第三話 ジルの力
読者の皆様に一つだけ注意点がございます。この作品における戦闘描写ですが、主人公の都合上、少なくなっております。理由はただ一つ、主人公が最弱だからです。
「プロビデック先生、彼を少し借りても良いでしょうか」
「ええ、構いませんよ」
見慣れない黒髪の少女は先ほど話しかけてきていたであろう同性愛者の教師にそう一言言ってジルの腕を掴んだ。
「すまない、少し付き合ってくれ」
「え、ちょ、ちょっと」
ジルが身長の割に細身で非力だったのが原因だったのか、それとも黒髪の少女が怪力だったのかは定かでは無いが、ジルは見慣れない少女に引っ張られてフィールドへと引き戻される。
これは拙い、フィールドから離れて模擬戦をサボるつもりで居たはずが、何時の間にやら、自分の意思とは関係なくサボることの出来ない状況に引き戻されている気がしていた。
そして何時の間にやら二人は人々の視線の的となっていた。
それもそのはずだろう。見慣れない黒髪の少女と黒い制服に黒い髪をしたジル、黒髪という物が帝国ではかなり稀少な存在である為、ジル一人でも目立っていたというのに、今では倍増しである。黒髪ダブルである。
「随分と細いな、しっかりと食べているのか?」
黒髪の少女はジルの腕を放しながらそう言った。
「一体何なんだ、ってか誰だ」
「失礼した。私はバルビア公国から交流目的に派遣されてきた高等部一年のユア・グラビスだ。ぶしつけな質問で申し訳ないが、名前を聞いても宜しいか」
レバンの言っていた注目株という人物である。
「三年ジル・マスティス、一応落ちこぼれをやっている」
それほど可笑しな事を言った覚えが無かったジルに対してユアはクスリと笑い、咳払いを一度した。
「失礼、この国では黒髪というのが珍しくてな、思わず声を掛けてしまった。先輩だったとはつゆ知らず、許して欲しい」
「いや、別に、じゃあな」
第一目標、図書館到達を忘れていないジルは一刻も早くこのフィールドを抜け出す必要があった。制限時間内、つまりペアを確定させずに自由に動ける時間内に図書館に辿り着けなければ模擬戦参加が確定してしまうのだ。落ちこぼれのジルとしては模擬戦参加という悪夢だけはなんとしてでも避けなければならない。しかし、現状、つまり視線の的になっている状態で逃げるというのは至難の業である。
何とかして黒髪が二人揃っているという目立つ状況を解消しようとジルはその場を離れようとする。
あわよくば人混みに紛れ、フィールドから離れて図書館へ逃げ込むという算段だ。
「ま、待ってくれないか」
再度がっしりと腕を掴まれる。振り払おうとしてもびくともしない。
「な、何だ」
「私とペアを組んでもらえないだろうか、マスティス先輩からは何だか赤の他人とは思えない何かを感じる」
「それは気のせいだ。いいか、それは髪が黒いと言うだけの共通点があるだけで他人のはずだ」
ジルはなんとしてでもこの状況を解決したい。しかし、今の段階で誰かに救援を求めるのは上策では無い。少なくとも人との交流が非常に苦手なジルにとってそんなことをして状況が良くなったと言うことは一切としてない。
「俺は黒服だ。交流生でも知ってるだろ、帝国における心具使いの格付けは制服の色で識別できるようになっていて上から白、青、赤、緑、黒だ。そして俺はこの学院で唯一の黒服、その意味を理解しろ」
何度も力尽くでがっしりと腕を掴んでいる手を引き払おうとするがびくともしない。
「安心して欲しい。私は他国の物だ。帝国と公国とでは私たち心具使いの評価基準も違う。戦闘能力だけで格付けをしないのが公国であり、これは模擬戦だ。交流を目的とする私としては勝ち負けなどどうでも良い」
