10.胡桃のお菓子に誘われて〔3〕
コンビニの裏手には路地がある。
路地を抜ければ、神社の境内につづいている。
境内の玉砂利のこすれあう音は、他は静寂の小さな境内にいちだんと響きわたる。
「苅野北英に通っています」
久瀬くんは安賀島老人の質問に答えた。
「せやったら、うちの近所もよう通るやろ」
「今は母と暮らしていますから」
道々で話を聞くに、安賀島老人は久瀬くんのお父さんがお世話になった人だった。
選挙から離婚まで。そりゃなにからなにまで相談した人らしい。だが『サナリとの契約』……久瀬くんと藤生氏との関係を知っているのかどうか。そのへんはうかがえない。聞いた感じ、魔法とか魔物とかの話とは無縁そうだけど。
安賀島さんの背中を追う。
神社の参道をそれると、こんなところにあったんだ、と思うほど、ひょんなところにある瀟洒なお屋敷。
そこに私たちは入っていった。
門扉より玄関まではそう離れていない。黒いタイルの道以外は白い石で敷きつめられている。そして竹が数本、すっくと伸びる。その足元にはきれいな苔がむしている。少し洋風テイストも混じった和風建築とその庭は、意外なほどにマッチしていた。
安賀島老人が引き戸をカラカラと引く。
「広っ!」
私の部屋くらいはありそうな玄関。玄関といっても、靴を脱ぐスペースだけでだ。
さらに私の家のリビングくらいはありそうな、廊下。
入ってすぐの和室は最低、十畳以上はあるに違いない。
この時点で天宮家、すっぽりと入る。我が家グリーンヒル東城山の4LDK、それが玄関と廊下と和室ひとつで、まかなえてしまうとは。
あるところにはあるんだな。土地って。
「まあ上がってき」
と、通されたのは十畳敷きの和室。まんなかに鎮座しているのは、コタツだ。
勧められるままにコタツに入る。と、これは掘りごたつではないか!
……幸せぇー。
「紅茶にコーヒーに中国茶に緑茶、お好みはある?」
「中国茶で」
ここまでのこのこついて来た私たちに『遠慮』の二文字はない。
さて、部屋を見渡してみる。
床の間にお花、違い棚に小さな青磁と、朱描きの陶器。
それ以外は何もない。いたってシンプルだ。
「もういくつ寝るとお正月、って感じやねえ」
お花は松と葉ボタン、千両にピンクと紅色のガーベラ。太めの竹筒にあしらわれている。お正月の花飾りにしては可愛い。
うちもこんな感じにお花を飾ってみたいかも。
「安賀島さんてうちの高校の校長先生やったって聞いてたけど、神職やったんやな」
久瀬くんもまるくなりながら、コタツと仲良しになっている。
「久瀬くん。神社ってもうかるんかなぁ。家大きいし」
「どうやろ。宗教法人やし税金は少ないやろけど」
久瀬くん、目もとをおさえる。眠いのか?
「あんまりこの神社、宣伝してはらへんよね。穴場かも。えーと、ここ、なんてたっけ」
「総領神社」
「やっぱし聞いたことない。毎年ついつい、以前住んでいた延長で生田神社行っとんのよね。今年の初詣、近いしここにしよかな」
「生田神社なんて、人多くて大変やろ」
「毎年つぶされそうになってる。それはそうと久瀬くんは初詣、どこ行っとんの」
「去年は苅野初詣ツアーを鹿嶋とやってたなあ」
「初詣ツアー、ですかい?」
「羽柄山に登って初日の出を拝んで、帰りに登山口の八王子神社に参詣。それから<MagiFarm>キーポイントの感神社を二箇所ほど。そんで三輪神社、大歳神社……ここは歴代ナナツギ城主の祈祷所らしい。最後に天神町の天満宮で学業祈願。うち、四箇所ほどでは御神酒を飲み放題の特典つき」
久瀬くんのバイタリティには圧倒される。でもお酒は二〇歳になってからだぞ。
と、そんな具合にきわめてローカルな話をしつつ、ただ時が流れるのを待つ。
しばらくして、上品そうなおばさまがやって来る。お盆に急須とグラスを乗せて。シルバーグレイの頭に細めの眼鏡、少しぽっちゃりとしている。安賀島夫人、としておこう。
「ほんとに今日は寒いわねえ」
というのが彼女の第一声。安賀島老人がつづいて入ってくる。
「あの神社はよう宣伝しやへんのですワ」
さっきまでの話、聞かれていたらしい。
もうかるとか税金とかの話まで聞かれてたら、かなり心象悪くなりそう。
安賀島さんは手ずから、大きなおわんをコタツのテーブルに置く。おわんの中は、胡桃のお菓子!
間髪入れず、
「いただきます」
カラメルと胡桃が奏でるハーモニー。微妙な舌触りと濃厚な甘さ。……これだー!
そして安賀島夫人はグラスにお湯を注ぐ。
じわりと黄金色に染まりゆく耐熱グラスの中で、細いお茶はゆっくりと、浮沈をくりかえす。ふう、と息をふきかける。芳醇で少し苦い草のような香り。一口いただくと、なんとも爽やかな味わいがのどにひろがる。
「Jun-Shan-Yin-Zhen……君山銀針ですか」
安賀島夫人が顔をほころばせた。
この黄茶は一回だけチャレンジしたことがある。でもこのお茶、高いんだ。中国の洞庭湖の近くでのみ収穫する、貴種らしいから。
「天宮さんさすが」
久瀬くんが素直に感心している。
あまり彼にほめられる機会もないので、少し照れる。舞いあがりそうだし、安賀島さんもコタツ仲間となったところで、話題を他に探そう。
「その宣伝してはらへん事情って」
「それはね、この神社、あまり宣伝できるご利益がないんやな」
「ご利益のない神様って」
そんな神様にお社作ってあがめたりするものなのかな。
よく分からんけど。
「いやいや。ご利益云々は語弊があるかもしれない。ここ総領神社は、祟りを畏れた先人が立てたものやから」
「天満宮もそうですね。元来、菅原道真のみたまを鎮めるために創設されたもので」
「ここは菅公みたいな有名人は居らへん。せやから、もうからへん」
安賀島さんは声高らかに笑った。
あちゃー。やっぱり聞かれてた。でも印象悪そうには思われてないかな。
久瀬くんも苦笑しながら、さらに質問を重ねる。
「どなたが奉られているんですか」
「名前を言うても分からんやろけど……『七鬼澄隆』という人や」
「ナナツギ!」
「スミタカ!」
オウム返しに叫んだのは、久瀬くんと私、同時だった。
それ以上に目を丸くしているのは、安賀島さんかもしれない。




