第五話 報われない
休日、新学期始まって初の休日であり、ジル・マスティスにとっては大掃除の日である。
本、紙、本、紙、文字が書かれている物が大量に自宅を埋め尽くしており、何処に行っても書類に埋め尽くされている自宅を掃除しなければならなかった。
叔父と連絡を取って大量の書類を送って貰った事と他界した父が残した大量の本などで家は既に荒れ放題で、いくら片付けても自分の勉強やらレポートやらですぐに散らかってしまうのが現状だった。
「……俺、死ぬかも」
料理ぐらいは出来るため、食生活その物には問題ないのだが、それ以外の生活能力が皆無であることは明らかであった。
母が幼い頃他界して以降、父とは家事を分担して行っており、料理はジル、掃除洗濯は父が行っていた。そして父が他界して以降、この有様である。
「あ~……そろそろ生きてる感覚が薄れてきたな~」
ジルはその時「別に死んでも叔父さんが論文発表してくれそうだしな~、死んでも問題ないな」とかなり他力本願な事を思ってしまった。
きっと誰かがやってくれる精神に切り替えれば人は堕落する。そして、他者に一切認められなかったジルは今まさにその堕落精神に切り替えようとしていた。
書斎で白骨化したとしても別に良いと思いかけていた。
「おーい、お邪魔するよー、ってなかなか凄いね」
「おお!? これは話に聞いていた以上ですぞ!? お師匠様、ご無事ですか!!」
「書斎、じゃないかな」
「お師匠様ーっ!!」
ドタバタと木造建築の家には響く音がして、意識が遠のき始めていたジルは少しばかり我に返った。
物凄い勢いで書斎のドアが開き、人影がジルを襲った。
「お師匠様、お師匠様、ロノは会いたかったですぞーっ!!」
激しく顔を胸板に擦り付けてこられ、抱きつかれている。
ジルはふと昔に似たような現象に陥ったことがあった。約四年前のことである。
アイリスと同じく導師として教えていた中の一人がやたらと人懐っこくて感情的な面が強い。それでいて衝動的で表裏がない人柄の少女だった。何か感謝することがあればこうして抱きついて顔を擦り付けてきた。そして微かに主張する慎ましやかな胸も当たる。
「おっほーっ!! 久々のお師匠様ですぞ!! くんかくんか、この匂いが懐かしいですぞー!!」
ロノ・クビル、何かと理解力が高く、座学だけは出来たが人としてネジが外れたようなスキンシップをしてくる神器使いである。
オレンジ色の短髪に琥珀色の瞳をした美少女である。
「ぐるじい、息が……」
「あははは、ロノちゃん、多分ジルが窒息死するから止めてあげて」
「おっと、これは失礼したですぞ」
声の主はジルの親友、ハーレント学院の剣聖レバン・トーリスである。彼の一言によってロノに締め上げられていたジルは解放された。
「げほっ、ごほっ……別の方法で死にそうになるとは思わなかった」
「別の方法って……まあ、この状況を見れば察しはつくけど、来て正解だったみたいだね」
「料理は出来ても掃除が出来ないのは辛い話だ。で、なんでロノが? あの姫様のお守りは一人じゃ足りないのか?」
神器使いは普通こんな辺境に居るのではなく、帝都に居るべきである。いくら他国より神器使いが多いからと言っていくら居ても足りない人材をわざわざこんな辺境に送ってくるのは可笑しな話である。
「違いますぞ、この服装を見て貰えば一目瞭然のはずですぞ!!」
そう言いながら立ち上がり、見せつけるようにして服装を見せる。
白いローブ、しかも背中には金糸で龍が刺繍されている。それは国王に仕える神器使いの証である。しかし不可解なのがローブに隠れていた衣服だ。
ジルはその衣服に見覚えがあった。それは―――
「なんでメイド服?」
