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彼氏、貸します  作者: 蒼野理人
CASE1.浅川晴美
4/16

3話

「……な、なんで……っていうか、お前……」


 みるみる顔を険しくしていく彼に、あたしはちらりと笑う。


「わからない?」


 彼の代わりっぷりにくらべたらあたしなんてまだ可愛い方だと思うのだが、どうやら彼はわからないようだった。


「高校の時一緒だった浅川だよ。ほら、三年の夏に」

「あ……」


 彼ははっとしたように目を見開き、そして心底嫌そうに顔を顰めた。


「……マジかよ、おい……冗談だろ」

「それはこっちのセリフだよ」


 高校でも秀才で有名だったあの生徒会長が彼氏貸出屋という形で目の前に現れるなんて、一体誰が想像できただろう。

 ここ三日間で一番の衝撃かもしれない。

 まじまじとみつめるあたしに、純也……、もとい井上一哉は眉をひそめた。


「……お前、オーナーにはちゃんと名前、言ったんだろうな」

「言ったよ!」


 そういうと井上くんはあたしにここにいるように言うと舌打ちしながら足早に離れて行った。手に持っているのは携帯だ。おそらく電話をするつもりなのだろう。

 声が聞こえない場所までくると、一哉は睨むように宙を見つめる。

 携帯をかたてに何やら色々しゃべっているようだが、その表情は険しいままだ。やがて目をぎゅっとつむると、がくりと肩を落とした。

 あまり良い結果にはならなかったのは、言われなくても十分つたわってきた。

 一哉は携帯をポケットに押し込むと、先ほどよりも重い足取りで戻ってきた。


「……どうだった?」


 そう尋ねると、井上くんは軽く眉をひそめた。


「このまま行く」

「え?」

「……交代させろっていったんだけどダメだと。クソ……、オーナー……何考えてんだよ」


 軽く舌打ちする井上くんは、先ほどまでの礼儀正しさは微塵もない。苛立ちをそのままに、乱暴に髪をかきあげる彼に、あたしは動揺をなんとか押し殺した。


「でもさ、それって」


 行先はあたしの地元。井上くんは違うが、それでも高校は隣町だ。あたしの地元には彼を知る人がそこらじゅうにうじゃうじゃいる。

 そんな場所に行くなんて。それも恋人代理として。無理でしょというあたしに、井上くんは肩をすくめた。


「……まあ、いい。これでもプロだ。やると決めた以上やり通す。っていうか、お前こそどうなんだ」

「えっ、あ、あたし?」


 井上くんはうなずいた。


「お前さ、俺を連れて帰るって意味がどういうことかわかってるのか?」

「どういうことって……」


 びっくりするとか、驚かれるとかだろうか。そう答えると、一哉は首をふった。


「違う。全然関係ない赤の他人ならまだしも、地元には俺を知っているやつがいるだろ。お前もそうだ。そうなってくると噂の広まり方は尋常じゃない。おそらくずっとこの噂はついてまわることになるんだぞ」