ユア・グラビス、確かに彼女の言っている事は正しい。帝国と公国における心具使いの評価基準は大きく異なっており、帝国では落ちこぼれだからと言って学力的な面も評価基準に含まれる公国で考えても落ちこぼれとは限らない。現にジルは座学だけならばこの学院で見美にでる物は居ないだろう。それにこの模擬戦も元々は都落ちしてきた生徒のモチベーションを上げるのが目的であって、交流を目的として派遣されてきたユアが交流目的としてこの模擬戦に参加しても何ら不自然では無い。そもそも帝国の評価など気にするはずも無い人物がこのイベントに参加したところでメリットが一切無いのだ。
「交流を目的とするなら俺なんかより……ああ、そうだ、ユミル・デーバス・フェルト殿下が居るだろう。帝国との交流の証としてこれ以上の適役は―――」
居ないだろう。と言おうとした瞬間、がっしりと掴まれていた手がさらに腕を握りしめてくる。このままでは腕が折れてしまうと危機を感じたジルは顔を真っ青にして言葉がピタリと止まった。
「私とペアを組んではくれまいか、マスティス先輩」
「よ、よろ……こんで」
ジル・マスティス、理不尽な暴力に屈した無力な男であった。
憂鬱、ジルの心境を現すにはちょうど良い言葉だろう。
心具とはそもそも心の形を武器という物で具現化した物である。しかし、歴史を紐解けば決して武器という形だけで顕現しているわけでは無いのだ。有名なのがバルビア公国を建国した初代国王の心具である。初代国王の心具は炎を纏う獅子と言う形で顕現したと言われている。その為、大半、ほぼ全員の心具が武器という形を成すのだが、ごく少数の心具使いは武器という形をしていない事がある。もちろんそれは心具使いとして異例のことであり、出来損ないと言ってもいいぐらいである。
そしてその例外にジル・マスティスは当てはまる。
「言っておくが俺は戦えんぞ~、期待するなよ」
模擬戦は一回のみだ。普通ならば一回しか、なのだが、ジルにとっては一回も、やらなければならないのだ。
武器として形を成さない心具は実在した。しかし、その心具を持つ物が戦えなかったと言うことは余り耳にしない。だが、その心具が優秀であっただけで、ジルの場合優秀でも無いからこうして黒い制服を身に纏っているわけだ。
学院内に存在するバトルフィールドにて、ジルはやる気のなさそうな声でペアとなったユア・グラビスに言った。
この模擬戦は一日を通して行われる。もちろん自分自身が戦わない間は他の試合を見ているわけで、ジルはその間に脱走しようと考えていた。考えていたのだが、まさか自分が最初の試合に出なければならなかったという事態は想定していなかった。
「一体君の心具は何なんだ?」
「あ~……なんて言ったらいいんだ? 指輪? ああ、指輪だな」
試合寸前、相手のペアを待っている間、ジルはユアを呆れさせていた。
「自分の心具がなんなのか理解していないのか?」
「まあ、能力その物は理解しているんだが、指輪である理由その物が分からない」
「……能力?」
「あ~、まあ、一言で言うのなら……他人の心具に干渉する力だ」
「干渉?」
「これは俺の研究その物の題材なんだが……まあ、やってみれば分かるだろ、ほら相手が来た」
ジルが指さした先には青服と赤服の生徒がやってきた。
相手二人はジルの姿を見るなりあざ笑った。
「グラビス嬢は随分と見る眼が無いようだ」
「まさか黒服と組むとはな」
黒服、ハーレント学院で黒服はジル一人であり、特別視されているが、都落ちしてきた者にとってはただの落ちこぼれである。相手の反応を見る限り都落ちしてきたようだ。
「私は帝国が下した評価で人は見ない主義だ」
「ろくに神器使いの居ない公国に言われたくないね」
「しかし君たちが神器使いというわけでは無いだろう。話ではここ五年で神器使いはこの学院のみで輩出されていると聞く」
「五月蝿いっ!!」
神器使いを輩出する原因となっているジルが傍観している中、公国と帝国の言い争いが起きていた。
「都落ち、早くしろ~」
「黒服のくせに黙っていろっ!!」
「都落ちしてきたくせに生意気言うな~」
ジルのやる気の無い声に都落ちした生徒達はいらだちを隠せなかった。そして追い打ちを掛けるかのように観客は都落ちした生徒達を笑った。
