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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Spiral Stairway
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09.ナナツギの物語〔3〕

 私は新しいお菓子を取りにいく。彼も続いてお皿を手にした。

 再び、シュトーレンをお皿にのっけた。

 その昔、ドイツのシュトーレン王がクリスマスに貧しい人々にプレゼントしたパンのようなケーキ、それがこのお菓子の由来だそうだ。雪山のように粉砂糖がかかり、中はレーズンやアーモンド、オレンジピールに、ラム酒なんかも入っている。

 私が当時の貧しい人になってこれを食べたとしよう。王様って毎日こんなものを食べてんのか……イラッとくる。いや、暴動ものだ。

 そんなよけいなお世話な妄想をしつつ、席に戻った私はひとつ提案をする。


「『スミタカ』がなぜ苅野に来てるのかは今後の課題てことで」


 久瀬くんは生返事。推理がおよばないのがくやしくてならないようだ。

 ほかの話題にしよう。

 藤生氏のこと。これも多少、面倒だ。

 もっと身近な話題にしよう。


「同じバンド仲間と同級生として、橘とせりちゃんはどうでしょうか」


 久瀬くんは動きを止める。

 スプーンはコーヒーのババロアに突き刺さって微動せず。


「余裕でしょう」

「余裕てなにが」

「つくづく人間てのは不公平にできてると思う。あいつらってほんと、どうなん? 最初から人よりアドバンテージあるやん。顔、お金、アタマ、生活環境」


 なにを言っているのか分からないが、


「……ま、神様ってけっこう不公平だよね」

「で、天宮さんはもう大丈夫かな」


 久瀬くんは和やかに表情を崩す。そのへんでふりまく愛想笑いではない。

 問いかけも意味がつかめず、なにがと問いかえすと、


「その橘先輩の件で、天宮さん落ちこんでたやん。復活のきざしかなって」

「心配してくれてたん」

「渡邊さんに言われたし」

「あ、ありがと」


 なんだか照れるな……。

 これが女子に人気の秘訣だな。サラッと押し付けがましくない。そんな気づかいされたら、女子的には優しいなあって、かたむくわ。

 そんな彼は優雅にコーヒーカップに手を伸ばす。

 と、手首にキラリと光るものが見えた。


「それ!」


 反射的に私は彼の手首をふんづかんだ。


 ぱんっ。


 と、音をたてて払いのけられる。私は勢いでのけぞった。


「あ……」


 彼自身、自分の取った反応に驚いているようだ。

 ゴメン、と彼らしくない所在なさげなつぶやき。

 いやいや、彼が悪いのではない。いきなり手首をふんづかんだ私がマナー違反。こちらこそ、すんませんでした。私は右手で手首を指ししめしながらおうかがいをたてる。


「ちょっとその時計、見てええ?」


 今度は久瀬くんも素直に腕を突き出す。

 腕にはめられているのはバンドは黒い皮。枠はシルバー……プラチナかもしれない。年月日の表示もあるクロノグラフ・タイプのフォルム。太陽がのぞく窓もついている。そして銘は『BLANCPAIN』。


「すごい」

「なにが」

「この時計。ねじ巻き時計やよね」

「うん」

「ブランパンちゃうん」


 久瀬くんはきょとんとしていた。

 博学才英な彼だがブランド物にはうといらしい。ここが弱点だったか。


「知らん?」

「知らん」

「びびるほど高い時計。車、買えるんちゃうかな、モノによっては」


 彼はそのまま固まってしまった。


「これどうしたん」

「高校入学祝。親父からの。でもこれってそんな高いん? ホンマ? ホンマにホンマ?」


 彼はどこか鬼気せまる表情でつめよってくる。私は多少、腰がひけた。

 彼が父親からもらった物なら、本物だろう。まさか政治家が息子に偽ブランドをプレゼントするとは思えない。


「ええこと聞いた。カマバーに身を売る前の、最後の手段ができた」

「なんでいきなりオカマ相手よ。ホストでよくね? 会話うまいし」

「うまくないよ」

「んなことないって。もてるっしょ」

「女のコと話すん苦手、しんどいし」


 やはり鹿嶋久瀬ホモだち説は真実なのか。

 ……いや、待て。どこか引っかかる。

 女の子は苦手といいながら、私にはツッコミ入れるわバッサリ斬るわアホの子扱いだわ。これはどういうことだ。


「私は女扱いしてないわけか」

「はいっ?」


 久瀬くんはすっとんきょうな声をあげた。


「目の前に、同い年の、女子高生。おもいっきり長時間、会話してますが」

「今までの話の流れで、怒るとこ、あったっけ」


 彼らしい冷静な返しにカチンとくる。


「天宮は苦手な女の子の範疇外ってことですか」

「そうは言わんけど。僕にどうしろと」


 どうしろと。

 直球で問われたら返答に困る。でもやっぱり腹が立つ。


「……もういいから!」

「ええことなさげやけど」

「いいの! さっき優しいなぁと思ったのもまちがい。藤生氏のほうが絶対優しい」

「藤生君が? 不機嫌・無愛想・唯我独尊の代名詞が?」

「んなことない。このまえも老夫婦にも親切にしてたし」

「なんの話。それ」


 あれ?