「あ、そっか……」


 確かにそうだ。全然知らない人ならまだしも、相手が一哉となると意味合いはだいぶかわってくる。

 連れて帰るのはいいが、その後必ず聞かれるだろう。おそらくその後も、ずっと何かにつけこの話題は出てくるだろう。そしてそれは自分だけではない。

 あたしははっとしたように一哉を見る。


「そっか……、変な噂たてられたら井上くんも迷惑だよね」

「俺?」


 井上くんはふっと鼻でわらった。

 その笑い方は嫌みったらしくて、ある意味、昔のまま。何一つかわってない笑い方だった。


「別に。……俺には関係ない場所だ」

「関係ない?」


 どういう意味だろう。あたしの問いに、井上くんは唇をゆがめるように薄く笑っただけで、答えてはくれなかった。


「で、どうすんだ? お前が嫌だと言うなら、仕切りなおしてもかまわない。オーナーには俺から連絡しておく」

「いや、いい」


 井上くんは一瞬眉を寄せた。


「それってどっちの意味だ?」

「だから、井上くんが迷惑じゃないならお願いするってこと」

「……なるほど」


 井上くんはあたしの手にあったバッグを掴んだ。


「ならさっさと行くぞ。時間が惜しい。打ち合わせは電車の中でいいか?」

「う、うん」


 あたしが頷くと、井上君はバッグをつかんだまま改札をくぐった。

 地元に行くまでには三つ四つ乗り換えが必要だ。ちょこちょこと乗り換えを繰り返し、ようやく特急に乗りこんだ時にはすでに日は傾いていた。

 まだ東京の中だというのにあたしはすっかり疲れ切ってしまい、特急のシートに座りこんでしまった。

 そんなあたしに、井上くんはいつの間に買ったのかペットボトルのお茶を差し出した。


「あ、ご、ごめん」


 代金を払おうとすると、井上くんは断った。


「でも」


 実費はすべてこちらもちだと言われているのに。そう言うと、井上くんは不愉快そうに眉を寄せた。


「別にいい。第一、俺だけ飲むわけにいかないだろ」

「そ、そっか。じゃあ、遠慮なく」


 お礼を言い、ペットボトルに口をつける。

 緊張していたせいか、それはひとく美味しく感じた。それは井上くんも同じだったのか。ごくごくと喉をならし、お茶を半分ほど飲み干すとはあと息を吐き出した。


「なあ、浅川」

「ん?」

「呼び方、どうするんだ?」

「呼び方?」

「一応付き合っているって設定なんだろ? だったら井上くんじゃおかしくないか?」

「あ、そっか。じゃあ、どうしたらいい? っていうか、名刺の名前……えー、葛城純、だっけ?」


 ポケットに押し込んだ名刺をちらりと見せると、井上くんの頬がぱあと赤くなった。


「地元に帰るのに名前変えてどうすんだよ。っていうか、それ捨てろよ」

「嫌だよ。名刺とかって普通捨てないでしょ。っていうか、どうしてこの名前?」

「別にいいだろ」


 むっとした井上くんはあたしの手から強引に名刺を取り上げると、ぐしゃぐしゃと丸めてポケットに押し込んでしまった。

 そして顔を赤くしたまま怒ったように見つめる。


「で、名前、どうするんだよ」

「じゃあ一哉でいい? あ、それともくんってつけたほうがいい?」

「どっちでもいい」


 そう言うと、井上くん……もとい一哉は小さな紙を取り出した。そこには趣味や好きな物が手書きで小さく書かれていた。

 不思議そうに顔をあげると、一哉は呆れたようにため息をついた。


「あのな、お前……、俺たち付き合ってるってことなんだろ。だったら、少しぐらい相手のこと知ってないとまずいだろ」

「あ、そっか……」


 うっかりしてた。とりあえず連れて行けばいいかと思っていた。そういうと一哉は眉を寄せた。


「お前な……、そんなんでどうするんだよ。遊びに行くんじゃないんだろ」

