11.初詣にて〔3〕
かつて、私はなんの考えなしに承諾して、彼女のタマシイを受け取った。
藤生氏がくれたプレゼントのひとつ。
ご近所の女の子、あおいちゃんの魂。
「ゴメンナサイ。はるこさん」
目の前に立っているのは長い髪の女の子。小学校中学年くらいの、清楚な子だ。
「……あおいちゃん?」
「ハイ」
彼女はしょげた様子でそう答えた。
分かった。苦しんでたのは、彼女だ。
* * *
高い、木の天井。
畳の青っぽい、香り。
ここがどこかはすぐに分かった。安賀島さん宅。
第一声はなぜかこうだ。
「あったかぁ」
「その反応は、問題ないと考えてええんかな」
いくぶんか皮肉まじりの言いよう。間違いなく久瀬くんだ。
ぼんやりとした視界が次第にクリアになってゆく。でも頭の中はまだ、混濁したままらしい。
上半身を起こす。ふわふわの布団が、かさりと、音をたてた。
側頭部になにかがくっついているような違和感がある。
「ううん……」
「少し問題ありそうやな。無理に起きなくても」
「……あおいちゃんが……」
「あおいちゃん?」
「安賀島さんち?」
「そう」
「あったかい」
「芯まで温かいね。頭が常人になるまではもう一歩ってとこ?」
(なにを言っているんだろう)
と、自分でも思っていた。
あおいちゃんってだれよ。それに答えようにも、頭が混乱している。会話にならず、思うままがを口走る、単なる独り言と化していた。自覚はあった。
なのに、久瀬くんはなにが起こったのかを性急に問おうとはしない。
先に彼は現状を説明する。
私がいきなりぶっ倒れた。
↓
神職さんが安賀島さん邸を案内。
↓
安賀島夫人がおふとん用意してくれた。
↓
私、起きた。
「ごめ……」
「あおいちゃんって、中学のころ、藤生君の無茶ぶりで天宮さんが魂、引き取ったって子やんな」
「うん、それで」
自分の身に起こった出来事を伝えることができるのか。正しく理解してもらえるのか。それ以上にまともに話せるか。
いまはその自信がない。
「入っていいかしらね」
ふすまの向こうから女性がたずねる。
どこか鷹揚でのどかなその声。鉄の精神の保持者・安賀島夫人に違いない。
久瀬くんが彼女にむき直り、
「たびたびご迷惑をおかけして、本当にすみません」
そうか。まずはおわびをしなきゃね。
「ええのよ。彼女、大丈夫?」
「もう大丈夫、やんな?」
「はいっ」
久瀬くんにうながされ、私も首を縦にふった。
頭の中では続けるつもりだったのだ。もう平気です、ありがとうございました、と。
でもことばはもつれたまま、頭の中にとどまっている。
「お茶持ってくるわね。ゆっくり休んでいってちょうだいね」
「おかまいなく。初詣したら帰るつもりやったんです」
天宮さんの親も心配しているだろうから、と久瀬くんは断りを入れた。
彼の手首の腕時計が目に飛びこむ。ブランパンの時計だった。目をこらす。長針と短針は妙な角度をしめしている。どの値をさしているのだろう。
この部屋に時計はないのかと、少し顔をかたむけた。見つからない。
私は布団のぬくもりから抜けだした。みのむしが、みのからはい出るように。もそりと、抜けだした。
バッグから携帯電話を取りだす。時刻表示が見たいだけなので、メールの着信表示を消し、待ち受け画面を表示する。時刻が表示される。
「二時……もう、二時」
「さすがに、やろ」
また夫人は泊まっていくことを勧めてくれた。
今回は断った。久瀬くんが断ったのは、正月早々というのもあるだろう。
でもそれ以上に……私はここにいることが不安でならなかった。断ってくれて、本当に助かった。
「具合はどう?」
帰り際、玄関口で。
あの神主さんのピアス青年に出くわした。
今度は白装束ではない。フードつきのパーカーにビンテージっぽいジーンズ姿。そのへんにいるような青年だ。
「すみません。安賀島さん」
久瀬くんは頭を下げた。
この神職さんは安賀島さんの息子さんらしい。
「マジびっくりした。もしかして俺のお祓いにやられたとかだったら、どうしようとか思ってさ」
胸のあたりがずきん、と痛んだ。
「大地っ。なにを冗談言うてやの。貧血起こしはったのよ」
夫人、息子にツッコミはたきを入れる。
「いやぁ。それなら俺ってスゲーと思ってさ。まあそれは冗談」
「では、おじゃまいたしました」
久瀬くんは穏やかに微笑む。
早々に会話を切りあげにかかっているのだ。……一見、そうは見えないが。
そして玄関の引き戸に手をかけた。
「また来いよ。うちの母、きみら気に入りらしいし」
久瀬くんは私を先に外へ出し、
「また今度、ぜひよらせていただきます」
と言うと、できうる限り静かに戸を閉じた。それでも戸は、カラリ、カラリ、ピシ、と音をたてていた。
暗かった。
安賀島邸の玄関もポーチも、電気が消える。郵便受けの上に門灯があり、それが唯一の光源だった。遊園地の幽霊屋敷で、手探り足元探りで前へ進むような状態。竹の植え込みとニアミスを起こしかけた。一部、物損事故を起こした植栽もある。
