第二話 神器使い
神器使い、心具使いの中でもごく僅かの者しか持たない至高の武器の使い手。誰でも神器を発現させる可能性を持つと考えられているが、現在帝国が保有する神器使いの数は二十四である。しかし、名門の出でも数代に一人しか神器が発現しないと言われており、その為二十四と言う数は他国と比べて非常に多い方とされている。
アイリス・アフィル、四年と三ヶ月ほど前に神器を使えるようになった少女で、記録上最年少で神器を使えるようになった三人の内の一人である。
「あのアイリスが飛び級して教師にね~……スゲー違和感」
レストラン、昼食には少し遅い時間にジルとアイリスは昼食を取っていた。
「本当は皇室の命令でこっちに来たんですけどね」
「命令? 近衛騎士団にでも入ったのか?」
「……ジル先輩、何も知らないんですか?」
「俺が何も知らないわけ無いだろ、寧ろ何でも知っている方だ。時事的な事を除いては」
ジルの回答にアイリスは大きなため息をついた。確かにジル・マスティスは歩く図書館と言ってもいいほどに頭が良い。教師顔負けの知識量であり、学者肌なのは昔からなのでジルが頭の良い人間だと言うことはアイリスも知るところである。しかし、何時もどこか抜けていて、常識的なことを知らない世捨て人のような人でもあった。
「私、これでもとあるお方の専属騎士なんですけど」
「へ~……人って変わるモンだな」
ジルの視線はまるで珍しい物を見るかのような物だった。
「あの、何が言いたいんですか?」
「いやな、五年前は座学はからっきしで心技も全く使えないくせして剣だけは一人前に振り回してたタメ口の落ちこぼれがよくこんなに変わったな~、と思ってさ」
しみじみとした様子で昔のことを思い出しながらジルは言葉にした。黒服に何時落ちても不思議では無い完璧な落ちこぼれであったアイリスをジルは面白がって「緑の剣術馬鹿」と名付けたのは懐かしい話である。
当時は何時も喧嘩腰でタメ口であったアイリスを思い出したジルは今との差が大きすぎて正直信じがたい物があった。
「当時のことは言わないでください!!」
「あの時はいっつもジルって呼び捨てだったのに今ではジル先輩か~、ぷっ」
余りのギャップに笑いが堪えきれなかったジルは笑い声が漏れる。
「笑わないでください!!」
顔を真っ赤にして言うアイリスに対してジルは笑うしかなかった。
「いや、む、無理、ふ、ははははは」
「もおぉ~」
「悪い悪い……まあ、良かったじゃん。親孝行できて」
「これも先輩のお陰です」
「いやいや、結局の所はお前が努力して神器を手に入れたんだから別に俺は大したことやってないだろ」
しかし、ジル本人は認識しているかどうかは定かでは無いが、五年間で帝国の神器使いの数は急増し、帝国の神器使い二十四人の内、七割がジルが送り出した神器使いである。
「先輩は最後まで『自分で成果は上げろ』って言っていましたよね」
「そりゃな~……まあ、成果が一切上がらない俺は毎年留年の危機に陥っているんだから説得力が一切無いんだよな~、俺って心具使いとして底辺に居るし」
底辺、最弱、黒服のジルと言う存在は神器使いを帝国に送り出してきた実績を持つ反面、心具使いとして最低ラインに居る落ちこぼれである。
「先輩はそれで良いんですか?」
「まあ、もう過ぎたことだ。教導ってさ、ボランティアみたいな物だから弟子の方は得するけど教えてる導師の方ってあんまり評価されないんだよな~……まあ今年はやらんが」
「ええっ!! やらないんですかっ!?」
レバンにも同じ事を言ったジルだが、レバンよりアイリスの方が驚いていた。
そんなにも意外だったのか机をバンと叩きながら席を立った。
「やらねーよ、今年も今までの調子でやってたら卒業できない自信があるわ。今年は卒論も書かないとだし、俺にも色々あるんだよな~、データも集まったし、いくらやっても評価は上がらないし、疲れたし」
十七名、ジルは五年間で十七名の神器使いを帝国に送り出している。しかしその実績が成績に反映されたと言うことはほぼ無い。誰だって努力が報われないのに努力し続ける必要は無いだろう。
「そ、そんな……」
「俺って利己主義なんだよな~」
「そ、それはそうですけど」
ジル・マスティス、半分世捨て人で図書館が服を着て歩いているような人だ。性格は人を食ったような発言が多く、自由で自分に利益になる事しかしない。導師となって教えていたのも成績が少しでも上がるからだ。
「や~っと実証も理論も証明できたんだ、あっちの方も了承してくれたからこれ以上頑張る理由も無いんだよな~」
「あっち? あっちってなんですか?」
