11.初詣にて〔1〕
「小林幸子見た?」
「見たよ。終わった瞬間、チャリ飛ばして来たってところ」
手の中の使い捨てカイロをくしゃくしゃともてあそぶ。
足元とかお尻とかも貼るカイロとか貼ってみたりした。だが、やはり夜は寒い。
マイナス三度。
弟から借りた腕時計が示す現在の気温だ。
気象庁によると、関西は平年並みか、まだ暖冬らしい。去年の夜の寒さを覚えているほど、私の記憶力は良くはない。暖冬くそくらえ、って感じだ。
とにかく『寒い』は禁句。言ったが最後、コンビニおでんをおごる決まりとなっている。
なにをしているかって?
ただいま初詣の時間調整中。
総領神社のがらんとした白砂利の境内。そのはしに白く小さな鳥居がある。さらに鳥居より奥、延長十メートルほどの竹林の回廊を抜け、百ほどの石段を上がる。上りきったそこに、ようやくお社が現れる。
だがそのお社はなんともこじんまりとした、真四角の古びた木の小屋だった。ウサギ小屋くらいの大きさで、百葉箱を大きくしたような感じ。いわゆる『方丈』というもので、ぐるっと縁側がついているが、五人も座ればいっぱいだ。そしてそれ以外にはなにもない。
ひどく貧相。それが私の感想だった。
同じようにタタリを恐れてつくられた天満宮とはえらい違いだ。京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮、どちらも広大な敷地に豪奢な社殿。平安時代の菅原道真も、そこまでしてくれたら満足というものだろう。
それにひきかえ、このウサギ小屋のようなお社はどうだろう。
漠然と、思う。
『ナナツギスミタカ』は満足なんやろか。『総領』と呼んでくれるようになっただけで。
この神社の『鎮め』は、この神社の命名そのものにある。
七鬼澄隆を『総領』と認めること。それが真っ当な跡継ぎであったのに、叔父にその座を奪われ、そして殺された彼への慰めであり、鎮めであった。
* * *
クリスマスの話にいったん、戻る。
聖なる朝は、イエスの誕生にはまったく似つかわしくない話題が交わされていた。
安賀島さんに久瀬くんが問う。
「苅野だけでなく、志摩・三重県にも神社はあってもおかしくないですね。志摩の武将だから」
「あるよ。向こうは神社の名前が違うけどあることはある。むしろ三重のほうが歴史は古い。灌頂主つまりオーナーは七鬼守隆」
「従弟の。殺した張本人の息子になるんですよね」
「そうやな。自分が問題なく後を継げたのは澄隆がいなくなったからで、だからこそ深く畏怖の念を覚えたんやろう。皮肉というか滑稽というか。人間の愛憎というもんやな」
その三重の神社に息子さんが行っている。
そう付け加えたあとしばらくは、その息子さんへのグチとも自慢ともつかない話が続いた。神職を継ぐ気がなく、家を出て東京で就職して困っていたが、会社を辞めて戻って来たんだとか。今は本家筋の三重にいて、来月から苅野近辺の数社かけもちで神主修行をするのだけど、たった二年で気まぐれに会社を辞めたんが、そんな長続きするもんかいな。
とまあ、うまくいかない息子へのグチ、大暴走。
私たちに語られてもねえ。と思いつつも、機嫌を損ねてはまずい。相づちをうっておいた。
そのほか、ナナツギの水軍はすごいんじゃない? という話も聞いた。
大きい軍船をポルトガルの宣教師が絶賛した記録があるとか。実は潜水艦なんか造ってたとか。
戦国時代に潜水艦!
冗談じゃなく昔の記録にあるそうだ。記録が即、真実ではないとしても。でも少なくとも、潜る船なんて発想があった可能性はありそうだし、それだけでもすごい。
「そんだけすごいのに、なんでわざわざ海のない苅野になんで来たん」
「来たんやなくて無理矢理、来さされたんや」
久瀬くんはおろか安賀島さんにさえ笑われた。
当然、好き好んで引越ししたわけじゃない。こいつはヤバそうだからと江戸幕府に目をつけられて、引越しさせられた大名ってのは結構いたようだ。同じく水軍が強かった毛利元就が有名な、毛利家も同じ。ここは同じ山口県内でも瀬戸内海側の山口市付近から日本海側の萩市へ。まだ海があるだけマシで、死守したからこそだけど……というのは、彼らの話の受け売りだ。
内陸に引越しさせられるのは、ナナツギからすると水軍を捨てるのも同然。
他より優れているモノを取り上げられたわけだから、
「『必殺技を封じられた変身ヒーロー』みたいなもんですね」
また安賀島さんが愉快そうに笑った。
なにか違うのかな。今度は正しいことをしゃべったつもりなんですが。
「言い得て妙でいいね。まったく悲壮感ゼロやけども」
安賀島さんが出かけた後。
さらにお昼ごはんをご馳走になった。遠慮もなにもあったもんじゃない。
お昼ごはんはエビシューマイとカニチャーハンと水餃子だったので、よっぽどこの人、中華が好きなんやろかと思ったんだが、この話とは関係ない。
語りたいのは……席上で、ついつい私が夜中の声の話をもらしてしまったことだ。
一瞬冷たい視線を横の少年から感じる。変に思われるぞ。
ところが夫人の反応は意外だった。
「あなたも聞いたん。私もね、最近頻繁に聞くんよ」
夫人は主婦のお茶会話よろしく「ちょいと奥さん」と呼びかけるような仕草をしてみせた。
「頻繁に、ですか。夜中ですよね」
「ええ、そう。もう最初は気味悪くて」
あとは質問をするまでもない。勝手に必要な情報をしゃべってくれた。
声の頻度は、夫人の就寝中は聞いていないので、不明。
決まっているのは時間帯。ちょうど〇時を超える頃なのだそうだ。そして一、二分間という長さも決まっている。
おそらく場所はお社付近。一度、境内に行って確認したそうだ。
夫の安賀島さんも息子さんも、そんな声は聞いていない。空耳だろう、と夫人は相手にされていなかった。だから私たちが聞いたとなるとうれしくて、なんでもかんでも話してくれたようだ。
それにしてもこの現象を前に――しかも家族からは空耳と断言されて――なお平然と暮らしているあの夫人。ある意味『鉄の精神』の持ち主だ。