「お師匠様の家が大荒れという一大事を解決すべく、帝都の高官共を脅して正式な命令書と共に来た次第ですぞ!!」
自信満々の笑みを浮かべ、恐ろしい言葉と共にジルの目の前に一枚の紙を提示した。
『神器使いロノ・クビルに命ずる。汝、ハーレントの地を守護せよ』
殴り書きの字に帝国高官の印がいくつも捺印されており、何か妙な感覚を覚える正規の命令書が目の前に存在した。
「これでも他の神器使いが行くと言って聞かなかったのですが、ロノが代表して行くと言うことで何とか合意を得たのですぞっ!!」
「ちなみに、どうやって高官を脅したのかな」
「帝都に居た者達で力ずくですぞ」
つまりそれはユミル・デーバス・フェルト殿下のお守りをしていたアイリスを除いた神器使い一六名で帝国高官を脅して事例を書かせたと言うことだろう。
「ふふっ、国の上層部はそろそろジルの重要性に気付くべきだね」
家が散らかっているらしいので手伝いに行く、そんなかなりくだらない理由で国の最大勢力の七割を動かした事にレバンは笑いを隠せなかった。
「……なんか、凄いことになったな」
今更になって今まで自分が行ってきたことがどれだけ凄いことになっているか実感したジル・マスティスその人であった。
ロノはジルにとって初めて神器を発現させた弟子である。つまりアイリスに比べて出来が良く、一番弟子でもある。
自由奔放、博識、表現豊か、人に合わせると言うより人を思いやっている彼女は神器発現の条件に大部分当てはまっており、神器発現も比較的に早かった。その為、ジルの研究にとって非常に良い影響を与えた。自由なロノとがさつなアイリスを比べた際に神器発現の時期の差が激しかったため、データとしてはかなり良い物が取れたのは事実であった。
「そう言えばなんでレバンが?」
「ロノちゃんが屋敷を訪ねてきて、君の居場所とメイド服をご所望なさっていたんでね」
「なるほど」
レバン・トーリス、彼は一応ハーレントの領主の息子である。ジルが全く意識していないだけであって、学院内では生徒会長であり、黒服と連む珍しい人物として知られている。
三人で手分けして片付けを始めたのだが、何分量が量なので終わる気配が全くしない。
「そこは何故メイド服が疑問にならないんだね」
「着る理由もないだろうが、着てはいけない理由もないだろ、肝心なのは中身であって外見ばかりを注視する必要はない……それとも、レバンはドジッ子メイドをご所望で?」
「まさか、ドジッ子メイドというのも見ている分にはいいけど、奉仕されるのは遠慮したい物だからね」
二人はそう言いつつ、目線をロノの方へ向ける。
「アレが神器使いの本領か……凄いな」
「神器は関係ないと思うけど」
圧倒的だった。二人が本を棚に収めていく間にもロノは物凄い勢いで書類を片付けていく、本は大体のジャンル分けをして積み上げられ、レポート用紙などは縛って一カ所にまとめられている。
「これで憂鬱な時間を過ごすことも減るんじゃないのかい?」
「かもな」
「こ、これは……お師匠様ーっ!!」
何かを見つけたらしく、ロノは声を上げながらジルの方へ駆けてきた。
少し古びた冊子だった。膨大な紙の中からこの様に何年も昔の物が発見されても可笑しくはない。
「これはロノ達の時の物では!?」
「え~っと……四国大祭?」
ロノから冊子を受け取り、ジルはパラパラとページを捲る。
四国大祭とはフェルト帝国、バルビア公国、レンバリート王国、ミローク騎士団領、西大陸の四大勢力と呼ばれる四つの政府が主催する年に一度、冬に開催される心具使いが出場する大会である。
大会は国の心具使い育成機関から三人一組で一組ずつ代表が選出されるため、何処の国も首都に置いた育成機関が本命とされている、それは何処の国でも優秀な人材を首都に集めているからである。しかし、四年ほど昔、たった十二歳の少女達が周りを驚愕させた。