「ご、ごめん……っていうか、あたしのことどうすんの? なんか書いた方がいい?」

「お前のは昨日書いただろ」


 一哉の言葉に、あたしはあっと声をあげた。

 そういえば色々書いたわ。一条さんはただのアンケートだって言ってたけど、こういうのにも使うのね。ふむふむと納得していると一哉は呆れたように見つめる。


「お前って、ホント、見た目以外は全然変わってないのな……」

「え、そ、そうかな? それを言うならいのう……じゃなくて、て、一哉だってそうだよ」


 さらりと呼び捨てにされたことに若干焦りながらも、そう返すと一哉はちょっと意外そうな顔をした。


「そうか?」

「そうだよ! なんつーか、まあ性格は相変わらずだけど、見た目っていうか、雰囲気っていうのかな、昔はもっとまじめそうだった気がする」

「真面目、ねぇ」


 一哉はあたしの言った言葉をかみしめるように呟いた。


「そんなにか」

「うん。あの時だって浅川さんって呼ばれなかったらきっと気が付かなかったもん」


 力強くそう言うと一哉はぐっと黙りこみ、視線をそらした。

 たしかに一哉は変わった。高校のときはまだあどけなさが頬のあたりに残っていたが、今は削ぎ落され、男らしくシャープな顔つきになっていた。

 いやそれだけじゃない。

 シャツから覗く腕も、フレームの奥の眼も、同じようで同じではない。

 何かが違う。

 今、隣にいるのは狭いシートの間に長い足を窮屈そうに折り曲げ、肘かけに腕をのせ窓の外を眺めている綺麗な顔の男は、あたしの知っているあの生徒会長とは別人だ。


「……ねえ」

「なんだよ」

「何かあったの? その、こっちに来てからさ」

「別に」


 お前に関係ないだろ。そう言って、彼は黙りこんでしまった。

 たしかにその通りだ。けれど。あたしは何やらもやもやとした気持ちをかかえたまま、渡された紙に視線を落とす。

 書かれていたのは、あたしが昨日書かされたものとほどんとかわらなかった。趣味や興味のあるもの。好きなものや嫌いなもの。そして


「仕事、一条コンサルティング……? って、何、これ」

「仕方ないだろ。お前、彼氏が彼氏貸出屋してますって言うつもりか?」

「そ、そうだけど……っていうかさ、コンサルティングって何やってる会社?」

「適当に答えとけ。あとは俺が合わせる」


 相変わらずそっぽをむいたまま答える一哉に、あたしはだんだんむかっぱらが立ってきた。

 確かに面倒事をお願いしているのはこっちだ。

 一哉としたら帰りたくもない(かどうかはわからないが)地元に帰らなきゃいけなくなってさぞ迷惑だとは思う。

 けど! けれども、言い訳をしたくはないが選んだのはあたしじゃない。それなのに不愉快そうにされたらいい加減腹もたつというものだ。


「ねえ、いつもこんな感じなの?」

「何?」


 振り返った一哉は、むっとするあたしに気がついたのか。ちょっと気まり悪そうに視線を揺らした。


「……なんていうか、俺、今まで知り合いが客になったことは無かったから……、ちょっと戸惑ってるっていうか……」


 そう言い、一哉ははあと息を吐き、軽く目を伏せる。


「悪い」

「あ、いや……」


 頭をふると、一哉は唇をゆがめるように笑った。

 ああ、これだ。

 あたしは記憶の中にある、生徒会室の長テーブルを挟んだ向こうにいる彼の笑顔とそれがようやく重なったような気がした。

 日が西の地平線の彼方へと姿を消し、空は一面藍色に染め変えられるころ電車はようやく地元近くの駅へと到着した。実家へいくにはここからまたローカル線に乗らなくてはいけない。だが、運が悪かったようで電車はすでに行ってしまった後のようだった。


