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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Spiral Stairway
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10.胡桃のお菓子に誘われて〔1〕

 どうしよう。

 隣にはタチバナ・モトイ。緊張が高まる。


「天宮さんなぜここに」

「お母さんがクリスチャンなんで教会にくるのは年中行事」


 その母は友達と前列に居座っている。

 私はそれほど熱心ではない。終われば早々に帰るべく、後列にいる。


「神父サンタのプレゼント目当てってわけやないんや」

「駄菓子もらってうれしい年やない」


 語気を荒げて言いかえすのだが、


「……やっぱりうれしいな」

「ガキや。ガキがおる」


 うるさい。


「橘先輩、今日、せりちゃんは? イヴやのに」

「主の降誕を祝う日やろ。今日は」

「世間的に言うやないですか。クリスマスディナーとか、二人の夕べとか」

「二人の夕べて。昭和の青春ドラマかっ」


 笑うな……しかも腹抱えて笑うな……。

 しかし一連のかけあいのおかげで、緊張がほぐれてきた事実は否定できない。


 さて、ここは苅野のカトリック教会。キャナルシティ、つまり川の流れる新市街の片すみにある。

 厚い宗教心あってのことではない。カトリックな母につきあう例年の習慣でなかば義務的に訪れるにすぎず、翌週には神社でおさい銭投げてる典型的な日本人である。

 でも嫌々ではない。苅野の教会はなにかと楽しい。神父さんの説教がコミカルな語り口でいい。それと、この町には気の利いた合唱団がなくて賛美歌は礼拝参加者みんなで歌うことになってる。それが妙に気持ちよくて気に入っている。大きな街の教会だと地元の大学の合唱団の歌を聴いたりするけど、私には眠気をさそうだけだった。『諸人こぞりて(Joy To The World)』をうまい下手関係なく、みんなで歌って盛り上がるって楽しいよ。

 そんな会話を私たちは小声で話している。


「バンドにも最近、賛美歌に目覚めた奴が約一名」

「久瀬くんですか」

「さすがよくご存知で。メロコアとクラシカル・クロスオーバーが至上とかぬかす、節操ないやつやしな。ここに来るんも誘ったけど」


 久瀬くんはバイトだとか。クリスマス・イヴも勤労学生とは尊敬に値する。


「普段使いの時計を一刻も早く買うだとか、突然言い出してな。やつの思考は常人にはついていけんわ」


 私はふうんと気のない返事をした。

 一方よけいなことを言ったと深く反省。話をそらすために口走ったコト、彼はちゃんと覚えていたのだ。


「で、今日なんでひとり。せりちゃん誘わへんのですか」

「それ『二人の夕べ』とか言う?」

「茶化さんでください。真剣なんスよ。せりちゃんと私と世界の幸福がかかってんのやから」


 橘は静かにくちびるを歪める。

 と、前の祭壇のオルガンが旋律を奏ではじめた。


「ほれ、歌うよ」



『エサイの根より 生い出たる 奇しき花は 咲き初めけり 我が主イエスの生まれ給いし この良き日よ』(賛美歌98番『エサイの根より』)



 私はこの歌が好きだ。

 静かな旋律。賛美歌としては地味な存在だけど、好きだ。

 その歌を奏でる、橘の声が、胸に染み入る。私は歌うことを止めてただ耳を傾ける。

 甘い語りかけではない。癒されるのでもない。崇高で清冽。切なく哀しい。

 主が出でし歓びを語るはずなのに……彼は、楽しくて歌っているのではないように思える。

 橘をちらりと見た。彼はまっすぐ前方を見つめている。讃美歌集を胸に抱いて。


「残酷な歌やな」


 ぽつりと彼はこぼす。


「残酷、ですか」

「望まれず、必要ともされず、産まれてきた者には」


 ぎゅっと胸がしめつけられた。

 その指摘は間違いじゃない。イエスの誕生を祝うこの歌。諸人こぞりて――みんながある一人のために祝って歌うのに、決して自分のためには歌われることがない。それはとてもつらいことだろう。

 そんな指摘をする橘もまた……?

 返す言葉を考えあぐねていると、


「と思わんか? 俺は親の期待すっごい重てぇくらいやからええけど」


 まただまされた。

 いや正確にはだまされてはいない。橘は一般論を語っただけだ。しかし毎度、誤解をしてしまう会話の展開。これってなんなの。



  *  *  *



 教会の外は湿りを帯びた風が吹く。

 私はマフラーをもっと顔へとよせた。

 曇り空がより早く夜を呼ぶのだろう。とうに夕暮れは過ぎている。

 キャナルシティのバスターミナルに向かって私は歩いていた。母は友達と夕食にパスタでも食べて帰るという。不良中年め。

 橘もまた家路へと向かう。彼は方角が違うものの、やはりバスだった。

 バスターミナルに人気はない……どころか、私と橘しかいなかった。無理もない話だ。休みの日にバスターミナルに人気がないのもこの街の特徴だ。苅野はクルマ社会で、公共交通機関を使うのは学生や通勤、老人くらい。クリスマス・イヴの中途半端な夕方、あんまり人がいないのもしかたがない。


