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彼氏、貸します  作者: 蒼野理人
CASE2.松崎加奈子
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3話

「ったく、あの松崎。マジむかつくんだよー!」


 その声に、私は視線をやる。

 間接照明がメインの店内では視界ははっきりしない。だが、見間違えるはずない。カウンターに座っているのは、今日問題を起こした私の部下だった。

 隣にいるのは別の部署の男。

 社内でよく一緒のところを見るかぎり、彼とは友人の間柄なのだろう。

 一瞬に顔をこわばらせた私にきがついた哲平くんも、私の視線を追うようにカウンターを見る。

 二人はどうやらすでに飲んできているらしく、はた目から見ても酔っているのは明確だった。さらにはジャズが響く店内でも、二人の声がはっきりと聞こえた。


「くそ、ホントむかつくんだよ、あの女!」


 男の手がカウンターを叩く。

 奥にいるバーテンも酔っぱらいの相手は苦手なのか、あまり彼らに近づこうとはしていなかった。

 男はウイスキーの入ったグラスを握りしめ、隣にいる同僚にむかって絡みだした。


「つか、俺だって好きでミスってんじゃねーんだよ! あんなところにいかせるアイツがバカだとおもわねー?」

「そうだなー」


 同期の男もあまり考えてないように頷いている。


「っていうかさ、お前、よくあの女の下でやってられるよな?」

「だろ? そう思うだろ?」


 男はけっと小さく吐き捨てた。


「女の上司なんてマジありえねーっつーの。つか、先輩たちもどうかしてんだよ。あんな女に顎でつかわれてさ、恥ずかしくねーのかっての!」

「ホントだなー、なあ、お前、隣の課の新藤さんのところ行けばいいじゃん」

「行けるもんなら行ってるっつーの!」


 男はがん、とテーブルを叩いた。グラスが揺れ、ウイスキーが波打っているのがみえる。


「毎回毎回したり顔で説教かましやがって……俺はさ、あんな奴に使われるためにここに入ったんじゃねーんだよ……、あー……辞めてーなー」

「辞めるまえにガツンと言ってやれよ」

「言えるかよ」


 男はけっと吐き出す。


「知ってるか? あの女、この前新藤さんにむかってすげー啖呵切ったの」

「え? マジで? つか、なんでさ」

「なんだったかなー、新藤さんとこの下の奴がミスってさ、それがまわりまわってウチんところまで被害が出たとかなんとか」

「あー、なるほど」


 同期の男は思い当たることがあったのか、大きく頷いてみせた。


「スゲーおっかないのなんの。あんな女相手に刃向えるかよ、俺が殺されちゃうよ」


 男の言葉に、同期の奴ははは、とおかしそうにわらった。


「で、新藤さんはどうしたよ?」

「あやまってたよ。あれ見て、俺さ、ちょっとがっかりしたな。新藤さんもたいしたことないなーって思ったわー、結局さ、ウチの営業ってあの女に良いようにされてるだけなんだよな」

