉〈魔術〉〈魔術〉〈魔術〉〈魔術〉〈魔術〉〈魔術〉〈魔――

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