Interlude 11.
氷の海に飛び交う海燕の啼く声が騒々しい。
空は白と灰色のマーブル模様。重苦しく垂れ込める雲は、時を刻むにつれ、邪悪な黒龍へと姿を変える。
その龍尾に抱かれるがごとく、崖の巌にひとりたたずむのは銀髪の青年。彼は静かに海を望む。
「おや」
何かに意識を向けた彼は、やがて胸に手をあて、口の端を上げた。サファイアの瞳が爛々と光る。
「お出まし、甚だ痛み入ります」
銀髪の青年はふり返る。
連ねることばとは裏腹に、表情に敬意はない。嘲弄。それに、挑発。
青年の視線の先、黒髪黒コートの人物が歩み寄る。風キツイ、クソ寒い、足元すべる、なにこのサスペンスドラマ調、と不満たらたらな独り言をぶつくさ言っている。
藤生氏だ。やがてふうっと深く息を吐くと、ぴたりと歩みを止め、問いかける。
「古ぼけた商船動かして、どうなん」
「冒険に出ますよ。大航海時代は商人たちの冒険から始まったのです」
「狙いは海の領域」
藤生氏は一歩、歩を進めた。
鏡さながらに静止した水面。そこに水滴を垂らしたがごとく。足元に波紋が広がる。
「海には<農場>の協定はないからか」
周囲には何も無い。
藤生氏、フロリアン。その頭上にただ一羽、はぐれ海燕がさ迷うように漆黒の中を旋回する。
虚無。虚空。深遠の闇。
ことばはいくつもある。そのどれも、この場に流れる澱んだ風を表現し得ないだろう。夢の中にも関わらず、私は総毛立つ。
藤生氏が要求する。
「彼女を返せ」
「お断りします」
「ですよね?」藤生氏は肩をすくめた、「望み薄でも一応、警告を発しとくんはお約束やし」
「面白い方ですね」
二人の足元にさざなみが立つ。空気が震えた。
「ほな、ゲーム・スタート」
「氷!」
フロリアンが宣言した。
藤生氏が飛んだ。せつな、水面が固まる。
次の矢は放たれた。
「霰」
降り注ぐ大粒の塊が藤生氏の背を打った。避けきれずバランスを失い、凍る海面に「着地」する。凍てに痺れる感覚がつま先を襲った。
苦汁を舐めるような表情をそのままに、藤生氏は眼前の何者かを払いのけた。生温い風が駆け抜ける。
……あられは雨に変わり、彼の足元が融解する。
「霜」
ぬかるみかけた足元から、霜が立つ。
フロリアンは謳う。
「『束縛、選択の余地なく、裸の者は霜に凍える』」
全身を覆い尽くす霜。抗えず束縛される藤生氏。
言葉にならぬ叫びが藤生氏の全身から発せられる。
疾風が荒れ狂う。張り詰めた氷を刻み、クレバスのような裂け目を作り出す。
フロリアンは腕で自らの面を覆い隠した。彼の銀の髪が激しく揺れ、絡み合い、自らの肌をも傷つける。
その中で、彼の唇は詩を奏でる。
「氷。ガラスの様に澄み、霜が作る美しい、宝石」
風は止んだ。
海面はほぼ、水に戻っていた。
だが、たった一点。
氷のオブジェとその周囲のみが、白かった。輝く光さえ湛えていた。
「宝石は海に眠れ」
オブジェは海に沈む。水に晒されてもなお、氷は溶けない。
一瞬だけ、その中に埋もれた様相が垣間見えた。
細めた二重のまぶた。濡れ羽色の瞳。朱に染まる頬に、歪んだ眉。
「噂どおり、貴方は力なき王者でしたね」
フロリアンは霧のように姿を消した。
海はやがて波をたたえ始める。その白い波間へと、あられに打たれ血を流した海燕の躯はのみこまれていった。