「ああ、あの時の奴か、そう言えばこんなの書いたな」
アイリス、ロノ、そしてクリシアという少女三名が大会史上最年少で優勝した。その時の記録がこの冊子に記載されていた。
「あの時は本当に驚いたよ」
「面白半分で出場手続きを出した俺も優勝するとは思っていなかった」
ひょっこり顔を出して口を挟んできたレバンの声にジルはしみじみとした様子で同意した。
「あ、あれって面白半分だったのですか!?」
「当たり前だ。十二のガキが本戦に出るなんてあり得るわけないだろ……まあ、あの時はアイリスが本戦で神器を発現させるとは思っても居なかったんだがな」
史上最年少の大会優勝者三名全員が神器使いという事は国の首脳を驚愕させ、出世街道を突き進むこととなった第一歩と言えるのだろう。五年前、周囲が見放していた落ちこぼれが一年も満たない内に神器を発現させるなんて当時は誰もが思っても居なかっただろう。
「結果は十二歳の神器使い達が圧勝。あの出来事は帝国上層部も相当慌てたらしいよ、何処の資料を探しても神器使いが現れる前触れなんてなかったんだから」
「全てはお師匠様のお陰ですぞっ!!」
「まあ、あれ以降俺への風当たりが大分緩くなったから良かったんだが……思いつきで始めた事がずるずると五年も続くとは思っても居なかったな」
その四国大祭を境にジルを見る眼が変わり、居ても邪魔にならない存在へと変わった。しかし、それと共に変な噂が流れ始め、現在の黒服のジルに至る。
「帝都でお師匠様のことを話しても信じてもらえなかった事がロノとしては不服でなりませぬぞ」
「どうでもいい話だがな」
「ジル、君個人はどうでも良いと思ってるかもしれないけど、一応君は帝国が現在保有する神器使いの内七割が君の弟子だよ? ミスティアージュ学院の連中が信じなくとも、国の上層部はこの異常事態を真に受けるしかないのは事実なんだ、君の一声で帝国その物の基盤が揺るぎかねないと思っている人も居ると思うよ? 現にこうしてロノちゃんが……いや、君の弟子が国の高官を脅したという事実は否定できないよ」
「お師匠様の弟子であるロノ達は元々誰にも期待されなかった落ちこぼれだったのですが、お師匠様のお陰で胸を張って表に立てるようになったのですぞ、感謝しきれないほどの恩がお師匠様にはあるのですから、お師匠様に従うのは至極当然なのですぞ!!」
その眩しいまでの従順な姿勢が逆にジルという存在を危うくしているなど神器使い達は自覚していないだろう。
「まあ、連中も迂闊に手は出さないだろ……もし俺をどうこうしようって話なら排除するより取り込んだ方が安全出しな」
「だろうね」
万が一にも、ジルに危害を加える存在全てを敵と見なした場合、ジルの弟子である神器使い十七名が敵になると考えても差し支えない。そうなった場合、帝国が総力を挙げて排除しようとした場合、都市が一つ消えるなんて話では済まないだろう。いくら練度が低くとも神器使いと言う存在は下手すれば軍隊一つ消し去るのも朝飯前なのだから。
「しかし、まあ、こんな物がまだあったとはな……この際処分するか」
「ええっ!! ではこのロノが貰ってもいいのですか?」
「ああ、俺には必要ないしな」
「ありがとうございますなのですぞ!!」
そう言いながらロノははしゃぎながらどこかへ行ってしまった。
「本当に良いのかい? ジルにとっては記念品みたいな物じゃないのかい?」
「まさか、誰がどう見ても僻みの書かれた紙の束だ」
一方は辺境の学院で毎年留年の危機に陥っている落ちこぼれ、もう一方はその名を西大陸に轟かせた神器使いである。
今のロノからは落ちこぼれであったなどと言う面影は一切なく、誰もが羨む国を代表する神器使いの一人だ。他人が見れば凡人の視点から見た英雄の姿を字にした物にしか映らないだろう。