「次は何時?」

「……あと三十分後」


 がっくりと肩をおとすあたしに、一哉はくすりと笑った。


「まあ、こんなもんだろ?」

「でもさあ……」


 数分置きに電車が滑りこみ、待つということのない東京の生活になれてしまうと、この三十分がどれほど長いことか。

 それに時間をつぶそうにもこの辺りには適当な店もあまりない。

 あるとしても駅前のスーパーでは十分も時間を潰すことはできないだろう。


「三十分かぁ」

「しょうがないだろ。適当にどっか座って時間潰すか」


 そう言って一哉は歩き出した。その時、チャカチャカと陽気な音が聞こえてきた。あたしの着信音だ。鞄のポケットからそれを取り出す。発信元は


「美代……」


 一気に疲れがのしかかるようだ。

 顔色を変えたあたしに一哉も気がついたようだ。


「どうしたの?」

「うん、美代から電話……って、美代って覚えてる?」

「あー……まぁ」


 曖昧に笑うところを見ると、すっかり忘れているらしい。

 まあ、東京に行きっぱなしでこっちに戻ってなかったのだから仕方ないことだ。高校時代ずっと思われていた相手をすっかり忘れるあたり、やや薄情な気もしないでもないが。

 あたしは肩をすくめとりあえず電話に出る。と、いきなり陽気な笑い声が耳をつんざく。

 うわっと声をあげ、あたしは携帯を離した。


「……何!」

「おどろいたー!?」


 美代の声だ。ろれつがまわってないところを見ると、すでに酔っているようだ。


「どうしたの?」

「どうしたのはこっちのセリフよー! 今、どこにいるのー?」

「え、今?」


 一瞬言葉をつまらせ、あたしは一哉を見る。

 一哉はというと、明らかにあたしの様子がおかしいのがわかったのか、酷く怪訝そうな顔をしてじいとこちらを見ていた。


――どうかした?


 声を出さずに尋ねる一哉に、あたしも同じように答えようとした。が、先に制したのは美代のほうだった。


「知ってるよー、今、こっちに帰ってきてるんでしょー」

「えっ、ど、どうしてそれを」


 思わず叫ぶと、携帯の向こうからやっぱりーという声が聞こえた。

 瞬間、あたしは唇を噛んだ。

 だが、美代はそれすらもお見通しというように、含むような笑みをこぼした。


「ね、彼氏もいるんでしょ。だったら、今からおいでよ」

「おいでって……どこに」

「たっちゃんちの店。ほら、駅前にあるでしょ」


 たっちゃんとは高校の同級生だ。もともと家が酒屋だったが、彼の代になってから居酒屋にかえたらしい。地元で飲み会といえば彼の店になることがほとんどだ。

 ということは、いるのは美代だけではないだろう。

 小さくため息をつくと、耳ざとく聞きつけた美代はくすくすと笑った。


「やっぱり彼氏がいるっていうのは嘘だったの?」

「い、いるから! つか、そこで待ってろ! 今すぐ連れて行ってやる!」


 売り言葉に買い言葉、思いっきり怒鳴ってやるが、美代にはまるで通じてない。へらへらと笑う声がさらに神経を逆なでする。


「あーはいはい、わかりましたー。とにかく早く来てね。みんな待ってるからさ」


 それだけ言うと、美代はそそくさと携帯をきってしまった。残されたあたしはというと、携帯片手に茫然とその場に立ちつくすばかり。


「……お前ってさ、本当に昔からかわってないよな」


 心底呆れた様子の一哉に、あたしは口をとがらせた。


「なによ、それ。どういう意味よ」

「意味はそのまんまだよ。高校のときからまるっきり変わってなくて、ある意味安心した」


 それってどう考えても褒め言葉じゃない。小馬鹿にした言い方にあたしはさらにむっつりと顔をしかめた。


「それってあたしが喧嘩っぱやいっていいたいわけ?」

「生徒会室に毎日のように怒鳴りこんでくれたのはどこの誰だよ」


 一哉は小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、晴美の鞄を持ちホームの隅にあるベンチにむかう。そしてどっかりと腰下ろすと、再びくくっと笑った。


「ちょっと予算削っただけだろ」

「ちょ、ちょっと!? あれがちょっと!?」


 あれがちょっとというなら、おもっきりとなるとどこまで削るつもりだったのか。いくら弱小野球部だからって馬鹿にしているのか。あたしは握りしめた拳を震わせる。

 確かに野球部は弱かった。

 

 おかげで部員の数は毎年ギリギリ。頭数そろえるために半ば強引に引っ張ってきたことも一度や二度じゃない。そんな感じだから成績だってあまり……いや、かなり無残なものだった。それでも皆、楽しくやっていたし、あたしとしてはそれで良いと思っていた。