数秒して、またポーチに光が戻る。
ついつい消したが、私たちがいるから点け直した、というところだろう。とりあえず前へと進みやすくなった。
「僕の自転車、乗って帰ったら」
安賀島邸の塀に横付けしてあるシルバーの自転車。前かごが四角で荷台つき。
久瀬くんの自転車だ。
コンビニに置いてきていたはずだけど。私が寝ていた二時間のどこかで、取りにいっていたのだろうか。
「ええよ。ウチ近いし」
「そんなら後ろ、乗る?」
「歩こ」
二人乗りをしたら話ができない。歩けば、話ができる。
話したいことがある。今すぐに。だから歩いて、並んで帰りたかった。
彼は無言で自転車を押し歩き出した。その歩みのスピードはひどく遅い。砂利道が理由というだけではないだろう。
やがて、安賀島邸の灯りすら闇に包まれて見えなくなったころ。
「日下部あおい、やったっけ」
と、久瀬くんが頭をかたむけた。
混濁した脳みそはまだ、スッキリしない。うまく説明できるかな。
でも沈黙のままだと歩いて帰る意味がない。彼ならたぶん、分かってくれるだろう。神社でのことより、まずあおいちゃんのことを話そうか。
二年前、藤生氏が同級生だったころ。
私の住むマンション・グリーンヒル東城山。
かつてここには日下部あおいという女の子が住んでいた。
彼女は……詳しい理由は知らないが、魔物にとっては貴重な魂の持ち主らしい。彼女の魂を得ようと魔のものが集まり、その死を待っていたのだ。
藤生氏も、その魂を手に入れるようサナリさんにけしかけられた。
私はゴネた。
「二週間後に死ぬって、それを知ってて見殺しにしていいわけないじゃない。あまつさえ、魂を手に入れようだなんて」
藤生氏は彼女を救おうと努力したのだった。
結局、彼女は魔のものに誘われたのか、階段から転げ落ちた。そして……彼女の魂は私のなかにある。あおいちゃんの希望だった―――魔のものに囚われるくらいならという願いだ。
「よう覚えてるよ」彼は目を細めた、「で、彼女のせいで腹痛になったわけか」
私はため息をついた。
ああやっぱり。久瀬くんはなんでもお見通しなのだ。
「ハライタの原因があおいちゃんって、分かってたん?」
「アホかい」
「アホすか?」
「分かりやすすぎやって。ユーレイ出現、祈祷開始、天宮さんは気を失い、寝ぼけまなこで『あおいちゃんって』って。そりゃ分かるやろ。いくらなんでも」
いえ。私ならわかりませんが。
白い光が見えてくる。サナリさんのコンビニだ。
「あの安賀島さんの……安賀島大地、あやしいな」
「あやしい?」
「女の人の声が確かに聞こえた。それで安賀島ジュニアがお祓いを始めたとたんに『止めて』と。少なくとも普通やない。あの状況は」
「ちょっと待って。さっきからお祓いって、そんなのあったっけ」
「祝詞か呪詛かは知らんけど。あいつの声してたよ。天宮さんは聞こえてなかったんかなあ」
たしかに聞こえていなかった。
大人の女性の幽霊の哀願。あおいちゃんの悲鳴。ふたつが頭の中をぐるぐる回っていた。あおいちゃんに至っては「つぶされちゃう」って……。
そういえば帰り際に安賀島青年自身が言っていた。もしかして俺のお祓いにやられたとかだったら、どうしよう、って。
「幽霊さんを狙ったってこと?」
「そして天宮さんちの日下部あおいまで巻きこまれた。苦しむ彼女を守るべく、天宮さんは意識を失った」
「私、ハライタで倒れただけやけど」
「倒れたら呪詛だろうがなんだろうが聞こえない。結果として守ったことになる」
いつものコンビニの照明がまばゆい。
昔ながらの町並みの中にあって、そこはある種、異質な空間だった。でも私はその照明、にかえって安堵感をおぼえた。
私の生活はむしろここにある。日常に帰って来れた。そんな気がした。
コンビニには別の店員がレジに入っている。
私たちは店を素通りし、交差点をこえて城山三丁目へと進んだ。
「以前、タチバナ・モトイに聞かれてん」
久瀬くんは私に顔を向ける。
「『藤生皆は君になにをした? 笛の音に眠らされなかったやんな』……幽霊船の話で」
答えは今、分かった。
笛の音に意識を失いかけたあのとき。だれかにたたき起こされた。
そのだれかとは、あおいちゃんだった。
「一蓮托生なんやろ。彼女にしても天宮さんがピンチに陥るんは、困るんで」
「一蓮托生、かあ」
城山三丁目は広い道と、モデルハウスのような家。再開発地区で、同じ城山町でもずいぶん様相が変わる。そして林を背にそびえ立つのはマンション・グリーンヒル東城山。私の帰る家だ。
もう二時半だった。初詣になんでそんな時間になるのかと叱られかねない。
「久瀬くん」
「なに」
マンションの前。久瀬くんは自転車のペダルに足をかけたところだった。
「ありがとう。ええとそれと……『明けましておめでとうございます』!」
「今年もよろしくお願いします」
彼はふんわりと、やわらかな笑みを返した。