「結局、俺は否定されることはあっても肯定されることはない。これでも結構足掻いたはずなんだけど、評価されたことは一度もない。正直、疲れた……理不尽だよな」
「何がだい?」
「ユア・グラビスだったか? 少し前にアイツが指導して欲しいなんて言ってきた」
「断ったのかい?」
「当たり前だ。俺の性格ぐらい知ってるだろ」
「そりゃね」
利己的で自分勝手なジルを知った上で関係を築いてきたレバンにとって些細なことだ。新学期には「一人になるのが嫌だから」という理由で神器発現の条件を教えてもらえなかったほどなのだから。
「お前はさ……自分が無力だって感じたことはあるか?」
「まあ、多少はね」
「多少か……そりゃそうか、昔から優等生だったしな」
「座学では何時も君に負けてたけどね」
ジルは「確かにな」と言いつつ笑った。
何時もならそれで終わりなのだ。笑い話で終わりなのだ。
しかし、ジルの様子がいつも以上におかしかった。
レバンにとってジルは何時も他者にペースを乱されない存在で、何時も乱している側の存在だったのにも関わらず、今日は今にも崩れそうな様子だった。
「俺はさ……正直、帝都へ行ったアイツらと二度と会わないと思っていた。いや、会いたくなかったと言った方が正しいんだろうな」
「どうしてだい?」
「たった一年で最弱の存在から最強の存在へと変わっていく奴らを間近で見てきた人間が惨めに感じないわけがないだろ……俺だって腐っても心具使いだ。ガキの頃は神器使いになる事だって夢見たさ、研究の最終目標だって元々は俺自身が神器使いになるって事だった。だがな、アイツらに教えていく内に、研究を進めていく内に、気付いた。俺は何どう足掻いたって何も変わらないってな」
ジルは棚に寄りかかって座り込んだ。レバンにとってはかなり意外な光景だっただろう。他者のことで落ち込むことこそあれど、ジルが自分自身のことで落ち込むことなど今まで一度もなかった。
何故か、それはレバンが、周囲がジルという存在を最弱という座で固定し、ジル本人も自身のことを最弱だと認識していたからだ。
嫉妬、誰もが持つ感情の一つであり、ジルに欠けていた感情でもある。
「それが教えなかった理由かい?」
「これ以上教えるような理由がない、というのもそうだが……正直、これ以上あんな奴らを見てられない。辛いんだよ」
「僕はてっきり割り切っている物かとばかり思っていたよ」
「俺だってそうだ……だが、さすがに眩しすぎるよな」
底辺から頂点にまで成り上がった神器使い達、それを後押ししたのは底辺に居続けるしかないジル・マスティスである。
取り残され続けているジルがロノ達を眩しく思うのは当然のことであった。
「何をどう努力しようが評価されることはなかった。俺は周りに認められたと勘違いしていただけで、実際は周りが俺のことを役に立ちそうな奴だと見ていただけなのかもしれないな」
「そんなことないさ……少なくとも僕や君の弟子達は違うはずだよ」
レバンは気休めにしかならないと分かっていてもそれ以外の言葉を掛けることが出来なかった。
誰よりも努力しているはずなのに、必至に足掻いているはずなのに、報われない。
ジル・マスティスという最弱の存在は哀れな道化に過ぎなかったのだ。
なお、その日を境にロノ・クビルはジルの家に居候する事となった。名目上はハーレントの治安維持の為に宿の提供をして貰ったという事なのだが、ロノの中で何かが燃えていたことに間違いは無く、それをジルが気付くことも無かった。
やっと主人公の本音らしい本音を現した話でした。
わざわざ作品開始時点を完全な落ちこぼれから開始しなかった理由が露わになりました。