 そりゃあ、勝率が良いにこしたことはない。

 けど、まずは楽しくないといけないんじゃないのか。

 そう言ったあたしに、こいつは鼻で笑った。その上、予算配分は成績順だといってきたのだ。

 ああ、そうだ。

 色々思い出してきたぞ。

 たしかあれは、先輩が引退して、あたしがマネージャーとして初めて予算会議に出た時だ。こいつはこともあろうか他の部の前で、野球部の予算にケチをつけてきたのだ。

 あたしは去年と同じ予算で出したにもかかわらず、だ。

 一瞬にして頭に血がのぼったあたしは、その場で生徒会長である一哉に食ってかかった。


「なんでダメなのよ! 無駄なものなんて一つもないでしょ!」


 道具はぼろぼろになるまで使う。ユニフォームだって何度つくろったかわからない。

 移動だって出来る限り自転車にした。けど、大会参加費は削ることはできない。ボールだってそろそろ新しいものにかえたかった。でも、ダメといわれれば、我慢しなくてはいけない。

 だったら一体何を削ればいいのよ。

 そう叫ぶあたしに、一哉はあっさりと言い放った。


「弱いのに大会、出る必要あるのかよ」


 この瞬間、あたしは自分の中で何かがキレる音がした。

 そこからはあまりよく覚えていない。次の日、皆のあたしを見る目が若干変わっていたことは覚えている。

 それ以降あたしはこいつを完全に敵だと認識した。

 それは今でも変わっていない。


「……嫌なこと思い出した」

「そうか?」


 楽しげに笑う一哉の隣に座りながら、あたしはしみじみと見る。

 当時、あたしはこいつのことは天敵だと思っていた。確かに成績は抜群によかったし、運動もできて、顔も整っている。生徒会長という役職につくほどまわりの信頼もあつく、まさに彼は優等生だった。だが、その完璧っぷりが当時のあたしにはとにかく鼻についた。

 正直なことをいってしまえば、美代が好きだと言っていることも信じられなかった。

 あんな嫌みな奴、どこがいいんだろと思っていたほどだ。もちろん、相手だってこっちのことは好ましいとは思っていないだろう。だからこそ、あれほどネチネチとやっているのだろうと思っていたが、それが覆されたのは三年の夏のことだった。


――好きだ。


「……なんだ?」


 首をかしげる一哉に、あたしは頭を振った。

 どうせ、忘れているに違いない。


「なんでもない」

「そうか?」


 くすくすとわらう一哉の声をききながら、あたしはとにかく早く電車が来ないかとただひたすらに思っていた。

 だが、電車がきたのは三十分も後のことだ。ベンチで散々待たされたあたしたちは、何もしてないのにくたくたに疲れていた。このまま実家に直行しても文句は言われないだろうとおもっていたところに美代から計ったように二度めの電話が入った。

 時間を見計らっていたのか、早くこいと怒鳴られた。この調子では実家に直行したとしても、そっちにも連絡が行きそうだった。


「……嫌だなぁ」


 思わず呟いたあたしに、一哉は眉寄せた。


「お前、ここまで来てそれかよ……、さっきまでの勢いはどうした」

「だ、だって」


 それとこれとは別の話だ。

 むっつりと口をつぐむあたしに、一哉はため息をつく。


「お前な、何のために俺を呼んだんだ? この時間にだって金、かかってんだぞ」


 一哉の言葉にはっとする。

 そうだ。彼は別に友達としてここにいるわけではない。彼はあたしがお金を払ってここにいる。彼はレンタル彼氏。明日には他人へと戻る関係だ。

 すっかり頭から抜けていた。

 愕然とするあたしに、一哉はちらっと笑った。 


「しょうがないな……」


 呆れたように言いながら、一哉は片手に鞄、もう片方であたしの手を掴んだ。

 その動作はとても自然だった。

 そしてあたしは、不覚にもどきりとしてしまった。それがなんだかむしょうに悔しくてならなかった。

 今のあたしはどんな顔をしているんだろうか。

 きっととんでもなくおかしな顔をしているに違いない。

 だが、この時にかぎって一哉はその憎まれ口をたたくことはなかった。


「さ、行くぞ」 

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