12.籠の中の鳥〔1〕
目覚めてもまだ窓は闇に覆われていた。
豆電球の光が瞳にとびこむ。うすぼんやりと、開き損ねたまぶたのすき間を通り過ぎていく。
浅い眠りに全身が気だるい。ざぶとんを頭に乗せられているようだった。
信じたくない。
いま見たことは『現実に起こったこと』なのか。
認めたくない。だけど。
窓の外の、城山の丘と空の際が明るくなるまで、私はふとんに顔をうずめた。声を殺して、泣いた。
* * *
「遊びに行こう!」
かのんは元気いっぱいだった。
始業第二日目は、宿題考査。テスト終了の開放感。しかも今日は金曜日。
かのんの彼氏タカ君は社会人なので、こんな日は会えない。だから遊びにいこうと、私たちに激しく主張するのだった。
「うーん。そうやねえ」
そんなことより眠るか、それより……。私はあまり乗り気になれないでいる。
「はる、眠そうやねぇ」
「休み明け二日目やし。生活サイクルが直らんくて」
私の机にリュックサックがどん、と置かれた。なつきがそこに立っている。
「私、四時半、病院やから」
「そんなら三時くらいまでで、グラスタウンあたりでええかな。せりと鹿嶋と愉快な仲間たちも呼ぼうぜっ」
かのんは携帯電話に向かった。
なつきと鹿嶋くんの『らぶらぶ大作戦』がうまく運んでいない。かのんは、業を煮やしていた。逆に『久瀬略奪愛計画』、つまり久瀬くんと私の「らぶらぶのふり」が「らぶらぶ」に進展したことには、いたく満足しているらしい。全くの誤解だが。
「はる、大丈夫?」
なつきが小声で尋ねる。
「大丈夫やよ。寝不足やし今日は早よ寝るわ」
「冗談やなく顔色、悪いよ」
「大丈夫やって」
私は意識をそらそうと話題を変えた。
「それより、なつき。鹿嶋くんのこと」
「感じ悪いと思われてるんやろね。私」
しまった。私は黙るほかなかった。
そうかも、などとはとても言えない。
鹿嶋くんがなつきに、会いたい、と連絡を入れたとしても。
なつきは断ることのほうが多い。三回に二回は断る。鹿嶋くんは、自分が避けられていると誤解しているようだった。
私たちとでもなつきはつきあいが悪い。お茶を飲もう、といっても断る。一緒に来ても、飲まないでいる。
理由がある。最近、私たちも理解してきた。
なつきは持病があるらしい。それであまり食べない。すぐ疲れるし、夜も出歩かない。そして病院に通っている。毎週二回、学校が終わってから。そんな日の彼女のかばんはリュックサックだ。
彼女は今までなにも弁解しなかった。
かのんがある日気づいて、あらためて問うと、
「あまりこの話はしたくない」
私はそんななつきのさばさばして、ちょっと意地っぱりなところが気に入っている。
でも、鹿嶋くんは私たちほど毎日いるわけじゃない。なつきは理由を説明なんてしそうにないし、事情を察して、と期待するのも無理というもの。誤解もやむをえない。
ただ、先ほどのコメントから、なつきは鹿嶋くんのことを悪くは思っていない。鹿嶋くんさえ心変わりしてなければ、前途は明るいはずなのだ。
「グラスタウン南駅に十三時。お昼食べつつ、鹿嶋に話そうや」
なつきは小さくうなずいて言った。あのね。いいお店があるよ、って。
珍しい。なつきが提案するなんて。
多少は、なつきたちのために時間を割いてもいいかも、と考えた。
* * *
なつき指定のお店。
木の香りが漂う。その大きなログハウスを飾るのは、いっぱいの観葉植物。高い天井にも窓があり、冬の空を仰ぎ見ることができる。テーブルの間隔も広く、アンティーク調の椅子に毛糸編みのお座布団。座っていて心地がいい。
その立地のよさにも驚く。
グラスタウンの中央のショッピングモールからは数分。ショッピングモールにも多くのお店があるせいか、それだけ立地がよくても店内は落ち着いている。
「おいしい!」
せりちゃん絶賛のスパゲティは、菜の花とタコのクリームソース。
なつきはイカのリゾットをほおばっていた。