 それは藤生氏のことは夢の話で。夢と現実をごっちゃにしてしまってる。現実でもない藤生氏と、現実に座ってる久瀬くんを評するとか。

 自分、無茶苦茶、支離滅裂だ。


「いまの話、なし! 忘れて忘れて」


 あわてて否定にかかるのだが。

 久瀬くんは困惑でなく不審の目を向ける。


「もしかしてその時計、普段使いやんね。もったいないよ。安物つけたほうが」

「このまえ藤生君がどないしたって」


 ちゃんと話しろ的オーラがすごい。

 私は黙った。話をそらすかわりに目線をそらした。

 久瀬くんて温厚だけど怒ると怖い。藤生氏がらみだと特に。殴り合い程度なら受けて立つが、どんな秘策で返しをくらうか分かったもんじゃない。火に油を注ぐ結果にはしたくなければ、やっぱ、話すしかないのかも。

 目線を上げると、きっちり視線が合った。

 彼はふっとパソコンに視線を落とす。その指先が画面に触れ、黒かった画面がふっと明るくなった。


「藤生君とメールはやりとりしてた、一応は」


 メールソフトが表示されている。

 見たいなら見てもええよ、と画面を私のほうに向けた。

 画面に触れてみる。

 送信元はすべて『Kai.Fujio』となっている。久瀬くんは別のフォルダを作って、藤生氏からのメールはすべてそのフォルダに保存しているらしい。

 保存されているのは二年前から。私たちが中学三年になった春。だから、藤生氏が去ったころから。送信頻度は数ヶ月に一回程度あるかないか。なので今までに六通だけ。気が向いたら返信もする、といった感じで、かなり筆不精だ。ある意味、藤生氏らしい。

 全件読むのはさすがになんなので、ちょっとだけ……。



『祝ご入学。

 また鹿嶋と同じクラスw』



 短い。

 タイトル『おめ』だし。祝われてる気がしない。

 ほかのメールも『Re:Re:』『Fw:』とか。藤生氏らしい。

 かと思うと『Fw:』の中身は、



『悪い調べて。

 ・ligne de chemin de fer Matadi-Kinshasa

 ・Inga 4th Project』



 なんだこりゃ。

 きっちり返信マークついてるし久瀬くん調べて返したんかな。

 メールにはいろんな地名が登場する。藤生氏がその時その場所にいたのか、それとも単なる情報集めかは分からない。なにしろあいさつ近況なしで用件のみばっか。ただ、どこへ行っていたとしても、お気楽な旅って感じがしなかった。

 最後のメールは八月二四日。タイトルは『Re:苅野幽霊船』。

 藤生氏にしては長文。



『ロッテルダムに続けて苅野も幽霊船て。

 毎度調べてくれんの助かるけどどうもきな臭い。

 なんか鹿嶋や天宮さんの名前でてたけど、やばいふんいきだったら手をひいてくれ。

 こういう件のベストプラクティスを理解してない他人を関わらせるのまずいだろ。

 天宮さん巻き込んだら殺すぞボケ。』



 ……驚くほかない。

 最後の行をタイプしている藤生氏を、私は夢で見た。


「この八月のが最後?」


 最後の一行を凝視しながら私はたずねる。視界のはしっこで彼が深くうなずいた。


「そのときロッテルダムにいるってよ。で、そのメールを最後に三ヶ月音沙汰なし」


 やはり、私が見ていたのは単なる夢じゃない。

 藤生氏周辺の出来事だ。しかも八月の数日間という、ピンポイントで。

 この先、どこまでこの夢を見るのか分からない。なぜ見ているかも分からない。

 ただ『三ヶ月音沙汰がない』。メールの頻度からして心配することじゃない。でも……なにかが起こったのではないか。私が夢を見るようになった原因となる、なにかが。

 次の夢を……一刻も早く見たい。


「ロッテルダムやないよ。この時はノルウェーに」


 久瀬くんの表情に驚きはない。

 むしろ待ち人が来た瞬間のように、安堵と期待がその顔に浮かぶ。

 記憶の糸をたぐりよせながら私は話をつづける。


「『藤生君の要求は断る』。私に協力を仰ぐって、久瀬くん、藤生氏の最後のメールにそう返してるやんね」

「返したよ」

「今からの話は、夢の話やけど」


 私が思うにまかせて語った内容に、久瀬くんは始終冷静に耳をかたむけていた。

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