08.作戦会議〔1〕
「はるは悪くない」
開口一番、かのんは言った。
「夏休み時点ではタチバナ、知らんかったわけやん。それから進展があろうが」
「進展なんてないっす」
「どっちでもええの。要は、恋愛に取った取られたなんて」
「そやから恋愛やないっす」
わざわざ別のクラスからやってきたかと思ったら。
よう、元気い? じゃないみたいやねえ。せりから聞いたよ! わははっ。
その陽気な訪問ぶりを逆説的に受け取って、えらいご叱責を受けるかと身がまえたのであるが。
「でも高梨さんの立場になると気分悪いかも」
「なっちゃん、それは言っちゃあかんよっ」
なつきのこぼした本音を、かのんは明るく打ち消す。
だけど、やっぱり私は注意すべきだったのだ。二人きりで会っちゃあ、疑念を持たれてもしかたない。
「あーあ。はる、人生どん底に突き進みはじめてもたやん」
「ゴメン」
「ゴメンですんだら警察要らん。責任感じた?」
なつきは私をちらと見て、こっくりとうなずく。
「なら、ここはなっちゃんに、ひと肌ぬいでもらうかんね」
「わたしに」
「そっ。名づけて『トリプルらぶらぶ大作戦』!」
「……わたなべさん」
なにをやらかすつもりなのだ。
しかも脱力感あふれる、さむい作戦名やし。
無言でなりゆきを眺めていた私もそうだが、なつきもまた、戦々恐々、顔をこわばらせていた。
だが、かのんはおかまいなしにつき進む。司令官よろしく、
「そんなら、なっちゃんじきじき、鹿嶋にメール入れて」
「鹿嶋って、あの」
「あの鹿嶋。メガネの鹿嶋。ボケ役の鹿嶋。メールアドレスならあとで転送したげる。で、バンドの練習見にいっていいか聞くねん」
「バンドの、練習と」
なつきはあわててメール編集画面を出して打ち込みはじめた。納得するより、勢いに負けたようだ。
「OKくれたらなっちゃんとウチらで見に行こ。はるっ」
「ハイ」
返事してしまった。
「久瀬の連絡先教えて」
「ハイ」
またも返事してしまった。
「どうするつもりなん?」
おずおすと、なつきはかのんの顔をうかがう。
「ショーに出るにはまず馬に乗れ、て言うやん」
将を射るならまず馬を射よ、です。
なんとなく言いたい意味は分かる。しかも意味も存外間違っていないように思えるし。そんなわけで、私もなつきもツッコミは入れないでおいた。
* * *
「店まで押しかけてくるとは思わなかった」
久瀬くんのバイト先は、シックなバー。
開店前の準備中だという。彼はカウンターでボトルを並べているひげの素敵なおじさまをふりかえる。
「店長、すみません」
「両手に花やん。ガンバレよう」
「…………。天宮さん、渡辺さん、そこのテーブルで」
久瀬くんが案内したのは店の一番奥。籐の鉢に植えられた、大きな観葉植物の隣だった。ぴんと上を向いた葉っぱと、不思議な感じに曲がった枝が印象的だ。
彼は音もたてず椅子をひき、私たちを座るよううながした。優雅なものだ。まるでエスコートされているようで、気持ちがいい。
ウーロン茶だろう。彼はグラスを差し出す。手首の時計が少し揺れて、きらきらひかる。動きにそつがなく大人っぽい。
彼は私たちの対面に座りながら切り出した。
「知っとおよ。橘先輩と高梨さんのことなら」
「早耳やねえ」
「今日も一緒らしいよ。つか、ここんとこずっと」
かのんはへえ、と感嘆をもらした。
「せりもやるもんやね」
「僕からもお幸せに、と言いたいとこやけど」
「その笑顔の影になんか不満あんの?」
対する久瀬くんは、あくまで穏やかな笑顔を崩さず、語るのだった。
せりちゃんは合唱部でピアノの伴奏をしている。その合唱部、今は苅野市主催のクリスマス・コンサートの練習に入ったばかり。音をとる……つまりメロディとリズムを体に覚えこむ作業中、きちんとしたピアノ伴奏は欠かせない。ところが、せりちゃんは出てこない。
そうなると久瀬くんがピアノを頼まれるのだそうだ。彼は以前も、ピンチヒッターとして伴奏をしたことがあった。
でもバイト先の店もかき入れ時。バンドはクリスマスの合同ライブを目標にしていたのに、橘もそんな調子。
だから彼も懸念材料だ、いうわけだった。
「どうしてそう引っ張りまわすんやと思う?」
いたずらっぽくかのんは問題提起する。
問われた久瀬くんは少し間をおいて、答えた。
「不安。占有欲」
「分かっとおやん。そうよね。油断するとはるに取られちゃうしぃ」
「取るって」
私は絶句する。
かのんは力強く論じ始めた。
「はるも言い分あるやろけど、恋愛ってのはね、ことばだけでは通じへんの。好きなら好きって飛びついて、嫌いならつきはなす。それがあるべき形です」
「あるべき形」
「はるは今、どっちつかずの態度で、せりを疑いのスパイラルに陥らせてんのよ」
「うーん」
なんか怒られてる。
最初、かのんって、私は悪くないって言ってくれたような。
「だいたい、はるは橘のことどう思っとんの? 他にだれか好きな人おらへんの?」
「うー、うーん」
私は途方にくれて、うなった。
そういえば中学校の頃、せりちゃんに問われてこう答えたことがある。
―――うん、気になっとんのは、藤生くん。
もし今、藤生氏が近くにいたら。私はこう答えてたのかな。
でも今はどうだろう。夢に出てくる藤生氏はあくまで夢だけど、彼の隣には彼女がいる。橘が藤生氏かもしれない、というひとすじの可能性もまた、私を迷わせる。
「いるよ」
グラスの氷がからからと音をたてた。
揺れているグラスは久瀬くんのものだった。彼はにっこりと微笑んで、
「天宮さんにはちゃんと、好きなひとがいるよ」