08.作戦会議〔2〕
なにを言い出すのだ!
いきなり冷水を浴びせかけられたようだ。あるいは、あぜんとしているかも。
「初耳!」
「藤生皆つって、天宮さんが前住んでたとこの、同級生」
「そんなコおるんやん!」
かのんの声が店じゅうに響きわたった。
開店前なのでだれに迷惑をかけるわけでもない。店長さんはそ知らぬ様子でレーズンバターと一口大のチョコレートを冷蔵庫に入れている。チョコは、手作りだ。
さりげなくカウンターを飾るクリスマス・ツリー。カウンターのボトル。大きなスピーカー。いろんなものが視界に入る。
いかん。現実逃避しかけてる。戻れ、私。
「僕もたまたま友人でね。だから知ってるわけやけど」
「彼がいるならそのほうがええねん。要は、せりに『取られない』と安心させればいいんで。その彼氏、呼び出されへん?」
「無理。オランダのロッテルダムにいる」
「超・遠恋!」
ドラマ以上にドラマティックな遠距離恋愛だ――事実としたら。
かくなる設定にいたく感激したかのんは、顔を紅潮させていた。すごいっ、と言いながらぴしぱし、私をたたく。
「なんでそんな面白い話、黙ってたの!」
「ちょっと相談しにくいやん」
両手にウーロン茶をかかえ、私は強がった。
まさしく強がりである。久瀬くんが藤生氏のことを持ち出すとは思わなかった。ショックでいたたまれない。
久瀬くんの嘘設定に合わせなければならないんだろうか。どこかでぼろを出さないだろうか。不安に胸がつまる。
なにより、なぜここで、かのんに話したのだろう。彼は去りぎわ、すべてを消して去ったはずなのだ。みんなの記憶からも消え、私もこの二年、久瀬くん以外には名前を口にしなかった。そうやって今まで隠してきたというのに。
私には、ウソでも藤生氏の存在を語ることは、彼への背信行為と思えてならなかった。
「でも外国にいますってのは説得力ないし。その藤生とかいう人には悪いけど、やっぱり当初計画どおりやってもらいましょ」
かのんは(勝手に)決定を下した。久瀬くん、そして私を交互に眺め、文字どおり「ニヤリ」と笑う。
「善処はするけど」
久瀬くんが苦笑いを見せている。
もしかしたら、もしかする?
「『トリプルらぶらぶ大作戦』のトリプルて、そういうわけ。鹿嶋と」
橘とせりちゃん。久瀬くんと私で、もうひとつはなつきと鹿嶋くん。
じょ、冗談じゃないぞ。
「そういうわけです。ええいついでだ、なっちゃんと鹿嶋くんをひっつけちゃおう大作戦!」
その点は賛同するんですけど。
「お手洗い、借りていいですか」
久瀬くんがそこ、と指差した。立ち上がって身をそらすと、延長線上に確かにドアがある。
大またでテーブルを離れた。そしてなかば身を隠すように個室にこもる。
私に久瀬くんとらぶらぶのふりなんて。なんだよ『らぶらぶ』って。私にどうしろとおっしゃる。私は頭をかかえる。
落ち着け、とりあえず落ち着け自分。
黙っておトイレのシートの暖かさを受け入れつつ、顔をあげると、チューリップ畑の写真が目に飛びこんできた。
座って正面の壁にはコルクの掲示板がかけてある。チューリップ畑、変なフラワーアレンジメント、川と石橋、水車、銅像や街角のお店といった、ヨーロッパの風景写真が何枚か、ピンで刺してあった。ポストカードじゃなくプリントアウトしたような写真。店長さんの作品かな。
そして、バーっぽい写真の横には、吹き出し型のふせん紙が貼ってあって、
オランダのジン “Jenever“入荷
** Bokma Jonge * *
滑らかで フルーティー です!
チューリップ畑といえばオランダ。同じ国つながりでジンてお酒、宣伝してるってことかな。
といっても貼ってる枚数多いし、写真見せたいついでに宣伝って感じやけど。
あ、そういえば。
「ロッテルダム」
ぽやっとした頭に、ぽやっと浮かぶことば。
ぽそっと口にする。
そういや久瀬くん、妙なことを言ってた――藤生氏はロッテルダムにいる――。
藤生氏がオランダにいるなら、夢と現実で話がくい違う。夢で見る場所はオランダではない。『オスロ大学』ということばを手がかりに調べたのだが、オスロはノルウェーの首都だ。夢の舞台はノルウェー、北欧の国のようだ。
それにロッテルダムという話自体、初耳だ。久瀬くんはなにをどこまで、知っているのだろう。
そうだ。久瀬くんは藤生氏の一番の理解者やん。らぶらぶだかなんだか知らないけど、この機会にいろいろ聞こう。そうしよう。
私はその決意を自分に言いきかせようと、両手をぐっと握りしめた。手洗いをすませて、ドアノブに手をかける。
と。
「ウチら、せりと言うてたんやけどね、久瀬って、はるが好きなのかなって思ってたんよ」
反射的にドアノブから手をはずした。
かわりにそっと、頭をドアに押しあて、耳をすます。
「なんで」
「はるだけ扱い雑やない?」
「人聞き悪いなぁ。ツッコミやすいキャラってだけやん。そう思わん?」
「思う」
納得された。泣ける。
「そやろ? 鹿嶋並みのツッコミを入れられる貴重なキャラというべきか」
「久瀬ってむかし、告られてたコ、全部ふってたやん。てっきりはるのこと」
「うんにゃ」
「ネタとか虫除けとかやなくて? ほんとうに?」
久瀬くんはなにかをこらえるように笑った。
「虫除けって、鹿嶋のこと指しとんのよな」
そのウワサは中学三年のころから流れはじめた。すなわち「鹿嶋久瀬ホモだち説」である。
中学三年の夏くらいだったろうか、女子の間で人気がでだしたのは。見た目は地味ながら、頭いいし面白いことも言うし人望もある。委員長常連で生徒会役員もやって、リーダーシップもあり。なにより優しいのが女子的にポイントが高いとか(私自身は全面的には同意しかねるが)。
文字で並べると非の打ち所がないな。
卒業までに女子に告白されること、二ケタ超。すべて拒否の返答。
それでも嫌われることもなかったのは、やっぱり人望と人徳なんだろう。かわりに鹿嶋久瀬の仲良しぶりが喧伝され、かくなるウワサが流れたわけなのだが。
「それならそれでええけど。はるはホントええ子なんやからね」
「渡邊さん友達思いやね」
「ひとこと多いよ? はる、今かなりヘコんでんのやから、キツいツッコミは遠慮したげて」
かのんの心遣いに胸が痛くなる。ありがとう、と言いたかった。
「そやね。分かった」
「うーんと優しくしたげて、略奪愛ってのは面白いからOK」
「いい友達を持って幸せやな」
ありがとう、と言うのはやめとこう。
私はドアノブに手をかけた。ドアは音をたて、私の視界にはバーカウンターが飛び込んだ。
店長さんと目があった。ぎこちなくならないように、私は懸命に自然な―――なにも考えていないような―――表情を心がける。
軽い調子で言った「ただいまあ」は、ハモった「おかえりい」で出むかえられた。
よし。
言うぞ。聞くぞ。藤生氏のこと。
「く……」
「じゃあもう店開ける時間やから、悪いけどこのへんで。また詳細連絡メール頼むわ」
音をたてて立ち上がる久瀬くん。
先を越されたようだ。とほほ。