「誰かギャフンと言わせらんないの?」


 男は肩をすくめた。


「いねーだろ。あれに刃向える奴がいたら見てみたいっつーの。あー、ヤダヤダ」


 そう言って男はげらげらと笑いだした。

 そんな二人の姿を見つめている私の手に、何かがふれた。

 のそりと視線をあげた私に、心配そうな哲平くんの顔が飛び込んでいた。


「……かなちゃん、行こう」

「うん」


 哲平くんはぼんやりしたままの私の手を握り、そのまま会計へとむかった。

 いつもなら私が払わなきゃいけないのだが、そんなこと考える余裕などあるわけもなく。気が付けば、どこかの公園のベンチに座っていた。


「はい、コーヒーでいいよね?」


 隣に座った哲平くんが私の手に缶コーヒーを握らせる。その温みに私ははっとする。


「あ、ご、ごめん。あの、お金、いくらだった?」

「いいよ、別に」

「ダメだよ! え、えーっと」


 私は鞄から財布を取り出そうと手を突っ込む。が、それを抑えたのは哲平くんの手だった。

 顔をあげた私を、哲平くんはじいと見つめる。


「……大丈夫?」

「だ、大丈夫? あ、う、うん、平気!」


 私はにっこり笑ってみせる。

 平気。こんなの、全然平気だ。

 もともと営業に一人まわされたときから影で色々言われていたのは知っている。

 それでも仕事を頑張れば認めてもらえるとおもっていた。だからがんばったのだ。だが、それは別に出世とかのためではなかった。

 けれども、周囲はそうは見てくれなかった。

 がんばればがんばるだけ周囲とは距離ができた。

 同期の女の子はもちろんのこと、同じ肩書きを得た新藤はともかく同期の男たちは自分より上の立場になった私を冷たい目で見るようになった。


――別に、そんなのたいしたことじゃないわよ


 落ち込む私に、友人はけろりとして言い放った。

 別に、仕事なんて友達を作るためにしてるわけじゃないし、何を言われようとしったことじゃない。文句を言ってるやつらが言っていることなんてどうせ嫉妬でしょ。

 いちいち落ち込むなんて、バッカみたい。時間の無駄でしょ。

 友人の言葉に私はぐっと声を詰まらせた。

 たしかにその通りなのだろう。

 肩書きがついた今、私には愚痴や弱音を吐いている暇などない。そんな暇があったらもっと違うこと。たとえば明日の事とかを考えるべきなのだろう。

 だから、今日のことだって気にすることなど何もない。

 そうわかってる。

 私は、缶コーヒーを握りしめ小さく頷く。


「平気。うん、大丈夫」

「かなちゃん」


 哲平くんは辛そうに眼を細めた。

 ああ、心配をかけてしまった。

 彼は優しいし、それにやっぱりプロだから客の私がこうやってへこんでたら慰めなくちゃいけないと思ってしまう。

 それだけは嫌だったのに。

 私はちょっと息を吐き、そしてにっと笑った。ひきつってないといいなと思いながら。


「さーて、帰ろうかな」


 なるべく明るく言ってわかれるつもりだった。

 だから私はにかっと笑った。こういう時に営業をやっていてよかったと思う。どんなときでも、どんな気持ちでも笑うことができる。

 ぱっと椅子から立ち上がり、私はポケットに入れていた封筒を取り出す。


「えっと、とりあえず代金。ちょっと多めに入っているけど、それは食事代ってことで」

「かなちゃん」

「ホント、ごめんね! なんか、変に気をつかわせちゃって」

「かなちゃんってば!」

「じゃあ、哲平くんも気を付け」

「かなちゃん!」


 哲平くんが叫んだ。と同時に彼の両手が私の体に絡み、そして抱き寄せた。

 細いと思っていた腕は私なんかを易々ととらえ、華奢はずの肩も、小さいとおもった胸も私をすっぽりと覆いかくすことができるほど大きくて、そして深かった。

 びっくりして身動きすらとれない私の耳に、哲平くんのため息が聞こえた。


「なんで……」

「え」

「なんでそんな泣きそうな顔してんのに、平気何て言うんだよ……」


 押しつけられたシャツからふわり、と甘い香りがした。

 私は、彼の必死な声を耳にしながら、ああ、哲平くんてこんな香りを纏っているんだなぁとか、結構腕の力が強いんだなぁとやけに的外れなことを考えていた。

 多分、哲平くんもおかしいと思ったのだろう。

 抱きしめていた腕をゆるめ、不思議そうに私の顔を覗き込んできた。


「……かなちゃん」


 大きな彼の目が潤んでいる。

 それを見た瞬間、私は思わず笑ってしまった。でもそれは、バカにしたとかそんなんじゃなくて、ただただ純粋に彼の好意が嬉しかったのだ。

 だが、哲平くんはどうやら勘違いしたみたいだった。涙目のままちょっと怒ったように眉を寄せた。


「なんだよ……、何、笑ってんのさ」

「笑ってないよ」

「うそ、笑ってるよ」


 もう、と小さく呟いた哲平くんの頬がぷくりと膨らむ。

 私はもう、嬉しいやら恥ずかしいやらで額を彼の胸に押し付けるように俯いた。


「……嬉しかったよ」

「え?」


 哲平くんが驚いたように身じろぎする。


「哲平くんにそういってもらって嬉しかった。なんか、ちょっと救われた」

「かなちゃん……」


 哲平くんの纏っている香りがゆっくりと私を包む。

 こういうときって、泣いたほうがかわいいんだよな、って私はちょっとだけ思った。

 でも、涙は出て来なかった。

 年だからかな、とちらりと思ったけど、多分、私がそういうふうに生きてきてないからだろう。


「ごめん、かわいくなくて……」

「え? なんでさ」

「だって、こういうときって泣いたほうがかわいいかったりするでしょ」


 そう言うと、哲平くんは私を再びぎゅっとだきしめながら、くすくす笑い出した。


「かなちゃんはじゅーぶんかわいいよ。さっきの不安そうな顔なんかすごくキたもん」

「キ……哲平くん……あのね、からかわないのっ」


 顔をあげめっと睨む私に、哲平くんは唇をわずかに歪めるような笑みを浮かべた。

 それはいつもの無邪気な彼とはちょっと違う。見たこともないような、大人びた……といったら失礼かもしれないが、大人っぽい笑い方だった。

 思わずその笑みに見とれていると、哲平くんはにっといつもの笑みを浮かべてみせた。


「ねえ、かなちゃんってさ、あんまり男に免疫ないでしょ」

「な、なんでよ……」


 唐突すぎる彼の問いに、私は一瞬動揺する。


「免疫って……あの、哲平くん? 私だって付き合ったことぐらい」

「そうじゃなくてさー」


 哲平くんはちょっと困ったように眉をよせ、小さくため息をついた。


「なんていうのかなー、そもそもかなちゃん、ボクのこと男だってわかってる?」

「わかってるわよ。哲平くん、女にはとても見えないしさ」

「ありがと」


 にっこり笑いながら、哲平くんは抱きしめる手にぐっと力をこめ私をさらに引き寄せる。

 これ以上深く抱きしめられたら本当に密着する勢いになりそうで、思わず私は咄嗟に身じろぎをした。だが、それはかなわなかった。哲平くんの腕は予想以上に強く、身じろぎすらできない。