「一年半ぐらい前からバルビア公国に居る叔父に神器発現理論の論文を送り続けてたんだが先月にあっちの学会で認められてな~、卒業したら叔父の所に行くかどうかは分からないが、親父が死んだから色々と迷っててな~」
「えっ……」
ジルの言葉にアイリスは言葉を失った。
アイリスにとってジルは四年ぶりに会った恩師である。しかし、その四年間、ジルと連絡は一切取っていなかった。彼女は毎年のように転校してきた神器使い、ジルが送り出してきた神器使いから話を聞くだけでジルと直接的な関係は無かった。そして、ふと思い出した。昨年、アイリスにとって最後の学生生活となった年、転校してきた神器使いに話を聞いた。二ヶ月ほど彼が自暴自棄になっていたと言うことを。
「さて、昼飯も食ったことだし、俺帰るわ」
翌日、高等部による新入生歓迎模擬戦の事である。
毎年恒例の新入生歓迎模擬戦は学院内でもちょっとしたイベントで、高等部の生徒が全員参加し、学年関係なしにタッグを組んで模擬戦を行う物である。
そして現在はペアを決めるための自由時間であった。
「レバン、俺は思う。悪しき風習は立つべきだと」
「僕としてはなかなか良い風習だと思うんだ。最後の一年、青春したいと思わないかい?」
「女たらしめ」
レバン・トーリス、天性の女たらし、ハーレントの剣聖、落ちこぼれのジルとは違ってレバンは優秀な心具使いであり、留年なんて低レベルな危機には陥らない白服だ。
「全員参加であるこのイベントだけは誰でも君とペアを組むチャンスが巡ってくる。恐らく、黒服のジルを知っているのなら是が非でもペアになりたいだろうね」
心具使いであるのならば神器を発現させるのは夢であり、目指すべき目標である。神器使いと言うだけで国家からはあらゆる優遇処置を与えられ、心具使いの一族の出であるのならば一族が一気に名門へと変貌する。弟子にした心具使い全員が神器の発現に成功しているジルの実力は誰しも当てにしている。
「都落ちしてきた連中は絶対ペアを組みたくないと言い出すところを地方の連中は是が非でもペアを組みたいという。どうやら地方連中はとんだマゾヒスト共の様だ」
「心具使いの社会は実力主義、そして君は底辺に居る。実に可笑しな話だね」
「ぜってー変だよな」
憂鬱、今のジルの心境を現すのに相応しい言葉である。
「そもそも帝国の心具使いの評価基準が戦闘能力という物だからね、君単独では全くと言っていいぐらい力が発揮されることが無いんだから評価されないのも仕方は無い。帝国もいい加減に脳筋主義を止めるできという点においては頷けるよ」
「帝国では心具その物のランク、心技の威力、そして使い手その物の技量が問われる。そして俺の心具と心技は俺単独では役立たずその物、俺個人の戦闘能力は雑魚同然。バルビア公国はこの評価方法に加えて学力も追求しているそうだ。いいよな、文武両道主義って、脳筋主義とは雲泥の差だ」
帝国では力が全てという考えが強く、優秀な生徒は帝都の学舎へ、成果を上げられなかった生徒は都落ちと言う形でハーレント学院のような地方の学舎へ編入させられる。新学期早々の模擬戦というのも都落ちしてきた生徒のモチベーションを少しでも上げるためにと企画された物である。
「ああ、そう言えば今年都落ちしてきた生徒の中に随分な大物が居たんだけど、分かるかい?」
「俺に時事的な事を聞くなよ」
「それもそうだね……実は第三皇女ユミル・デーバス・フェルト殿下が……ああ、あそこの人だかりがきっとそうだよ。噂では君の弟子でもあったアイリス・アフィルが専属騎士で、特別講師っていう肩書きで一応通しているようだけどね」
「レバン、お前……まさか、手を出すのか?」
女関連の情報伝達能力は非常に早い、そして手を出すのも早い、それがレバンに対するジルの認識であり、正直言ってあまり感心できる話ではない。今までどれほどの女に手を出してきたかはジルの知るところでは無いが、今回ばかりは冗談でも首が危ない。
「僕も命が惜しい。さすがに手が出ないよ……それと注目株がもう一人」
「アイリスか?」
「いや、確かに彼女もこの学院では注目されているけど、元が元なだけに手を出すのはいつでも……じゃなくて、ジル、君はバルビア公国との交流の件は知っているかい?」
「全然」
だろうね、とレバンは呆れながらため息をつく。やはり時事的な事をジルに言ったところで知らないの一言が帰ってくるのは目に見えていた。
「今年一年間、バルビア公国の心具使い、まあ学生なんだけど、帝国中の学院に派遣して交流を深めるという話があってね、この学院にも一名だけだけどバルビアの心具使いが来たんだ」
「脳筋じゃ無いと良いな」
