12.籠の中の鳥〔5〕
彼女について行く道すがら、すべては闇だった。
さっきのような先の見えない不安は多少、霧散している。そのかわり、なつきに対する不安がつのる。
あの声はまた聞こえた。
『妾は、あの伴天連を信じてはおりませぬ』
バテレン。キリスト教のことだっけ。
この声の主がサトさんの姫様かな。だれかを説得しているようだ。サトさんいわく、旅に出るのに反対しているらしいが。
「姫様はこちらです」
闇の中から突如として板のふすまが現れた。ふすま絵は竹林だった。総領神社の一角を思いおこさせる。ロウソクの灯りがゆらりとゆれた。その灯りに照らされる竹林も、風にゆれているようだった。
「澄隆さま」
ふすまの向こうに彼女はいるのだ。
もう声は直接頭の中に訴えかけてこない。
凛とした声は聞き覚えのある声音。それは、さらに続く。
「誇り高き七鬼の海賊衆が伴天連の言いなりなど。澄隆さまが願い望んだすがたでございましょうや」
「たけ……」
「鹿嶋!」
衝動的に動いた鹿嶋くんを、久瀬くんは止めることができなかった。
開かれたふすま。
居並ぶ武士たち。
その中央に、かがり火に照らされた少女の、うしろ姿。
少女に向かってもう一度、鹿嶋くんはその名を呼んだ。
「武崎さん!」
呼び声に応え、彼女はふり向いた。
肩越しの彼女はとても気高く、誇りに満ちていて、私はその瞳の力に圧倒された。
叫ぶや飛び出さんばかりの鹿嶋くんを、私たちは押しとどめた。
「鹿嶋!」
「鹿嶋くん!」
「武崎さん! 武崎さんっ!」
鹿嶋くんは叫びつづけた。
なつきの顔は限りなく白い。瞳は炎を映し紅い。厳しいたたずまい。何者も寄せつけない、そのすがた。
声は届かない。その耳に届いていない。
不審なものを見る目。
「なつき、どこにもいない」
「どういうこと」
久瀬くんが短く問う。
「なつきの気配やない、あの人。なつきのすがたなのに」
「そんなわけ……どう見たって!」
「鹿嶋頼む、とどまってくれ!」
久瀬くんが懇願する。
今にも鹿嶋くんは飛び出さんばかりだった。だけど久瀬くんの言葉に、鹿嶋くんは踏みとどまった。
一瞬訪れた静寂。
そこに重い打突音が響いた。
柱を殴りつけ、激しいほどの怒りと憎悪を隠さない鹿嶋くんがそこにいた。
半日前までは普通に話をしていた彼女が、別人になっている。まして、鹿嶋くんの好きな彼女が。それがいつもまっすぐで人のいい鹿嶋くんでさえも別人にしてしまった。
なのになんで私は、平静を保てるわけ?
不思議慣れ……それこそ、ぞっとする。
「夏にも見た顔だな」
奥に立っている和服の男。暗い上に大きなえりまきで判別しがたいが、声ですぐに思い出せた。幽霊船で「若」と呼ばれていた者だった。
久瀬くんは鹿嶋くんをささえつつ、答えた。
「ナナツギスミタカ様ですね」
「よく調べあげたものだ」
若、すなわちナナツギスミタカは余裕そうに返す。
久瀬くんは穏やかな口調でつづけた。
「ありがとうございます。でもこれ以上は語る時間も惜しい。僕たちは友人を探してここにたどり着きました。今、目の前に友人がいます。
単刀直入に述べます。彼女を、返して下さい」
すると闇より告げる声。
「若。曲者です。始末なされよ」
これも聞き覚えがある。
そうだ、幽霊船の中の神官。いや、それよりも……。
「お姫様の侍女にご案内いただいてます。誤解なきよう。安賀島大地さん」
「久瀬君、十分あやしい曲者だよ。うちの神社に探り入れてたしさ」
安賀島大地。
なぜ現実の人間がこんなところに。総領神社の神職の息子ってだけではないのか?
