『千重の桜』 ~妖狐の章~ 其の二
初夏も過ぎた頃。その日は何時もと様子が違った。
何時も社に居る姫が今日はいない。
如何したんだろう?と思いつつも、『桜』さんの元へと向かう。
途中の『祠』に差し掛かると、見た事の無い女性が立っていた。美しく長い黒髪に、此れはおそらく巫女装束というモノだと思う。
その美しい女性は、僕を見かけると話しかけてきた。
「子狐さん。今日より暫くの間、此処には近づいてはなりません。」
「怖いお化けがでますよ。」と優しい口調だったが、その眼差しは真剣そのもの。
僕は、本能で危険を感じた。『桜』さんは・・・姫は大丈夫なのだろうか?
僕は、巫女装束の女性に聞いてみる。「『桜』さんと姫は、大丈夫なのですか?」と。
「私も『音』も大丈夫です。」
「ただ、この場所自体が暫くの間危険になるのです。」
「暫くとは、何時ぐらいまででしょうか?」
僕は尋ねる。
「そうですね・・・1週間ののち、下の社に『音』が居たならば、もう大丈夫です。」
「ただし、居なかった場合は・・・」
「もう、ここには近づかないでください。」そういって、僕に帰るように促した。
僕も本能で危険を感じていたからか、帰る事にした。
そこで気が付いた。
”私も『音』も”
もしかして、貴女が『桜』さん!?
僕は、振り向くと・・・巫女装束の女性・・・『桜』さんは、にこりとほほ笑むとその姿は陽炎のように消えた。
それから、1週間が過ぎた。
僕は、二人の事を心配するも、『桜』さんの元へ行く事が出来なかった。
『桜』さんの言っていた1週間。僕は、1週間ぶりの山道を登る。暫くすると、社が見えてくる。そこに・・・
・・・姫の姿は無い。
姫が居なかった場合は・・・
「もう、ここには近づかないでください。」
『桜』さんの言葉がよぎる。でも、でも・・・
・・・それでいいんだろうか?
僕は『桜』さんの事を・・・姫の事を・・・
意を決して、社の裏手に回る。『桜』さんの所まで通じる階段。僕は階段を上る。
きっと上では、何時もと変わらない姫がいて、巫女の姿をした『桜』さんがいる。そう・・・信じて。
グォォォォォォォォォォォォォォ
獣の様な泣き声が聞こえた。
階段を上がり、『祠』の前にたどり着いた僕は・・・
バケモノを見た。
真っ黒い獣の様な姿をしたソレは、辺りに瘴気をまき散らし、今まさに『祠』から出ようとしている。
その前には・・・『桜』さん。
『桜』さんは、そのバケモノを『祠』に戻そうとしている様に見える。
「何故・・・来たのです?」
「『音』が居なかったら、近づくなと言った筈です。」
「で、でも・・・僕は、二人が心配で・・・」
グォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ
再び獣が吠える。
その声に体のいう事を聞かない。ガタガタと震え、体は急に冷めていく。
死。
僕は、その声に『死』を感じ取った。
「私が抑え込めているうちに、早く逃げなさい!」
「で、で・・・」
でも、体が動かない。
動けっ動けと命令を出すが、足が、体が反応しないのだ。
そのうちに・・・バケモノと目が合った気がした。
「子狐・・・逃げるの・・・じゃ・・・」
そのバケモノは、姫の声を発した。
「え、ひ、姫・・・!?」
「力が弱まった!?」
「子狐さんっ今のうちに・・・早く!!」
僕は、動かぬ体を倒し、転がるように階段を下りた。
ある程度距離があいたからなのか、社の辺りまで来ると足が動いた。
僕は、逃げるように山道を駆け下りた。




