報告・CASE1
一枚、二枚。最後の一枚を数え終えた指が、万札の上をするりと滑り弾く。パン、と乾いた音が辺りに響き、男はゆっくりと視線をあげる。
「確かに。受け取りました」
札を茶封筒に戻しながら、一条は軽く目を緩めた。
「お疲れ様でした。久しぶりの泊まりでしたがいかがでしたか?」
「別に」
足を組みかえながら、一哉は投げ捨てるように言い放つ。
集金した以上事務所には必ず寄らなくてはいけない。そのたびに一条は尋ねる。「どうだったか」と。
だが、そうそうひんぱんに変わったことなどあるはずもない。
だから、一哉も聞かれたらこう答えるのだ。「別に」と。
そっけないと言われれば確かにそうだ。だが、本当のことだから仕方がない。トラブルでもない限り、あれこれ報告する義務もないはずだ。個人的なことならなおさら、答えるつもりはない。だから「別に」というより他はないのだ。
もちろん、そんなこと一条だってわかっているのだろう。
一哉の報告にケチをつけたことは今まで一度もない。
しかし――読めない人だと一哉は思う。
特に今日のような仕事の後にはなおさら一層強く感じられた。
「……なあ、知ってたんだろ」
「何がですか?」
「とぼけるつもりか。……まあ、いい」
うっそりと笑う一哉に、一条は軽く目を眇める。
「浅川さんに何かありましたか?」
「あった……?」
一哉は笑みをこわばらせる。
「あったよ」
「ほう」
一条は渡された万札入りの茶封筒を上着の内ポケットに入れ、あらためて一哉に向き直った。
「何があったんですか?」
「何がって……あんたは知ってたんだろ、あいつが俺の同級生だったって」
「同級生」
一条の目が僅かに見開かれる。
その表情は驚いているように見える。だが、違うことは一哉が一番良く分かっていた。
彼は驚いてなどいない。いつも何かを予測して動く人だ。
予想外のことなど、彼には無いに違いない。
顔をしかめる一哉に、一条は申し訳なさそうに目を伏せた。
「……それは申し訳ありませんでした。こちらの調査不足でした。それで、どうなさったんですか?」
「どうもこうもないだろ」
一哉は両手を胸の前にくみ、じろりと一条を見た。
「そもそも、知り合いは担当をしてはいけないって言ったのは誰だよ」
「私ですね」
一条は苦笑いを浮かべた。
「ですが、言い訳をさせてもらえるなら、今回はイレギュラーでしたので」
「イレギュラー、ねぇ」
ふうん、と答える一哉の顔は到底納得したようには見えない。黒いセルフレームの奥の眼は未だに強く彼を見据えている。
「イレギュラーだったとしても、本当にこういうのは困る」
「ええ、わかっています。今後、このようなことが二度とおこらぬよう万全をつくします」
「頼むよ」
訴えるように言う一哉に、一条は頷きながらも感心したように微笑んだ。
「君なら上手くやってくれたと信じていましたよ」
「……上手く?」
上手く? あれが?
一哉は片頬をゆがめ、目を伏せる。
一条は見てないからそんなことが言えるのだ。あれを見たら、果たして同じ言葉がでたかどうか。
あんなのはプロの仕事じゃない。あれはただ、自分がやりたいようにやっただけ。素人以下の仕事だ。
むっつりと黙りこんでしまった一哉に、一条は茶封筒の中から半分抜く。今回の報酬だ。
それを置くと、一条は仕事に戻るのか。事務所の奥へとさがってしまった。
一人残された一哉は目の前にちんまりと置かれた新品の一万円札の束を見つめ、そして軽くため息をついた。
彼女が来るなんて知ってたら、この仕事は絶対に断っていた。
そもそも、駅で彼女だとわかった時点で声もかけなかったはずだ。だが、結果はどうだ。 彼女は変わっていた。
自分も気が付かないほどに、綺麗になっていた。
高校の時は、野球部のマネージャーをやっていたせいだろう。彼女は年中浅黒く化粧っけもなかった。かろうじて眉を整えていたかもしれないが、それでも派手めなタイプではなかった。
着ているものだっていつもジャージ。
それも可愛らしく細工がほどこされているのではない。
動きすぎて膝がすりきれているようなものだ。