 はっとしたように顔をあげた私に、哲平くんはそっと顔を近づける。

 ち、近い!


「ててて、哲平くん!? ちょ、あああ、あの」


 恥も外聞なくめちゃくちゃに慌てる私に、哲平くんはぶっと吹きだした。


「ほらね」

「へ?」


 哲平くんは私の額に自分のそれをちょっと乱暴に合わせる。ゴチリと鈍い音がした。


「かなちゃん、男を甘くみすぎ。いくらボクだって、ちょっと力をいれたらかなちゃんがいくら抵抗したってこんなもんなんだよ。だからもっと危機感、もったほうがいいよ」

「き、危機感……って」


 だって、哲平くんは私の彼氏じゃあない。

 借りているだけ。時間がたったら他人に戻ってしまう。

 戸惑う私に、哲平くんはちょっと息を吐いた。


「信用しすぎちゃダメってこと。わかる?」

「う、うん」


 おずおずと頷いた私に、哲平くんはふわりと優しげに笑う。


「だから、あいつらも最初から容赦なんてしちゃダメなんだよ。だって、あいつらも男なんだからさ!」

「あ、あいつら?」

「そう、さっきかなちゃんのこと悪く言ってたやつら」


 哲平くんの顔がわずかに険しくなる。


「かなちゃんさ、どっかで甘いからあいつら付け上がるんだよ。厳しいぐらいでちょうどいいんだから」


 そういった哲平くんはあっと声をあげすぐさま付け足す。


「あ、ボクには今まで通り甘いかなちゃんでいていいからね」

「ぶっ」


 思わず噴き出した私に、哲平くんもぱっと顔を綻ばせた。



 こんなの日常茶飯事だ。

 悲しいことも嬉しいことも過ぎ去ってしまえば、すべて過去だ。

 私は携帯を片手に、駅とは反対方向に歩きながらちらりと空をみあげる。

 両側のビルの脇には飲食店の看板やらネオンがきらめき、その光が邪魔をして星空など見えそうもない。だが、目を凝らせば、ほんのわずかにだが小さな光がみえる。


「よし……」


 ちょっと息をはき、私は携帯を耳にあてた。

 時間は九時半。いつもならまだ大丈夫だ。


「……はい」


 携帯の向こうから聞こえた不機嫌そうな声に、私は思わず頬を緩める。


「新藤? 今どこよ」

「どこって……」


 携帯の向こうから聞こえてくる新藤の声が一瞬戸惑ったように詰まる。


「まだ会社だけど」

「よかった」


 私はほっと息をはいた。


「今から戻るから」

「は?」


 新藤はびっくりしたように声をあげた。

 がたがたと聞えるのは、おそらく椅子か何かの音だろう。立ち上がった勢いでもしかしたら書類が落ちたのかもしれない。


「……落ちつきなさいよ」

「い、いや、落ちつくのはお前のほうだろう。……戻るって、お前、用事があったんじゃないのか?」

「用事は終わった。だから今から社に戻るわね」

「終わったって……」


 新藤はちょっと声を詰まらせた。


「俺がやっておくっていっただろ。……何かあったのか?」

「別に、何もないわよ」


 私はちょっと肩をすくめた。


「ただ、このまま戻っても気になって眠れないだろうなーって思って。だから、戻るのよ」

「へえ」


 新藤はちょっと笑ったようだった。

 声に笑みが滲んでいる。


「なんだ、てっきり俺のことが気になったのかとおもったぞ」

「は? 何いってんのよ」


 呆れたようにため息をついた私に、新藤は大声で笑った。


「照れるなよ」

「照れてないわよ、バカ」


 夜だからか。新藤はいつも以上に饒舌な気がした。

 やれやれ。飲んでいる私よりも、ワーカホリックな奴のほうが機嫌がいいなんて変なの。


「夕食食べた?」

「いや」

「じゃあ何か買っていこうか?」

「マジか。助かるなー」


 にこにこ笑う奴の顔が見えるようだ。

 気をつけろよーという新藤の声を聞きながら私は会社にむかって力強く足を速めた。



――CASE2 松崎加奈子 担当・宮野哲平、依頼完了

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