12.籠の中の鳥〔6〕
「小波どの!」
「武崎さん!」
「姫さまぁ!」
おのおのが叫ぶ中、ナナツギスミタカが彼女を受け止めた。
文字どおりのお姫さま抱っこだが、そんなこと言ってる場合じゃない。
なつきは細かくふるえていた。口もとがわなないている。視点が定まっていないのが、私たちからも分かる。
明らかに、おかしい。
「水を、持て」
ナナツギスミタカが左右に命じた。動揺を隠しきれない。
そのとき、すっくと立ち上がったのは久瀬くんだった。ナナツギスミタカに歩み寄る。止めようとする武者たちを、かわしてスピードを上げる。
サトさんが水をたたえた枡をさし出し、ナナツギスミタカがそれをなつきの口元によせる。
その枡を、久瀬くんはなぎ払った。
「飲ませんな」
水はまき散らされ、枡が転々と、板の間に転がっていった。
「なにを……」
「水分を与えても排出できず、毒になる」
ナナツギスミタカは枡へと目をやった。うつぶせに転がり、水に浸っていた。
武者が野次った。
「わけの分からぬことを申すな!」
「外野は黙っとけ、澄隆サマと話してんのや!」久瀬くんは一喝のあと素早く告げた、「このままほっとくと、小波どのとやらも危ない。今、小波どのの宿主は死にかけてる」
ナナツギスミタカは黙して久瀬くんを凝視しつづける。
久瀬くんも対抗姿勢あらわに直視しかえし、さらに説明を加える。
「症状は尿毒症。異常血圧、意識混濁、チアノーゼも出とる。放っておけば十時間以内に死に至る。助かる方法は人工透析だけ。一刻も早く病院へゆくこと。それしかない」
「……腎不全か」
「戦国時代の人の口からその単語がでてくるか」
「今は二十一世紀だろ」
久瀬くんが態度をやわらげる。
対するナナツギスミタカも久瀬くんへの視線をゆるめ、
「なら、この武崎という子も、小波どのも」
「どうなる」
「両者、共倒れ」
小波どのは実体を持たずに漂う浮遊霊。
姿を保ち会話をするには、だれかに憑依しているしかない。そのだれかがなつきだった。
小波姫がなつきを支配していて、なつきの意識そのものになっている。だけど、なつきは病気で意識を失っている。なつきの体の中にある全ての意識が、封じ込まれてしまっている状態だった。小波姫はなつきから、自力で抜け出すことができないでいる。
「なら強引にでも、武崎さんから小波さんを引き離せ」
「大地、私からも頼む。そなたの力で」
ナナツギスミタカの呼びかけにも、安賀島大地は素っ気なかった。
「できません」
鹿嶋くんがおもむろに立ち上がり、
「できません、やない。やれよ!」
「できないっつの。やらないんじゃなく、俺の実力じゃ無理なの」
安賀島大地はため息をついて答える。
ナナツギスミタカが一言、問いただす。
「方法自体はあるのだな」
「ああ。宿主と一緒に消えかけてる霊をひっぱり出すと、そのまま両方とも意思なく漂いつづけることになりかねない。ただ、よりどころとする良い宿主がすぐ近くにいるなら、話は別だ」
「そんなら私、宿主になる」
いっせいに私に視線が集まった。
「なつきと小波さん『共倒れ』やんね。このままやったら。私ならめっちゃ健康娘やし、問題ないと思うけど」
そう提案しながら、私は二年前を思い起こしていた。
魔のものに囚われてしまう。だから私が、あおいちゃんの魂を受け入れることにした。気軽に考え承諾した瞬間、現実のあおいちゃんはこの世から姿を消した。
私のひとことが実は人ひとりの生命を左右した。軽い言動に対する重い結果に、私はしばらく落ち込んだ。
今度もまた、同じだ。
私のひとことが、なつきの生命を左右している。姫さまの幽霊の今後も。
すごく怖い。
でも今度はその怖さを知っている。迷うことはない。
「天宮さんが犠牲になることやない、おれがやる!」
「鹿嶋くんはなつきを連れてって。大丈夫やよ。フシギには慣れとおし」
そのまま、彼はことばを失った。
「最適解だな。確かに」
と認める安賀島大地と目が合った。
探るような視線。怖い。目をそらしつつも催促する。
「早うしてよ! なつきを病院に連れてかへんと」
「分かってる」安賀島大地が命じた、「だがあんたは心を静めろ。主張が過ぎるのは、妨害と同じ」
「……」
鹿嶋くんが沈痛な面持ちを見せている。
久瀬くんは笑ってもいないし怒ってもいない。まばたきをほとんどすることなく、私を見ていた。
安賀島大地が紙のついた棒を振っては鳴らし、そして静かに謡う――たぶん、はじまった。彼のピアスが赤く光った。
心臓がどくり、と自己主張した。
裏腹に、手先の感覚がなくなっていく。のべつ幕なしに、立ちくらみに襲われる。
あおいちゃんの魂を受け取ったときとは違う。
私が消えていく。氷が溶けかけるように。泡沫がはじけて姿を消してゆくように。煙が空へ向かって散っていくように。
「なんで黙っとんねん、久瀬」
……途切れる記憶の最後に。
どこか遠くでだれかが言った。おまえはなぜ平気なのか、と。
それにもう一人が答えた……彼女ならきっと、大丈夫。
厚い信頼、ありがと……。