「お正月から連絡が取れへんねん。橘先輩」
鹿嶋くんがピザを切り分けつつ話す。
切り分け後のピザはかのんが片っ端から食べているのだが、彼はめげない。きっと鍋奉行タイプに違いない。
「神鍋の田舎に行くって」
せりちゃんが答える。
神鍋。タチバナ・モトイ、目の前で消えたのに。
私は聞き返そうとした。
それをとどめたのは久瀬くんの愛想笑いの、一瞬の切れ間だ。彼の目は確かに物語っていた―――話がややこしくなる。
私はうつむいて、タコをフォークで突き刺した。
フラッシュバックするクリスマス・イヴの出来事。せりに悪いと思う気持ち。息苦しくなる。
しばし忘れるために。
頭の中で、ねじりハチマキ巻いたタコを踊らせてみた。
頭の中で「タコ、タコ、タコ」と何十ぺんも唱えてみた。
「高梨さんには連絡あったんや」
「うん。メールでね。おばあちゃんが危篤なんやって。おばあちゃん子やったから、片がつくまでいるつもりって」
「意外やねえ橘先輩。人の情けを踏み倒しそうなツラ構えしとんのに」
かのんの処々意味不明トークには、せりちゃんも慣れたもの。
「『情けを踏みにじる』。そう見えてすごく気を使う人やよ」
サラリとツッコミを入れるところ、キャリアが上だ。そして思い出したように、
「それで、はるちゃん」
「えっ」
せりちゃんに名指しされ、心臓が止まりかけた。
「ゴメン。私、はるちゃんにひどい仕打ち、した。はるちゃんが先輩を取るって、勝手に怒ってた」
せりちゃんは神妙に言った。ことばひとつひとつをはっきりと、話した。
対する私はしどろもどろだ。
「え、そ、それ」
「ごめんね」
私はかろうじて言えた。「うん」と。
でも本当は、私は謝罪を受ける資格なんてないのだ。なにを偉そうにうなずいているんだろう。
話せない。せっかく戻ったせりとの間を壊したくない。
「良かった。橘先輩も考えこんでてん。自分のせいかなって」
せりちゃんの無邪気な笑顔。私もこたえて笑顔を見せる。
私は嘘つきだ。
なんだろ、なぜか、どこかから語りかけられるように聖書のことばを思い出す。
『互いに嘘を言うのを止めて、真実を語りなさい。
なぜなら、私たちはお互いに同じ肢体に属し、私たちが嘘を言う時に、私たちは自身を傷つけているのです。』(エペソ人への手紙 第4章25節)
嘘をつき通してでも守りたいものだってある。うそも方便という。
でもそれがこんなに苦しいって、思わなかった。
「せりもはるも仲直りしたしっ」かのんが手を叩いて、「これで解決。あとは、鹿嶋やっ」
「え、おれ?」
標的が鹿嶋くんにうつった時点で、私はふうと息を吐いた。
「ウチらはね、鹿嶋。あんたをイイヤツと思ってるから、なつきを預けたげてんのやからね。なつきにも事情ってもんがあるンやから、一度や二度や十度や百度断られたからって、あきらめる姿勢見せちゃウチら怒るからね」
さすがに百度断られたら望みないやろ。
「渡邊さん!」
悲鳴を上げたのは、なつきと鹿嶋くん、同時だった。
静けさに包まれる。『シーン』と頭上に書きたくなるくらいだった。
なつきと鹿嶋くん、おたがいに顔を見合わせて赤くなる。それだけでふんわりとした雰囲気になる。結論はこんなに明確だ。
「あ。三時半やん。もう」
かのんがカウンターと腕時計をたがいに見て言った。
見比べてもどっちも同じやと思う。胸の中でいらぬツッコミを入れる。
「私、そろそろ」
なつきはいそいそと、リュックサックをまとめた。
鹿嶋くんがあわてて席を立つ。
「送ってくよ」
「ええよ。一人で行く」
鹿嶋くんは口を開いたまま、とまどいの色を見せている。
「今から病院に行くねん。あんまりついて来てほしいところやないしね」
なつきはリュックを背負って「ばいばい」と私たちに手をふった。
私とかのんが「ばいばーい」と大きく手をふりかえす一方で、久瀬くんは軽く片手を上げるにとどめ、鹿嶋くんはただ、
「気をつけて」
と心配そうにつぶやいていた。