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彼氏、貸します  作者: 蒼野理人
CASE2.松崎加奈子
10/16

2話

 彼と初めて会ったのは二か月ほどまえのこと。友人の一言からだった。


「ねえ、知ってる? 彼氏貸出屋って」

「彼氏貸出……?」


 突然かかってきた友人からの電話にぽかん、とする。

 なにしろ、その日は一カ月ぶりの休みだったのだ。頭の中は完全に休みモード。一瞬何を言われているのかわからなかったのだ。


「何、それ。貸出しって……図書館とかじゃあるまいし。っていうか、何の冗談?」

「冗談なんかじゃないってば! 私さ、この前借りちゃったの、彼氏を」


 うふふっと笑う友人は、大学で同じサークルで、私と同じように大手メーカーに就職。今はたしか、企画営業を任されていて、部下だって何人かいるはずだ。

 性格は男勝り。

 勝ち気なのが幸いして、成績もかなり良いらしい。

 見た目もかなり派手な方で、男には事欠かなかった。

 だが見た目の美しさに反してあの性格。苛烈ともいえる性格が災いしてか、彼女に恋焦がれていた男は一人減り、二人減り。今では砂漠も真っ青な状態。まあ、本人がまったく気にしてないのが不幸中の幸いといったところだろう。

 そんな彼女が突然、何をトチくるったのか。

 私はこめかみをおさえながら、あのねぇと返す。


「借りちゃったって……何考えてんのよ。彼氏ってモノじゃないのよ。っていうか。そういうのってアレでしょ? ホストっていうんじゃないの?」


 いくら男日照りだからって、普通そんなことまでする?

 呆れかえる私に、友人はがっと声を荒げた。


「失礼ね! ホストじゃないわよ!」


 憤慨する友人に私は鼻を鳴らした。


「じゃあなんだっつーのよ。大体、彼氏なんてそう簡単に借りられるモンでもないしょーが。あーあ……ホストなんかに入れ込むぐらいなら、あんたのかつての取り巻きに連絡したほうがまだマシじゃないの?」

「な……」


 あまりのことに絶句している。

 当たり前だバーカ。私は見えないとおもってべろりと舌を出した。


「あくまでもバカにする気ね……」

「当たり前だっつーの。大体、何、貸出屋って。怪しすぎるっていうの。あんたダマされてんじゃないの?」

「ダマされてないってば!」

「詐欺の被害にあった人ってみーんなそう言うのよ……」


 やれやれという私に、彼女はぐっと声を詰まらせた。


「……わかった。あんたも一度ためしてみなさい。そうしたらホストじゃないってわかるから」


 突然の言葉に、私ははあ、と声をあげた。


「なんで私が」

「詐欺だって疑うからでしょ! ああ、そっかー……、あんたはこういうのビビっちゃうんだったよねー。ごめんごめん、そうよねー、怖いわよねー」


 明らかに挑発だった。

 挑発には乗らない。わかっていたけど、私の口からでたのは正反対の言葉だった。


「怖くないわよ! わかった! 詐欺だってこと証明しようじゃないの!」


 それから私は彼女の紹介で彼氏貸出屋「モルペウス」に行った。そこで紹介されたのが、哲平くんだったのだ。

 まあ、結論から言うと、私は彼女と同じになった。

 といっても勘違いしていたようなものではない。いうなれば、エステとかショッピングとかと同じようなものといったら近いだろうか。ストレスがたまって疲れたり、行き詰ったりしたとき、彼らと会うことでリフレッシュできた。楽しかった。だが、楽しければ楽しいほど友人に対して妙な後ろめたさを感じていた。

 ミイラ取りがミイラになった、というべきだろうか。

 もやもやしたまま、一カ月がすぎたころ偶然ばったり彼女と出会ったのだった。

 その時、私は正直に貸出屋について話をした。もちろん、バカにしたことも詫びた上で、だ。「ほれみたことか」と嘲笑されるのを覚悟していたが、彼女は私の言葉を静かにきき、そっかだけ言ったのだった。もしかしたら私の状況を分かった上で、彼女は貸出屋を教えてくれたのかもしれない。