毎日グラウンドを走り回り、生徒会室に飛び込んできては眉をつりあげ、どなり散らす。そんな姿がまっさきに思い出された。
男勝りで、喧嘩っぱやい。味方のためならばどんな者にでも立ち向かう。
何故、あんな弱い部にそこまで肩入れできるのか一哉にはわからなかった。
一哉は視線を窓の外へやる。ブラインド越しにみえる空はうっすらと紗がかかったようにみえ、実家で見る空とはかなり違って見えた。
一哉はふっと眼を眇める。と、その時だ。
「おっじゃまー」
バンと大きな音をたて扉が開く。それと同時に響き渡る声。
「あっれー、一哉じゃーん。めっずらしー」
バタバタを足音を鳴らしながら駆けよってくる男を、一哉は苦々しげに一瞥する。
「珍しいのは哲平、お前の格好だ。なんだそれは」
幾何学模様のコットンシャツにゆるゆるの青いパンツ。裾をまくってくるぶしを出し、その下はド派手な色が入り混じったデッキシューズ。ゆるくパーマのかかった髪の上にはぺこり、と天辺を潰したストローハットが乗っている。
まさにこれから海へ! といった格好だ。
怪訝そうな一哉の視線に、哲平はちょっと口をとがらせる。
「だってー、しょーがないだろー、海からかえってきたばっかりなんだよー」
「海?」
眉をあげる一哉に、哲平はぱっと顔を綻ばせた。
笑うと彼は酷く幼く見える。くるりと波打つやわらかそうな髪、下がり気味の大きな目、アヒル口。すべてが幼さを強調しているようにみえ、女の子の大半が彼をかわいいーということだろう。だが、かわいい彼は恐ろしいことに一哉と同じ年。
れっきとした成人男子だ。
童顔、というのは男子にとって、あまりメリットが無い。
幼さは頼りなさにつながり、年齢があがっても男らしさが欠けているようにみられる。
だが、それは一般社会において。一哉たちのいる世界では逆に利点になる。
彼もそれをわかっているのだろう。
服装も髪型も口調すらもかわいらしさを強調させるものばかりだ。
哲平は先ほど一条がすわっていた椅子にちょこんと腰を下ろし、背負っていたメッセンジャーバッグを机の上に乗せた。
「そう、海にいってきたのさー。二泊三日。みんなでぱーっと遊んできたんだよー。ってあれ、一哉は仕事?」
男の視線が机の上に置かれている札束に注がれる。
一哉はそれを手に取り、ポケットに押し込んだ。
「まあな」
「ふーん……あ、もしかして一哉、泊まりだったの?」
哲平の問いに、一哉はちょっと眉をひそめた。
まあ、あの札束を見れば泊まりの仕事だということは一目瞭然だ。
普段の一時間いくら~、という仕事だとあそこまでの金額を稼ぐことはできない。かけもちをすればまあそこそこ売り上げもあがるだろうが、ここでは一条の方針なのかよほどのことがない限り、掛け持ちはご法度。禁止されている。
といっても、泊まりはひんぱんに来るような仕事ではない。
しぶしぶ頷いた一哉に、哲平は羨ましげにいいなぁと呟いた。
「ボクんとこにも泊まり、まわってこないかなー」
「……お前、今日までオフなんだろ」
「そうだけどさぁ」
哲平はバッグの上に顎をのせ、ぷくっと頬を膨らませた。
「なんか、一哉だけズルい」
「ず……お前な……」
一哉は眼鏡のブリッヂを中指で押し上げる。
その様子を見ていた哲平はにやりと笑みを浮かべた。
「……あれぇ? なんか一哉、機嫌よくない? そんなにいいお客さんだったの?」
「な、……っ」
一哉は顔を顰める。
「機嫌なんて良いわけないだろ」
「そうかなぁ」
哲平はにやにや笑いながら首をかしげる。
「機嫌よさそうにみえるけどなぁ」
「お前の気のせいだ。それよりも何か用があったんじゃないのか?」
するりと話しをすりかえる。
哲平はあっと声をあげ、バッグの中をあさる。色んなものを机の上に並べながらようやく取り出したのは
「はいっ、お土産ーでーす!」
「……なんだ、それは」
「え? アジの開き」
緑のプラスティックの籠から見えるのはアジの開き。それも一枚や二枚ではない。ぎっちりと詰め込まれ、真空パックになった開きを、そして差し出す哲平を、一哉は信じられないというように交互に見つめた。