その笑い声は恐らくジルという存在を知る者のみだ。戦いという点においてジルは確かに最弱であるが、その実績を知っておいてジル・マスティスを笑う者は居ない。
「ふふっ、どうやら噂の元は君のようだったな」
「は?」
ユアが小さく何かを呟いたようだったが、ジルには聞き取ることが出来なかった。
「赤と青、格付けとしてはそこそこと言うところか……そろそろ始めよう」
その一言と共にユアの手元が光り出し、白銀のレイピアが顕現した。
白銀のレイピア、それがユアの心具である。ジルは彼女の心具を見て口を開いた。
「お母上に似て心具その物の才能には恵まれなかったようだな」
「剣術も心技も母から教わった物だ。心具その物が弱くとも負けはしない」
自慢げにレイピアを振るうユアの姿を見てジルは疑問を抱きざるおえなかった。
(……不思議なモンだよな~、ポテンシャルは十分にあるだろうに)
心具という物は遺伝でその形質が受け継がれることがよくあるのだが、心具の形質が変化したり、心具その物の性能は持ち主に依存する。神器と発現させるのも個人の力であり、誰しも神器を発現させる可能性はあるはずなのだ。
しかし、ユアの心具は決して強いとは言えない。寧ろ弱いと言ってしまえるほどだ。
「上等だ。公国の心具使いに帝国の厳しさという物を教えてやる!!」
そう言って都落ちした二人は心具を顕現させ、赤服は斧を、青服は槍の心具を顕現させた。
「え~っと……先生、号令お願いしま~す」
血が上っている都落ちとは違っていたって暢気なジルは傍観していただけの教師に試合開始の合図を要請した。
「マスティス、一応心具を出しておけ」
「へ~い」
そう言いながら嫌々心具を顕現させる。
ジルの右手に出現した指輪、それがジルの心具だった。
「それでは……始めっ!!」
その合図と共に都落ち二人組はユアを標的に駆け出す。
「君はそこで見ていてくれ」
ユアは二対一という不利な状況にも関わらず真っ向から立ち向かい、互角に戦ってみせる。軽い身の熟しで攻撃を回避し、突きを繰り出す。
心具の攻撃は肉体的な攻撃と精神的な攻撃のどちらかを加えることが出来、学園内での戦闘は精神的な攻撃のみが許可されている。もし身体に傷を負わせる事が一度でもあれば即退学である。
「……面白そうだな~」
ジルは不敵な笑みを浮かべた。
ジルは今までに十七名の落ちこぼれを神器使いへと変貌させた。そして今までに積み重ねた経験で研究を完成目前まで突き詰めた。
(試してみるか)
ジルはその心具が持つ力を使った。
するとユアのレイピアが突然輝き出す。
その光景を見たユア本人や都落ちした二人は驚き、いったん距離を取った。
観客は「おおっ!!」と声を上げ、まるで何度か見たことがあるように、珍しい物を見ているかのような物だった。
「なんだ!?」
レイピアの輝きが増し、鍔部分の装飾が増え、白銀であった刀身が紅に染まり、神々しい赤の光を発し始める。
心具の持ち主であるユアが一番驚きを隠せず、思わずジルの方を見た。
「自分の力だったら振り回されるなよ~」
恐らく、いや、十中八九今の現象の原因であろうジルは悪い笑みを浮かべて手を振っていた。
観客は所々で羨ましがる声が出ていた。
「そう言う事か」
状況を把握したユアは相手に向き直り、変貌した自身の心具を構えた。
(ポテンシャルはあったのか)
ポテンシャル、つまり潜在的な力はあった。
ジルの力は他者の力を引き出す力だ。相手の力を最大限まで引き出すと言う力であって決して他者の心具を強化するという物ではない。
心具使いは誰しも神器を発現させることが出来ると考えられている。しかし、それは理論上の話であり、実現することはほぼ不可能である。
ジルの力はその理論上の話を実現させることが出来るのだ。
「元を絶てば!!」
「よそ見をしている暇は無いぞっ!!」
一閃、紅い閃光が青服の生徒を貫き、続いて赤服の生徒の胸にレイピアが突き立てられる。精神的な攻撃とはいえ、痛みはある。強烈な一撃を食らえば気絶するのは必然とも言うべきだった。