 なんとなくだが、そう思った。



 大通りを一本脇にはいった小道沿いにその店はあった。

 半地下になっているそこは、居酒屋とバーが一緒になったような店で、値段はちょっと高めだがチェーン店にはないような手の込んだ美味しい物を食べさせてくれる。

 店内を照らすのはほとんどが間接照明で、ほの暗さが大人の雰囲気を醸し出している。入ってすぐにみえる大きなカウンターでは、バーテンが常時いて軽く飲むこともできる。もちろん店の奥には少人数用のテーブルがおかれ、間仕切りもあることからちょっとした個室のような感じになっていた。

 もちろん私たちはテーブルを選んだ。

 アジアンチックなインテリアにかこまれたそこに座ると、すぐさま店員が近づいてくる。

 とりあえず私はジントニック。哲平くんはモスコミュールを頼んだ。

 モッツァレラチーズとプチトマトのサラダのお通しと、酒がすぐにやってくる。私たちはグラスをあわせ、一口すすった。


「くーっ、しみるー!」


 思わずうなる私に、哲平くんはぷっと吹き出した。


「かなちゃん、おっさんみたいだよ」

「わるかったわね、おっさんで」


 女の子らしさなんて三十路になったときにどこかに置き忘れてきたわ。頬を膨らませると、哲平くんはふふっと微笑む。


「でもさ、そこがまたかわいいんだけどねー」


 彼の一言で、今度は私のほうが思わず噴き出しそうになった。

 こういうのをさらっと言えるところは、やっぱりプロ何だなと思う。

 こういうのを照れもなくサラっと言えるところなんかは、やはりプロなのだろう。チェックのシャツにパーカー、デニムという、どこにでもいるようないでたちをしているけれども。

 しげしげと見つめている私に、哲平くんはちょこんと首をかしげた。


「どしたの?」

「うん、いやー、なんていうかさ。相変わらず恥ずかしい台詞をさらーっと言うんだなぁって思ってさ」


 いくら仕事だからって、私だったら絶対できない。

 本当の恋人相手相手にだって、あんな感じの台詞、一度だった言ったことなどない。

 それに、悲しいかな。言われたことも、哲平くんを除いて一度も言われたことなんてないのだ。

 まあ、それでもこれでも一応、何度かお付き合いってものをしたことがある。短くて三日。長くて一年半ぐらい。

 大抵の男は私のざっくりしたところに惚れて、そしてざっくりしたところを嫌になってさっていく。で、捨て台詞はきまってこう

「君ってさ、誰かに頼ったりしないよね。ホント、そういうのってあんまり可愛くないよ」だ。正直、外れてないだけに返す言葉も見つからない。

 頼ったりするのは苦手だ。いや、苦手というよりも頼る理由がわからない。

 出来ることは自分でやる。できないことはあきらめる。

 それをしていただけなのに。

 そんな私に哲平くんは初日から「かわいい」といってくれた。

 最初はびっくりした。二度めは嘘だー、とちょっと警戒した。けど、彼は会うたびに可愛いといってくれた。そうなってくると嫌だとか、恥ずかしいとかではない。ああ、彼は本当にプロなんだなぁと思った。