「寒っ。さむさむさむ、寒ーいっ」


 私はひざを屈伸しながら悲嘆しつづける。

 橘もまた、サッカーボールを蹴るような動作を飽かずにくりかえしている。

 この時間帯でこの湿気と寒さ。明日は路面凍結するかも。雪は降らないものの、内陸地の苅野は冷え込みが厳しい。市街地は凍結剤をまき散らすが、路地の日陰などは下手するとすっ転ぶことになる。


「学校休みでよかった。昼まで爆睡しよっと」

「賛成。苅女(カリジョ)は休み?」

「部活の子以外は。北英高校は休みやないんですか」

「補習が結構多い。全国模試で千番以内なら完全任意やけど」


 そこで休むあなたは優秀なのですね。ハイハイ。


「あ、でかいクリスマスツリー」

「どこ?」

「あっち」


 バス停から大きなツリーが見えた。

 ビジネスホテルのツリーらしい。今まさにイルミネーションが点灯したところだった。

 もみの木のてっぺんの星は、ベツレヘムから見えた星。東方三博士がメシアを見出した預言の星。でも私が今見ているのは、おもちゃのような星飾りと人工的な光の星たち。

 空を見上げると曇り、闇だけが覆う。

 今日は本当に祝祭の日なのだろうか。わびしさがつのる。

 と。

 私は血の気が引いた。

 ツリーから姿を現す、プラチナの髪が流れる美しい青年と、外国人ぽい少女。

 私は橘の影に隠れ、そして少しだけ影から観察した。確かに間違いない。あれは……亜麻色の髪の子と、フロリアン。夢の登場人物だ。

 なぜ苅野にいるのかと疑問に思ううち、二人がこちらに向かってきた。バスターミナルやキャナルシティ駅に向かうなら通り道なのだ。

 隠れなきゃ。とっさにそう考えたがここは野外。

 そのとき、すべての光が私の前から消えた。私の頬に橘の肩。

 事態は把握した。テレてる場合ではない。息をひそめてそのまま、橘のコートのすそをつかむ。

 どきどき。どきどき。

 激しい動悸との戦いだ。

 カツ、カツ、と鋭くリズミカルな足音が耳につく。音は次第に大きくなって、そして小さくなり、消える。

 どちらからともなく体を引いた。

 橘はそっぽを向いている。さっきの二人が歩いていった先を眺めているのだと思う。その二人はもう視界にはいない。


「ランスタンかな。甘やかなバニラの香りって」

「知り合いですか」

「香水。あの子、ランスタンってゲランの香水つけてました」

「香水、ですか」

「きみはほんとに年頃のおねえさんか」


 ほっといてください。匂いものには弱いんです。

 久瀬くんをブランドに弱いとは言えないな。私も。


「しかしロリ系の顔して大人の香りとな。ミスマッチと思いきや、意外にそそるなあ」


 その感想オヤジくさいです。


「でも橘先輩。なんで隠れるようなマネを」

「隠れなきゃって、あせってたんは自分やろ」

「まぁそうですけど」


 ふむ、と橘が考えこむようなたたずまいでつぶやく。


「銀の髪は人外か」

「じんがい?」

「ヒトのソトで人外。神か仏か魔か霊か。こっちも気づかれるとまずいし……あ」


 再び、ふんわりと、視界が覆われる。

 ちょっと待て。と抵抗を見せた私だったが、橘にしっかりホールドされている。いやいや、そでをつかんで背負い技に入れるスキはあるか。


「気づかれた」


 低い声で耳元でつぶやかれた。

 なぜか背筋が凍るような、鳥肌が立つような、でも心高ぶるような、よくわからない気分になる。


「一度しか謝らんから……悪い」


 歌うようなささやきを聞いた瞬間、周囲の時刻は止まる。

 わずかに逸らした私の頭に手を添えて正しながら、音もなく塞いでしまう。束縛されもがいたのは一瞬だが、それからは時の間隔すらない。

 からみとられてしまった。

 腕もくちびるも、脳みそも。


 完全に、世界が真っ白になった。



  *  *  *



 気づくと、橘はいない。

 はらりと肩に白い羽が落ちてくる。

 雪だ。

 空を見あげた。黒い空から、白い贈り物が舞い降りてくる。足元のアスファルトに白い花が少しずつ咲きはじめる。


『エサイの根より 生い出たる 奇しき花は 咲き初めけり』


 歌詞になぞらえて雪を愛でる。柄にもないセンチメンタリズムを覚えたのは、なぜだろうか。

 風が冷たくなる。

 私はひとり、凍りついたように立っている。

 自分を殴り倒したい。どうしてこう軽率なんだろう。安心するのは早計だった。なのに、油断した。逃げるため、避けるため。彼を責められない。なのに悔しさがこみあげる。

 私は途方にくれて小さく泣いた。

 黒く垂れ込める空も、泣いている気がする。

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