「さと。おまえか」
ナナツギスミタカはサトさんの存在を認めた。
サトさんは大あわてで土下座して、
「あの……わたくし、その……この方たちが、ええと」
言い訳考え中って。待てサトさん。
「さとを脅したとも受け止められるな」
「脅してなんかない! サトさん、なんとか言うてよ」
私はひたすら恐縮しているサトさんをゆさぶる。
が、彼女はだんご虫よろしく丸まっておびえている。当然弁解なし。だまされたとは言わないけど、この展開、冗談じゃないぞ。
「伝左」
ナナツギスミタカは背後のお侍に呼びかけた。
でもその人(?)はどう見ても腕力ガチンコ勝負に出そうな見た目で。
「曲者。一同、この者らを消せ」
悪い予感的中。
鹿嶋くんも顔を上げ、はたと気づいた。
「やばい……」
どこに隠れてたんやと突っ込みたいくらいの武者が、包囲網を縮めつつ、にじり寄ってくる。右から、左から、背後から。
―――曲者じゃ。
曲者じゃないです。
―――船を壊した者どもじゃ。
確かにちょっとは壊したかもしんないけどさ。
―――よくも我らの船を。
でも私、橘の大乱闘を止めたんですけど。一応、被害を小さくとどめた功績は。
―――船の恨みぞ。
認めてくれ……るわけないか。
―――生身の……じゃ。
え?
―――おなごじゃ。おなごがおる。
……うそ。なんか殺されるより、危険?
一気呵成、怒号があがった。
狼のように獰猛に。雪崩のような勢いで。幽霊武者は覆いかぶさるがごとく襲ってきた。
こうなりゃだれでもいい。少なくともひとりは道連れ作ってやるっ……できれば。
「やめてっ!」
鹿嶋くんが顔を上げ、目を見はる。口もとが動いた。たけざきさん、と。
だが次は一転、彼女は高圧的な言い回しに戻る。
「やめなさい。妾が許しませぬ。この者たちを『始末』をする理がどこにあるのですか」
「そうですっ。それに、姫さまにもお手をかけるおつもりですか」
サトさんもまた立ち上がり、両手を広げて私たちをかばった。正確には私たちでなく姫様をかばいだてているのだろうけど。
そして意外にも。
「止めよ」
ナナツギスミタカがそう命じた。
瞬時、ぴたりと、武者どもは動きを止めた。
その光景はある意味圧巻だった。さやから抜きかけの刀は抜く途中でとどめ、寄せる人なみの中、前につんのめった状態のままの人(幽霊)もいる。まるでビデオの一時停止。決定的瞬間の写真を見ている気分。
それが彼のひと言で。
ナナツギスミタカの絶対権力ぶり、まざまざとしめされる。
そこへ冷淡に安賀島ジュニアが言いはなつ。
「こいつらは始末することをお勧めする」
よけいなこと言うな!
だが、対峙しているナナツギスミタカはことばを返した。
「道理は久瀬どの、小波どのにある」
「んなこと言ってる場合じゃ」
「納得ゆく反論なら聞くが」
もしかしてこの若様、かなり物わかりがいいかも。
安賀島大地は「あーもう、度しがたいよ」とぼやいて髪をかき上げる。
どうやら小波さま(?)の説得は成功した。しゃべりも偉そうだし、若様をコントロールできる重要人物のようだ。その小波さまに扮する(??)なつきは目を細めた。
「ありがたき思し召し。感謝いたします」
なつきは静かに腰を折り、そしてナナツギスミタカの元へと歩んでいった。微笑をたたえていた。
私は、彼女の背中を見送った。
動けなかった。
助けられた、よかった。と頭では思っている。でも、彼女は私たちを友達と思って救ってくれたのか。とっさの彼女の哀願はなつきのことばに思えた。それは思えただけ、だろうか?
その迷いがあった。
だから遠ざかる彼女を引き止められない。立ちすくんだまま動けない。
鹿嶋くんは顔をそむけ、苦渋に満ちた顔で目を閉じていた。
「船出も思いとどまってもらえませぬか」
「その話は別」
とナナツギスミタカが言った、そのときだった。
微笑んだままのなつきの体はぐらりと大きく揺れると横に、倒れていった。