先ほど文武両道主義のバルビアと賞賛したばかりなのにやってきたのが帝国が愛して止まない脳筋主義の心具使いだったらジル個人は呆れる。
「話では凄い美人で優秀な心具使いらしいんだ。何でも長い黒髪が美しく、母君はバルビア屈指の猛将と言われたグラビス将軍らしいんだ」
「脳筋かよ」
グラビス将軍、帝国でもかなり有名な公国軍の将軍である。今は前線を退いているらしいのだが、全盛期であった十年前までは神器使い率いる三万の軍勢をたった五千で迎え撃ち、退けたという。しかし、グラビス将軍自身は心具による技、心具が非常に優れていたらしいのだが、心具その物は中堅レベルだっらと言われている。ジルに言わせればただの脳筋にしか映らなかった。
「グラビス将軍のご令嬢だ。なかなか興味深いと思わないかい?」
「ああ、文武両道のバルビアは何処へ行ったのやら……」
「まあ、命は惜しいからね、さすがに二人とも手は早々出せないよ」
「と言いつつ行くのな……」
ジルは死地に赴く親友を生暖かい眼で見送った。
「哀れなり女たらし」
女子の情報を集めるために男子の間で同盟が結ばれているのは学院内でも有名な話であるが、その同盟に加盟していない人物の一人がジル・マスティスである。
「……サボるか」
一人だけ黒服、というのはやはり目立つ物である。初等部から高等部まで見ても黒い制服を着ているのはジルだけであり、この学院の黒い汚点とも言える。
制服だけで順位を決めるならば間違いなくジルは学院内最弱であり、それは否定しようも無い事実である。
今年都落ちした生徒は学院内でも百人余り、それに反して上洛したのも百人余り、今年はハーレント学院が都落ち先だったらしく、黒服が居るだの何だのと囁かれているのが聞こえて耳障りだった。
しかし、実技が全く出来ないジルにとって帝国の脳筋主義が肌に合わないのは極々自然のことであって、それが解決できないからこそ最弱のままなのだ。
ジルは一人生徒が集まっていたフィールドを離れようとしていた。
「そこの黒い制服を着た君、何処へ行こうと言うんですか?」
背後からの声、黒いという部分だけ強調したように発音されたが、ジルが振り向くことは無かった。
「黒い汚点は汚点らしくサボろうかと」
「確かに黒服はなかなか見られないある意味貴重な存在だ」
「それはどうも」
「褒めているつもりは無いのだが、君はジル・マスティスだね? 筆記試験に関しては万年トップの優等生。しかしその反面、この学院で生きていく上で、心具使いとして最も重要な実技が何時も0点で大量のレポート処理でやり過ごしている落ちこぼれ」
「黒服なんで」
ああ、面倒だな~、内心そんなことを思っているジルは今すぐにでもダッシュで逃げたかった。
「心具使いとしては最低でも、心具使いを育成する側としては非常に優秀な逸材だと聞いている。何でも、導師として十七名もの落ちこぼれを神器使いにまで育てて帝都に送り出したとか……実に素晴らしい。その手腕、是非ご教授をお願いしたい所だ。そして、君が持つ心具の特異性、実に興味深い」
(……き、キモイ)
背筋が寒くなるような気味の悪い口調にジルは脂汗を流した。時事に疎いジルでも話には聞いたことがある。レバンが「最近の帝都では男性同士による同性愛が増えているそうだから帝都の人間には注意しろ」と言っていたことを思いだし、今すぐ逃げなければ身の保証がされないと本能が告げていた。
(ど、どうする……戦況は圧倒的に不利な状況にある。この俺が万が一にも逃げられる可能性なんて存在しない。そもそも相手が心具使いの時点で負けたも同然だ)
「サボるというのなら少し私と話をしないか、なに、イベントへの欠席に関しては私の方から伝えておこう」
(選択肢は二つに一つ、恥を忍んでイベントに参加するか、それとも一か八かで逃げるかだ。万が一にも男の同性愛者と話なんて選択肢は存在しない!! 安寧の地、図書館に逃げ込むまではまだ死ねん!!)
安寧の地、桃源郷、天国、図書館、ハーレント学院に存在するジルが唯一入り浸れる場所、それが図書館である。頭だけなら良いジルにとって本拠地とも言える場所だ。十一年間の長い時間によって本の全ての配置から司書のシフト、抜け道、全てを把握している。
「いや、結構です。とにかく俺は―――」
「そこの君、少し良いかな」
「今度は一体―――」
セリフの途中にいきなり割り込まれ、逃亡しなければ行けなかったはずが咄嗟に反応してしまった。そしてジルは言葉を失った。
見慣れない白と黒の制服、長い黒髪、少なからず帝国ではまず見かけることの無い外見をした少女が佇んでいた。
記憶にある。先ほどレバンが言っていた。
王女に続く注目株である。