 その言葉がたとえ真実なんかじゃなくても、やはり可愛いといわれるのは嬉しかった。

 私はありがとう、とあっさり返すと、哲平くんはグラスをテーブルに置きながら、ちょっとだけ眉をひそめた。


「ボクは本気で言っているんだけど?」

「へ?」


 きょとんとする私に哲平くんは再びにっこりわらった。


「かなちゃんはかわいいよ? ちょっと意地っ張りなところがあるけどさ、生懸命なところなんかすっごく可愛いと思うよ? ホントだよ」

「ちょ……、ちょっと!」


 な、なんなのこいつ。

 首筋から上が熱くなるのがわかる。


「や、やめてよ……、か、からかうの」

「からかってなんかいないってばー。まあ、かなちゃんが嫌ならやめるけどー」


 ふふと笑いながら、哲平くんはグラスを軽くつつく。

 からり、とグラスの中の氷が崩れる音がひびく。哲平くんは小さく息をはき、そういえば、と切り出した。


「聞きそびれちゃってたけど、……何かあった?」

「え?」


 恥ずかしさをアルコールで誤魔化そうとする私に、哲平くんはちょっと心配そうに眉をよせた。


「ん、今日、遅くなったじゃん」

「あー……うん」


 私はグラスの中身を一気に飲み干し、お代わりを頼む。ついでにいくつかつまみも注文する。それからあらためて哲平くんに向き直った。


「仕事でちょっとね」

「仕事? かなちゃんの仕事って営業だったっけ?」

「え、覚えてるの?」


 ちょっと意外だった。思わずそういった私に、哲平くんは一瞬びっくりしたように眼をひらき、そして軽く頬を膨らませた。


「かなちゃんさー、ボクのことなんだとおもってんの?」

「あ、ご、ごめんごめん」


 つい、本音が。

 軽く頭をさげると、哲平くんはもうっと小さく呟きながら突出しのオリーブをつついた。


「一応さ、この時だけはかなちゃんの恋人なんだかよ。恋人を疑うのってちょっとヒドいよ」

「ご、ごめん」

「ま、いいけど」


 哲平くんはちらりと笑う。


「で、どーしたの? 嫌なこと言われた?」

「嫌なことはこれからよ」


 明日以降、待ちうけているであろう修羅場を想像し、私は大きくため息をついた。

 今日のところは新藤が手を打ってくれているだろう。だが、本格的なことは私や本人、あとは上司あたりが週明けにでも出向かなくては収まらないだろう。

 もちろん、罵倒は覚悟の上。

 怒鳴られるだけならまだいい。

 この先の付き合いが途絶えてしまうとなるほうがもっと問題だ。

 そうならないためにも明日、明後日で打てるだけの手を打つ。今、やれることといったら、それぐらいだ。


「……ほんと、なんだかなー……」

「ごめん、かなちゃん」


 思わずつぶやいた言葉に、哲平くんのしょんぼりとした声をが重なる。


「え?」

「だって、ボクが変なこと聞いたから……」

「ああ、ううん。平気。でもさ、昔だったら自分だけのことを考えて仕事してればよかっ

たんだけどね。年を重ねると、なんていうかな……色々面倒なことが出てくるんだなぁって思っただけ」


 空のグラスを弾くと、氷が崩れる音が聞こえた。


「がんばってもこう、報われない感じがね……ひしひしとするわけよ」

「そっか……」


 哲平くんはちょっと眉をよせた。


「かなちゃん、がんばってるんだね」

「……そう思う?」

「うん」


 哲平くんは大きく頷いた。


「すごくがんばってるよ! ボク、仕事のこととか全然わからないけど、でも、それだけはわかる」

「そっか……」


 私はちょっとだけ笑った。

 嬉しかった。

 私が言ってほしいことや、やってほしいことを絶妙なタイミングで提供してくれる。

 今の言葉だって、今の彼にとっては本心だろう。それがプロの彼氏というやつだ。

 だから、きっともし時間外に偶然ばったりあったとしても、目の前の彼とはきっと違う。今の彼は私の理想とする彼氏なのだから。

 それはわかっている。

 わからなければこれは利用してはいけない。

 私はようやくきたジントニックを口に含んだ。

 トニックウォーターの苦さが今日はやけに舌に感じた。

 その後、私はなるべく真面目な話しにならないように心がけた。