「……土産?」
「そ。あれ、一哉、魚嫌いだっけ?」
そう意味じゃないだろうという言葉を一哉はぐっと飲み込む。
「……いや、別に」
「そう? じゃあ、全部あげよっか?」
にこにこ笑いながら哲平はぐっと差し出す。だが、一哉の手はぴくりとも動かない。哲平の顔がみるみる曇った。
「……もういいよ。一哉にはあげないからねっ」
イーッと舌を出した哲平に、一哉はため息を返す。
「……元気だな、お前」
「そりゃ、海でエネルギー補充してきたからね」
くくっと笑いながら、哲平は持っていたアジをテーブルの上に置く。
一条がフランスだかフィンランドだか製の黒光りするデザイナーテーブルには悲しいほど似合わない。
だが、哲平はそんなことおかまいなしに再びバッグに顎を乗せた。
「ねえねえ、お客さんってどんな人だったの?」
「……お前な」
一哉の眉間に皺が刻まれる。
「客の情報は」
「秘密なんでしょ、わかってるって。でもさ、一哉がここまで必死になるの、初めてじゃん。いつもはどーでもいいって顔してんのにさぁ。だから気になるっていうか、どんな子なの? それぐらい教えてくれてもいいじゃん」
お願い。両手を顔の前で合わせる哲平に、一哉はさらに顔をしかめる。
「ダメだ。お前なんかに教えるか、バーカ」
「ああ!」
哲平の眉がきっとつり上がる。
「バカっていった!」
「バカにバカっていって当たり前だろ。バーカ」
「ムカー!! いいよ、もう! 一条さんにお願いして、絶対、ボクのほうにまわしてもらうから!」
声をあげる哲平に、一哉はフンと鼻を鳴らす。
「無理だな。次は無いって言ってた」
「……ええええー、なんだよ、それー! 信じらんない! ズルイー!!」
地団駄を踏み怒鳴る哲平を、一哉は片頬をゆがめるように笑った。
「いーんだよ。あいつはもう客じゃないんだから」
「……え? ちょ、なに、それ!」
哲平の頬がぴくりとひきつる。
「え? 客じゃないってどーゆーこと? ええ? そ、それってズルじゃない!? っていうか、一条さん、そのこと、何ていったのさ」
「言うかよ」
ぼそりと呟いた一哉に、哲平ははあ、と気の抜けたような声をあげた。
それと同時にふわり、ときつめの香水がただよってきた。
「何、騒いでいるんですか?」
「い、一条さん」
書類片手に衝立の向こうからあらわれた一条は、哲平を見るや否や頬を緩めた。
「おや、宮野くんじゃないですか。どうしたんですか?」
「え? あ、あう……」
哲平はちらりと一哉をみる。
と、黒のセルフレームの向こう。鋭い眼が彼を突き刺す。
哲平はあははとぎこちない笑みをうかべ、テーブルの上に置きっぱなしになっていたアジを一条に渡した。
「これは?」
「お、お土産です! オーナー、アジ好きですか?」
一条はちょっと驚いたように渡されたアジを見、それからふわりと微笑んだ。
「ええ、大好物ですよ。わざわざありがとうございます」
「い、いえー!」
相変わらず乾いた笑み哲平から、一条は一哉へと視線を移す。
「そうそう、明日から事務員さんが一人こちらにいらっしゃいますので、よろしくお願いしますね。私が居ない場合、彼女に伝えてもらえると助かります」
「彼女……?」
含むような一条の言葉に、一哉は眉をよせる。
「……どなたか聞いてもいいですか?」
「ええ、かまいませんよ」
一条はにっこりと笑って、一枚のメモを二人の間に置いた。
その瞬間、一哉が立ち上がった。
「……おい、これ……」
「ああ、一哉さんはご存知でしたよね」
「へ? え? 浅川さんってもしかして」
優しげな笑みを浮かべたまま頷く一条に、哲平はぱっと顔を綻ばせた。
「ホント? わー、じゃあ、この前の彼女ってもしかしてこの子? うそ、わー、オーナーさっすがー」
「いえいえ、大したことではありませんよ」
にこにこ微笑む一条の顔を見つめていた一哉は、椅子に崩れ落ちるように座りこんだ。
「嘘だろ……」
額を抑えながら、一哉は大きくため息をついたのだった。
Report by kazuya inoue