『千重の桜』 ~妖狐の章~ 其の三
翌日。
僕は、恐る恐る山道を歩いている。昨日、恐怖のあまり逃げ出した。あの後、二人はどうなったのか。
僕は、それを確かめなければいけない。
暫く歩くと、やがて社が見えてくる。そこには、見慣れない少女の姿があった。
「子狐。」
見慣れない少女に声を掛けられる。その声は、姫のモノだった。
「え?姫??」
思わず変な声が出てしまった僕。
「もう・・・来ないんじゃないかと思っていた。」
姫の悲しそうな顔。その顔は僕の知っている姫では無い。
「確かに、すごく怖かった・・・僕は二人を置いて逃げてしまったんだもの。」
「僕の方こそ・・・会って謝りたかったんだ。」
「そんな事は無いのじゃ、儂が皆悪いんじゃ・・・」
その後はお互いに謝り続けた。そして不意に・・・カカカ、あはははと笑顔になった。
「それはそうと姫。その姿は?」
と、今更な質問をする。
「ふむ、此処まで巻き込んでしまったのだ、全てを話そう。」
それはとても悲しい話だった。姫が殺され、姫で無くなる話。『桜』さんに助けられるまで、姫は救われなかった。
一人で苦しみ続けた、そんな悲しい話。
「今話した通り、儂のこの体はカリソメのモノだ。本当の体は、『桜』・・・『千重』によって『祠』の中・・・この山の地下深くに封印されているのじゃ。」
前の姫の姿は、人形に魂の一部を移したモノ、今の・・・この黒髪で、異国の人の様な姿もまた人形なのだと言う。
姫はこうして、地下に封印されながらも、地上に魂の一部を置き、見守っている。自分自身の封印を。
「どうやら、儂は土地神という事になっているらしい。」
それは、荒ぶる神も祀れば土地神になると言う風習かららしいのだが・・・
「その辺りは、千重の仕業だろうて。」
『千重』さん。つまりは『桜』さんの事。
そうか、『桜』さんは千重さんって名前なんだ。
「そういえば・・・今日は行かないのか?」
千重さんの所に。
「ああ、そうだね。じゃあ、行ってこようかな。姫は?」
「儂は此処で待っているよ。如何にも顔が合わせずらくての」
僕は、社からぴょんっと降りて、裏手に回る。途中で振り返ってみると、姫はまだこちらを見ていた。
僕は「直ぐ戻るね。」と伝えると、階段を登る。上に着くと『祠』。昨日は扉が開いてそこから・・・
・・・今は扉が閉まり、何事も無かったかのようになっている。『祠』を通り過ぎて『桜』。満開の『桜』。
そして其処には、昨日見た黒髪の巫女装束の女性・・・千重さんがいた。
「こんにちは。子狐さん。」
「こんにちは。千重さん。」
「もう、来ないかと思っていましたよ。」と姫と同じことを言う。
「そんな事は無いです。だって僕は、『桜』さん・・・千重さんの事が好きですから。」
「ありがとう。」
「でも、貴女が本当に好きなのは・・・」
あら、ふふふっと笑う。その姿は、人の形を取っているが『桜』さんそのものだった。
「私は、昨日の事で貴女にお礼を言わなければなりません。」
「あの時、貴女が来てくれなければ・・・」
「恐らく、この地は壊滅していたでしょう。」千重さんは静かに語る。
バケモノ・・・姫のチカラは強大で、里まで降りたら、破壊の限りを尽くしていた事。
僕が来た事により、姫は自我を取り戻し、自らでそのチカラを封じ込める事に成功した事。
しかし、その身が発する瘴気は、人々に有害。『祠』の底に戻った事。
「でも、此れからは大丈夫でしょう。」
「『音』は、自らのチカラを制御できています。仮に封印が解けたとしても、また封印を施すまで『祠』から出る事は無いでしょう。」
「ですが、姫のチカラを狙うモノも現れるでしょう。今までは制御不能のチカラが制御されているのだから。」
だから私は、また眠りにつく事にします。
姫を守るため、千重さんは『桜』と一体となる。満開の『桜』は再び蕾に戻り、咲くことが無い事を祈り続ける。
「姫をよろしくね。子狐さん。」
消える間際、そんな声が聞こえた気がした。
僕は、社の姫の元に戻る。姫は何時もの様に社の端にちょこんと座っている。
手をおいで、おいでと振り、自分の隣をちょんちょんと指差す。
僕は、ぴょんっと姫の隣に飛び乗る。
「千重は・・・どうだった?」
「うん、満開で綺麗だった。だけど、また・・・”元に戻った”よ。」
「そうか。」と呟くと、姫は何も語らない。
姫を守る千重さん。「姫をよろしくね。」と言った千重さん。
僕にも・・・姫を守る事は出来ないのだろうか?
僕には、なんのチカラも無い。でも・・・聞いた事がある。狐は妖術を身につける事が出来ると。
「姫、狐が妖術を身につけるには、どうすればいいの?」
僕は聞いた。
姫は暫く黙っていたが、僕の真剣な目を見て、教えてくれた。
狐は100年掛けて妖術を得る。そして1000年掛けて尾を増やすのだ。しかし、普通の狐ではその域に達しない。
ならば、100個の鳥居を飛び越えれば良い。それで、妖術は得られる。それこそが100年の意味。なのだそうだ。
正直、良く分からないけど・・・やらなくちゃいけない。でも、僕の脚力では、どうやっても鳥居は超えられない。それこそ、ここの社にある小さな鳥居でもだ。
なら、僕は・・・
「姫、僕はチカラを・・・妖術を身につける為に旅に出ます。」
「そして、必ず・・・姫の元に帰ってきます。」
「うむ、待ってる。」
姫の悲しそうな顔を見て、姫と別れて旅に出ると決意して・・・僕は気が付いた。
僕は、千重さんよりも、姫の事が大好きだったんだ。
それでも僕の意思は変わらない。いつか、姫を守る為に。
「じゃあ、またね。」
「ああ、また・・・じゃ。」
『明日』とは言わない。いつ戻れるか分からない。でも、きっと戻る。姫の元に。
こうして、僕は旅に出た。
そして長い時を経て・・・妖術を得た僕は、姫の元に戻ったのだ。