 最近見た映画の話や、流行のファッション、深夜のドラマ。哲平はどんなジャンルの話題にもほどほどに食いつき、そして答えてくれた。

 やがてつまみも一通り食べ終え、四度目のグラスが運ばれてくるころには彼の頬もうっすらと赤く染まり始めていた。


「かなちゃん、今日はハイペースだねー」

「まあね。でもいつもはもっと飲むんだけどさ」

「うそ! じゃあ、ザルじゃなくて輪っかとかってやつ?」


 びっくりしたように眼を開く哲平に、私はへへんと得意げに笑って見せた。


「まあね。社内旅行とかのときはもっとピッチあげて飲むよ。だけどさー、さすがにそれは結構クるから気をつけてる」

「ふうん、社内旅行かー……いいなぁ。ね、どこいったの?」

「どこって……、別に海外とかじゃないよ?」


 かつて景気がよかったころにはそんな話もあったようだが、今ではそんなの夢のまた夢。旅行だって二年に一回。行く先は国内、それも近距離限定だ。


「去年は熱海」

「ふーん、熱海かー……いいなぁ」

「え? ほんと?」


 哲平くんあたりだと熱海よりもグアムとかサイパンとかかと思ったけど。そういうと、彼はぶっと吹きだした。


「別にそんなこと思ったこともないよ。熱海、いいじゃん。温泉入ったんでしょ?」

「まあね。でも、ほとんど酔っぱらってたからなー、あんまり覚えてない」

「うわー、……かなちゃん、それダメすぎ。女の子でしょ」


 めっとにらむ哲平くんに、今度は私がぶっと吹きだした。


「女の子って……もう三十路ですよ、哲平くん」

「いくつになっても女の子は女の子ですよ、かなちゃん」


 にっこりわらって、哲平くんは残っていた串焼きをぱくりと頬張った。


「あーあ、いいなー、旅行。最近、遠出したのって夏の九十九里だけ。それも野郎ばっかり。まあ、海は楽しいけどさー、やっぱり旅行がいいなぁ……」

「あれ? 店で旅行とかいかないの? ほら、慰安旅行とか」


 店によってはそういうの、ありそうな気がするけど。

 そう言った私に、哲平くんは串焼きの肉をごくりと飲み下しながら、顔をしかめた。


「……男同士で?」

「だって、慰安旅行でしょ? お店の」


 哲平くんの眉がぐっと寄る。


「ありえないってばー、いやすぎるー! 男同士で温泉なんて、キモイ! キモすぎる! 想像しただけで鳥肌が……」


 心底嫌そうな顔をして哲平くんはぶるりと体を震わせる。その様子に私はげらげら笑い出してしまった。


「えー、でも、社内旅行なんてそんなもんでしょ。それに哲平くんの店だったら、男しかいなくて当然でしょー」

「……だから嫌なの! そもそもオーナーとか一哉とかと一緒に風呂なんてキモすぎて想像すらしたくないよ」

「オーナーって一条さん?」


 最初の登録したときにしか会っていないが、なかなかの美形だった。ただ、場所柄か、はたまた纏っているスーツのせいか。彼からものすごいホスト臭がしたけれど。


「そんなに嫌かなー、私は同僚と一緒に旅行って結構好きだけど」

「そりゃ、女の子同士はそうかもしれないけどさ! 男は違うの!」


 ぷりぷりしながら、哲平くんはぐいっとグラスをあおった。


「そういうものかな」

「そうなの! あー、想像したから寒気が」


 まだぶるぶる震える哲平くんに私は笑いながらちらりと腕時計を見る。

 店に入って二時間。その前に一時間ほど待たせているからそろそろ予定の三時間を向かえる。

 ちらりと視線をあげた私に、哲平くんはちょっと目を細めた。


「時間?」

「そろそろだね」

「そっかー」


 哲平くんは残っていた酒を一気にあおり、それから私を見た。


「楽しかった!」

「私も楽しかった」

「マジで? よかったー」


 ぱあと微笑んだ彼に、私のこわばっていた心がゆるやかにほどけかけた。が、その時だ。


「ったく、あの松崎。マジむかつくんだよー!」


 激しい怒号に混じり、私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。

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